異世界スロースターター

宇野 肇

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三章 訪れる人々

夏祭り(2)

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 牛スジ煮込みや焼きおにぎり、ピラフだかパエリアだかをお好み焼きのようにして焼き固めたものの入った器を持って観劇し、飲み食いしながら神々の悲喜劇を眺めた後歩くこと数十分。
 幾らお祭りがあって混雑していて、見るものがたくさんあって、マギが大きな城郭都市といえど、賑わっているのは主に大通り周辺であり、丸一日潰すには大道芸や演劇、旅の楽師達による演奏などを見聞きし続ける必要がある。それだって一日に何度も同じ演目を繰り返すのだろうし、レパートリーには限界がある。

 一通り店を冷やかして回って、休憩がてら屋台で食べ物を買って適当な場所で座って見世物に目を向ける。
 そんなことを繰り返していたら改めて食事でもしよう、とはならないし、祭りの空気も相俟って常にお腹いっぱいだ。
 それでもシズは楽しげにしていたが、日没まではまだ遠い。帰りは学院側の転移装置で帰るとしてどんなに遅くなろうが構わないのだが、夜を待つまでが長すぎた。
 一度歩いた道を折り返してもよかったのだが、さてどう時間を潰そうかと思っていると、ギルが口を開いた。
「……一本通りを変えてみるか? 表にゃ出ないような物を売ってるかもしれない」
 人混みに辟易していたのもあるだろう。ギルの提案に、あまり奥まった路地裏に入り込まないのであればと俺は了承した。路地裏のような場所を歩いて片っ端からスリだの恫喝だの物乞いなどに遭うわけではないし、ギルはいつも通り武装している。万一はないし、ギルの提案は路地裏へ、ではなく裏路地を歩こうというものだ。極端に道が細いわけでなし、と、通りを変えるべく脇道へとそれる。
 マギの街は大通りがいくつかある。今まで歩いて来た道がまさにそうで、普段は馬車の往来も余裕なほど広く、道も整っている。商店街などは特にそれが顕著で、恐らくこの道がマギの中でももっとも幅の広い通りになる。
 家並みも大通りに沿っていて、家と家との間も庭や塀があったりして、通りと通りをつなぐような路地は疎らだ。それでも全くないというのも不便だから、馬車が一台通れる位の道が幾つか作られていた。清潔に保たれていて、昼間であれば怖さもない。
 そこへ一歩踏み出すと途端に店の気配が失せるものだから、俺は自然とため息を漏らしていた。人混みは世界を問わず疲れるものらしい。
「凄いですね。なんだか一気に静かになった感じがします」
「シズはこういうのは初めて?」
 元居た場所では夜、花火大会に合わせて夜店がでる程度の祭りしか肌で感じてこなかったから、俺こそこんな風に昼間から盛り上がるような祭りは初めてといえば初めてだ。
 俺の言葉にシズは首を横に振った。
「いいえ。初めてではないですけど……でも、今まではこんな風に街を歩くことも、屋台で何かを買ったりとかも全くなくて。ましてや、自分のお金でなんて」
 そういや、シズは愛玩的に買われていたんだったか。ねだらずとも自分で思うように買い物が出来るのは気持ちがいいものだ。
「計算もできなかったですしね……。不自由はありませんでしたけど、戻りたいとも思いませんね」
 人に頼らずに自分で何かをこなすことの楽しさと気持ち良さはよく分かる。……俺の場合は、だからこそ人に頼り切りになると気分が塞ぐのだが。
 同じ街なのに、人と店の多さで全く違って見えるのが面白い、とシズは祭り特有の空気がもたらす高揚感を隠さない。純粋に楽しんでいる様子は微笑ましくて、俺も割高とは知りつつもあれこれ買い食いして遊んだものだと懐かしくなった。

 大通りから外れると、祭りで人が集まる場所が極端に偏っているのもあり、一気に人通りがなくなった。普段ならそれなりに往来がある道なのだが、今日はすっかり閑散としていた。だが、露店がないわけではない。
 風呂敷を広げた上に品物を並べ、じっと何かを待つようにしている姿は祭りの日であってもどこか異様だった。喧騒が響いてくるから、余計に静けさが染み込んでくる。
 それでもシズは熱心に見ていたが、ふと水煙草を吸う店主の前で足を止めた。ふかふかとした座布団に座り、優雅に煙を燻らせる様は堂に入っていて、ターバンをわざとたるませて日除けとしているらしいその顔には髭が蓄えてあった。かと言って不潔というわけでもなく、ワイルドな雰囲気だ。今は丁度建物の日陰にいることもあって、どことなく怪しさも漂っていた。
「これは?」
 そんな店主の前で、シズが座り込んで品物を指差す。店主の広げる風呂敷には、色とりどりの石がばらまかれていた。中には形を整えてあるものもある。どれも半透明で、なかなかの大きさだ。瓶詰めにされているものは小粒だが、どれも淡く光を放ち、目を引いた。
「こいつぁ魔光石っつってな、マギの名産さ。夜のマギの光は知ってるだろう? 質は低いが、あれと同じモンだ。こいつは魔力を流すとこの瓶詰めした奴みてえに綺麗に光る」
「触ってもいいですか?」
「もちろん」
 興味津々のシズがおっかなびっくり触ってみると、確かに、手にした石が淡く光を放った。質は低いという言葉の通り、その光は淡く、陽の光でかき消えてしまいそうなほど。
 夜に見ればまた風情もあったのだろうが……どちらにしても、この石はそれだけで、特に使い道があるわけでもない。
「もう少し鮮やかに光れば魔法使いがインテリアだの研究だのに持って行ってくれるんだがな。こいつらは不純物が多くてな。魔力を込めて数日光らせて、夜に子どもの目を喜ばせるくらいしかねえんだわ。見ての通り、瓶詰めにすりゃなかなか悪くねえだろ?」
 それで叩き売りをしているわけか。
 魔力がなければ捨てるしかない、ケミカルライトみたいなものだ。ただ、シズには魔力がある。俺にも。
「ヒューイさま、これ、僕からプレゼントさせてくれませんか?」
「うん?」
「水槽に入れたらきっと綺麗ですよ」
 俺が対して興味を示さないからか、シズはそう言って綺麗に研磨された小粒の魔光石を手に取った。それとは別に、少し大きめの丸いものも選び取る。
「バラで売ってるのは5個で1オボルス、瓶詰めは一つ3オボルスだ」
「安!」
「まあなんせ質が悪いからなあ」
 石の相場まではわからないが、それでも所謂お祭り価格というものになっているはずだ。
 ニヤニヤと笑う店主にシズは気前良くお金を手渡し、しかし大きめの石は上品な革袋に詰めるようにねだっていた。強かだ。店主は苦笑いになっていた。
 小さな巾着をぶら下げてご満悦のシズは、支払いを済ませると、瓶詰めにされた方を俺に渡してくれた。プレゼント、と取ることもできるが、まあアクアリウムに沈めるまで持っていてくれということだろう。巾着ごとインベントリに放り込んだ。
「大きい方は夜にベッドに散らしたり、ランプの中に入れればとてもいい感じになると思うんです。明かりを絞ったりしなくてもそのまま眠れそうですし」
 俺をじっと見上げて顔を綻ばせるシズに、センスの違いを突きつけられた気がした。こういうことに気を配れるんだから、家の中のことはシズに任せてみるのが一番かもしれない。

 若干のショックを受けつつ、ギルにも食べ物以外に欲しいものはないのかと尋ねてみる。ギルは生い立ちや境遇もあって俺よりもずっと物を持たない生活をしてきたはずだから、今日は良い機会じゃないかと思ったのだ。
「……なら……親父、その水煙草、どこで売ってた」
「ぁあ? これか? こりゃ表の方にはなかったな。たしか……ここよりもちぃとばかし東の……こっからだとそこの路地を抜けてった先にあるちっこい店さ。目印は古ぼけた重そうな扉だ。色んな香と酒がある。美味いぜ」
「わかった」
 情報料として店主に幾らか握らせたギルは俺に目配せを一つ。勿論断る理由なんてない。
 店主に軽く頭を下げて、先ほど説明された路地へ入る。人がすれ違う位の余裕はあるが随分狭く、俺とシズが前を歩き、ギルはその後ろについてもらった。
「ギル、水煙草好きだったんだ?」
「習慣ってほどじゃない。昔一つ持ってたんだが、追われるようになって構ってられなくなったから捨てた。それからはたまに店に置いてあるのを吸ったりしたくらいだ。……今はもう、匂い一つ気にしなくてもよくなったからな」
 ギルの言葉に相槌を打つ。シズにプレゼントしたしギルにも俺が出すと言うと、ギルはニヤリと笑った。
「じゃ、精々良い物を身繕わせてもらおう」
「……どうぞ。ギルにもよく動いて貰ってるし、いいよ」
 ギルは滅多に物を欲しがらない。シズと違ってもう組合に所属は出来ないし、依頼も俺がいなければこなせない。いつもギルが働いてくれた依頼分は折半しているが、ギルの所持金はシズよりずっと少ないのだ。こんな時くらいどんと出したって文句は言わない。言わせない。本当ならギルはもっと稼げる冒険者だったのだから。

 言われた店は直ぐに分かった。よく艶出しされたドアをノックし、扉を開けると、カロン、とドアベルが鳴る。
「わあ……」
 祭の喧騒から離れた店は静かで、しかしそこかしこにあるガラスのボトルや吸い口、ホースといった格パーツが整然として俺たちを出迎えてくれた。控えめな照明の加減もあるだろうか、きらきらとして綺麗だ。シンプルな形状のものから装飾的なデザインのものまで。一点ものもあればパーツごとに付け替えができるものもバラして置いてある。
「いらっしゃい」
「あ、こんにちは」
 奥から響いた声に会釈をする。恰幅のいい、ゆったりとした服に身を包んだ店主と思しき男性が顔をほころばせていた。
「水煙草をお求めで?」
「はい」
「それはそれは。……初めてですかな?」
「俺はそうですけど、今日はこっちの……彼が久しぶりに持ちたいと。ギル?」
「ん」
 視線を彷徨わせると、店に置いてあったらしい様々なフレーバーを試すための水煙草を早速試していたらしいギルが鼻から煙を出していた。
「もう……すみません、勝手に」
「いえいえ、いいんですよ。勝手が分かるのでしたら何よりです。本日は葉をお探しで?」
「それもですけど、本体もです。暫く見させてもらってもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ。……お連れの方はよくご存じのようですが……いかがですかな? 貴方も一つごゆるりと」
 どうぞ、と導かれて、シズとともにギルの近くにあった椅子に腰かける。店主は慣れた手つきでボトルに水を入れて部品を組み立てた。ギルも近くに寄って来てその様子を覗き込む。だが、目新しいことは無かったのか、直ぐに本体のパーツを見に行ってしまった。
「お連れの方が吸われていたのはハーブですな。ブルーミストという名前のものです。初心者の方にはハーブが無難でしょう。果物の香りのするものもございますよ」
 小さな箱に入ったものを出されて、ラベルを確認する。アップル、ピーチ、アールグレイ、ミント、ローズ、ハニー、バニラなど、想像しやすい名前が載っている。余り間違いもないだろうとバニラを選ぶと、箱の中から湿った葉っぱが出てきた。店主が既に細かくなっているそれを更にちぎり、ボトル上部の、壺でいうなら口の部分の、如雨露の様になっている部分に乗せていく。それが住むと、やはり穴の開いた小さな陶器を上から被せ、更にその上に石を乗せた。
「この石は長時間熱を蓄える性質がありましてね。炭の様に熱くなるのです。暖炉や竈に添えておくとすぐに使えるようになりますよ」
 お持ちでないなら是非購入もご検討ください、という店主の言葉を聞きながら、透明のボトル部分に煙が出始めるのを見た。
「水煙草はゆっくり深く吸い込んで、そしてゆっくり吐くととてもおいしいのです。吸うのは煙だけ。空気を混ぜるのは良くありません。吐くときはふうーっと吹いたり、はあーっと声を出すように吐くと美味しくありませんし、喉にも引っかかりますからお気をつけて」
 そう言って、店主は先にギルが吸っていたボトルで手本を見せてくれた。吸い口を銜え、吸い込む。と、ボトルの中の水がポコポコと音を立てた。吸い口から口を離すと、店主が空けた口から真っ白い煙がもわん、と出てくる。
「こんな感じです」
 少し余韻を味わってから、店主はにっこりと笑った。それを受けて、俺とシズもやってみることにする。
 吸い込み口を銜えて、ゆっくりと口から息を吸い込む。少し思い切ってやらないと吸い込めなかったが、水がボコボコと音を立てると煙が入ってきた。
 煙草を飲む習慣はない。あの煙をどうしても好きだとは思えなかったからだが、水煙草は味がついているおかげであまり『煙たい』という感じはなかった。一度水で冷やされているから冷たくて清涼感があるのに、匂いそのものは甘く、頭の芯や顔の筋肉が解れる気がする。
 店主に倣って空気だけ肺に入れることのないようにして、吸い口から口を離してぽっかりと開け、煙を燻らせる。煙草よりもずっと濃く白い煙が俺の視界を覆い隠した。
「おお……バニラだ」
「甘いですね」
 シズと二人、ちょっとした感動を味わう。これは……いろんな味を試したくなるな。
「水煙草は葉をブレンドしても美味しいですよ。極端に変な味になることはありません。ただ、最初はやはり一つの味だけを楽しんだ方が、ブレンドもしやすいと思います。水煙草は吸い始めたら一時間ほどは楽しめますよ。ゆっくりしたいときや、まったりと誰かとお話をしながら楽しむものです」
 店主の言葉を聞きつつ、そのまま、品物を見て回るギルの様子を眺めつつ、入れてもらった分の水煙草を楽しんだ。
「お祭り、凄い人ですけど、こっちはあまり人通りはないですね」
「どちらかというと住宅街ですからな。地元住民の中には仕事を終えて休んでいる者もおりますし」
「あなたは参加されないのですか?」
「大通りまで店を出すのもあの人ごみの中を往くのも、もう体力がありませんから。夜は多少は人も少なくなりますが、出歩くよりは見晴らしのいい場所で街の明かりや魔蛍虫が飛ぶ様を楽しむ方が安全ですな」
「地元の人ならではですね」
「そうですなあ」
 煙を吸って吐く間は沈黙が落ちるが、お互いに吸っているということと気持ちが緩んでいるせいか、会話が途切れても気にならない。
 しばらくそうやっていると次第になんだか気分がふわふわとしてきて、眠くなってきたから吸い口を置いた。
「すみません、この辺でやめておきます。……シズは?」
「ふぁ?」
 店主のアドバイスを守って熱心に吸っていたシズは、俺の呼びかけにとろんとした顔つきを寄越した。何よりも雄弁な返事だった。
「ふふ、慣れない方はあまり吸い続けると眠たくなってしまわれるんですよ。深呼吸をしてください」
 恐らく酸欠によるものだ。店主の言う通り、水煙草を置いてゆっくりと息を吸いこむ。外に出れば眠気も飛ぶだろう。
「親父。決まった」
「はい、ただいま」
 シズが瞼を擦るのを眺めていると、ギルがこっちへ歩いてきた。手には必要なパーツが揃っている。底の広い、にんにくのような形のガラスボトルと、すらりと長く伸びた、それだけで30cmはあろうかというパイプ。ホースは一本。吸い口は予備だろうか、二つ。
「フレーバーはブルーミストとダブルアップル、ミントと……レモン、あとはバニラを1ドラクマずつ」
「はい。ありがとうございます」
 ニコニコと笑みを絶やさないのは、ギルが選んだのが良いものだからだろうか。
「30ドラクマです」
 想像していたよりずっと高い値段に、俺は苦笑しながらもきっちりぴったり支払いを済ませた。今後とも是非ご贔屓に、と言う店主の様子から、それでも少しくらいは割り引いてくれたのかもしれない。
「水煙草はお酒や紅茶などを入れても味が変化しますから、寝る前のひと時にでもお楽しみください。お酒は回りやすいですから少し薄めるくらいが丁度いいですよ」
「ありがとうございます」
 綺麗に箱詰めし、縄で縛ってくれた店主に礼を言って店を出る。吹き抜けた風に息が漏れた。
「どうだった?」
「すごいね、吸いやすくて吃驚した。眠たくなるけど」
 素直に感想をこぼせば、ギルがくつくつと笑う。何時間も吸い続けるものでもないから三人で味見しながら楽しめばいいという言葉に頷くと、買ったものをインベントリへしまい込んだ。
 もう一度大通りを歩いてもいいかというシズに頷き、来た道を戻る。
「……この礼はたっぷりする。身体で」
 腰を抱かれて後ろから囁かれた声に「もう」と言いながらギルの身体を押しのけたが、嫌がっていないことなどお見通しなのだろう。ギルは俺の唇を掠めるようにして素早くキスをすると、腰に回していた腕を肩へずらして、シズを追いかけるため足を速めた。
 別にお礼なんていいんだけど。それはそれ、これはこれ、だ。
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