異世界スロースターター

宇野 肇

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四章 清算

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 結果だけ言おう。フィズィ相手に誤魔化すのは無理だった。洗いざらい全部吐かされて――と言うと厳しく詰められたように聞こえるけど、実際は俺が少しでも言い淀んだり、曖昧な言い方になると直ぐにフィズィが気づいて、そこを突かれるの繰り返しだった。
 途中見かねたギルが、歯に衣着せぬ言い方で全てを率直に言い切ってしまったけれど、フィズィは「君には聞いていない」と突っぱねて、結局俺は自分の口で全てのことを伝えなくてはいけなかった。
 出会って少し経ったあたりがマズイなんてことは俺にだって分かる。それのフォローを入れようとしても、フィズィは許してくれなかった。嘘や曖昧な言い回しは鋭く追求され、ただ起きたことを順番に言わされて、俺は終わった頃にはぐったりしていた。エリクサーの意味。
 そしてフィズィは俺に言ったのだ。
「ヒューイ。君がどう感じていようと、それはストックホルム症候群だろう」
「……」
「そしてギルと言ったな。そっちの男はリマ症候群のように思う」
 それが、その言葉が分かるのはマレビトだけだろう。思ったが、フィズィは他の面々にも分かるように言葉を続けた。
 ストックホルム症候群は、すごく簡単に言えば被害者が加害者に対して、自分の生命を守るために親近感を抱いたり、深い愛情を覚えること。リマ症候群は、加害者が被害者に対して同情したり、愛情を覚えること。
「……フィズィは、向こうでそう言ったことに詳しかったんですか?」
「君が期待する程の立場ではなかったよ。だが、君の話……いや、状況を聞く限りそのようにしか考えられない」
 理解されないことは承知の上だったけど、フィズィは難しい顔をして俺とギルを交互に見遣った。
 ギルはどうか分からないが、俺は彼の言葉を、意見を覆すことはできなかった。ギルに感じているときめきのようなものも、劣情も、好きだという気持ちも、それがあの状況に陥った人間が辿る『正常な』反応だと言われたら……そんなことはないと、断言できない。けれど、かといって違うと証明することも不可能だ。
「君たちの関係に口を挟むのは野暮だろう。当事者のことは当事者にしか分からない。だが縁を持ったのだから、言わせてくれ。
 君たちの関係は歪だ。
 それが良い悪いと言いたいんじゃない。君たちの性別が違っていても同じことを言っていただろう。
 『治療』も、考えてないよ。私にそこまでの知識はない。カウンセリングもできない」
「……だったら、尚のこと何が言いたい」
 ギルが口を挟む。フィズィはギルを見返した。なんの衒(てら)いもない、真摯な表情で。
「ヒューイはともかく、ギル。君が一番歯がゆく感じているはずだ。口下手なのか、都合が良いと思っているのかは知らないが、ヒューイを大切にしたいと思うなら、君はとてつもない努力を必要とするだろう。最初に楽をして、君はやり方を間違えている。それくらいでなければおかしい」
 ギルからの返事はない。ただ、くだらないと一蹴する様子もなかった。
 ……フィズィの言うことが的を射ていたから。
 ギルは一体、何を歯がゆく感じているというのだろう。
 じっと見つめていると、目が合った。その瞳は、今まで見たこともないほど揺らいで見えた。
「おほん」
 静まりかえった部屋の中、静かに追加で持ってこられていたらしい軽食に早速手をつけていたクレメンテ卿が咳払いをした。いや、咳払いというか、もはや『台詞』だったけど。
「この場で語られた内容については秘することとしよう。そのついでに、伝えておくことがある」
 彼はそこで一旦言葉を切った。ジンが訝る様子でいるのをみると、まだ彼も知らないらしい。
 全員の注目が集まる中、クレメンテ卿は穏やかな笑みをたたえたまま俺に向かって口を開いた。
「件の娘が裁判でどんな弁明をしようとも、犯した罪は変わることはない。それに伴い、ギルくんが現在犯罪奴隷であることの是非も審議にかける。
 彼が起こした騒動の中には罪に問われる件が多分にある。これは彼女の横暴や、彼が結果的に引き起こした『功績』とは別に考えなくてはならない。今まで審議されていなかったのは彼の所在が不明であったことと、判明した後も彼が不特定多数の貴族の所領で大暴れした後始末に我々が追われていたからでしかないのでね」
「え、」
 俺と、誰かの声が重なる。クレメンテ卿から目が離せない。それはつまり、
「罪は公平に裁かれるべきだ。よって、アデルベルタ・フォン・ルートヴィヒの裁判の後、ギルローグ・クライムの裁判を行う。これは彼女とは異なり、通常の裁判の形式を取ることになる。王都において市民権を有する一定の年齢以上の男性のみによる陪審員制の裁判だから、それ以外の者は排されるだろう。
 そして恐らく君にとって最も重要な部分だが――その裁判のために、然るべき手続きにより現在の主たるヒューイくんとは離すことになる。物理的にも、立場的にも」
 言葉を失う俺にかまわず、クレメンテ卿の言葉が続く。
「もしギルくんの現在の立場が不当であると判断された場合、身柄は一時的にモルゲンシュテルン家の預かりになるだろう。無論奴隷としてではない。保護としての側面が強いと思ってくれ。我が家と繋がりがあることを周知すれば、変な手出しをする輩は格段に減る」
「そんな必要はない」
「君が必要としているかどうかは関係ない。裁判そのものをねじ曲げるつもりはないが、ジンの狙いは私も聞いているところだ」
「あ、外堀を埋めるってやつね」
 ギルを有能な人材だと見込んで囲っておきたいモルゲンシュテルンの話だったか。
 クレメンテ卿は触れなかったけど、ギルがこのまま犯罪奴隷が適当であると判断された場合は正確な刑期が下される。金を積めば刑期を短くしたり、奴隷身分から解放できることもある。多分、その場合のギルの主は俺だろう。
 もし。
 もし、ギルが犯罪奴隷のままで、俺に刑期をチャラにできるほどの金があったら。
 俺は、ギルを解放するんだろうか。

 なし崩し的に今の関係になった。フィズィには歪だと言われた。もしかすると、それはそうかもしれない。それを正したいと思うのなら、俺は彼を解放するべきなんだろう。
 ……ギルと誠実に仲を深めることができたらと、思っていたことを思い出した。もう今は、叶わない話だけど。

 フィズィとクレメンテ卿、そしてジンは、俺の様子を見て話を切り上げた。そして聞きたいことがあればいつでも、なんでも言ってくれと揃って言ってくれた後、部屋を出て行った。女官たちも、直ぐ外の控え部屋にいると言って退室していく。
「ヒューイ様、朝まではもうすぐです。少しだけでも眠っては……?」
 心配そうに俺に声をかけてくるシズに、曖昧に頷いた。
「俺はエリクサーを飲んだから元気だよ。シズこそ休んだほうがいい。俺は……ちょっと考え事でもしようかな」
 ギルとのことは、全て呑み込むと決めた。謝罪も受け取ったし、受け入れた。だったら、今更過去にため込んでいたことを掘り返すのは違うだろう。
 だから、俺は、……ギルを開放すればいいだけのはずだ。対等でいたいのなら、最初に俺が望んだ関係になりたいのなら。
 一方で、開放しなくてもいいとも思う。俺とギルは納得ずくで今の立場になった。それをわざわざ、今更金を積んで変える意味も、必要もない。ギルの思想や言動の自由まで縛っているわけじゃないんだから。それに種類は違えどシズだって奴隷の身分で、シズにはなんの疑問も湧かない。同じように俺もシズも、この立場に不満はないんだから、当然だ。
 シズの場合は限りなく主従や、上司と部下に近い感覚だからだろうか。
 だったらギルは?
 どうしてこんなにも悩んでしまうんだろう? 『恋人』だから? 奴隷とその主という立場でそんな関係になるのはおかしいと思っている?
 ……俺は、何に対してこんなにも動揺しているんだろう? この立場を失えば、ギルに対する感情がどうなってしまうのか分からないと思っているんだろうか?
 うんうんと悩みながら、シズをベッドへ促す。シズが俺の様子を心配そうに見ているのを感じながらも、俺はそれに応える余裕がなかった。
「ギルも、休んでて」
 反応を見る前に明かりを落とす。暗くなるけど、スキルのお陰で問題はない。
 部屋を出る気にはなれなかったから、長椅子に座って、用意されていた軽食を摘まむことにした。ずっと部屋の入り口近くで壁に身体を預けて立っていたギルが、迷いなく机を挟んで向かい側のソファに腰掛ける。
「……お前は、」
 ギルの声が響く。表情の観察はできる。でも、する気にはなれなかった。
「何を、悩んでいる?」
「……それは、ギルの方なんじゃないの?」
「フィズィとかいう奴の言うことを信じているのか」
「疑う理由がない。彼はエルフだし、そのことに矜持を持ってる。エルフは裏切りやだまし合いを嫌うからね。それに、フィズィの言うことだけを信じたわけじゃない。ギルの反応も見てたよ。その上でそう思ってるってだけ」
 ギルの悩みがなんなのかは分からない。俺にできることなら解消してあげたいけど、アデルベルタ嬢のことですら『どうでも良い』と言い切ったくらいだ。俺にできることではない可能性が高いと思う。
「……」
「あ、これ美味しい。ギルも何か食べておけば? お腹が落ち着いたら、少しだけでも寝たらいいよ」
 俺の言葉に、ギルは短く返事をして、ほんの少しだけ手をつけた。それ以上、会話は続かなかった。
 ギルが何を考えているのか問い詰めるには、今起きたこととこれから起きることに意識が占められている。
 アデルベルタ嬢の裁判が終わったら、無理矢理にでも時間をもらおう。



 事が起こったのが深夜だったせいで、本当に身体を休められる時間はさほど長くなかった。シズはともかく、ギルはまあ、一晩程度なら大したことではないのか、さほど見た目には疲労はないように見えたのは流石としか言いようがない。
 少し寝ようと思って目を閉じた後、俺が目を覚ましたのは朝の九時頃だった。誰も起こしに来ないのは配慮なのだろう。裁判は正午だが、それまでにあれこれと準備があるらしいし丁度良かった。
 部屋で改めて体調を確認していると、ジンが迎えだと言ってやってきた。
 朝食を運ぶ女官達と現れたジンは、昨晩と同じようにソファへ座る。目の前に綺麗に盛り付けされた朝食が並べられていくのを見ながら、俺は遠慮なく白パンに手を伸ばして囓った。
「少しでも眠れたか?」
「ええ、まあ」
「ならよかったよ。いくら気力体力が回復したって言っても、欲求がなくなるわけじゃないからな」
「ジンこそ……クレメンテ卿も、仮眠くらいは取れたんですか?」
「まあ、裁判そのものに俺達は手出しできないし、あとは神殿での関係者による儀式と、司法の連中の手続きだけみたいなところがあるから。
 ああでも……昨日の晩の騒ぎで現場優先にしてた件の書類にサインはしてた」
 クレメンテ卿も話を聞く限りかなりタフな方なんだろうけど、彼らが俺を心配してくれるのと同じ気持ちだったから、ジンの言葉を聞いてほっとした。
「さて、じゃあまずは軽く腹に何か入れるか。何か食いたいものがあったら教えてくれ。裁判の後に用意する」
「え、いやでもアデルベルタ嬢の裁判が終わった後にまでお世話になるのは……」
「まあまあそう言わずに。普通はそうなんだけどさ。ヒューイの場合はギルのことがあるから。気にしてくれるなよ」
 そう言われてしまうと、そう言うものかと引いてしまう。まあ、断る理由もない。ここまで来ると巻き込まれすぎて、もう流される方が楽な気さえして、俺は曖昧に頷いた。
 ジンが裁判までのマレビト側の流れを説明してくれるのを聞きながら、間違いなく美味である朝食を味わう。俺がエリクサーを飲んだことは伝わっていないから、たっぷりのオニオンスープと、山になった白パンがメインだったけど、それで十分だった。
「マレビトは裁判に出席してもらうが、その際に裁判に関する決定に対して従うこととか、司法や行政の妨げになるようなこと全般について、……まあ端的に言うと邪魔をしないって宣誓を順番に行ってもらう。ヒューイの順番は体調のこともあるし最後にして貰った。これは神殿に入るときにするからな」
「わかった。ありがとう」
 ジンの言うとおり、朝食を食べ終えた頃に部屋を出る準備をするよう言い渡された。
「あの、ヒューイ様……」
 支度をして部屋を出ようとした時、シズがおずおずと声をかけてきた。ジンとギルには目配せをして先にでてもらい、シズと二人でその場に留まる。
「どうかした?」
「……」
 俺が助かってから、シズとはまともに話す時間を取ってなかった。まあそれはギルも同じだけど、シズの場合は普段からあれこれと俺のことを考えてくれるが故に、俺に確認を取ったりすることが多かったから、かなり珍しいことだった。
「いいよ、なんでも。言ってみて」
 でも、それも俺に気を遣ってのことだろう。
 だから極力強い言い方にならないように気をつけて先を促した。
「……僕は、ギルとヒューイ様の間に起こったことについては何を言っても僕では意味がないと思っているので、何も言えません。フィズィというエルフの言うことも、いくらヒューイ様にとって恩人であっても、ギルとの間のことに関して言えば所詮部外者の言うことだと思っています。ただ……」
 シズはそこで一度言葉を切った。迷うように彷徨っていた目線が落ち着き、すっと俺を見上げる。
「僕は、何があってもヒューイ様のお側にいます。あなたに不要だと言われるまで、あるいは死ぬようなことがあるまで、ずっと。僕はあなたに選ばれた。それに誇りを感じていますから」
「……シズ……。ありがとう」
 シズの感謝の気持ちはずっと聞いていた。何がそんなに気に入ったのか、未だに感覚的に理解していない俺にもその真剣な気持ちは伝わってくる。
 俺には勿体ないとか、改まって、ちょっと気恥ずかしいとか。
 はぐらかそうと思えばいくらでもできたけれど、それをしたら酷く失礼なのだろうと思って、俺は短く感謝だけを伝えることにした。
 ……今更、ギルと最初をやり直したいと思うことがどれほど遠いことなのか、身に染みた気がした。

 部屋を出ると、ジンを先頭に王宮を歩き、途中からは馬車に乗った。流石にリーオットさんの繰るそれよりは落ちたものの、何事もなく神殿まで到着する。
 なんとなくほっとしたけど、よくよく考えると何事もない方がまあ普通だろう。普通じゃない事情があるだけに、そんなことさえ考えないようになっただけで。
 神殿は素人目に見ても白亜で美しく、堅牢な様子だった。昨晩もここには来たけど、人で溢れていたし、なにせ夜中だったから改めて朝日に照らされる建物を見上げると圧巻の一言に尽きた。建物の規模もそうだけど、今は襲撃の余韻さえ感じない。寒々しい冬の山のような、清廉な空気感が漂っていた。
 建物の入り口まで階段をあがると、正面扉に控えていた神殿付きの騎士たちが敬礼の仕草をした。傍らに、神殿と同じく白いローブを着た男性が片膝をつく。
「この度の訪問者にお礼申し上げます」
 深々と謝意を示す彼の肩に、ジンがそっと手を置く。
「立ってくれ。避難先として、貴賤なく全ての人種を受け入れてくれたことを一人の民として感謝する」
「とんでもございません」
 立ち上がって微笑んだ男性は、神殿の中へと案内してくれた。家屋が倒壊したなどで家に戻ることができない人たちもまだ敷地内にはいるらしい。怪我人も手厚く保護されているという話を聞きながら、俺達は美しく削られた石の上を行く。
 神殿での裁判は、敷地の中でも神の降臨の用意がある最も奥まった場所で行われるという。また、マレビトだけでなくインスパイアの経験がある者の多くが集まっているそうだ。
「普段は参拝する場所ですし、もともと一堂に会するためには作られていないため少し狭く感じるかも知れませんが、ご容赦くださいませ」
「大丈夫だ。っと、ヒューイ、途中体調が悪くなったらどうにかして教えてくれ」
「分かりました」
「また、裁判中にあなた方が発言を求められることはございません。くれぐれもご静粛にお願い申し上げます。事と次第によっては、例外なく罰されますので」
 多分、俺が知ってる裁判と似たような感じなんだろう。
 回廊を抜け、通された部屋は予想以上に大きかった。……ここだけで、円形劇場くらいの規模感に見える。あそこと違って割ときっちり着席しているから、面積的に小さいのは分かるけど……。
 向かい側は着飾るほどではないものの、きっちりとした格好が多い。恐らく王都内の貴族たちが集まっているのだろう。
「お、ヒューイ! こっちこっち」
「アズマ! ウィズワルドに、ゲイルも。帰れてたんだ」
「まあな。二人が俺に合わせてくれてさ」
 懐かしい顔に、顔を綻ばせつつ、アズマ達の側に座る。フィズィを探したけど、少し席が遠かったから、こっちに気づいていた彼には軽く手を振っておいた。
 久しぶりの再会と言うこともあって話がしたかったのは山々だったけれど、周囲が一気に静かになったのを受けて、自然と口は閉じていた。
 よく見える位置に司祭とおぼしきローブ姿の人間が複数人。その前には赤や緑のローブを纏った、裁判官がいた。少し離れた位置には檻のようなものに入れられた上で、更に身体を拘束されているアデルベルタ嬢の姿があった。
 裁判官の一人がベルを鳴らす。とたんに静まりかえった空間の中、思ったよりも大きい声が響いた。魔術かなにかによる効果なのかもしれない。中央に入る人の表情までがよく見えた。
「――それではこれより、アデルベルタ・フォン・ルートヴィヒに関する裁判を開始します」

 裁判が始まると、アデルベルタ嬢が起こした事件についての、事実確認が行われた。疑惑については一切触れられていないはずだけど、その多さに息を呑む。フィズィの言っていたとおり、マレビトを攫っての人体実験なども含まれていて、禁忌とされていることを躊躇いなくやっただけでなく、回数も多いことから、俺の近くでも僅かに反応があった。
 ……静かにするように言いつけられているとはいえ、これだもんな。こんなにも多くの人がざわつくんだから、やっぱりマレビトに対して危害を加えることはそれほどの事だったと改めて感じさせられた。もしくは、そういう風に害される可能性がある存在だと知らなかった故のショックなんだろう。

 罪状が読み上げられ、殆ど事前に終わっているだろう事実確認が進む中、檻に入れられているアデルベルタ嬢の表情は静かだった。服装こそ貴族という立場を考えると随分質素なものの、聖職者のローブに受ける印象に近い、白くシンプルで清楚なもの。そこに艶のあるウェーブがかった黒髪が降ろされていた。
 近くで顔を見たときのゾッとする感じはなく、ただただ美しい女性にしか見えない。
 彼女に対する野次は、誰からも飛ぶことはなかった。
 貴族達は初代国王の理念や血を脈々と受け継いできた者たちで、ここに集まった人たちは多かれ少なかれ、そしてどんな形であれそのことを誇りに思っているのだろう。
 だとすればこれは裁判と言うよりは――……一種の、葬儀に近い。

 彼女に変化があったのは程なくしてからだった。

「――最後に、申し開きを含めて、あなたの言葉を聞きましょう」
 裁判官の中でも中央に位置していた男性が彼女にそう言うと、アデルベルタ嬢は顔を上げた。
「なんでもよろしいのですか」
「司法の場において保障されたあなたの権利です。あなたの言葉がどれほど冒涜的であろうとも、神と死者以外がそれを妨げることはできません」
 鷹揚に頷いた男性に、アデルベルタ嬢の背が伸びた。
「……私は、この世界が憎かった。マレビトが憎かった。死にたかった。死んだらどうなるのかを、知りたかった。帰りたかった。後悔はないし、これからすることもない。絶対に」
 近くで衣擦れの音がした。やけに大きく感じたものの、席を立ちそうになった人を押しとどめている様子が前の方に見えた。
「こんな世界、知らない。好きでここにいるわけでもない! 早く私を帰してよ、この誘拐犯ども!」
 アデルベルタ嬢が叫んだ。静かだった表情は険しくなり、俺の知るものと重なる。
「誰も彼も、……神様なんぞ、クソ食らえだ!」
 彼女がそう言って激情した瞬間、神殿内部が光で満たされた。
「うわ、っ!」
 あまりの光に目を閉じても、手で遮ろうとしても光が満ちて白く染まる。
 その上耳鳴りまで聞こえ始めて、咄嗟に感じた、シズとギルが俺を庇おうとする声も感触も、直ぐに遠くなった。

「――……?」

 遠くなった感覚が戻ってくると、地面に倒れ伏した彼女の真上に光が差していた。
 その光の中から、人影が現れる。
 白と黒が左右で半々になった髪を一つでまとめ、ウエイターよりも格式張った、かと言ってタキシードほどかしこまってない程度の衣装に身を包んでいるのは――『Arkadia』では見慣れた案内人、ユーディスだった。
「こんにちは、貴方にお会いするのは初めてですね。早乙女巧さま――改め、ヒューイさま」
「え、っ? あ、はい……? あれ?」
 そこで、辺りが一面の白い世界になっていることに気づく。
「今現在、マレビト達と個別にこうして話す時間を設けています」
「じゃ、じゃあ、今アズマやシキビ……フィズィも?」
「そうです」
 ユーディスは穏やかな微笑を浮かべたまま、右手を胸元へ当てて軽く頭を下げた。
「早速ですが、親愛なるマレビトへご連絡したいことがございましたので、不躾ながらこのような機会を利用する運びとなりました。私の神格はさほど高くありませんから」
「は、はあ」
「それでですね……――まず、ヒューイさまをきちんとご案内することができず、大変申し訳なく思っています。貴方のように、私の手の届かない形でアルカディアへ移される方がいることは大変遺憾なのですが……神格ばかりは自分でどうにかできるものではないので、他の神々による遊び心を諫めるというのは難しく、心苦しい限りでございます」
 非常に口惜しいことです、とユーディスが繰り返す。俺はそれを聞くしかできなかったが、今のところ何か反応を求められているような雰囲気はないから、それでいいんだろう。
「ですがこの度、私の神格が少々上がる運びとなりました。以降『門』としてこのような事故がないように努めますから、ご安心ください。また、現在いくつかの条件を満たせれば貴方の元いた世界と生活へ戻れるよう手配をしています。神々の試練に近いものなので、相当な練度が必要ですが――マレビトであればいつかは達成できることでしょう」
「え……?!」
「これは分かりやすく表現すると、『バージョンアップデート』の告知となります。私からのメッセージはいつでも確認できるようにしておきますので、ご心配なく。」
 急にゲームのシステムメッセージみたいなことを言い出したユーディスにぎょっとするが、演出のつもりなのか、俺と目が合うととろりと眦を下げて笑みを深くした。
「さて、そこで親愛なるマレビトへささやかな案内を。アルカディアは新しいバージョンへアップデートするにあたり、若干の仕様変更があります。
 細かいことはお伝えしませんが、最も大きな点としては先ほども言ったように特定の条件をクリアできれば元の生活に戻れると言うこと。それと同時にアルカディアで過ごした記憶やデータは一切なくなり、その後は二度とここへ招待されることはないということ」
「……」
 俺の話を聞いてくれるつもりはないらしい。……まあ、『Arkadia』の頃から神がプレイヤーにとって必要十分に聞いてくれることはなかったから、ゲーム感覚で言うなら違和感はないけど……。
 どうしてもゲームの案内人として設計されているNPCとしてのユーディスっぽくて、現実と地続きだろう今の俺の感覚にはそぐわない。
「次に、場合によってはアルカディアの人間の立場や関係性に変更が加えられること、それに伴って記憶や歴史、事実の改変が行われます。これは非常に人数が多いため、具体的に誰とは言えません。もしそれが親愛なるマレビトの所有する奴隷であった場合、育てたレベルや技能の特殊性などを考慮して、補填としてエリクサーやホームなどの限定アイテムを配布します。
 また、各地にワープポイントが設定されます。これは私の権能によるものです。ワープポイントは特定の土地に設置され、開放しない限り使用することはできません。このワープポイントはバージョンアップ後からの機能ですが、親愛なるマレビトたちの行動(ログ)を辿り、そのポイントへ行った形跡がある場合はバージョンアップ後直ちに使用することが可能です」
 いよいよゲームのような内容に、俺は頭を抱えたくなった。そんなことをしてもきっとこのユーディスの口を閉じることはできないんだろうけど。
 俺の顔を見て、ユーディスは少しだけ笑顔の雰囲気を変えた。少し人懐っこいような、茶目っ気のある顔へ。
「これが、親愛なるマレビトへの共通メッセージです。
 ……そして、ヒューイさまの場合、マレビトとして招待されそこねた者によるアデルベルタ・フォン・ルートヴィヒへの影響でギルローグ・クライムの来歴が変更になります」
「っ!!!! それ、!」
 一番気になっていたところに触れられ、声を上げる。ユーディスは全て分かっている、とでも言うように頷いた。
「ギルローグ・クライムは現在ヒューイさまの資産ですので、先ほどお伝えした補填か、またはヒューイさまの奴隷としての現在のギルローグ・クライムをアイテムないしユニークオブジェクトとしてこのまま所有しつづけるかを選んでいただくことになります」
「……質問が」
「どうぞ」
「所有し続ける場合、アデルベルタ嬢の影響を受けなかったギルという存在はどうなるんでしょうか」
「簡単に言うと分離します。ヒューイさまが所有している現在のギルローグ・クライムとは別の、アデルベルタ・フォン・ルートヴィヒの介入がなかった場合のギルローグ・クライムに相当する存在が現れます」
「……じゃ、じゃあ、所有し続けることを選んだあと、そのギルを奴隷から開放できたり……? できたとして、その場合ギルはどうなるんですか?」
「アルカディアにおける法によって犯罪奴隷としての刑期を終えるか、もしくは相応の貢献を果たした場合は開放することが可能です。バージョンアップ後にユニークオブジェクトとしてのギルローグ・クライムを開放した場合、ヒューイさまの所有していたギルローグ・クライムは消滅します」
「――……! だ、だったら、バージョンアップの前にギルが俺の所有から外れたらどうなるんですか……?!」
「最初に申し上げた通りです」
 NPCのように感じていたユーディスが急に対話をしてくれると思ったら、そこはしっかりと突き放された。……ように、俺は感じた。
 言いたいことはいくらでもある。でもユーディスに言ったところでどうにもならないし、それで何かが良くなるわけでもない。
 だったら、俺は今の自分の手札だけで決めなくてはいけない。
「――それでは親愛なるマレビトへ、『このアルカディアを存分に楽しんでください』!」
 ユーディスが馴染みのある笑顔でそう言った後、視界は再び真っ白に染まった。
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