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四章 清算
旅のエスコートはコブ付きで(2)
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≪ウェーネ≫への道程はゼクスシュタインからマギへ向かった頃と然程差はなく、時折水辺から襲ってくるモンスターを捌きつつ、恙無く終わりを迎えた。
隊商と共に川を跨いで門を抜け、依頼達成の手続きを行う。それが済むと、ジンの案内で一軒の宿屋へ案内された。大通りに面し、噴水のある広場の真ん前。石造りの建物はかなり大きく、歴史を感じさせる。カントリーハウス風のお屋敷だが、古惚けた印象は全くなかった。……ここ?
「ここなら安心して泊まれる。最上階全フロア借り上げているから、好きな部屋を使っていいぞ」
「は?!」
思わず声を上げたのは俺だけじゃない。ギルとジン以外全員の声が重なった。ギルだけは何か苦々しそうな顔をしているが、こういう金に飽かせたような使い方に貴族を見てしまうからだと思う。
「安全面も考えないと。ワンフロア借り上げたら俺たち以外の面子は不審者ってことになるだろ。分かりやすいし、俺たちも精神的に安心できる。ああ、勿論これは俺が手配したものだから、別にお前達は金とか出さなくていいから」
なんでもないことのように言うが、比較的上品な人の姿が見られるこの場所は治安も良いだろうし、その分だけ土地にも価値があるはずだ。そんな場所の立派な宿の最上階の全ての部屋を押さえるなんてVIP待遇すぎる。
「逆に目立つんじゃないのか」
「いいんだって。正式に招待された客なんだから。こそこそする理由こそない。堂々としてればいいのさ」
「それはそうですけど……」
開いた口を塞ぐのに苦労しそうだ。
取り敢えず中に入らなければそれこそ目立つんだからと急かされ、俺たちはおっかなびっくり、間違いなく高級宿であろうその建物へ足を踏み入れた。
果たして、中は想像通りに立派だったわけだが。
長い廊下を包むふわふわの絨毯は一つ一つ丁寧に模様を作られた一点物。俺にはあまり価値がわからないが、廊下には所々壁が凹んでいるところがあって、そこに絵画や壷が飾ってある。それだけでも緊張するのに、部屋は広さもさることながら設備も整っており、各部屋に広々としたトイレと大きなバスルームがあるだけでなく、キッチンまで揃っていた。そしてリビングにベッドルーム。まごうかたなきスイートルームである。そんな部屋がワンフロアに5つあるほどの広さを誇るのだから、借り上げるのに掛かった金額を思うと腰が砕けてしまいそうだ。
ソファもベッドもふわふわで大きく、クッション一つとっても美しい刺繍が施されていたが、決してごてごてとはしていなくて、なんだか上品に見える。
無邪気に喜ぶロゼオと、上等な革のソファを傷つけないかハラハラしているブルーノの反応は庶民として優秀だった。ちなみに、シズはと言うとロゼオとは違う意味ではしゃいでいた。
「すごい! ヒューイさま、このキッチン魔力があればすごく簡単に使えますよ! 便利!」
奴隷として羽振りのいい人間に囲われるようにして過ごしていたシズは、高価な調度品に物怖じしないどころか使いこなす気満々だ。
「ふーん、ガスコンロに石釜風オーブン……かな。シンクも綺麗だな。換気扇もあるのか……」
限りなく現代的なキッチンだが、シズは問題なく使えそうなほど馴染んでいた。頼もしすぎる。
スイートルームはそれぞれ内装が異なっていたが、こだわるほど教養もない俺たちは思い思いの部屋を選んだ。部屋割りとしては俺とギル、シズとその護衛のためにアドルフ、ロゼオとブルーノ、ジン、という具合だ。料理は予め伝えておけば宿から出してくれるようだし、別れても問題はない。
最後まで「一人かよ!」と不服そうにしていたジンだったが、最終的にはそれで落ち着くことになった。ジンが他の誰かとペアになると、誰かしらが反発してしまうから仕方がない。場所的にはホームのはずがメンバーのせいで完全にアウェイになっているジンには申し訳ないが、決して味方ではないという見解で他のメンバーが一致している以上、彼も思うようには寛げないと思うし。信頼関係を築くにはジンは含ませるところが多すぎるのだ。
≪ウェーネ≫では一週間ほどの間に荷物の整理をすることになった。なぜ一週間も時間を取ったかというと、単純にルートの都合だ。
ウェーネから王国領のすぐ近くまでは運河でいくことが可能である。陸路を行くよりずっと早いし安定しているため、王国領に向かう船舶の予定に合わせる必要があった。予定している船は客船ではないが、荷を運ぶ以外にも払うものさえ払えば人も載せてくれるし、寝床もきちんと付いている。海と違ってそれほどは揺れないはず……だ。一応、何かあった時のために酔い止めの薬は作っておくつもりはしている。
荷物を整理するのはこれまでの道中に得たモンスターの討伐証明部位や採集品を売り払うのは勿論、王国領に入るにあたり、余計なものを持っていると通行税を吊り上げられることも珍しくないと聞いたためだ。関所を持っている領は通行税を多めに取るだけでかなり稼げるだろうなあ。恩恵を受けている人間は笑いが止まらないに違いない。ボロい商売だ。
あと、関所の問題以外にも、王都の夏は涼しいため衣服も買ったり売ったりして調節する必要もあった。
三日程は何をするでもなくのんびり過ごしたが、旅の間にこそこそと息抜きはしていたため夜の方はタガが外れて翌日シズにたっぷり世話をされるということもなく、観光がてら水路で街を見て回り、心ゆくまで食べ歩きもできた。
「はあっ やっぱり街はいいですね」
水路を往く小舟の上。搾りたてのオレンジジュースを飲み干し、シズはしみじみとそう言った。どうやら、そう思うのは食に恵まれていた俺だけではないらしい。
「野営するとどうしても口にできるものが限られるしね」
「ヒューイさまもそう思われますか!」
シズは目を輝かせて俺の言葉に頷いた。インベントリには盗まれると困るもの、旅に必要なものを最優先にしているが、あとは大体食料品だ。美味しいものを食べたいのもあるし、非常食代わりにと入れているのもある。しかし、食べたい、と思ったときに目当てのものを食べられるのは何とも言えず幸福で、一番感じやすい幸せだろう。
「やっぱり味が同じでもインベントリから出したものより、お店で買ってすぐ食べたりするほうが味わえる気はするよ」
ライブ感、とでも言うべきか。自分が食べたいと思った、その為に時間を割いて作られた料理を、出されて直ぐに食べる時の独特の高揚感や満足指数はやはり見過ごせないものがある。作り手や給仕をしてくれた人の顔を思うからだろうか。お弁当が悪いわけではないが、人の作った料理の方が美味しく感じるという感覚に近い気がする。
「ギルは?」
ふと気になって問いかけると、ギルは直ぐに唇を開いたものの、少し動きを止め、それから珍しく戸惑うように視線を迷わせた。
「……ギル?」
「……俺はお前らが美味そうにしてるなら大体は美味い気はする」
「ああ! それもある! 一人で食べるよりはたくさん食べちゃうし」
言葉を選びつつの発言だったが、続くシズの賛同によって上手く流れてくれたと思ったのか、ギルはこっくりと頷いて同意した。どこかぎこちない挙動に違和感のあった俺はそのままギルを窺い見ていたのだが、ふと目が合ったかと思うと、いきなり頬を突かれた。片手で、俺の両頬を押さえつけるようにされ、口を動かそうにも上手く出来なくなる。
「にゃにっ」
「変な顔してんなよ」
止めてよと言っても奇声にしかならない。しかも喋ろうとするとタコみたいな口になってしまい、シズにもくすくす笑われ、助けを求めても救いの手はこなかった。
「わりゃわにゃいでよ」
「ふふっ……すみません、っふふ」
抑えようとしているのが余計に可笑しそうに見えて非常に不服だ。
意思表示に自ら唇を突き出して拗ねて見せると、ギルは俺のそんな様子をしばらく楽しんだ後、満足したのか手を離してくれた。
「さて……食い物の話をすると腹が減るな」
「ヒューイさま、僕、出来立てのアップルパイが食べたいです!」
ギルの不自然なまでの話題転換にも、シズは構わず食いついてくる。俺から目を背けたギルはどこかぶっきらぼうで、違和感は拭えないままだ。しかしその肌の色味がいつもと違って少し赤みが増しているように見えて、俺は唐突に一つの可能性に気づいた。
……もしかして、照れてる?
思い当たったそれに目を瞬く。と、シズが俺に向けて意味深な目配せをした後にっこりと静かに笑みを浮かべた。どうやら、本当にそうらしい。
突いてもまたなにかされそうだし、ギルがさっき言ったことを本当に感じてくれているのなら、それは歓迎すべきことだ。だったら、ここは俺たちが美味しいものを美味しいと言いながら、美味しく食べるのが正解だろう。
「じゃあ、俺はあったかいクレープにしようかな。ホイップ多めで」
「ああ、それもいいですねえ」
うっとりするシズと、思わずといった態で胸元に手を置き、顔を歪めるギル。その差に思わず笑い声が宙へ羽ばたいていった。
俺は戦闘でも後衛で素早さを求められないし、街では食べることを遠慮することはまずない。壁の外で過ごしている間はどうしたって節制をすることになるからだ。それは冒険者であるならある程度は同じことで、例えば大規模なモンスター討伐に出て、そこから城郭都市へ戻ってきた男たちが酒場で一晩中飲み食いをしたり、娼館でどんちゃん騒ぎをするというのはよくあることだ。店側も落とす金の大きさ故に、喧嘩でもしない限りは多めに見てくれたり、冒険者組合で事前に規模の大きな以来の日程を把握し仕入れなどを調整していたりする。行き過ぎた態度や振る舞いは兎も角、そう気兼ねする必要もない。
つまり、食い倒れの日々を送っても咎められるいわれはない。それで都合の悪いことになるのは自己責任であるからだ。
そして魔法を使うことで気づかぬうちにカロリー消費は進んでいるようで、俺もシズも、甘いものやこってりしたものをたくさん食べても、余り体重に変化はない。
「にしたって、よく食べるねえ」
偶然かどうかは分からないが、目当ての店に入ろうとした矢先出くわしたジンが、俺の目の前で頬杖をつきながら呆れ果てた。
「美味しいからいいんです」
一方俺は宣言通りクレープを頬張り、ホイップの甘みとチョコの風味を堪能している最中だった。四人掛けの席のため、俺はシズと隣、ギルはジンと隣になるよう座っている。
ギルとジンはブラックコーヒーにそれぞれ『本日のケーキ』を一切れずつ注文しているが、俺とシズの場合は彼らよりも量が多いのが原因だろうか。毎日飽きもせず食べ歩きをしていることはジンも知るところではあるから、それも呆れる理由としてはあるのかもしれない。と言っても、ギルだって肉はたっぷり食べているわけで、単に摂取する料理の方向性が違うだけだと思うのだが。
「……明日は≪シュディア湖≫で船が大丈夫かどうか確認がてら、クルージングでもと思ってたんだが……大丈夫かこれ」
「満腹までは遠いので平気ですよ。ね、シズ?」
「はい。でも船に乗るのは初めてなので緊張しますね」
≪シュディア湖≫はウェーネの目玉、各地へ伸びる川の大元となる湖だ。対岸は晴れの日には見えるほど遠い。それだけ広く、ウェーネはその南西部分に密着するような形で街が形成されている。
「まあ、海よりはずっと快適だと思うし、酔い止めも作っておくから」
初乗り組は俺とジン以外全員だ。≪ウェーネ≫の水路で乗る小舟とは規模が異なるため、念のため予行練習をしようと言うのだろう。俺はまあ、酔わないわけではないが、船で酔ったのは船内泊の時たまたま波が高くて船が大きく揺れていた一度きりだから、揺れさえ酷くなければきっと大丈夫だ。
アルカディアで海に面している漁業メインの都市は南と北に一箇所ずつくらいで、後は大体小さな漁村がある程度。海にもモンスターがいる上、縄張りが非常に広く姿も目視で確認し難いため、海に関しては岸が見えないような場所まで船で出るというということはないようだ。
だが、運河に関してはそうではない。治水的な意味でも、利便性でも、川は人々にとって身近なものなのだ。特にウェーネはその傾向が強く、湖や運河を走らせるための船には、長い歴史の積み重ねによる技術や知恵がたくさん詰まっている。だから、安全面では心配する必要はないはずだ。
「運河の場合は海と違って、万が一酔っても、一応陸はすぐそこだし」
耐え難いほど体調を崩す場合には船を降りることもできるのだから、思いつめなくてもいい。
そう言うと、ジンは感心したように目を丸くして息を吐いた。
「へえ、ヒューイは海の近くの出身?」
「一応、島国ではあります」
『Arkadia』には日本刀や和食、着物があったし、アルカディアにも勿論存在する。具体的な国の名前は出たことがなかったはずだが、遠い民族で匂わせるような部分は多々あったからおかしくはないはずだ。
一瞬ヒヤッとしたが、ジンは感嘆の声を上げるだけで、それ以上の追及をしてくる気配はなかった。
……こういう瞬間が妙に気まずいんだよなあ……。
隊商と共に川を跨いで門を抜け、依頼達成の手続きを行う。それが済むと、ジンの案内で一軒の宿屋へ案内された。大通りに面し、噴水のある広場の真ん前。石造りの建物はかなり大きく、歴史を感じさせる。カントリーハウス風のお屋敷だが、古惚けた印象は全くなかった。……ここ?
「ここなら安心して泊まれる。最上階全フロア借り上げているから、好きな部屋を使っていいぞ」
「は?!」
思わず声を上げたのは俺だけじゃない。ギルとジン以外全員の声が重なった。ギルだけは何か苦々しそうな顔をしているが、こういう金に飽かせたような使い方に貴族を見てしまうからだと思う。
「安全面も考えないと。ワンフロア借り上げたら俺たち以外の面子は不審者ってことになるだろ。分かりやすいし、俺たちも精神的に安心できる。ああ、勿論これは俺が手配したものだから、別にお前達は金とか出さなくていいから」
なんでもないことのように言うが、比較的上品な人の姿が見られるこの場所は治安も良いだろうし、その分だけ土地にも価値があるはずだ。そんな場所の立派な宿の最上階の全ての部屋を押さえるなんてVIP待遇すぎる。
「逆に目立つんじゃないのか」
「いいんだって。正式に招待された客なんだから。こそこそする理由こそない。堂々としてればいいのさ」
「それはそうですけど……」
開いた口を塞ぐのに苦労しそうだ。
取り敢えず中に入らなければそれこそ目立つんだからと急かされ、俺たちはおっかなびっくり、間違いなく高級宿であろうその建物へ足を踏み入れた。
果たして、中は想像通りに立派だったわけだが。
長い廊下を包むふわふわの絨毯は一つ一つ丁寧に模様を作られた一点物。俺にはあまり価値がわからないが、廊下には所々壁が凹んでいるところがあって、そこに絵画や壷が飾ってある。それだけでも緊張するのに、部屋は広さもさることながら設備も整っており、各部屋に広々としたトイレと大きなバスルームがあるだけでなく、キッチンまで揃っていた。そしてリビングにベッドルーム。まごうかたなきスイートルームである。そんな部屋がワンフロアに5つあるほどの広さを誇るのだから、借り上げるのに掛かった金額を思うと腰が砕けてしまいそうだ。
ソファもベッドもふわふわで大きく、クッション一つとっても美しい刺繍が施されていたが、決してごてごてとはしていなくて、なんだか上品に見える。
無邪気に喜ぶロゼオと、上等な革のソファを傷つけないかハラハラしているブルーノの反応は庶民として優秀だった。ちなみに、シズはと言うとロゼオとは違う意味ではしゃいでいた。
「すごい! ヒューイさま、このキッチン魔力があればすごく簡単に使えますよ! 便利!」
奴隷として羽振りのいい人間に囲われるようにして過ごしていたシズは、高価な調度品に物怖じしないどころか使いこなす気満々だ。
「ふーん、ガスコンロに石釜風オーブン……かな。シンクも綺麗だな。換気扇もあるのか……」
限りなく現代的なキッチンだが、シズは問題なく使えそうなほど馴染んでいた。頼もしすぎる。
スイートルームはそれぞれ内装が異なっていたが、こだわるほど教養もない俺たちは思い思いの部屋を選んだ。部屋割りとしては俺とギル、シズとその護衛のためにアドルフ、ロゼオとブルーノ、ジン、という具合だ。料理は予め伝えておけば宿から出してくれるようだし、別れても問題はない。
最後まで「一人かよ!」と不服そうにしていたジンだったが、最終的にはそれで落ち着くことになった。ジンが他の誰かとペアになると、誰かしらが反発してしまうから仕方がない。場所的にはホームのはずがメンバーのせいで完全にアウェイになっているジンには申し訳ないが、決して味方ではないという見解で他のメンバーが一致している以上、彼も思うようには寛げないと思うし。信頼関係を築くにはジンは含ませるところが多すぎるのだ。
≪ウェーネ≫では一週間ほどの間に荷物の整理をすることになった。なぜ一週間も時間を取ったかというと、単純にルートの都合だ。
ウェーネから王国領のすぐ近くまでは運河でいくことが可能である。陸路を行くよりずっと早いし安定しているため、王国領に向かう船舶の予定に合わせる必要があった。予定している船は客船ではないが、荷を運ぶ以外にも払うものさえ払えば人も載せてくれるし、寝床もきちんと付いている。海と違ってそれほどは揺れないはず……だ。一応、何かあった時のために酔い止めの薬は作っておくつもりはしている。
荷物を整理するのはこれまでの道中に得たモンスターの討伐証明部位や採集品を売り払うのは勿論、王国領に入るにあたり、余計なものを持っていると通行税を吊り上げられることも珍しくないと聞いたためだ。関所を持っている領は通行税を多めに取るだけでかなり稼げるだろうなあ。恩恵を受けている人間は笑いが止まらないに違いない。ボロい商売だ。
あと、関所の問題以外にも、王都の夏は涼しいため衣服も買ったり売ったりして調節する必要もあった。
三日程は何をするでもなくのんびり過ごしたが、旅の間にこそこそと息抜きはしていたため夜の方はタガが外れて翌日シズにたっぷり世話をされるということもなく、観光がてら水路で街を見て回り、心ゆくまで食べ歩きもできた。
「はあっ やっぱり街はいいですね」
水路を往く小舟の上。搾りたてのオレンジジュースを飲み干し、シズはしみじみとそう言った。どうやら、そう思うのは食に恵まれていた俺だけではないらしい。
「野営するとどうしても口にできるものが限られるしね」
「ヒューイさまもそう思われますか!」
シズは目を輝かせて俺の言葉に頷いた。インベントリには盗まれると困るもの、旅に必要なものを最優先にしているが、あとは大体食料品だ。美味しいものを食べたいのもあるし、非常食代わりにと入れているのもある。しかし、食べたい、と思ったときに目当てのものを食べられるのは何とも言えず幸福で、一番感じやすい幸せだろう。
「やっぱり味が同じでもインベントリから出したものより、お店で買ってすぐ食べたりするほうが味わえる気はするよ」
ライブ感、とでも言うべきか。自分が食べたいと思った、その為に時間を割いて作られた料理を、出されて直ぐに食べる時の独特の高揚感や満足指数はやはり見過ごせないものがある。作り手や給仕をしてくれた人の顔を思うからだろうか。お弁当が悪いわけではないが、人の作った料理の方が美味しく感じるという感覚に近い気がする。
「ギルは?」
ふと気になって問いかけると、ギルは直ぐに唇を開いたものの、少し動きを止め、それから珍しく戸惑うように視線を迷わせた。
「……ギル?」
「……俺はお前らが美味そうにしてるなら大体は美味い気はする」
「ああ! それもある! 一人で食べるよりはたくさん食べちゃうし」
言葉を選びつつの発言だったが、続くシズの賛同によって上手く流れてくれたと思ったのか、ギルはこっくりと頷いて同意した。どこかぎこちない挙動に違和感のあった俺はそのままギルを窺い見ていたのだが、ふと目が合ったかと思うと、いきなり頬を突かれた。片手で、俺の両頬を押さえつけるようにされ、口を動かそうにも上手く出来なくなる。
「にゃにっ」
「変な顔してんなよ」
止めてよと言っても奇声にしかならない。しかも喋ろうとするとタコみたいな口になってしまい、シズにもくすくす笑われ、助けを求めても救いの手はこなかった。
「わりゃわにゃいでよ」
「ふふっ……すみません、っふふ」
抑えようとしているのが余計に可笑しそうに見えて非常に不服だ。
意思表示に自ら唇を突き出して拗ねて見せると、ギルは俺のそんな様子をしばらく楽しんだ後、満足したのか手を離してくれた。
「さて……食い物の話をすると腹が減るな」
「ヒューイさま、僕、出来立てのアップルパイが食べたいです!」
ギルの不自然なまでの話題転換にも、シズは構わず食いついてくる。俺から目を背けたギルはどこかぶっきらぼうで、違和感は拭えないままだ。しかしその肌の色味がいつもと違って少し赤みが増しているように見えて、俺は唐突に一つの可能性に気づいた。
……もしかして、照れてる?
思い当たったそれに目を瞬く。と、シズが俺に向けて意味深な目配せをした後にっこりと静かに笑みを浮かべた。どうやら、本当にそうらしい。
突いてもまたなにかされそうだし、ギルがさっき言ったことを本当に感じてくれているのなら、それは歓迎すべきことだ。だったら、ここは俺たちが美味しいものを美味しいと言いながら、美味しく食べるのが正解だろう。
「じゃあ、俺はあったかいクレープにしようかな。ホイップ多めで」
「ああ、それもいいですねえ」
うっとりするシズと、思わずといった態で胸元に手を置き、顔を歪めるギル。その差に思わず笑い声が宙へ羽ばたいていった。
俺は戦闘でも後衛で素早さを求められないし、街では食べることを遠慮することはまずない。壁の外で過ごしている間はどうしたって節制をすることになるからだ。それは冒険者であるならある程度は同じことで、例えば大規模なモンスター討伐に出て、そこから城郭都市へ戻ってきた男たちが酒場で一晩中飲み食いをしたり、娼館でどんちゃん騒ぎをするというのはよくあることだ。店側も落とす金の大きさ故に、喧嘩でもしない限りは多めに見てくれたり、冒険者組合で事前に規模の大きな以来の日程を把握し仕入れなどを調整していたりする。行き過ぎた態度や振る舞いは兎も角、そう気兼ねする必要もない。
つまり、食い倒れの日々を送っても咎められるいわれはない。それで都合の悪いことになるのは自己責任であるからだ。
そして魔法を使うことで気づかぬうちにカロリー消費は進んでいるようで、俺もシズも、甘いものやこってりしたものをたくさん食べても、余り体重に変化はない。
「にしたって、よく食べるねえ」
偶然かどうかは分からないが、目当ての店に入ろうとした矢先出くわしたジンが、俺の目の前で頬杖をつきながら呆れ果てた。
「美味しいからいいんです」
一方俺は宣言通りクレープを頬張り、ホイップの甘みとチョコの風味を堪能している最中だった。四人掛けの席のため、俺はシズと隣、ギルはジンと隣になるよう座っている。
ギルとジンはブラックコーヒーにそれぞれ『本日のケーキ』を一切れずつ注文しているが、俺とシズの場合は彼らよりも量が多いのが原因だろうか。毎日飽きもせず食べ歩きをしていることはジンも知るところではあるから、それも呆れる理由としてはあるのかもしれない。と言っても、ギルだって肉はたっぷり食べているわけで、単に摂取する料理の方向性が違うだけだと思うのだが。
「……明日は≪シュディア湖≫で船が大丈夫かどうか確認がてら、クルージングでもと思ってたんだが……大丈夫かこれ」
「満腹までは遠いので平気ですよ。ね、シズ?」
「はい。でも船に乗るのは初めてなので緊張しますね」
≪シュディア湖≫はウェーネの目玉、各地へ伸びる川の大元となる湖だ。対岸は晴れの日には見えるほど遠い。それだけ広く、ウェーネはその南西部分に密着するような形で街が形成されている。
「まあ、海よりはずっと快適だと思うし、酔い止めも作っておくから」
初乗り組は俺とジン以外全員だ。≪ウェーネ≫の水路で乗る小舟とは規模が異なるため、念のため予行練習をしようと言うのだろう。俺はまあ、酔わないわけではないが、船で酔ったのは船内泊の時たまたま波が高くて船が大きく揺れていた一度きりだから、揺れさえ酷くなければきっと大丈夫だ。
アルカディアで海に面している漁業メインの都市は南と北に一箇所ずつくらいで、後は大体小さな漁村がある程度。海にもモンスターがいる上、縄張りが非常に広く姿も目視で確認し難いため、海に関しては岸が見えないような場所まで船で出るというということはないようだ。
だが、運河に関してはそうではない。治水的な意味でも、利便性でも、川は人々にとって身近なものなのだ。特にウェーネはその傾向が強く、湖や運河を走らせるための船には、長い歴史の積み重ねによる技術や知恵がたくさん詰まっている。だから、安全面では心配する必要はないはずだ。
「運河の場合は海と違って、万が一酔っても、一応陸はすぐそこだし」
耐え難いほど体調を崩す場合には船を降りることもできるのだから、思いつめなくてもいい。
そう言うと、ジンは感心したように目を丸くして息を吐いた。
「へえ、ヒューイは海の近くの出身?」
「一応、島国ではあります」
『Arkadia』には日本刀や和食、着物があったし、アルカディアにも勿論存在する。具体的な国の名前は出たことがなかったはずだが、遠い民族で匂わせるような部分は多々あったからおかしくはないはずだ。
一瞬ヒヤッとしたが、ジンは感嘆の声を上げるだけで、それ以上の追及をしてくる気配はなかった。
……こういう瞬間が妙に気まずいんだよなあ……。
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