異世界スロースターター

宇野 肇

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一章 ギルと名乗る男

閑話: カウンターの内側から

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一人称第三者視点



 一ヶ月ほど前に面白い奴が一人冒険者登録をしてから、楽しみにしていることがある。

 くすんだ金に似た淡い色の茶髪を肩につきそうなほど伸ばし、青みの強い緑の瞳を持った、20というには年若く見える顔。身長もさほど高くはなく、体躯も恵まれているとは言い難い。肌は白く、指先も滑らかで触り心地はよさそうだ。 髭の見える気配のない顎のせいだろうか、まだ少年時代を引きずっているように感じてしまう。そんな、複数の意味で『甘い』雰囲気を持った男。
 しかし言葉遣いは酷く丁寧で、そこに無理をしている気配はない。どこかしらで教育を受けて育ったらしいがそれだけには留まらず、こなす依頼もモンスターの討伐や特定部位の採集がメインだ。
 冒険者組合へ来る依頼は討伐そのものを目的としたものでない限り素材の入手経路は問われない。だから最初は自力でモンスターを倒したわけではないだろうと思っていた。実際は、綺麗な手なのは魔法の心得があるからだと知った。しかも必要最低限の傷で獲物を仕留め、血抜きや解体作業まで出来るという優秀な男だ。
 街の中を歩くのは専ら必要なものを買い足したり、観光のようにしてあちこち見て回るためのようで、街中で出来る依頼をこなす気配はない。討伐が出来る手練れであれば、そこへまだ至れない者たちのために街中での雑用依頼には手を付けない配慮はあるものだが、彼は登録をして一ヶ月目。新人としての初々しさよりも、甘い雰囲気の中にもどこか歴戦の冒険者のそれを垣間見せる不思議な存在となっていた。
 今までこんな人物が組合外にいたことが驚きだが、それもエルフの大集落≪フォーレ≫に在中する元冒険者に師事していたというから、恐らくはそいつからあれこれと教わったものだと思われる。彼に紹介状を持たせたフィズィというエルフの冒険者もまた、かつては非常に評判の高い冒険者であったらしい。エルフというのは長寿だから、俺のようなまだ若い者は勿論、彼の現役時代を知る世代は既に頭が禿げきったか真っ白になっており、どうしても伝聞としての範囲のことしかわからない。だが、ヒューイ越しにそれを見ることが少なくなかった。きっと登録以前から既に、一端の冒険者と変わらないことをしていたのだろう。

 ヒューイという風変わりな冒険者は、持ちかけてくる話も不思議だった。その希望を通すために吹っかけた金額、総額ミナ金貨6枚は早々に稼がれ、彼の記した謎の文章はギルドの中でも一番目につきやすいカウンターの前に張り出されている。恐らくどこの支部でもそうなっていることだろう。
 ヒューイはその後も足繁く組合に顔を出し、依頼をこなし、着々と金銭を稼いで装備を整えているようだ。既に手持ちの金は結構な額になり、銀行としての側面も持つ組合で貯蓄し始めたほどだ。組合に預けてくれれば支部のある全ての場所で預金や引き出しが可能で、特に冒険者組合は職員に至るまで腕の立つ者ばかりだから襲撃されることはまずない。仮にそんな馬鹿な輩が馬鹿をやらかしたとしても地の果てまでも追いかけるし、組合内においての喧嘩や抜剣はご法度であり、その場で首を刎ねられても仕方がない所業であるから、金を預ける場としてはかなりおいしいことは間違いない。組合としても金を回せるから喜ばしいことだ。
 しかし、ヒューイはこの街に長い間居ることは無いらしい。ヒューイのような前途ある冒険者にはかなり居心地は良いはずだが、行かねばならぬというなら引き止めることもできやしない。
 この辺は一年中過ごしやすい。冬の厳しい場所だったら今頃冬ごもりで長期滞在も望めたのに。まあ、言っても詮無いことか。

 さて、楽しみというのは他でもないそのヒューイに纏わることだ。
 彼と行動を共にしている一人の男。ヒューイは男をギルと呼んでいるが、肌も髪も黒く、目つきの鋭い奴で、襟足を一房分伸ばしていて、それを三つ編みにしてまとめている。太いベルトに何本もダガーを収め、それとは別に、太ももにはジャマダハルを収めた鞘を固定している。武器のチョイスが手練れの暗殺者を思わせるが、その印象通り、ヒューイとは異なり隙の無い立ち振る舞いが男の実力を如実に示していた。ヒューイが自分でモンスターを狩ったわけではないだろう、と思った要因はこの男にある。
 そんなギルはどうやらヒューイにご執心のようで、時折俺がヒューイに対してどうにかベッドで可愛がれないかと下心を宿らせると即座に睨みつけてくるのだ。

 これを面白いと言わずしてなんと言おうか。組合職員は荒事など日常茶飯事すぎて、暇を持て余しているのだ。変わったことに飢えていると言ってもいい。

 ヒューイ自身は敵意でない視線には頗る鈍く、今まで下心を抱いた俺や他の奴らを察した様子はない。その分ギルはまるで番犬のように、彼の代わりに周囲を警戒している。

 ヒューイとギルの関係は浅いわけではないようだが深くもなさそうだ。一見して貴族の三男坊あたりかその護衛位に思えるほどちぐはぐな二人はしかし、身体の距離がやけに近いから身体の関係くらいはあるのかもしれない。ギルの様子から主にギル側の気持ちで成り立ってるようだが、ヒューイもギルを信頼しているのは明白で、好意的には思っているのだろう。その温度差はギルの牽制の目が全てを物語っている。
 表面上は気の置けない相棒にも思えるが、それはヒューイの態度がどう見ても軽いためだ。少なくともギルを熱っぽく見つめたりだとか、そういうことは一切ない。まあ彼の場合は誰に対してもそうだが、一番近い場所にいるはずのギルにさえそうなのだから、俺みたいなのが付け入る隙があると判断するのは当然だ。
 恋だの愛だのでなくとも、ヒューイのような男は『試してみたい』と思わせるには十分だ。それは単純に外見や性格が好みという以上に、彼のような、恐らくはこの先成功していくだろう将来有望な者に対して、他の人間よりも一歩近い位置に立ち、コネクションを得たいと思う人間は少なくないからだ。
 ギルも当初はそれが目的だったのかもしれないが、はっきり言ってヒューイを見る目はそれだけに収まっていない。周囲への威嚇の視線だけであればともかく、ヒューイに対して物足りなさそうな、物欲しそうな眼を隠しきれていないのがその証拠だ。力で押し切れるはずのギルが大人しく、むしろヒューイには優しく対応していることもそう。
 それがヒューイに全く伝わってないのが同情と笑いを誘っている。女性職員などは同情型。男は微笑ましそうに見守る組と、にやにやしながら賭けをしたり、ちょっかいを掛けたそうにしている組とでメンツが固定され始めている。職業柄、他人の機微には聡い者が多いのが原因だ。ちなみに俺は半々。

 そんな職員のことは脇に置いとくとしても、ギル。ありゃあ性質たちが悪い。野郎同士のセックスは別に恥ずかしいことでも隠すことでもないが、惚れた腫れたになってくると一般的には醜聞だし、当人がそういう嗜好を持っていても表向きは女ともきちんと関係を持つ場合が殆どの世の中だ。男一人に決めるヤツなんてまあいない。
 こうやって周囲が暇潰しの種にしているだけで済んでいるのは、あの二人が冒険者で、そもそも社会的信用度の低い立場だからだ。
 同性愛者は蔑視の対象ではあるものの、蛇蝎のごとく嫌悪されているわけではない。しがない冒険者のままであれば、誰も結婚したがらない。近寄ってこない。ギルにとってはその方がいいだろう。

 しかし、だ。

 ヒューイはこの先のし上がっていくだけのものを持った人間だ。
 人柄に問題はなく、当たりも優しい。男としては頼りなく見えるかもしれないが、そんなものはこの調子で依頼をこなしていけばむしろプラスに働く。厳つく粗暴な男が大半を占める冒険者にあって、少年染みた容姿と隙だらけの甘さ、しかし教育を受けた立ち振る舞いというのは多くの女を引き付ける。男に逞しさや荒々しさを求める層はともかく、街のお嬢さん方にはそれを怖いと思う者の方が圧倒的に多いのだから。

 ドアベルが重苦しく鳴り目を向けると、まさに今大注目の新人が顔を覗かせるところだった。
「や」
「あ、こんにちは」
 声をかけると、ぱっと顔を明るくして寄ってくる。その足元にはヒューイの速度にきっちりと合わせてついてくる狼型モンスター、フォーレ周辺の森で見かける一般的な黒狼ブラックウルフのアドルフがいる。遭遇するとなかなか迫力のあるそいつは、ヒューイが心を通わせた結果、犬のような親しみやすさを持っていた。こいつらをそれとなく気にする者の中にはアドルフ目当てのもいる。
 その後をついて来る、ヒューイより頭半分ほど大きい男こそ、ギルだ。相変わらず周囲にそれとなく視線を巡らせている。あからさまな敵意こそないものの、喧嘩を吹っかける寸前のような顔つきと空気には苦笑を禁じ得ない。ヒューイのためを思うのなら、もうちょっと摩擦の起こらない方法で警戒すればいいものを。
「今日はどうした?」
「はい、今日も討伐採集依頼を確認しに。急ぐものがあればそれから取らせてもらおうかと」
「了解。待ってるよ」
 笑顔を向けてそういうと、ヒューイはお返しとばかりに笑顔を見せてくれる。その瞬間ギルの目つきだけが鋭くなった。気配に揺らぎはなく、顔を見ていなければ変化はないと思っただろう。器用な男だ。
 ヒューイを見送り、その場に留まり俺を見てくる静かな瞳を見返す。
「何か?」
 荒くれ者と断じるには静かな男だ。かと言って小物というわけではない。場数を踏んだ空気を感じる。だがヒューイに関して分かり易いのは……年若いから、だろう。

 なんだろう、何か今、もしかすると初恋なのかもしれない、などと痒い発想になったが……この男のこの顔で経験がないわけはないだろう。心を奪われたのが初めてだというのも随分と口の中に唾液が溜まる話だ。

「……いや」
 俺の考えていたことを当てたわけでもあるまい。ギルはふと視線をそらし、不思議そうにこちらを振り返るヒューイの元へ歩いて行った。

 ……彼らがここを発つ準備を整えるためだけに滞在しているのが非常に残念だ。こんな見世物のような二人を見られる期間が限定されているだなんて。また是が非でもこっちに戻ってきてほしいものだ。今はまだ駆け出しだが、実力を周囲に認められたヒューイがこの先ギルと別れることもあるかもしれないし。いや、まあヒューイもギルに心を向けている未来がないわけではないが、外野としてはそっちの方が面白いじゃないか。是が非でも、まだまだ俺たち・・・を楽しませてほしいもんだ。

 俺の視線の先で、悪寒を感じたように振り返ったのは当然、ギルだけだった。
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