異世界スロースターター

宇野 肇

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二章 Walk, and Reach.

懐かしき我が家(1)

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 うわああああああああああああ!!!

 寝て起きたら朝食受付時間を回っていて、食いっぱぐれたからいいだろと更にギルに喘がされ、汗だのなんだのを洗い流すために風呂に入り、ようやく気持ちを切り替えたところで俺は盛大に悶えた。

 だってあり得ない。あんな周囲に聞こえる場所で、下手したら見られるかもしれないようなところで、未だ嘗てないほど素直に乱れていたす・・・なんて。

「……ギルのばか。ばかばか」
 綺麗にした布団に包まりながら寝込みを襲われたことに対する恨みのまま気持ちを吐露すると、ギルは呆れ返って肩を竦めた。
「お前全く嫌がってなかったぞ」
 そりゃそうだ。だって凄く気持ちよかった。半ば寝ぼけていたというのもあって、その気持ち良さを味わい尽くした。

 ソファに仰向けに寝かされて、片足は担がれ、片足はソファの外へ開かされた状態で、喘ぎ声を塞ぐように甘く優しく唇に吸い付かれて、小刻みの優しい律動と一緒に前を扱かれたのだ。
 今思い返せばジェル塗れだったりテーブルに見慣れぬ品物が置いてあったが、いわゆるアダルトグッズだったんだろう。料金はギルが払ったようだが、それはいい。
 寝ぼけていたのは薄布の個室の中でお香が焚き染められていて、不思議な靄に包まれていたからだ。何とも言えないお香の匂いにふわふわとした心地になり、それで夢なのかと思った。
 恥じらいもなくただただ快感のまま気持ちいいと甘い声で鳴き、柔らかな唇がたまらなく気持ち良くて何度もギルを呼んでキスをねだった記憶が思い起こされ、それもまた俺を悶絶させる。
 だって、だって――

「ぁ、あっ……あっあっ、だめえ……あふ、っ、あふれ、ちゃ……こぼれ、ちゃう……っ、あああっ……」
「何がこぼれるんだ?」
「わ、わか、な……きもち、いの、が……っ、あ、くる、でちゃ、あふれ、あ、あ……!」

 ……擦られる場所から静かに注がれるような快感に泣きながら、仔猫みたいな声で鳴き震えてイったなんて、そんな。
「店の時の方が気持ち良さそうだったが、ああいうのがいいのかと思ったくらいだ」
「ないから! 良いわけない! 絶対!!」
 と言うか蒸し返すのをやめてくれ!
 布団を跳ね除けベッドの上に膝立ちになると、ギルはくつりと喉仏を震わせて笑った。
「なら、激しい方が?」
「え? ……、っ! そっちでもなくて!! おっ、おおお俺はそんな、っあれは! 寝ぼけてたっていうか!」
「知ってる」
 ギルなら俺の言わんとするところくらい分かってるだろうに、あえて外したところへ繋いでくるから反応が遅れてしまった。それを慌てて修正すれば、今度こそ正しく俺の意を汲んでくれたギルは短い言葉で俺の言葉の先を優しく塞いだ。
 思い立ったように人をからかうのは止めて欲しい。嫌じゃないんだけど。むしろ軽いやり取りは結構好きだけど。話題が話題すぎる。

「それより、出なくて良いのか。時間押してるんだろ」
「ギルがそうさせたんだよ……」

 そう。本当なら昨日、明るいうちにホームの方をはっきりさせておいて、シズを迎える準備をしておくはずだった。そして丁度今くらいの時間……午前11時頃に迎えに行こうと思っていたのだ。それなのにまだ何も手付かずで、朝食さえも食いはぐれる始末。
 何度も小さくギルに文句を言って、その度に気持ちよかったくせにとつつかれつつ身支度を整え、宿の受付嬢に人数が一人増える旨と追加料金の話をしてから宿を出た。



 ゼクスシュタインからマギへときた場合、方向を間違えてなければマギの北側の門から入ることになる。
 俺たちはその北側から、組合に連なるように立ち並ぶ商店街をユンフェミオさんの商店へと南下し、ほぼ中央に位置する時計塔の広場の宿を取った。時計塔近くには学院や図書館など、学術都市に恥じない大規模な施設があるが、俺のホームはそういった賑やかな場所からは離れている。
 途中で露店でケバブを買って腹ごしらえを済ませると、俺は直ぐにホームを目指すことにした。
 細い路地を抜け、徐々に人通りの少なくなってく道を迷わず進む。スラム街ってほど荒れてはいないけど、静かだし、家が混み合うように建っているから入り組んでいる。そのせいで何処か薄暗く、喧騒が遠いこともあって妙な緊張感に似た、意図的とも思える静寂が場を支配していた。
 が、気にしない。
 一応気配には注意しているが、危なそうなものは感じないし、気配自体も少ない。
 黙ってついて来てくれるギルとアドルフを頼もしく感じながらも、俺は難なく目的地へとたどり着いた。
 石造りの建物の中に紛れる、見た目は普通の一般住居。……その中身はこの世界で言うところの規格外の性能を持つ家具や道具、金銀財宝で溢れている。そこそこに課金もしていたから、有る意味どんな立派な城よりも豪華で、堅牢で、運営の手で潰されない限りはそこに建ち続けるだろうトンデモ物件。
「……ここなのか?」
「うん……一応」
 見た目は、変わってない。馴染みのある姿だ。ここだけぽっかりと空き家だったら、という杞憂は消えた。
 次は、中に誰が住んでいるか、だ。
 ホームの中に誰がいるかまでは、スキルでさえ分からない。ただ、逆に言えば『居るか居ないか』が分からないということは、そこがホームである可能性が極めて高いということでもある。
 一つ深呼吸をして、ドアをノックした。

 こんな風に緊張するのはいつ以来だろう。
 森の中に初期装備で立っていた時に感じた気持ちと似ているが、でも、あの時と違って今はどうにかこの世界で生活できているという小さな自信があるからか、どちらかと言うと不安よりは期待の方が大きいのが分かる。
 ドアノブが回される音がして、一歩下がる。気配はないが、確かにドア一枚隔てた内側に誰かがいる。
 波打つようなデザインのノブが下り、微かな音を立ててドアが開いた。
「誰だ?」
 内側から出て来たのは、男だった。
 身長はギルほどもあるだろうか。しかしゆったりとした黒のようにも見える濃紺色のローブから覗く手先は比べるべくもなく細い。そのローブはそれだけで男の姿を魔法使いや魔術師然とさせていて、煌びやかではないが美しい光沢を持っていた。中に来ている衣服は淡い色だが、やはり汚れなどない。
 ローブよりは僅かに明るい藍色の頭。癖のない髪の毛は素直に腰もとまで伸びていた。
 目元は切れ長で、オレンジとピンクを混ぜた桃のような色合いの瞳がじっと俺を見つめ、そして驚きに見開かれた。
「あ、あの、俺」
「お前がそうか!」
「え?」
 がっし、と二の腕を掴まれ、何やら熱心に見つめられる。頬はどこか高揚したように赤みがさしていて、でも、ギルに感じる熱とは全く違うものが、その双眸には宿っているように見えた。
 でも、この姿を、知っている。知っていると言うにはあまりにも馴染みがある。
 俺は二年間、この姿で『Arkadia』に居たのだ。ずっと。この人だったと言っても過言ではないほどに親しみを感じる。
「……えっと、『ウィズワルド』……さん、ですよね?」
 呟くと、なんと言えば良いのだろう、生き別れた家族にあったような切なげな顔をされた。そっと両頬を包まれる。
「ああそうだ。さんは要らん。……お前の名前は?」
「ヒューイです」
「ヒューイ、か。……そうか……会いたかった」
「え?」
「死んでしまったのではないかと心配していたのだ。待っていろと言われたから待つしかなかったがな。……だが、……懐かしい気配だ。間違えるはずもあるまい。ああ、一年ぶりか。もうそんなに経ったのか」
 よく知る姿には、ここに存在している以上当然と言うべきだろうか、俺ではない人格があった。あったが、よくわからない。
 今にも唇が触れそうなほど近い顔の距離もあって、俺の頬を包む手の甲を叩き、なにやら独自の世界にトリップしているらしい男――俺のかつてのメインキャラそのものの姿をした『ウィズワルド』を呼び戻す。
「あの! よく分からないので説明してください!」
「ああそうだな。もちろんだ。話は積もり積もって山のようにある。さあ中へ。なにがあったか話してくれ」
「ちょ……待ってください。連れがいるんです。大丈夫ですか?」
 手はすぐに離してくれたものの、どうも俺しか見えていないらしい彼にギルとアドルフを紹介する。と、ウィズワルドはアドルフはスルーしてギルを検分するようにじろじろと見て、それから「ふむ? もう一人引っ掛けたのか。随分手が早いのだな」と言い放ち俺を叫ばせた。



 予想外ではあったが、俺の……いや、ウィズワルドのホームへ入った俺は、見慣れたリビングに肩の力を抜いた。
 床は綺麗に磨かれたクリーム色の石のタイル。ドアの手前やソファの下などの要所要所にはフカフカの赤に金糸の刺繍が施された絨毯が敷いてある。
 壁も同色だが、魔道書だの魔道具だのなんだのと収集したものを収めるための棚がびっちりと置かれているため、書斎のようにも思える。窓の前にはなにもないが、カーテンが降ろされていて外は見えない。
 部屋の中央にはテーブルとソファ、年代物のスタンドライトが置いてあり、羊皮紙や地図、本や、魔法使い向けのアクセサリが無造作に置かれていた。
 ウィズワルドは指を一振りしてそれを恐らく元々あった位置に直してしまうと、そのまま指揮者のように腕を振って、俺たちにお茶とお菓子を振舞ってくれた。アドルフにはモンスター用の餌という徹底した歓迎ぶりに、ソファ座りながらもほっとした。
「で、なにがどうして今になったのだ?」
「あ、その前に……どうして俺のことを?」
 最初に浮かんだ疑問は、俺はともかく、ウィズワルドがなぜ俺のことを知った様子だったのかということだった。プレイヤーキャラクターの関係をホームや財産を共有できるのだから、なんらかの形で仲が取り持たれるのだとは推察できるが、それだけだし。
「なに、簡単なことだ。世の中の神職には『オラクル』持ちが少なくない。神託の中にそういう話があったという、それだけのことだ」
 『オラクル』はスキルとして取得できる能力で、ユーディス……『Arkadia』のチュートリアルの際の指南役と会話ができるようになる。彼をヘルプとしても使えるし、彼からは世界情勢についても少しだけ教えてもらえたりする。戦闘に参加してもらったりアイテムがもらえるというわけではないが、情報面で少し手助けをしてくれるのだ。
 だが、ユーディスは一応神ではあるが神格としては低い下っ端だ。スキルの熟練度が上がれば別の神々の話も聞けるらしいが、ぶっちゃけていうとあまり興味がない分野すぎてよく知らない。回復魔法系のスキルを上げて行けば恩恵が受けられるらしい話も聞いたが、メインキャラ操作時代の俺の専門は攻撃魔法であり、そこそこダンジョン探索に役立ちそうなスキルも拾ってはいたものの『オラクル』まで手を伸ばそうとは思わなかった。今思えば、『オラクル』があれば神殿や特定の……古い神殿のような遺跡ダンジョンで、なにかイベントが起こせたかもしれないけど。
「ゲイルのところは早くに『二人目』が来たんだが、ヒューイ、お前とははぐれたと聞いてな。まあすぐに来るだろうと宥められていたのだが一向に誰も来んから我慢も限界だった」
「……ゲイル、って……」
「世界中の武具を操ることばかり考えている直情バカだ。残念なことに俺の相棒でもある」
「!」
 ウィズワルドの言葉に思わず立ち上がりそうになる。
 ゲイル。――樹生たつきのメインキャラの名前だ。『二人目』って、セカンドキャラのことだろうか。
「……俺もゲイルも、二年間にわたり何かの存在を感じていた。言葉にするとしたら……そうだな、聖霊に近いか。暖かく見守られているようだった……。
 その二年間で俺もゲイルも瞬く間に力を伸ばした。その他にも数多くのことができるようになった。まあ、一年ほど前神託と前後するように感じられなくなってしまったがな」
 ウィズワルドはそこで言葉を切ると、ふと微笑んだ。
「ヒューイ。お前からは二年の間感じていた気配と同じものを感じるのだ。……お前なんだろう? 俺の側にいてくれたのは」
 ウィズワルドがそう言った瞬間、ギルの気配がなにやら不穏なものになり、さてどう言ったものかと曖昧に頷く。
「この二年で得たものは数多いが、俺の力で得たとは思っていない。全ては俺の側に寄り添うようにあった『何か』がもたらしたものだ。今それをお前に感じる以上、この家もこの家のものも、お前が使ってはいけない道理などない。そのように聞いているしな」
「あ、ほ、本当ですか?」
「勿論だ。増改築も含め、俺にできることがあれば力になろう。空いている部屋ならあるから、物が用意出来れば、すぐにでもここを拠点とするといい」
 ありがたくもそれを狙って来た身としてはガッツポーズをするしかない。勿論、心の中で。
 俺は礼を述べつつ、奴隷のシズを迎えるつもりであることと、ギルとは……一応、名目上、というか、兎に角離れ難い関係であることを伝えておいた。それと、ゆくゆくは自分で工房付きのホームを用意するつもりでいることも。
 まあ、なんだか物凄く惜しまれてしまったので、いい物件が見つかるまではウィズワルドのホームを間借りさせてもらうことになったけど。というか「借りろ」という勢いで凄まれたんだけど。
「三人分……とアドルフの分も用意してもらうことになりますけど……いいんですか?」
「全く問題ない。出来るだけ早く調うよう手配しておく。なんならその黒狼を進化させてしまっても構わんぞ。流石に一気に巨大化する例は聞いたことがないし大丈夫だろう。ただ、しばらくは宿暮らしをさせてしまうが……すまんな」
「とんでもない! すごく助かりますよ!」
 礼を言うと、ウィズワルドは好ましそうに目を細めた。イケメンは中身がどうであれ大体絵になるからいいよな。
 しかしウィズワルドの清々しいまでのギルに対するスルーっぷりに内心戦々恐々としているんだが。ギルはいつも通り穏やかな表情でお茶を飲んでいて、口を挟んで話を止めることがないように黙っていてくれているけど、ウィズワルドはギルに目を向けることがほぼない。ギルが温厚なタイプじゃなければ今頃どうなっていたことか……。

「あ、あの、ところで……ゲイルさんとその『二人目』って、今、どこに……?」
 ウィズワルドは俺のメインキャラ。二人目が指しているのは俺。
 ゲイルは樹生のメインキャラ。だったらその二人目とは……樹生で間違いないはずだ。
 隠せない期待を感じながら訊ねると、どうしてだかウィズワルドは一気に不機嫌そうな顔になった。
「あいつは……あいつらはな……先に合流できたことを一頻り自慢した後、つい先日、嬉しそうに≪マルスィリア≫の闘技場へ出かけて行きおったのだ……!!!」
 ぷるぷるとウィズワルドを震わせているのは、間違いなく怒りの感情だった。
「あんまりだろう! あいつは早々に『二人目』と出会えて幸せかもしれんが! 俺は! 俺はぁ……この一年! どんな思いで待っていたか!!」
 テーブルを叩いて同意を求めてくるその勢いに若干引きつつ、遅れに遅れたことを詫びる。そんな事情など知らなかったのだから謝るのもおかしいが、とりあえず謝っとけという感覚がある。この世界においては悪癖だから直さないと、と思いつつ、どうしても身内感覚の相手だと難しい。
「いや、お前はなにも悪くないぞ。あいつらが薄情なだけだ」
「ちなみに、マルスィリアの闘技場へは……」
「無論力試しだ。勝ち進めばファイトマネーも出るしな」
「……どのくらいで帰ってくるか分かります?」
「さあな。一ヶ月は篭るんじゃないか? ……なんだ、お前は俺よりもゲイルが良いのか」
「まさか! ただ、その……『二人目』に会いたくて。今まで探していたので」
 恨めしそうな目付きがいっそ不憫に思えて慌てて話の向きを修正すると、ウィズワルドはふむ、と表情を切り替えた。……顔は俺が作ったから美形だけど、中身は妙にコミカルというか、面白い人だ。
「アレもまあ見所はあるようだから死ぬことはあるまい。……いや、お前も含め、死なないのだったか」
「げぼ」
 安心してお茶に口をつけたところで、ウィズワルドの爆弾発言に俺は死ぬかと思った。物理的というかなんというか、リアルに。
 変なところに入り込んだお茶のせいでむせ返って、ギルに背を撫でてもらいつつ息を整える。
「……死なない?」
 言葉を発せない俺の代わりに、ギルが呟く。ウィズワルドにどういう意味なのかを尋ねるその声は、聞き逃しようもないほどはっきりと紡がれた。
 まだ胸元が苦しいが、どうにか顔を上げる。ウィズワルドがようやくギルを見て、片眉を吊り上げるのが見えた。
「マレビトを知らんのか。異なる世界から神々が呼んだ客人――ヒューイはマレビトだ」
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