異世界スロースターター

宇野 肇

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三章 訪れる人々

招かれざる客(2)

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 事態を把握するのに丸三日掛かった。
 話が複雑だったわけではなく、単に俺の身体の具合が頗る悪く、話を聞ける状態になかったことがその原因である。どうやら天蓋の中で筋弛緩、自白、催淫の効果のある香をこれでもかと焚かれていたようで、それが俺の体内でちゃんぽん状態になり副作用が出たらしい。少なくとも使用者の意図した時間、きちんとこの三種類の効果が出ていたというのが信じられない。奇跡だ。俺が生きているのも含めて。

 仕掛けた相手はと言えば勿論予め解毒剤を服用していたわけだが、まともに香の効能にやられた俺はギルに連れられてから怪我の手当てをされ、シズによって手厚く看病された。シズの『癒し手』は勿論、目が覚めてからはどうにかこうにか解毒薬を服用し、一日中薬湯に浸かったり、マッサージとともに塗り薬を塗りこめられたり。後は兎に角胸がむかむかして身体が怠かったから、お粥ばかり口にしていた。
 その間もずっとギルは傍に居て俺を支えてくれた。礼も何も言えない程気分は悪かったが、俺がきちんと話したり話を聞いたりする状態にないことを理解した上で、ギルは言葉少なにも安心させるかのように何かにつけ頬ずりをして肌を合わせてくれたりして、ギルとシズの献身にも今は黙ってされるがままになっていろとまで言ってくれて有り難かった。頬ずりの度にざりざりして痛い髭でさえ片時も離れまいとするギルを思えば、小さな喜びが湧き上がった。

 体調が持ち直した三日目の朝にシズとギルから確認したところ、俺の部屋は侵入者に対するドゥーンとバァーンの威嚇のポルターガイストにより惨憺たる有り様だったが、盗まれたものはなく、同じように妖精二人によって直されたため今は綺麗になっているとのこと。
 侵入者はギルが率いていた盗賊狩りの一味の内の二人で、そのうち一人が俺のところに、もう一人はギルのところにいたということ。どちらもギルの拳で随分と痛めつけられ、屋敷の妖精たちもこぞって侵入者を家に入れるのを拒否したため、彼らの手引きで俺たちには秘されていた地下牢に身柄を拘束していること。彼らの怪我は治していないこと。食事も、出したくはないが一応殺さずにおいたのだからと最低限は与えていること。
 彼らはギルの盗賊狩りで盗賊たちに脅されていたところを助けられて以来、ギルを慕っていたのだそうだ。ギル自身は殴り足りないと憤りを露わにしていて彼らへの情を感じることはできなかったが、ちゃんとギルのことを思って、誰かを害してまで行動に移せる人がいることを喜ばしく思った。……だからと言ってこんな目に遭うのはもう二度とごめんだが。でも、ギルの側にそういう人がいたということが嬉しく思えたのは本当だ。
 だからというわけではないが直接話をしたくなって、シズとギルを宥めすかしてついて来てもらい、妖精二人の案内で地下牢に通してもらった。この地下牢は屋敷の妖精たちしか知らない、行けないようになっていて、二人の転移魔法により飛ぶしか方法がないのだそうだ。どうやら屋敷で悪さをした人間を攫って閉じ込め、餓死させるための場所らしい。……妖精って怖い。

 薄暗いその場所を、生活魔法の光を灯しながら奥へと進む。通気孔の確保はしてあるのだろうが、それでもどこか息苦しい。
「ついたよー」
「ここだよー」
 妖精二人が最奥の牢の前で足を止める。どこか心配そうに俺を見上げてくる妖精たちに礼を言い、歩みを止め、光を少し大きくして奥を照らすと、そこには確かに人が二人、ひどく傷つけられた状態で壁にもたれかかるようにして倒れていた。気絶しているのか眠りに就いているのかは分からないが、ピクリともしない。
 その姿に悲鳴にも満たない息が喉元で引き攣り、咄嗟に肩が跳ねた。刃物で傷つけられたような形跡はないが、目に見える場所だけでも殴られた場所が赤く、青紫に、所によっては黒く腫れ上がり、直視に堪えない暴力の跡に顔を覆いたくなる。
「て、てあて、」
 予想以上の負傷具合に慌ててインベントリからポーションを出すと、ギルに手を掴まれた。
「要らねえだろ。こいつらのしたこと考えれば」
「でも、こんなに」
「そうですよ。盗まれたものこそないですけど、ヒューイさまは強盗に入られて、身体を傷つけられたんです。……その後だって、三日も辛い思いをされたじゃないですか。そんな相手に施すものなんて、致命傷でもいいくらいなんですよ!」
 押し殺したような震える声に怒りと涙を滲ませ、シズがギルを支持する。……荒事には慣れてない筈なのに、シズは二人の酷い状態を見ても顔を歪めるだけだ。男たちを痛ましい様子で見るでもなく、どちらかというと侮蔑的で厳しい目をしていた。
 それはそうだ。シズの言うことは正しい。
 痛く、怖い思いだけではすまなかった。この三日間、ただただ気分が悪くて、泣きたくなるほど辛かった。
 俺だってそこまでされても慈悲の心を持って手を差し伸べられるほどふわふわした人間じゃない。でも、このままで気分が悪いのも本当だ。薬を嗅いで身体が動かず、意識も覚束なかったから、事態を重く見ることができていないのかも知れないというのも理解している。
 それでも、その時間にあった問答のことも覚えているのだ。この男たちがギルの元々の……仲間、で、ギルを解放しろと迫ったこと。
 それに例の貴族と繋がっていない確証はないが、だからこそそれをはっきりさせるためにも話を聞く必要はあるはずだ。ギルの主人として、彼の安全を守る義務がある。そしてそれは俺の望みでもあって。だから。
「気持ちは分かるし、俺も二人が怒ってくれて嬉しい。でも、話をするのにこの状態は、あまり良いとは言えない。それはいいかな」
 俺の言葉にシズが渋々といった様子で頷く。
「……この二人の状態は、三日前から?」
「……弱ってるところを改めて嬲る趣味はないからな」
 ということは、あの日、あの晩の傷ということだ。ギルの、殺気を孕んだ怒気を覚えている。あれでこの有様だと思うと、寧ろよくここで止められたなと感心してしまいそうだ。この二人もよく死ななかったものだ。内臓は無事なのかもしれない。
「じゃあ、もう十分罰になったと思う。……ここ、寒いしね」
 そう言って俺がポーションの蓋を外そうとすると、またギルに止められた。
「ギル?」
「……こいつらにそれは勿体無いだろ。それに急に動けるようになられても面倒だ」
「僕も同感です」
 刺々しい声でシズが追従する。俺はため息をついて、細かな部分は二人に任せることにした。

 短い話し合いの末、牢の内側に入ったギルが、シズの指示を受けて二人の傷の手当をするという運びになった。まどろっこしいが、二人はこれでも譲歩しているのだから俺もここを落とし所とするより他ない。

 ギルは牢に入ってすぐ、横たわる男の頭を靴先で小突いた。男は焦げ茶の髪を短く整えていて、もう一人に比べると長身だ。そっちが俺を襲った方なのだという。意識を持たせれば痛みで辛くなるだろうに、ギルはそれを狙ってなのか、男に呼びかけると引きずるようにして壁に背を預けさせ座らせた。衣服を裂き、裸にする。打撲痕は今まで見えていなかった服の下にまで及んでいた。……本当に、見ているだけでも痛い。
 ギルに手荒な真似はされたことがなかった。出来るのは知っている。してきたことも。でも、俺に向けられたことの無いその暴力の痕跡をこうして目の当たりにすると、これをギルがやったのだと信じられないような、恐ろしいものがあった。
「う、あ」
 呻く男に、ギルがとても手当とは思えない力強さで消毒液を浴びせ、清潔なタオルで拭いていく。
「う゛ああ゛ああっ!!!」
 まるで拷問にかけられているような男の声に顔が歪む。シズが寄り添ってくれたが、心遣いは嬉しく思うもののそれでどうにかなるものでもない。男の声は弱っているとは思えないほど力強いが、それは痛みのせいであることは明白だった。
 男が命を削るようにして痛みに身を捩るのを抑え、ギルは平然と軟膏を男に塗り込めていく。
「塗り終わったら清潔なガーゼで覆って、しっかり貼り付けて」
「ああ」
 今まで聴いた中で一番冷たい声色で指示を飛ばすシズも、淡々と応じて傷口に容赦なくガーゼを押し付けるギルも怖い。二人が俺を思って怒っているのでなければ目を逸らしたくなる空気だった。
  ……男の身体に打撲痕しか見られなくて良かったと、認識を改めたほうがいいのかもしれない。シズには護身用とはいえ魔導銃を与えている。いざという時使えないのも困るが、別に積極的に使って欲しいわけでもない。
「ぐ、……」
 手当と言う名の追い打ちを受ける男の声で、もう片方の小柄な男が小さく呻いた。起きたところで目を開けたかどうか確認できないほど左瞼が腫れ上がっている。セミロングのピンク色の髪の毛は薄汚れているが、細く柔らかそうだった。
「……ぁ、……ーグ、ざん?」
 茶髪の方が頭をふらふら揺らしながらも、言葉らしい言葉を吐き出した。掠れてしまってうまく聞き取れなかったが、どうやらギルが彼らに対し名乗っていた名を呟いたらしい。ギルは彼に対しては応えなかったが、俺の質問には答えてくれた。その態度がギルの心の内をこれでもかというほど示している。
 慕っているらしい彼らからすれば寂しいか、あるいは悲しいだろうなとそんな益体もないことを考えてしまうのは、俺もギルが好きだからだろう。
「ローグさん……!」
 がらがらの声で茶髪の男がギルを呼ぶが、ギルは静かにもう一人を壁際に座らせ、手当の動作を繰り返した。やはり悲鳴が上がるが、それを気にするのはこの中では俺一人だ。
 最後にタオルケットほどあるバスタオルでぞれぞれの身体を包むように言うと、ギルはそれに従ってくれた。手当を終え、それでも全快には程遠い二人から距離を取り、ギルが牢の内側から格子へ凭れかかる。
「終わった」
「ありがとう」
 格子越しに肩に触れると、ギルの手が重なった。それに目を落とし気持ちを奮い立たせ、俺は這いつくばってギルへ近寄ろうとする二人へ目を移した。二人の目が憎々しげに歪められたが、格子を挟んでいること、少なくともギルが今すぐ傷つけられるようなことはないこと、シズも危険に晒される心配がないことがはっきりしている今、多少怯んでも慌てたり焦る理由はない。
「……えっと、どうしてこんなことをしたか、聞いても?」
 罵りの言葉さえ発さない二人に呼びかけると、二人は――いや、ピンクの髪色の男がわんわんと叫びだした。中々口汚い部分があったが、何故、の部分についてはある程度納得のいく回答が得られた。

 曰く、ギルは恩人で、散り散りになってからとても心配だった。足取りが掴めずにいたところ、冒険者組合でギルローグ・クライムという男の奇妙な捕縛劇について耳にする機会があった。どんなマヌケかと興味本位に調べてみたところ、賞金首として手配されていた頃の姿絵ではギルを連想しにくかったが、身体的特徴や装備品の話を聞くにつれギルだと確信した。ギルを捕らえた俺のことは、名前や手続きをした場所程度の情報開示は許可されているためその場で確認し、マギまでやって来た。
 情報収集をする内、俺はギルだけでなく黒狼ともう一人奴隷を連れてはいるものの、基本的にはソロで活動していることなどを知った。魔法使い――今となってはややこしいが一般的に魔法と魔術は区別されず、魔法と呼ばれている――であること、そして、そもそもがギルとクランを組んでいたことを知って、俺がギルを賞金首だと知り、裏切ったのだと推測を立てた。そして彼を引き渡して金を得ることはせず、わざわざ犯罪奴隷として傍に置いている話も聞き、俺が人には言えない悪趣味な性癖や嗜好を持つ奴で、ギルはそんな俺から強制的に奉仕させられ、望まぬ行為に付き合わされているばかりか無体を強いられているのだと思い至った。そのことが彼らの怒りの根底にあることが分かった。

 ……そういえばギルの奴隷登録の時、犯罪奴隷を甚振って性奴隷として危ない感じのプレイをする奴だと思われるかもしれないという話があったような気がする。男二人の話を聞く限り、やっぱりそういう風に見られていたり、あるいはそういう風に吹聴される程一部にはよく思われていないのだろう。気分的に良いものではないが、知らないままでいるよりはいいと思うべきか。
 ちなみに貴族へ引き渡す話などを持ちかけられたことはないかとそれとなく聞いてみたら、「テメエは恩人を売るのか!」と噛み付かれたので慌てて首を横に振っておいた。茶髪の長身の男の方にも目をやったが、やはり睨まれた。
「貴方達の事情……というか、気持ちは分かりました。俺が襲撃された理由も。ただ、裏切り云々については事実と異なる部分があって――」
「はっ そんなモンどうとでも言えらァな」
 俺を遮って、先程までの勢いを殺さないままで男が吐き捨てた。それを、ギルが咎める。
「お前ら、こっちの言い分も聞け。こいつもそうだが、俺だって言いてえことの一つや二つはある」
「ローグ! そんなひょろっちい奴を庇うこたァねえ!」
「ローグは捕まっちまって、洗脳されてんだ! 犯罪奴隷が隷属魔法で気分ごと操られることなんざガキだって知ってらァ!」
「うるせえ、喚くな。俺はこいつに命を拾われてる。それに俺がこいつに惚れたのは捕まる前からだ。捕まったのも俺がそうしろっつったからだしな」
 声を荒らげる男たちに対し、彼らと向き合って話すギルの声色はどこまでも落ち着いていた。落ち着きすぎていて、二人の顔からしばし怒りが失われる。一体今自分たちは何を聞いたのかと、驚き、そして困惑が滲み、再び怒りへ変わるまでの一部始終をはっきりと視認できた。
「ローグは騙されてる……! こんな、こんな奴に!!」
 今にも俺に飛びかかってきそうな形相で睨め付けられ、俺はそろそろ泣きたかった。不良も竦み上がりそうな相手にビビらないわけない。シズは気丈にも睨み返しているが、俺は立っているのもいい加減気まずかった。いや、座っていたところでやはり気まずさに耐えかねていただろうが。
 そんな俺を見てもいないのに、ギルは話に区切りをつけるかのように殊更大袈裟にため息をついた。
「なあヒューイ、俺の隷属魔法の中身、見れたよな」
「え、あ、うん。奴隷用のタグはいつも持ってるけど……」
「やってくれ」
 言われるがままインベントリからギルの奴隷タグを取り出し、『開示オープン』と唱える。タグからホログラムのような画面が浮かび上がり、ギルの隷属魔法に仕込まれた内容が出てきた。犯罪奴隷に分類されること、捕まった日、捕まえた人の名前、奴隷となった日、その主人となった人の名前、ギルに掛けた俺が秘密にしたいことは口外できないという制約、武器の所持の許可などなど……ギルが禁止されていること、犯罪奴隷として許されていることなどがずらりと表示されている。
「……そういえば、文字、読める?」
 俺としては誤解を解くことと、ギルの状態を理解してもらうことに尽力するのに否やはない。だが、この、文字で記された内容を俺が読み上げても、侵入者二人は嘘を言っていると怒りそうだ。
 俺の問いに答えたのはギルだった。言葉がなくとも、深いため息で何が言いたいのかよくよく分かってしまう。
「クソ……おい、お前ら」
 小さく悪態をついたのは聞こえたものの、すぐに至極面倒臭そうな声でギルが二人の気を引く。二人もギルの言うことには基本的に従順で、はい、と返事をして居住まいを正した。
「お前らももう知ってる通り、俺は元々賞金首だ。こいつと居るには、こいつの奴隷になるしかなかった。でなきゃこいつが巻き添え食らって傷つくだけだからな。……俺は今の生活に不満はない。お前らが何を言おうが応じる気はないし、こいつに手出しもさせない。分かったな?」
 ギルの静かながらも力強い言葉に、二人はそれぞれ物言いたげに顔を歪めた。
「なんでそんなに……」
 もどかしそうに唇が動き、そうして漏れ出た言葉に、先ほどまでの勢いはなかった。だが、ギルはそれを拾い上げ、簡潔に答えた。
「言っただろ。こいつに惚れてる。それ以上でも以下でもない」
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