異世界スロースターター

宇野 肇

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三章 訪れる人々

閑話: 先は見えねど確たる軌跡は我が後に

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「あ」
 気づけば、身体が動いていた。




 視界に入ったのはたまたまだったと思う。
 生産組合でシズとともにポーションを売った後、広場で屋台で美味しそうなリゾットを見かけて足を止めた俺達は、適当なベンチに腰掛けて小腹を満たしていた。広場は平和そのものといった風情で、綺麗に整えられた石畳に噴水と花壇が目を癒してくれる。憩いの場であるそこでころころと笑う女性たちの顔に憂いの色はなく、人通りもマギの規模を考えれば比較的少なく、長閑さにふと息が漏れた。
 その時だ。
 母親から少し離れた位置で虫を追いかけていた子どもが、俺の目の前で口を塞がれ、男に抱きかかえられて行くのが見えた。

 俺は不思議と落ち着いていて、リゾットの器をその場に置くと、走り去る男を追いかけていた。
「っ、おい」
 ギルの声を拾うが、足は止まらない。俺は『Arkadia』でオズワルドだった頃に散々行っていた動作を繰り返した。
 男を見ながら、脇に抱える子どもには決して当たらないように足元を狙って鋭い風の鎌を放つ。
「ぎゃっ!」
 痛みに転がった男から目を離さないまま、もう一閃。そこでようやく母親の悲鳴を聞いた。それに呼応するように、男とともに石畳に打ち付けられた子どもがじわじわと泣き出した。男の手からは放り出されているが、まだ直ぐに手を伸ばせば捕まえられる距離だ。男の子は痛みのせいか逃げることもなくその場で座り込みわんわんと声を上げ始めた。……だが、俺が追いつくにはまだ遠い。
 男が動かないうちに戦闘不能に持って行きたいと麻痺を掛けようとした矢先、ふわりと頬のあたりの空気が動き、俺がそれを感じる頃には男の左肩をダガーが貫いていた。直後、俺の直ぐ横をギルが抜き去る。今度こそ俺の身体をぶわりと風が包み、俺は思わず速度を緩めてしまった。
 だが、どうにか開いたままの俺の目の前で、まるでチーターのようなしなやかさとスピードであっという間に男を取り押さえたギルの姿を捉える。危なげのないその様子に安堵しつつ駆け寄った俺は、子どもの無事を確認して、俺たちの後を追いかけてきたシズに預けた。無事は無事だが、その子は男の転倒によってぶつけたのだろう膝を擦りむいていて……まあ俺のせいと言えなくもないから罪悪感はあるが、そもそもの原因は男だ。
 シズの腕の中であやされ、ようやく恐怖が追いついていたのかぎゅっとしがみついてしゃくりあげるその子を痛ましく思いつつ、男を見下ろす。
「どうする?」
「近くに見回りがいるならそっちに回そう」
 マギに限らず、城郭都市にはそれぞれ街を守るものが存在する。呼び名は様々だが、自警団や軍隊、各都市の特徴を反映した性質を持つ騎士団などがそれに相当する。警察と軍を混ぜたような組織ということだ。
 マギの場合は魔術騎士団がそれに相当しており、街を動かす重鎮の警護をはじめ、犯罪者の取り締まりなど仕事内容は多分、俺が知っているよりもずっと多岐に渡るはずだ。指名手配されている賞金首の情報は冒険者ギルドを介して全世界で共有されているから、自警組織は冒険者組合との連携も行っている。
 魔術騎士は直ぐに見つかった。母親に子どもを預けて安心させ、手短に何があったかを説明する。男は賞金首にこそなっていないものの、違法奴隷の売買に関わっているとしてチェックはされていたようだ。殺しはしてないからそのまま引き渡し、謝礼を貰った。
「本当にどうお礼を言えばいいか……!」
「いえいえ、無事でよかったです。ね?」
 男が連れて行かれた後、母親から何度もお礼を言われるのを逆に宥めて、怖かっただろう子どもが母親の腕の中で落ち着いた様子を見せているのに安堵する。
「……お兄やん、いたいいたい、なくしてくれて、ありがと」
 睫毛を濡らして涙の跡の消えない顔で、男の子が恥ずかしそうにしながらもシズを見る。シズはにっこり微笑んで、どういたしましてと男の頬を優しく指の背で撫で拭った。
「でも、僕の力を使うよう言われたのはこっちのお兄さまだからね」
「シズ」
 そんな小さな男の子にまで言い聞かせなくてもいいから! 実際に治したのはシズなわけで、それくらい自分の手柄にしていいから!
 少々気恥ずかしくなって窘めるも、シズは全くへこたれた様子もなく自慢気に鼻息を吐き出した。
「本当に、本当にありがとうございました」
「いや、それこそ本当に気にしないでください。居合わせたのはたまたまでしたし……そっ、それじゃ、俺たちはこれで」
 延々と同じやりとりをすることになりそうで、俺は後ずさるようにして会話を切り上げ
その場を辞した。
 最後までかっこよく振る舞うのは、俺には難しいようだ。

 しばらく歩くと、ギルから苦言を呈された。
「いきなり走り出すな」
「そうですよ。吃驚しました」
「ごめん」
 シズからも援護射撃が入り、苦笑しながら謝る。でも、不思議と怖さとか、焦りはなかった。身体が自然と動いたのだ。

 まだ俺が『Arkadia』でウィズワルドだった頃。街中で突発的なイベントが起こることは結構あった。例えば食い逃げした奴を捕まえてくれとか、規模の大きな喧嘩を力ずくで仲裁するとか、そういう類のもの。イベントを行うかどうかには制限時間があり、するもしないもプレイヤーの自由。だが、場所によってはスリでレアリティの高いアイテムを盗られたりすることもあるから気をつけねばならない……という程度の、ミニイベントだ。かかる時間もそう長くはない。だからだろうか、そこそこの頻度で出くわすようになっている。かく言う俺も、何度も遭遇したことがある。
  今回咄嗟に体が動いたのは『Arkadia』での対処方法を取ってしまうほど慣れたイベントだったからだ。それこそ魔法を放つのと同じほど。変わらぬ攻撃手段のおかげで、俺は動作をなぞるだけでよかった。平常心でいられたのはそのせいだろう。そう、片付けてしまえるほどには経験があった。

 まるで母国語を綴るような自然さで動けたことに対して、驚きはなかった。
 これは紛れもない現実だが、ゲームで行っていたことが抵抗もなく上手く馴染んでいるような心地。

 なぜだろうと疑問を浮かべた先から、殺すわけじゃないからだろう、という答えに行き着いた。この手のイベントでの殺人は『失敗』扱いで、それなりにペナルティがある。そう言ったある種『縛り』とも呼べる条件があるせいか、様々な手段でイベントのクリアを目指すプレイヤーもいた。今回の場合なら生け捕りがそれにあたる。

 だが、それを置いてもやはり、男に抵抗される心配はあったわけで。
「……ギルが察してくれて助かった」
 彼を見上げながら、改めて頼もしい存在だと思う。
 俺の魔法はウィズワルドよりも威力が低い。ウィズワルドにはゲイルがいたが、ヒューイとしての俺の隣にいてくれるのがギルでよかった。
 身体だけでなく、命を委ねられる存在がいることの贅沢さ。
 互いの不足を補い合う関係であること。
 不意にそんなことを噛み締めてしまい頬を緩めると、ギルに笑われた。
「こういう時のために俺がいるんだろうが」
 くしゃくしゃと髪をかき混ぜられ、目を瞑る。すぐ隣でふふ、と小さく笑うシズの声が聞こえた。
 そうだ。今はシズだっている。さっきだって子どもの怪我を癒してくれたし、荒事がギルの担当なら、細かなフォローはシズの役目だ。
「そうだね。二人とも、俺には欠かせない」
 ギルに頭を揺らされつつ、俺も同じようにシズの頭を撫でる。シズの頬が俄かに色づいた。小さくはにかむ姿に胸の中が暖かくなる。
「俺ももっと二人に貢献……いや、還元? しないとなあ」
 呟くと、左右からサラウンドで、じゃあご馳走が食べたい、という声が上がった。

 うん。俺は財布担当か。……まあ、いいけど。

 普段の食事が嫌なわけではない、というのは既に俺たちの中では当たり前の話だから敢えて触れることはせず、単刀直入にリクエストを受ける。
「今夜はどこかに食べに行こうか? 何食べたい?」
「上等の肉」
「僕、美味しいローストビーフ食べてみたいです!」
 元気よく返ってきた言葉に、俺もたまにはこってりした肉料理食べたいなあという気分になってくる。
「どうせなら他にも、お店じゃないとなかなか食べられないような料理が出るところがいいよね」
 俺の言葉に、主にシズの顔が輝く。ギルの反応は薄いが、上等な肉を出す店となるとやはりランクとしては上品な場所になるだろう。……この機会にテーブルマナーを押さえとくのもいいかも。ドレスコードは……店を決めてからでも遅くはないか。
「よし! じゃあ今日は今から良さそうな店について調べようか」
「はーい!」
「情報屋を当たるなら闇ギルドで聞くのが手っ取り早いぞ」
 密やかにやる気の漲るギルの言葉にくすっとしつつ、俺たちは街の喧騒の中に足を踏み入れた。
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