異世界スロースターター

宇野 肇

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二章 Walk, and Reach.

魔女の晩餐

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 お前がそそるからつい、などというギルの供述に頭を抱えつつ、食いっぱぐれた昼と夜の食事をするべく宿を出たのは夜の帳が下りる頃だった。

 後ろから下から突き上げられて、あるいは片足を持ち上げられながらの側位で。俺の体力と共にへろへろになりつつあった半分柔らかなものがぶらぶらと揺れながら、時折ギルにせっつかれて思い出したように白濁色のものを勢い良く撒き散らす光景はその時の快感も相俟っていやらしさ全開で、暫く忘れられそうにない。
 それでも嬉しい誤算と言えば、どうやらこの肉体は痛みには鈍いらしく、あんなに酷使された割には、門の方は大丈夫そうだった。回復魔法の方も熟練度が上がったからなのか、だるさが少しマシになってから自分を対象にかけたところ、腰のだるさもある程度取ることができたし。
 念には念をと今までメニューは開かないようにしていたが、そろそろ一人になった時にでもステータスやスキル画面で自分の状態を確認した方が良いかもしれない。
 しかし、『Arkadia』の時と違って体力的に疲労が溜まって身体が動かない時に魔法を使うのが難しいというのは盲点だった。"現実"的に考えて当たり前と言えば当たり前に過ぎる話ではあるが、ゲームはそのあたりについては死ぬ直前まで戦えるようになっているものなのだ。……防御力(VIT)を上げれば変わってくるのかもしれないけど。
 戦闘中に動けなくなることがないように注意を払う必要があることをこんなことで学べたのは、まあ、収穫だったと、そういうことにしておこう。

 マギの夜はそこかしこに柔らかな魔法の光が灯されていて、比較的明るい。幻想的にライトアップされる建物はもちろん、昼はただの石畳だった場所が、夜になると所々宝石のように色づき光る光景はマギならではだ。ゲームだと疑問に思わなかったけど、実際のところ、これってどんな素材なんだろう。マギには研究目的で様々な人や物が集まるからこれもその一つなのかもしれない。
 そんなマギの中でも比較的人通りの多い通りを選びつつ食事処を探していると、一風変わった看板を見つけた。
「へえ、『疲労回復なら当店へ!』、ね」
 身体は随分癒えたが、明日からはホームの確認だの依頼のチェックだのとそこそこ街中を歩くことになるだろうから、丁度良いかもしれない。
 そっとギルを窺うと問題はなさそうだったので、看板が示す先、地下へと続く階段を降りることにした。
 ぽっかりと通りに顔を出していた地下への口の中へ潜り込むと、より一層魔法の灯りが優しく辺りを照らしていた。ロマンチックですらある。
 危なげなく降り、石造りの通路を抜ける。と、直ぐに少し小さな扉が見えた。
 隠し扉のようで少しワクワクしつつ、戸を開ける。
「うわ……」
 中は広々としていた。地下とは思えない明るい内装で、漆喰らしき壁や、部屋を支えているらしい木の柱は黒く塗られていて、丸くくりぬかれた壁にはめられているのは障子だったりと和風ながらモダンな感じになっていた。カーテンはなく、ところどころに垂らされた焦げ茶色の木製の珠のれんが部屋を広く見せている。
 戸をくぐった瞬間、別の場所へ来たような錯覚を抱いてしまった。
「あら、いらっしゃい」
 入り口で立ち尽くしていた俺とそれに合わせて止まっていたギルを迎えてくれたのは、正しく美少女と言うに相応しい女の子だった。
 豊かな銀の髪は首元で切りそろえられ、大きな目は綺麗な紫色で有ることがはっきり分かる。頬はまろく、肌も綺麗。鼻もこぢんまりとして、唇はふっくら、淡いピンク色。
 着ている服は、ヨーロッパの貴族が着ていたような足まで隠すドレスだ。でも重苦しい感じはしないし、そうひらひらしているわけでもなかった。ノースリーブだからそう思うんだろうか。下半身のスカートのボリュームのせいで、上半身はより一層小さく見える。

 ……いかにも良いところのお嬢さんと言う風情だけど、ギルは大丈夫だろうか。

 はらはらしつつギルを見やると、ギルは勢い良く振り返った俺にきょとんとした目を向けた。……あれ? 大丈夫っぽい。
「運が良いわね。ここ、滅多に開けないし、気づく人もすごく少ないのよ」
 俺とギルが見つめあって少々間抜けな――飽くまで! 俺の主観だが――空気を流していると、店側の人間らしい彼女が声をかけてきた。
 思ったより口調はお嬢様っぽくない。
「あれ? でも看板が出てましたけど」
「気配を殺す魔法……って言えば良いかしら。限りなく人の目に留まりにくい魔法をかけてるのよ。気配を読むことに長けていなければ見つけられないわ」
「……どうしてそんなことを?」
 一風変わったというより、客を試す仕組みがあるなんて、捻くれているか、事情があるのだろう。
 そう思って尋ねると、女の子はふふ、と笑った。
「面倒な客はお断りしているの。あしらえないこともないけれど、なんせ面倒だから。表の看板が見えたということはそれなりに力があるってこと。だったら、ここまで来れたのならどんな人であれ軽くは扱えないでしょう。ふるいにかけるには丁度良いのよ」
「……君が一人でこのお店を?」
「そうね。でも、これでも魔法には覚えが有るのよ」
 ウインクした彼女は可愛くて、促されるまま席に着いた。テーブルは丸く、白のテーブルクロスが敷かれていた。
 テーブルに用意された椅子は三つ。どうぞ、と勧められた席にギルと二人並んで座ると、その前に女の子も座った。
「え?」
「ここ、基本的に隠れている場所だから。お客さんは一晩に一組までって決めてるの」
 そのくらいなら誰であってもある程度立ち回れるから、などと物騒な発言を流しつつ、そういうものなのかとギルを見る。が、魔法の才能が天性のレベルで皆無らしいギルは肩を竦めただけだった。
「で、何を食わせてくれるんだ?」
「なんでも。例えば何がいいかしら? 先ずはスープで小手調べと言ったところ?」
 彼女は楽しそうだ。
「ヒューイ、お前、何が良い」
「え? ……ん、そうだな……じゃあ、野菜サラダとオニオンスープ、あとおいしい水」
 呟くと、ギルがそれに続く。同じものを頼んだ俺たちを前に、女の子は席を立ちもしないで一つ、指を鳴らした。
 気持ちがいい位澄んだ音の後、テーブルには注文した品が現れた。
「はい、どうぞ」
 瞬き程の間だ。
「……っ、?」
 驚きのあまり直ぐに反応できなかったが、実際に皿や、スープから上がる湯気の温度まで感じられる。
「幻術でも瞬間移動でもないわよ? ……改めまして、ようこそ、私の研究室へ。私の名前はミュリエル。マギの国立学院で魔法の可能性について研究している研究生なの。これはその研究の一部。安全性や効果については学院長のお墨付きだから安心して頂戴」
 ミュリエルと名乗った彼女は、そう言って自分の分まで出した同じメニューに口をつけた。上品そうな見かけに対して、その所作は洗練されているわけでもなく、普通。オニオンスープは軽くスプーンでかき混ぜると、カップの持ち手に指をかけて、直接そのまま飲んでしまった。
 言われたことの内容や目の前の魔法のカラクリはともかく、念の為に『鑑定』を行って問題がないことを確認し――それだけに実際に実体化したものであることも分かった――俺たちもそれに倣った。正直、ちゃんとしたテーブルマナーには自信がないし、丁度良かったと思う。
 オニオンスープは熱く、甘くて濃かった。この味を出すのにどんな手間を掛けたのかと思うが、しかし実際は指を一つならしただけで出てきてしまったわけで。
 仕込みにしても、この店は不定期営業だというし、それに本業は学生というのだからずっとここにかかり切りではないだろう。むしろ……ここは、趣味でやっているような、そういう場所なのではないだろうか。
「食事中くらい難しい顔をするのはやめたらどう? それとも美味しくなかった?」
 サラダにも手をつけつつ、既にかけてあったドレッシングの味を探って思考に没頭していた俺は、かけられた言葉に焦って、慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「いえ、そういうわけじゃないです。美味しいです」
「ふふ、ありがとう」
「……あの、この料理は……どうやってここに出てくるんですか?」
 もし言えないのならそれはそれで構わないと付け加えて、もう一口食べる。ミュリエルは俺たちの皿が空になるのを見てから、再び指を鳴らした。
 現れたのは分厚いステーキだった。既に賽の目切りにされているそれはミディアムに焼かれていて、良い匂いがした。
「熱いから気をつけてね」
 肉をフォークで捉えて口に運ぶと、肉汁が溢れて、でもしつこく持たれるような感じはしない。味も豚に近く、柔らかくて美味しい。味付けもしっかりしていて、生姜とニンニクがよく効いていた。
 もくもくとほうばる俺たちの前で、ミュリエルは綺麗にナイフとフォークを使って自分の食べやすいように小さめに肉を切りながら口を開いた。
「……で、この魔法なんだけど、私が作って・・・いるの」
 彼女の言葉に首を傾げる。ギルは話には耳を傾けているようだが、中に加わる気は無いらしい。黙ってもりもりと口と手を動かしていた。良い食べっぷりだ。
「……作っている、というのは」
「そのままよ。私の魔力を使って、私の知識と経験を元に作り出しているのよ」
 ゲームで例えるなら、そのキャラ固有の能力や魔法……ユニークスキルの類だろうか。
「全く知らないものは作れないけれどね。でも、これは魔力さえ足りていれば誰にでも使えるのよ」
「えっ!」
「まあ、普段の食事を魔力でこしらえるなんて、燃費が悪すぎて誰もしないけど」
「……」
 そうなんですね。
 上手く行けば日本食やジャンクフード食べ放題だし旅の間も食料の心配をしなくても良いんじゃないか、と思った俺が浅はかだったのか。
 戦闘面では絶対に温存しておきたい魔力を使ってまで節制をするつもりは全くない。
「でも遭難した時使えたら便利でしょう? だから、全くの役立たずでもないのよ。術者の心のケアさえクリアできれば、生存率も上がるしね。学院でも、対災害魔法や対避難魔法として居場所はあるわ」
 ミュリエルはそこで肉を食べて咀嚼し、俺の視線を受けて、飲み込んでからまた口を開いた。
「興味があったら学院に入学して。先達はいないから、今は私一人で研究しているのだけど……なかなか後継も出てこなくって。何人か魔力量に期待できる奴隷を買って教えてはいるんだけど」
 成果は芳しくないのか、ミュリエルは肩を竦めた。
 でも、こんなに美味しいものを食べられるなら、いざという時使えたら、と思う。思うけど……『あったら便利』は必要ないもの、とも言うし……。
「今は他にやることがあるので考えてませんけど、いつか、機会があれば是非」
「あら、逃げられちゃったわ」
 全く残念そうには聞こえない声でミュリエルが目を見開いて見せる。それに苦笑してステーキを食べ進めた。
「上の看板には疲労回復ならって書いてありましたけど、それはこの魔法の効果ですか?」
「……そうね、結論だけ言うとそういうことになるわ。あなたたちは見たところ冒険者でしょう? なら、ポーションは知ってるわよね。それがマギ草から作られることも」
 ミュリエルの言葉に二人揃って頷く。ポーションはここぞという時に踏ん張る力が欲しい時、非常に重宝する。肉体的に傷つき疲弊した時も、精神的に意識が朦朧として泡を吹きそうな時も。
「マギ草は回復剤として一般人でも使うことのある薬草。しかも世界中いたるところに存在する。このマギ草は、『魔』を溜め込んでいるのではないかと、近年では考えられているの。
 そしてマギ草が私達の魔力や生命力を回復する性質を持っているという認識は間違いで、むしろ私達こそがマギ草の持つ魔力を使って心身を回復する力があるのではないかという説が有力となっているわ。どうしてだかそのままだったりポーションとして使うと回復効果しかなくなるけれど、マギ草を使って染色した衣類には支援魔法のかかり方がいいという結果もでているから、マギ草の本来の性質は『回復』ではなく『魔力を溜め込む』ことにあると言っていいでしょう」
 なにやら込み入った話になってきた。が、言いたいところは分かる。
「でね、じゃあ普通に魔力の受け渡しが発生した場合にも、同じことが言えるんじゃない? って仮説を立てたわけ。魔力で作った料理は、いわば魔力そのもの。それを摂取すれば、ポーションと同じことが起こるんじゃないかってね」
「はあ……」
 それを考えつくあたりが学者と言うか研究者と言うか。
 そういうものだと思っているものに対する疑問。きっと彼女のように考えた人なら過去にもいたかもしれない。でも、彼女はそれに仮説を立てて証明するだけの魔力に恵まれていた、と、そういうことなのか。
「で、まあ結果はこの通りなのだけど。ついでに言っておくと、時間経過で魔力が回復するのは、『魔』がそこかしこにあって、見えないそれを私達が吸い込むことで摂取しているんじゃないかという発想も出てきたわ」
「……あれ? でも『魔』って『世界の悪意』で、モンスターを生み出したり魔晶石を生み出したりするんじゃ……」
 俺がそう言うと、ミュリエルは困った風に眉尻を下げた。
「魔晶石は『魔』が結晶化したもので、そこに何らかの要因……『世界の悪意』なるものが入り込みモンスター化する……と言ったほうが正しいかもしれないわね。まだ一般的な説ではないけれど……モンスターとなる前に存在するっていう『世界の悪意』なるものを捉えることができてないから、なんとも言い難いわ。一部では『魔が瘴気に変質する』とも言われているけど……。
 あ、魔晶石は錬金術師でないと素材として扱えないから、間違っても魔晶石をそのまま核にして作った料理を食べてみたりなんてしないように。生きたゾンビになっても知らないわよ」
 笑えない。が、良いことを聞けた。『錬金術』のスキルを上げていけば、魔晶石を変質させ、ミュリエルの言う『魔』……魔力を取り出して自分の回復に充てることも可能だということだ。
「ちょっと話がそれたけれど……魔力を練って作り出したものは魔力の純度がとても高いの。魔力そのものと言ってもいい。だから質の高いポーションを飲むのと同じ効果が現れるということよ」
「なるほど」
 俺がしっかり頷くと、ミュリエルは教授然とした笑顔で満足そうに頷いた。

 ステーキの後に出されたのはキノコのスープだった。小さな食パンをくり抜いたようなものに入っていて、まるっと食べれるようになっていた。ついでに柔らかなパンの数々とバターまで出されて、ついたくさん食べてしまった。くるみパンやブリオッシュ、クロワッサンに、中に温かく蕩けたチーズが入ったものまで。おかげで急速にお腹いっぱいになった。
 デザートには熱々のアップルパイに、冷たいバニラアイスが添えられたものが出てきた。甘くて美味しいそれに喜色満面で舌鼓を打つ俺に対してギルは特に何も言わなかったけど、綺麗にさらえられた皿が全てを物語っていた。同時に出されたブラックのタンポポコーヒーが、あっさりしていてすごく濃い麦茶のような味だったのも幸いしていたのかもしれない。俺は砂糖とミルクを足したけど、そうすると本当にまろやかで酸味や苦味のないコーヒーになっていて、それはそれで美味しかった。

 大満足だったミュリエルの魔法による創作・・料理は、術者の熟練度に依存するとはいえ、
出来たてで既に完成された味が出てくるのが何よりの強みだろう。未熟な術者だと味の詰めが甘かったりするようだが、経験と知識、それに慣れることによって成功率もぐっと上がって行くようだ。熟練する、ということだろう。
「私の研究は、基本的に魔力で何ができるか、というところなの。魔法は画一的で形式ばったことしかできないわけじゃない。もっと柔軟性と可能性のある、融通のきく分野だと思っているわ。その果てを見つけたいの」
 えらく壮大な夢だが、彼女の魔力量が多いということが本当なら可能なのかもしれないと思わせられる。
 ミュリエルの言うことを信じるなら、俺も、もっと魔法の使い方……そしてスキルについて省みる必要がある。
「有意義な時間でした。ありがとうございます」
 腹も膨れ、気分もほぐれ、興味深い話まで聞けてしまった。そう言うと、ミュリエルは嬉しそうにはにかんだ。

 席を立つ前に提示された金額は6ドラクマと味の割りには格安で、本当に良いのかと尋ね返してしまった。
「いいのよ。趣味でやってるだけだし、今日は楽しかったから」
 そう言ってころころと笑うミュリエルに、もう一度お礼を述べてお金を渡した。楽しかったのは俺も同じだ。
 帰り際、席を立った時の身体の軽さには驚いたが、戸を開ける前にギルがミュリエルを振り返って「美味かった」と会釈をしたのにはさらに驚かされた。ミュリエルも予想外だったようで、少し目を見開いていたし。
 しかしその直後、鈴が鳴るような可愛らしい声で弾けるような笑い声を響かせてから、彼女はドレスを軽く摘まんで膝を軽く曲げる、いわゆる淑女の礼をとった。
「お気に召したのなら嬉しいわ! あなたたち二人とも大歓迎よ。またご縁があったらよろしくね」
「ありがとうございました」
 そう言って、戸をくぐり、閉める。出た先は入った時と同じく石造りの寒々しくも厳めしい通路で、そこを通り抜けて階段を上がった。
 地上に出ると、通路で感じた僅かな閉塞感も吹き飛んで行く。
「美味しかったね。正解だった」
「ああ」
 満たされた俺の声に優しく目を細めてギルが頷く。さて、じゃあどうするかと問おうとすると、ギルは急に俺の肩に腕を回し、にんまりと笑った。
「気分も悪くねえし、酒が欲しいな。ヒューイ、今度は俺に付き合えよ」
「え」
 ……もしかして食事中大人しかったのってこのため?
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