42 / 81
三章 訪れる人々
小さな同居人(3)
しおりを挟む
間近で見る彼らは30cmあるかないか、というところの大きさだった。浅黒い肌に銀色の髪の毛と瞳。三頭身ほどある身体の三分の二ほどは、いかにも魔法使いのローブ然とした服で覆われている。引きずる程ある丈のせいで裾は薄汚れ、所々擦り切れていた。
一方で顔立ちは愛らしく、柔らかそうな頬に、同じようにふっくらとした小さな手はついつい触りたくなるほど。
「もう『気持ちいい』しないの?」
「いくいく終わったの?」
……好奇心で満ち満ちた表情は兎も角、その口から出てくる言葉は頭を抱えたいほど困ったものだったが。
服を着て改めて彼らと向き合った俺は、逃げも隠れもしないどころか意気揚々と向かってくる彼らに曖昧に頷いた。二人とも全く同じ外見で区別がつかない。
ギルは俺の様子で、最中に意識が逸れてしまったこととの関係性に気付いたらしい。目配せとともにさり気なく腰に回された手が動き、そっと自分の手を重ねて答えた。
「ええと、君たちはブラウニーかな?」
気持ちを切り替え、話の主導権を握るためにこちらから質問をしてみる。と、彼らは顔を見合わせた。
「ブラウニー?」
「美味しい食べ物?」
「ブラウニー好きー」
「すきー」
「くれるの?」
「くれるの?」
交互にやってくる反応に苦笑しつつ、そうじゃなくて、と顔を綻ばせる彼らを制する。
「ええと……じゃあ、君たちはこの家に住んでいる妖精かな?」
「そうだよー」
「そうだよー」
「他にもいっぱいいるけど、僕たちはたくさんお手伝いできるの。前の人とお薬作ったり、お薬の材料探してきたりしたの」
「お菓子と果物とミルク貰って、いっぱい働くよー」
「お仕事する?」
「する?」
……どうやら積極的に人と関わって行くタイプの妖精らしい。外見は一応人だから、多分ブラウニーだと思うんだけどな……。
「今は大丈夫。でも助けて欲しい時はお願いするよ」
「わかったー」
「待ってるー」
「ちなみに、君たちの名前はなんていうのかな?」
子どもを相手にしているような錯覚をするが、相手は妖精。妖精の寿命は長く、時の流れというものに頓着しないと言われている。歳上、などという言葉では表現できないほど長い時を生きているはずだ。追い出されなためにも、あまり失礼の無いようにしておきたいところだけど……。
「ドゥーン!」
「バァーン!」
「……そう、ありがとう」
胸を張って答えてくれる彼らを見ながら、やはりどう見ても全く見分けがつかないことに冷や汗が流れて行った。
******
妖精たちは非常に無邪気だった。憑いている家――ドゥーンとバァーンの場合であれば洋館と納屋――であればどこでも瞬時に移動できるという固有の魔法を持っていて、呼べば直ぐに来てくれるし、用を頼めばてきぱきと動いてくれ、知らないことでも俺が一度きちんと説明すれば調合だってばっちりしてくれる。正直、便利極まりない。
……セックスの最中に、突如として現れる以外は。
繋がっている最中に乳首に吸い付かれたり!
あどけない彼らに触らせるには禍々しい股間のおっ勃ったものに触れられるわ舐められるわ鈴口に指を入れられるわ!
言い分を聞けば、
「自分でやっても気持ちよくないよ?」
「お兄さんのじゃないとだめなのかな?」
と好奇心で一杯で、邪気も下心もない彼らを叱りつけることもしにくくて。
ギルもそういう俺の心の内を察しているはずなのに、その上で敢えて何も言わず、それどころかさせるがままにして俺の痴態を楽しんでいるのだから始末に負えない。
妖精たち……ドゥーンとバァーンとはそれ以外では概ねうまく付き合えて行けているはずだし、文句のつけようもない仕事ぶりを見せてくれているから、痛く無い限りあまり抵抗はしないようにした。姿を見せてくれないながらも確かにいると言う他の妖精たちの不興を買いたくないと言うのも大きかったが、まあ、早い話が諦めたわけだ。
人と妖精では、物事の捉え方や感覚といったものが違いすぎた。羞恥心など持ち合わせていない彼らに、分かってくれと言うのも酷な話だろう。
そんな恥ずかしい部分を除けば、森の中での生活は全くの一人ではないからか、それとも一通りの憂い事がないせいか、気分が鬱いでいくこともなく楽しいものだった。
冒険者組合からの指名依頼ではあるものの、ずっと張り付いていろ、と言うわけでもない。シズの調合した薬の質は高く、生産組合にも登録させて、そこにシズの名義で卸した分はそのままシズの財産にするように言っておいた。シズはすごく喜んでくれて、その収入でお菓子を買っていた。焼き菓子であれば俺も作れるのだが、売られているものはやはり見た目も綺麗だし、デコレーションに技を感じるものが多く、それもシズを楽しませているのだろうと思う。
俺も妖精たちへの報酬のために美味しいデザート類やお茶を作れるようになりたくて研究している途中だ。彼らはこてこてに甘いものの方が好きらしく、甘い匂いが家の中に漂うと、ギルはそれとなく家から逃げてしまう。匂いが散るまではアドルフと森の中を歩き回り、共にモンスターを狩っているらしく、今ではギルの方が余程アドルフを構っている。……ヒエラルキーを保つため、引いてはアドルフに逃げられないためにも俺も森を散策して回る際にはアドルフを呼んでいるしブラッシングも怠っていないが、そろそろアドルフの中でギルが頂点になりそうで怖い。
お株を奪われないためにももうちょっとアドルフと過ごす時間を増やそうかと思ったとある日の早朝、畑で雑草を取り、薬草と野菜の様子を観察していた俺のところにアドルフがやってきた。
身体が大きくなっているため畑の中までは入ってこなかったが、俺から姿を確認できる位置までやって来て、わふ、と小さく鳴いたのだ。
珍しいな、と思いつつ腰を上げてお座りをするアドルフの元まで行ってみると、アドルフも俺とかち合うように歩いて来ているところで、頭を下げ、咥えていたものを地面に置いた。そして俺に差し出すようにして鼻先で地面に転がったものを突いてくる。
「……? 猫?」
大きなたわしのような酷い毛並みをしているが、それは確かに猫だった。大きさからして成猫だろう。
意識がないのか、あっても目を開けるほどの力もないのか、鳴くこともなくぐったりと横たわったままだ。
目で確認しただけでも怪我が分かる。至る所が汚れきっていて、血も肉も見えて痛々しい。箇所は多いが傷口の大半は小さく、アドルフが負わせたものでは無いようだ。食べもせずに持って来たということは助けたいのかもしれない。
幸い息はまだあるから、回復魔法を掛ければいいだろう。ぼろぼろだからまず清めてやらないといけないし、体力を回復するのは兎も角、痩せているようだし食事も必要だ。
「この子は預かるよ」
そっと猫を抱き上げてアドルフを撫でる。アドルフはわずかに尻尾を振ったが、猫が心配なのか俺の後をついて来た。ついでだし、処置が終わったらアドルフと水遊びでもするかと考えつつもキッチンへつながる勝手口の扉を開ける。
「シズ!」
アドルフとともに家の中に入り声を上げると、直ぐにシズが顔を出した。俺の腕の中の猫を見て数度目を瞬かせる。
「工房で手当てをする。清潔な布……シーツでもいいから持って来てくれ。あとお湯も。熱すぎないほうがいい」
「かしこまりました!」
足を止めずにリビングを抜け、そこだけ後から増築したように北側に設えられた工房へ向かう。
アドルフは工房まで入りたそうにしていたが、大人しく扉の前で足を止めた。その頭を撫でて、俺だけ中に入り扉を閉める。入って直ぐに作業台を清めた上で着ていた上着に包んでそっと寝かせた。
状態を確認して、毒を受けていないか、痺れや呪いを受けていないかを調べていく。幸い、外傷と衰弱が見られただけで、他には特に何も見つからなかった。
指を振り、汚れを払い、清める。それでも傷が癒えるわけではない。
「ヒューイさま! 布とお湯をお持ちしました」
「ありがとう。布はこっちへ。お湯は空いてる水筒に……できれば金属製のに入れてくれ。三つくらい欲しい」
「はい」
布を受け取り、上着の代わりに下へ敷く。縫合が必要なほど深そうな傷が見え、一度魔法をかけることにした。
回復魔法のスキルは初級しか持ってないから、俺が使えるのは最も基本的なヒールだけだ。それは今の所シズも同じ。僅かに体力を回復させ、傷を癒すものだが、全快させるには連発する必要がある。
そっと掌を傷口にかざし、小さく円を描くように動かす。淡い光が零れ、収まると、かざした部分の傷口がかろうじて塞がっていた。
他にも深い傷がないかを確認し、癒して行く。いきなり元気になって暴れられるのも困るから、深い傷の処置を済ませた後は軟膏を塗って治すことにした。
それが済んだ後は、布を一度清めてそっと猫を包む。
「ヒューイさま、これを」
シズが金属製の水筒を持って来た。火にかけることも出来るから、水筒としてだけでなく調理器具として旅には欠かせないものだ。それを、今回は湯たんぽ代わりに使う。触った感じ熱いということはないから大丈夫なはずだ。
「ありがとう」
火傷をするほど熱くはないが、念のため布の下に置き、布越しに猫を寄り添わせる。もう一枚、バスタオルを上にかぶせた。
一応、これで応急処置は済んだが、まだ衰弱したままだ。
『Arkadia』でも衰弱というステータス異常はあった。極度の空腹が続くと起こるもので、緩やかに体力が減っていく。移動速度も落ちるし、視界はぶれるしまっすぐ歩けなくなるしでなかなか侮れない。行くところまで行くと死ぬし、徐々に筋力まで落ちて行く。回復方法は食事をすることだが、手遅れになると食事をする力さえなくなり自分ではどうにもならなくなる。
まさか『Arkadia』と同じような衰弱の仕方ではないだろうし、そうだったとしてもいきなり肉の塊を食わせるわけにもいかず、苦肉の策としてポーションを与えることにした。水分補給としても優秀だし大丈夫だろう。
猫の口元を少し引き上げ、スポイトで少しずつポーションを落として行く。
反応は殆どなかったが、根気よく続けると口元が動き始め、舌がスポイトの先を舐めるようになると、俺とシズ、どちらともなくほっとため息が零れた。
「ヒューイさま、なにか食べやすそうなもの、作っておいた方がいいですか?」
「頼む。必要ならドゥーンとバァーンにも助っ人で入ってもらって」
「むう。あの二人には負けませんよ」
軽く唇を尖らせるシズに頬が緩む。
「確か干し肉があっただろ。アレをふやかして食べさせてみよう。ふやかしついでにスープにしてもいいかな。猫には毒になるものもあるらしいからハーブ類は避けて野菜と一緒に少し煮込んでくれ。味付けはしなくていいから。食べやすいようにできるだけ小さく切って」
「はい」
シズを見送り、もう少し猫にポーションを与えて行く。あまり身体に触れるのはストレスかと思ったが、そっと小さな頭を撫でていると、微かにその口からにぃ、と声が漏れた。
「大丈夫だよ。ここは安全だから」
優しく、優しくと心がけながら声をかけ、頭を撫でて行く。猫の目がうっすらと開かれ、綺麗な薄黄緑の瞳が俺を捉えた。
「大丈夫だよ」
声を掛けると、またそっと瞼が落ちた。けれど口元ははっきりと動き始め、スポイトから出すポーションを飲もうと前足が俺の手にかけられた。
何度もスポイトにポーションを取り、猫に与えるのを繰り返す。自分で頭を持ち上げ、俺の膝の上で起き上がるまで、そう時間はかからなかった。
「大丈夫かな? いい子だ。もう直ぐ食事が出来るから、待ってようか。ね」
言えば、にゃぁん、と返事がくる。跳ね散らかった毛並みを整えるため、進化させる前に使っていたアドルフ用のブラシを出し、傷の無いところを少しずつ梳くことにした。
嫌がって逃げることもなく、猫は終始大人しくしていた。そこまでの元気がないからかもしれないが、時折俺を見上げてくる瞳と顔立ちはなんだか凛々しくて、性格のような気もした。
「ヒューイ」
シズが戻ってきたらその手にこの子を預けようと思いつつもいつになくゆったりとした時間を楽しんでいると、工房の扉が開かれた。ギルが顔を出し、アドルフが入りたそうに頭を上下に動かしてこちらを窺っている。
俺はギルが入ってくるのを待とうと思ったのだが、猫は静かに俺の膝から床へと降りると、ゆっくりながらもしなやかな動きでアドルフと鼻先を合わせ、アドルフの太い前足に身体を擦り付けた。
「だいぶ回復したな」
「ギルも一緒にいたの?」
「ああ。こいつを見つけた辺りを探したんだが、親や仲間の姿はなかった。あったのは……こいつだな」
ギルが俺の目の前になにやらごちゃごちゃとしたものをぶら下げる。一つ一つをよく見ると、ギルのように太いものでこそないが、細いベルトにポーチやナイフを収めた鞘が取り付けられていた。
「……装備品?」
「ナイフは幾つか抜け落ちてたが、全部回収できた。刃こぼれはしているが、まだ新しい。出来る限り広い範囲を見て回ったが、人の気配はなかった」
どう見る? とギルの瞳が語りかけてくる。
「荒らされていたような跡は?」
「なかった。木には目印にしていたらしい真新しい刃物による傷があったから追ってみたが、森から出ただけだった」
「うーん……荒らされたり、犯罪者の潜伏先になったりしない限りは一応、問題はないけどねえ……ギルが見つけられなかったんなら、もう近くにはいないだろうし。念のため、後でこの子を拾った場所まで連れて行ってくれる?」
「分かった」
学院へ報告を飛ばすのはそれからでもいい。今は一先ず、歩けるまで回復した猫の食事だ。
一方で顔立ちは愛らしく、柔らかそうな頬に、同じようにふっくらとした小さな手はついつい触りたくなるほど。
「もう『気持ちいい』しないの?」
「いくいく終わったの?」
……好奇心で満ち満ちた表情は兎も角、その口から出てくる言葉は頭を抱えたいほど困ったものだったが。
服を着て改めて彼らと向き合った俺は、逃げも隠れもしないどころか意気揚々と向かってくる彼らに曖昧に頷いた。二人とも全く同じ外見で区別がつかない。
ギルは俺の様子で、最中に意識が逸れてしまったこととの関係性に気付いたらしい。目配せとともにさり気なく腰に回された手が動き、そっと自分の手を重ねて答えた。
「ええと、君たちはブラウニーかな?」
気持ちを切り替え、話の主導権を握るためにこちらから質問をしてみる。と、彼らは顔を見合わせた。
「ブラウニー?」
「美味しい食べ物?」
「ブラウニー好きー」
「すきー」
「くれるの?」
「くれるの?」
交互にやってくる反応に苦笑しつつ、そうじゃなくて、と顔を綻ばせる彼らを制する。
「ええと……じゃあ、君たちはこの家に住んでいる妖精かな?」
「そうだよー」
「そうだよー」
「他にもいっぱいいるけど、僕たちはたくさんお手伝いできるの。前の人とお薬作ったり、お薬の材料探してきたりしたの」
「お菓子と果物とミルク貰って、いっぱい働くよー」
「お仕事する?」
「する?」
……どうやら積極的に人と関わって行くタイプの妖精らしい。外見は一応人だから、多分ブラウニーだと思うんだけどな……。
「今は大丈夫。でも助けて欲しい時はお願いするよ」
「わかったー」
「待ってるー」
「ちなみに、君たちの名前はなんていうのかな?」
子どもを相手にしているような錯覚をするが、相手は妖精。妖精の寿命は長く、時の流れというものに頓着しないと言われている。歳上、などという言葉では表現できないほど長い時を生きているはずだ。追い出されなためにも、あまり失礼の無いようにしておきたいところだけど……。
「ドゥーン!」
「バァーン!」
「……そう、ありがとう」
胸を張って答えてくれる彼らを見ながら、やはりどう見ても全く見分けがつかないことに冷や汗が流れて行った。
******
妖精たちは非常に無邪気だった。憑いている家――ドゥーンとバァーンの場合であれば洋館と納屋――であればどこでも瞬時に移動できるという固有の魔法を持っていて、呼べば直ぐに来てくれるし、用を頼めばてきぱきと動いてくれ、知らないことでも俺が一度きちんと説明すれば調合だってばっちりしてくれる。正直、便利極まりない。
……セックスの最中に、突如として現れる以外は。
繋がっている最中に乳首に吸い付かれたり!
あどけない彼らに触らせるには禍々しい股間のおっ勃ったものに触れられるわ舐められるわ鈴口に指を入れられるわ!
言い分を聞けば、
「自分でやっても気持ちよくないよ?」
「お兄さんのじゃないとだめなのかな?」
と好奇心で一杯で、邪気も下心もない彼らを叱りつけることもしにくくて。
ギルもそういう俺の心の内を察しているはずなのに、その上で敢えて何も言わず、それどころかさせるがままにして俺の痴態を楽しんでいるのだから始末に負えない。
妖精たち……ドゥーンとバァーンとはそれ以外では概ねうまく付き合えて行けているはずだし、文句のつけようもない仕事ぶりを見せてくれているから、痛く無い限りあまり抵抗はしないようにした。姿を見せてくれないながらも確かにいると言う他の妖精たちの不興を買いたくないと言うのも大きかったが、まあ、早い話が諦めたわけだ。
人と妖精では、物事の捉え方や感覚といったものが違いすぎた。羞恥心など持ち合わせていない彼らに、分かってくれと言うのも酷な話だろう。
そんな恥ずかしい部分を除けば、森の中での生活は全くの一人ではないからか、それとも一通りの憂い事がないせいか、気分が鬱いでいくこともなく楽しいものだった。
冒険者組合からの指名依頼ではあるものの、ずっと張り付いていろ、と言うわけでもない。シズの調合した薬の質は高く、生産組合にも登録させて、そこにシズの名義で卸した分はそのままシズの財産にするように言っておいた。シズはすごく喜んでくれて、その収入でお菓子を買っていた。焼き菓子であれば俺も作れるのだが、売られているものはやはり見た目も綺麗だし、デコレーションに技を感じるものが多く、それもシズを楽しませているのだろうと思う。
俺も妖精たちへの報酬のために美味しいデザート類やお茶を作れるようになりたくて研究している途中だ。彼らはこてこてに甘いものの方が好きらしく、甘い匂いが家の中に漂うと、ギルはそれとなく家から逃げてしまう。匂いが散るまではアドルフと森の中を歩き回り、共にモンスターを狩っているらしく、今ではギルの方が余程アドルフを構っている。……ヒエラルキーを保つため、引いてはアドルフに逃げられないためにも俺も森を散策して回る際にはアドルフを呼んでいるしブラッシングも怠っていないが、そろそろアドルフの中でギルが頂点になりそうで怖い。
お株を奪われないためにももうちょっとアドルフと過ごす時間を増やそうかと思ったとある日の早朝、畑で雑草を取り、薬草と野菜の様子を観察していた俺のところにアドルフがやってきた。
身体が大きくなっているため畑の中までは入ってこなかったが、俺から姿を確認できる位置までやって来て、わふ、と小さく鳴いたのだ。
珍しいな、と思いつつ腰を上げてお座りをするアドルフの元まで行ってみると、アドルフも俺とかち合うように歩いて来ているところで、頭を下げ、咥えていたものを地面に置いた。そして俺に差し出すようにして鼻先で地面に転がったものを突いてくる。
「……? 猫?」
大きなたわしのような酷い毛並みをしているが、それは確かに猫だった。大きさからして成猫だろう。
意識がないのか、あっても目を開けるほどの力もないのか、鳴くこともなくぐったりと横たわったままだ。
目で確認しただけでも怪我が分かる。至る所が汚れきっていて、血も肉も見えて痛々しい。箇所は多いが傷口の大半は小さく、アドルフが負わせたものでは無いようだ。食べもせずに持って来たということは助けたいのかもしれない。
幸い息はまだあるから、回復魔法を掛ければいいだろう。ぼろぼろだからまず清めてやらないといけないし、体力を回復するのは兎も角、痩せているようだし食事も必要だ。
「この子は預かるよ」
そっと猫を抱き上げてアドルフを撫でる。アドルフはわずかに尻尾を振ったが、猫が心配なのか俺の後をついて来た。ついでだし、処置が終わったらアドルフと水遊びでもするかと考えつつもキッチンへつながる勝手口の扉を開ける。
「シズ!」
アドルフとともに家の中に入り声を上げると、直ぐにシズが顔を出した。俺の腕の中の猫を見て数度目を瞬かせる。
「工房で手当てをする。清潔な布……シーツでもいいから持って来てくれ。あとお湯も。熱すぎないほうがいい」
「かしこまりました!」
足を止めずにリビングを抜け、そこだけ後から増築したように北側に設えられた工房へ向かう。
アドルフは工房まで入りたそうにしていたが、大人しく扉の前で足を止めた。その頭を撫でて、俺だけ中に入り扉を閉める。入って直ぐに作業台を清めた上で着ていた上着に包んでそっと寝かせた。
状態を確認して、毒を受けていないか、痺れや呪いを受けていないかを調べていく。幸い、外傷と衰弱が見られただけで、他には特に何も見つからなかった。
指を振り、汚れを払い、清める。それでも傷が癒えるわけではない。
「ヒューイさま! 布とお湯をお持ちしました」
「ありがとう。布はこっちへ。お湯は空いてる水筒に……できれば金属製のに入れてくれ。三つくらい欲しい」
「はい」
布を受け取り、上着の代わりに下へ敷く。縫合が必要なほど深そうな傷が見え、一度魔法をかけることにした。
回復魔法のスキルは初級しか持ってないから、俺が使えるのは最も基本的なヒールだけだ。それは今の所シズも同じ。僅かに体力を回復させ、傷を癒すものだが、全快させるには連発する必要がある。
そっと掌を傷口にかざし、小さく円を描くように動かす。淡い光が零れ、収まると、かざした部分の傷口がかろうじて塞がっていた。
他にも深い傷がないかを確認し、癒して行く。いきなり元気になって暴れられるのも困るから、深い傷の処置を済ませた後は軟膏を塗って治すことにした。
それが済んだ後は、布を一度清めてそっと猫を包む。
「ヒューイさま、これを」
シズが金属製の水筒を持って来た。火にかけることも出来るから、水筒としてだけでなく調理器具として旅には欠かせないものだ。それを、今回は湯たんぽ代わりに使う。触った感じ熱いということはないから大丈夫なはずだ。
「ありがとう」
火傷をするほど熱くはないが、念のため布の下に置き、布越しに猫を寄り添わせる。もう一枚、バスタオルを上にかぶせた。
一応、これで応急処置は済んだが、まだ衰弱したままだ。
『Arkadia』でも衰弱というステータス異常はあった。極度の空腹が続くと起こるもので、緩やかに体力が減っていく。移動速度も落ちるし、視界はぶれるしまっすぐ歩けなくなるしでなかなか侮れない。行くところまで行くと死ぬし、徐々に筋力まで落ちて行く。回復方法は食事をすることだが、手遅れになると食事をする力さえなくなり自分ではどうにもならなくなる。
まさか『Arkadia』と同じような衰弱の仕方ではないだろうし、そうだったとしてもいきなり肉の塊を食わせるわけにもいかず、苦肉の策としてポーションを与えることにした。水分補給としても優秀だし大丈夫だろう。
猫の口元を少し引き上げ、スポイトで少しずつポーションを落として行く。
反応は殆どなかったが、根気よく続けると口元が動き始め、舌がスポイトの先を舐めるようになると、俺とシズ、どちらともなくほっとため息が零れた。
「ヒューイさま、なにか食べやすそうなもの、作っておいた方がいいですか?」
「頼む。必要ならドゥーンとバァーンにも助っ人で入ってもらって」
「むう。あの二人には負けませんよ」
軽く唇を尖らせるシズに頬が緩む。
「確か干し肉があっただろ。アレをふやかして食べさせてみよう。ふやかしついでにスープにしてもいいかな。猫には毒になるものもあるらしいからハーブ類は避けて野菜と一緒に少し煮込んでくれ。味付けはしなくていいから。食べやすいようにできるだけ小さく切って」
「はい」
シズを見送り、もう少し猫にポーションを与えて行く。あまり身体に触れるのはストレスかと思ったが、そっと小さな頭を撫でていると、微かにその口からにぃ、と声が漏れた。
「大丈夫だよ。ここは安全だから」
優しく、優しくと心がけながら声をかけ、頭を撫でて行く。猫の目がうっすらと開かれ、綺麗な薄黄緑の瞳が俺を捉えた。
「大丈夫だよ」
声を掛けると、またそっと瞼が落ちた。けれど口元ははっきりと動き始め、スポイトから出すポーションを飲もうと前足が俺の手にかけられた。
何度もスポイトにポーションを取り、猫に与えるのを繰り返す。自分で頭を持ち上げ、俺の膝の上で起き上がるまで、そう時間はかからなかった。
「大丈夫かな? いい子だ。もう直ぐ食事が出来るから、待ってようか。ね」
言えば、にゃぁん、と返事がくる。跳ね散らかった毛並みを整えるため、進化させる前に使っていたアドルフ用のブラシを出し、傷の無いところを少しずつ梳くことにした。
嫌がって逃げることもなく、猫は終始大人しくしていた。そこまでの元気がないからかもしれないが、時折俺を見上げてくる瞳と顔立ちはなんだか凛々しくて、性格のような気もした。
「ヒューイ」
シズが戻ってきたらその手にこの子を預けようと思いつつもいつになくゆったりとした時間を楽しんでいると、工房の扉が開かれた。ギルが顔を出し、アドルフが入りたそうに頭を上下に動かしてこちらを窺っている。
俺はギルが入ってくるのを待とうと思ったのだが、猫は静かに俺の膝から床へと降りると、ゆっくりながらもしなやかな動きでアドルフと鼻先を合わせ、アドルフの太い前足に身体を擦り付けた。
「だいぶ回復したな」
「ギルも一緒にいたの?」
「ああ。こいつを見つけた辺りを探したんだが、親や仲間の姿はなかった。あったのは……こいつだな」
ギルが俺の目の前になにやらごちゃごちゃとしたものをぶら下げる。一つ一つをよく見ると、ギルのように太いものでこそないが、細いベルトにポーチやナイフを収めた鞘が取り付けられていた。
「……装備品?」
「ナイフは幾つか抜け落ちてたが、全部回収できた。刃こぼれはしているが、まだ新しい。出来る限り広い範囲を見て回ったが、人の気配はなかった」
どう見る? とギルの瞳が語りかけてくる。
「荒らされていたような跡は?」
「なかった。木には目印にしていたらしい真新しい刃物による傷があったから追ってみたが、森から出ただけだった」
「うーん……荒らされたり、犯罪者の潜伏先になったりしない限りは一応、問題はないけどねえ……ギルが見つけられなかったんなら、もう近くにはいないだろうし。念のため、後でこの子を拾った場所まで連れて行ってくれる?」
「分かった」
学院へ報告を飛ばすのはそれからでもいい。今は一先ず、歩けるまで回復した猫の食事だ。
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
Alliance Possibility On-line~ロマンプレイのプレーヤーが多すぎる中で、普通にプレイしてたら最強になっていた~
百々 五十六
ファンタジー
極振りしてみたり、弱いとされている職やスキルを使ったり、あえてわき道にそれるプレイをするなど、一見、非効率的なプレイをして、ゲーム内で最強になるような作品が流行りすぎてしまったため、ゲームでみんな変なプレイ、ロマンプレイをするようになってしまった。
この世界初のフルダイブVRMMORPGである『Alliance Possibility On-line』でも皆ロマンを追いたがる。
憧れの、個性あふれるプレイ、一見非効率なプレイ、変なプレイを皆がしだした。
そんな中、実直に地道に普通なプレイをする少年のプレイヤーがいた。
名前は、早乙女 久。
プレイヤー名は オクツ。
運営が想定しているような、正しい順路で少しずつ強くなる彼は、非効率的なプレイをしていくプレイヤーたちを置き去っていく。
何か特別な力も、特別な出会いもないまま進む彼は、回り道なんかよりもよっぽど効率良く先頭をひた走る。
初討伐特典や、先行特典という、優位性を崩さず実直にプレイする彼は、ちゃんと強くなるし、ちゃんと話題になっていく。
ロマンばかり追い求めたプレイヤーの中で”普通”な彼が、目立っていく、新感覚VRMMO物語。
神父の背後にショタストーカー(魔王)がいつもいる
ミクリ21
BL
ライジャは神父として、日々を過ごしていた。
ある日森に用事で行くと、可愛いショタが獣用の罠に足をやられて泣いていたのを、ライジャは助けた。
そして………いきなり魔王だと名乗るショタに求婚された。
※男しかいない世界設定です。
【完結】Atlantis World Online-定年から始めるVRMMO-
双葉 鳴|◉〻◉)
SF
Atlantis World Online。
そこは古代文明の後にできたファンタジー世界。
プレイヤーは古代文明の末裔を名乗るNPCと交友を測り、歴史に隠された謎を解き明かす使命を持っていた。
しかし多くのプレイヤーは目先のモンスター討伐に明け暮れ、謎は置き去りにされていた。
主人公、笹井裕次郎は定年を迎えたばかりのお爺ちゃん。
孫に誘われて参加したそのゲームで幼少時に嗜んだコミックの主人公を投影し、アキカゼ・ハヤテとして活動する。
その常識にとらわれない発想力、謎の行動力を遺憾なく発揮し、多くの先行プレイヤーが見落とした謎をバンバンと発掘していった。
多くのプレイヤー達に賞賛され、やがて有名プレイヤーとしてその知名度を上げていくことになる。
「|◉〻◉)有名は有名でも地雷という意味では?」
「君にだけは言われたくなかった」
ヘンテコで奇抜なプレイヤー、NPC多数!
圧倒的〝ほのぼの〟で送るMMO活劇、ここに開幕。
===========目録======================
1章:お爺ちゃんとVR 【1〜57話】
2章:お爺ちゃんとクラン 【58〜108話】
3章:お爺ちゃんと古代の導き【109〜238話】
4章:お爺ちゃんと生配信 【239話〜355話】
5章:お爺ちゃんと聖魔大戦 【356話〜497話】
====================================
2020.03.21_掲載
2020.05.24_100話達成
2020.09.29_200話達成
2021.02.19_300話達成
2021.11.05_400話達成
2022.06.25_完結!
童貞が建設会社に就職したらメスにされちゃった
なる
BL
主人公の高梨優(男)は18歳で高校卒業後、小さな建設会社に就職した。しかし、そこはおじさんばかりの職場だった。
ストレスや性欲が溜まったおじさん達は、優にエッチな視線を浴びせ…
勇者の股間触ったらエライことになった
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
勇者さんが町にやってきた。
町の人は道の両脇で壁を作って、通り過ぎる勇者さんに手を振っていた。
オレは何となく勇者さんの股間を触ってみたんだけど、なんかヤバイことになっちゃったみたい。
どうせならおっさんよりイケメンがよかった
このはなさくや
恋愛
のんびりした田舎町モルデンに住む冒険者のセリは、ちょっと訳ありの男の子。
ある日魔物に襲われ毒に犯されたセリを助けたのは、ギルドで出会った怪しい風体のおっさんで────!?
突然異世界にトリップしてしまった女子大生と、外見は怪しいけど実は高スペックのおっさん(!?)の織りなす恋愛ファンタジーです。
ソング・バッファー・オンライン〜新人アイドルの日常〜
古森きり
BL
東雲学院芸能科に入学したミュージカル俳優志望の音無淳は、憧れの人がいた。
かつて東雲学院芸能科、星光騎士団第一騎士団というアイドルグループにいた神野栄治。
その人のようになりたいと高校も同じ場所を選び、今度歌の練習のために『ソング・バッファー・オンライン』を始めることにした。
ただし、どうせなら可愛い女の子のアバターがいいよね! と――。
BLoveさんに先行書き溜め。
なろう、アルファポリス、カクヨムにも掲載。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる