異世界スロースターター

宇野 肇

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一章 ギルと名乗る男

そこに至るまでの事情と釈明(2)

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 森は俺のよく知る森だった。エルフという長い耳と美しい容姿に、気高い心を持つ森の民。彼らは森であればそこを住まいとして少数で暮らしているが、俺が居た場所はその中でもっとも代表的かつ、最果てとも呼ばれる辺境にある大きな集落≪フォーレ≫の近くだったのだ。
 半ば迷い込むようにして辿り着いたそこでエルフからの説明を受けながら、俺はここが確かにアルカディアであることを認めざるを得なかったのである。

 フォーレでの生活は穏やかだった。最初こそこんな場所で人間が迷子になるなんてと不審がられたものの、俺の装備品が初期も初期、お粗末極まりないものであることや、身寄りもなく行く当てもないことを知った彼らからは同情を得ることが出来た。それで、口減らしで売られた挙句に捨てられるか逃げるかしてきたのだろうと言われ、俺個人への憐れみと人間に対する侮蔑の混じったものを向けられ、保護という形で一時的に村に身を寄せること自体は許してくれた。
 出て行くことが前提とはいえ、結果オーライだ。名前は念のためセカンドキャラにつけた『ヒューイ』を名乗っておいた。
 口減らし云々も十割誤解だったが都合がいいので否定をせずにいると、若い男のエルフが、俺の後見人になろうと申し出てくれた。
 かつては冒険者として様々なところへ行ったことがあるというそのエルフはフィズィと名乗った。そして、俺にアルカディアのことを教えてくれた。
 俺はゲームとしての『Arkadia』についてはそこそこ知っている方だと思っていたが、アルカディアという"現実"については全く知らなかった。
 例えばプレイヤーにとってのインベントリというのはアルカディアでは四次元収納という魔法に相当する、あるいはある種のスキルなんだそうだ。重量制限はあるものの拡張もできるし、ここへアイテムを収納しておけば盗まれることも置き忘れてしまうこともない。時間経過でアイテムの質が落ちたりもしない貴重な能力らしい。だから、森の中で拾った木の実や薬草なんかを見せた時は無闇に使わないように、とまず釘を刺された。
 そんな能力の価値なんてプレイヤーであれば知る必要もなかったし、ゲームとしてそこは語る必要のない部分だ。生死観とか、恋愛観とか、結婚制度とか。そういうプレイヤーよりもNPCたちに添った部分なんて大して興味もなかったし、クエストやイベントでもそれほど深く突っ込んだものはなかった。
 流石に善悪の概念が正反対、なんてことはなかったものの、俺はフィズィに手取り足取りいろんなことを教えてもらった。
 その中で、新しいスキルを覚えた。水や火、光なんかをそこに発生させるだけの『生活魔法』と呼ばれるものだ。『Arkadia』では聞いたこともないスキルだが、これが使えるだけで生活水準が高くなるのは言うまでもなく、重宝した。あまりに使い勝手が良い為、熟練度は直ぐに上がって打ち止めになった。
 攻撃や自衛手段としては今一歩届かない生活魔法だが、俺は身体の汚れを取る程度の浄化効果なんか便利で気に入っている。
 風呂は好きだが、一日にそう何度も入るわけでもない。アルカディアでは一つのコミュニティに一つ程度は公衆浴場があるものらしく、生活魔法を応用してお湯を出したり、そこに薬草を漬けたりするらしい。フォーレにも小規模ながら作られていて助かった。暖かい湯に浸かった時のほっとする感じは生活魔法で汚れを払うだけでは得られない。……つるつるの股間を見られるのは恥ずかしかったので可能な限り隠していたが、やたら隠したがる俺の挙動は多分、観察されていたことだろう。なんとも言えない目で見られたような気がするのは気にしないでおこうと思う。何を想像されたのかすごく気になるけど、藪蛇は御免だ。

 他にもスキルのおかげで薬草を育てたり、薬を作ったりするのは直ぐに上達した。これは村の備蓄品として納入して対価として金銭を得ることができたからフィズィに還元しようと思ったのだが、物凄く暖かな表情で止められてしまった。
 エルフは長寿で、フィズィも若くみえて100歳を越えているらしい。その上冒険者経験もあるフィズィからすると俺なんかまだまだ未熟な子どもに等しいらしく、頭を撫でられたのだ。
 それに俺はフォーレで暮らすことを許可されたわけではないので、大体のことができるようになれば出ていかなければならない。そのときの資金にするといい、と言われ、俺は厚意に甘えることにした。自分が今置かれている状況を把握し、徐々に適応できそうな自信を持ち始めていた俺は、樹生のことが気になっていたこともあって、村を出ること自体に異議はなかったからだ。
 フォーレの暮らしの中で生産系の作業に関しては順調だったが、やっぱり俺自身の性格が邪魔をして、武器で狩りをするのは苦手だった。
 アルカディアにはモンスターも普通の動物もいるが、モンスターはこの世界の悪意が具現化したもの、と言われている。殺し尽くしたと思ってもどこからともなく生まれ続ける存在で、発生を塞ぐことのできない害獣、敵である。
 モンスターを倒すと死骸の他に、『世界の悪意』が結晶化した魔晶石と呼ばれるものが残る。魔晶石や死骸はそのままだとまたモンスターを引き寄せたり、モンスターの核となってしまう。これを浄化することでそれを防ぎ、俺達はモンスターの牙や爪、目玉、羽、毛皮や臓物と言ったものを得ることが出来るのだ。
 浄化した魔晶石は各ギルドで換金してもらえる。モンスターの強さによって魔晶石の大きさや質は異なり、強いモンスター程いい魔晶石を持っている。冒険者の多くはこのモンスターを討伐することによって賃金を得ているわけだ。
 魔晶石は磨き、加工することで様々なものへ転用できる。魔除けのアミュレット、各属性の耐性を得ることのできるタリズマン、魔晶石で作られた武具には魔法の威力を上げたり、属性付与が出来たりする。炎なら、『炎の魔剣』とか。
 フィズィの話をすり合わせると、この魔晶石の浄化というのはプレイヤーは自動で行えるようになっているようだ。『Arkadia』の設定における神々の加護の一つなのだろう。このアルカディアでも特別な力の一つとして認められた特殊なもののようだった。ちなみに、フィズィもこの浄化の力を持っているらしい。普通は清めた水で洗うとか、浄化魔法ピュリファイを使わなければならないようだ。
 標的を殺すこと自体はさくさくと出来た。モンスターに限らず動物たちは確かに怖いが、俺には『Arkadia』で二年遊んだ分の慣れや、ステータスから直接影響を受けない、間合いの取り方と言った純粋なプレイヤースキルがある。感覚的には普段のVR体感型MMOと何ら変わりはなく、痛みこそあるものの抵抗はなかった。
 問題はその後の方だった。
 ゲームと違って、ここは倒して終わりじゃない。皮を剥いだり、肉を食うために解体する作業は避けられないのだ。血抜きからなにから、ここが"現実"である以上血の匂いを嗅がないでいることはできなかったし、かといって放っておけば腐るし他のモンスターや肉食動物を呼んでしまうし。泣きそうになりながら処理をした。気分が悪くなったのも一度や二度どころではなかった。
 まあ、かといって肉が食えなくなるということはなく、やっぱり調理した肉は美味く、一ヶ月もすればかなり慣れたが。
 フィズィに言われたのもあるが、俺は武器の類は剥ぎ取り用のナイフだとか短刀程度に留めて、メインは魔法でいくことにした。遠距離からの攻撃はできた方がいいが、かといって弓は矢の持ち運びが面倒だ。なら、実質手ぶらで発動できる魔法を主としたほうがいい。そういう結論だった。
 魔法は任意の動作を行うことで発動できる。予め設定した言葉でも、指の動きでも、ダンスでもいい。メインキャラで親しんだ行為だから戸惑いはなく、魔法はしっくりと俺に馴染んだ。
 ゲームでは自動でモンスターに照準が合わせられたが、"現実"ではそれが出来ないからかコントロールするのに器用さ(DEX)が響いてくるのは嬉しい誤算だった。
 メインキャラと重なる部分はあるものの上手い具合に俺が考えていた育て方から極端に逸れることはなく、俺はレベルが上がるごとにちまちまとステータスを調整し、取得するスキルの吟味を行った。

 生を狩り、食らって生きる。原始的とも言うべき生活。案外人間というのは適応能力があるんだな、と思えたのは、フォーレの住人たちがよくしてくれたからだろう。フォーレの近くでなかったなら、そしてフィズィなしであったなら、俺は早々にこの厳しい"現実"に挫けていたに違いない。

 ゲームと違っていわば一日中、途切れることなくログインをしている状態だった俺のスキル上げは早かった。
 レベルも順調に上げ、当初考えていたように生産を行うキャラとは随分ずれたが、モンスターを手懐ける『テイミング』や『マッピング』も覚えて、『鑑定』の精度も上がり、フォーレの森の中のものなら殆ど網羅したし、『調合』の熟練度も回復薬全般や、状態異常を引き起こすものなら一通り、なかなかの品質のものを安定して作れるほどになった。
 フィズィに見守られながら森の中での生活に余裕ができ始めた頃、フィズィは難しい顔を良くするようになった。

「……そろそろ君を、村から出すべきだという声があってね……」

 ある晩、夕飯を食べながら話を聞くと、渋い表情を崩さないまま、フィズィはため息と共にしかめっ面の原因を教えてくれた。
「まあ、もう二ヶ月は経ちますもんね」
「しかしな……フォーレは辺境だ。一応開かれた集落ではあるが、冒険者や商人たちがよく立ち寄るような場所じゃあない。道も整備してあるわけではないから、自然とここへ来る者というのは絞られてしまう」
「うん」
 俺が怪しまれたのもそこだった。
 フォーレ近辺の適性レベルはソロでは40前後だ。なのに、そんな場所でお粗末な格好でレベル1の状態で一人、森の中を彷徨うなんて普通ではあり得ない。そこは俺としても、モンスターに遭遇しなかったのは運がいいとしか言えないから黙って口をつぐんだのだが。
「そしてエルフは森の民であり、交易ということもあまりしない。他の種族からすると、とても原始的な生活を営んでいる」
 森の調和を保ちながら、しかしそれ以上を望まない。エルフはそういう種族だ。人間たちが資源だと見なすものを、そう呼ばない。それゆえに、安易な開墾を嫌悪している。それを行う人間とも衝突しやすい。
 全部、フィズィが教えてくれたことだ。俺が知っていたのは、人間は手先が器用で、エルフは弓と短剣、そして魔法が得意だということくらい。
「入って来る者がなく、元々居を構えている者も出て行く必要がないし、各々日々の勤めを果たさねばならない。つまりね、君を他の街まで送る者が居ないんだ」
 そこでフィズィの眉がきゅっとひそめられた。
 元冒険者たるフィズィはその腕を買われている。稀とはいえ来訪者は皆無ではない。俺のような事例こそないものの、腕の立つ冒険者が訪れることがある。フィズィはそんな時のために、外部からの訪問者とのパイプ役としてフォーレに常駐しているようなもので、俺を見送るにしてもフォーレからそう離れてはいけないのだ。ここで暮らしている以上、フィズィもフォーレの決まりは守らなければならない。
 一番近くの街まではおよそ一ヶ月かかる。どう考えても同行は無理だ。
「それは仕方ないことでしょう。俺としては拾ってもらって、服も武器も生活も面倒見てもらって、今の時点でさえ返せるものがないのが心苦しいくらいですよ」
「君が来てから薬の調合に狩りにと生活に余裕ができてしまったくらいだよ。服もナイフも新しく仕立てたものではないしね。村の皆も、君のことは受け入れている。嫌っているわけではない」
「分かってます」
 エルフの寿命は長い。それに比べれば人の寿命は短い。これは他の種族でも同じことで、寿命から逆算するように営まれる生活……人生リズムの違い、種の保存という点から異なる種族が異なる種族のコミュニティに混じることは禁じられている。特に長寿であればあるほどその傾向が強く、エルフはその最たるものと言える。
 人間はその辺りは気にしないらしく、街には割と異種族もたくさんいるらしい。エルフたちからすると、混じって生活したいならそちらへゆけばいいだろう、ということで、身分の証明にと冒険者になる流れがあるそうだ。
「でも、アドルフも居ますし、俺一人ってわけでもないですから」
 アドルフは艶やかな黒い毛皮を持つ狼のモンスターだ。群れることもなくこのフォーレ周辺の森で幅を利かせていたのをスキル『飼い慣らしテイミング』を使って口説き落とした。まあ口説くと言っても話がわかるようになるわけではなくて、スキル発動中の俺の右手はゴッドハンドと呼んでも差し支えないほどのテクニックを有し、それで対象をめろめろにできるから、それで。まあ、逃げないように捕縛魔法バインドをかけたが……問題ないだろう。モンスターだし。今はよく懐いてくれているし。
「しかし……」
 渋るフィズィに、苦笑が漏れた。俺はそんなに頼りなく見えるのだろうか。それはそれで課題だ。
「それに、俺としても……気になっていることを、確かめたいので」
 他でもない。樹生たつきのことだ。
 俺がここにこうしているのなら、待ち合わせてのログインを予定していたあいつはどうなっているんだろう、と、思ったのだ。
 もし、俺と同じようにアルカディアに来ていたら? 俺のことを探してくれていたら? そう思うと、居てもたっても居られなくなる。焦燥感に駆られるままここを飛び出していきそうになる。
 それをしなかったのは、薄情ながら樹生のことに気を回す余裕が無くて、最近になってようやくしっかりと考えられるようになったからだ。それにその可能性にきちんと向き合った頃にはフィズィには随分と世話になった後だったし、それを途中で放り投げて行くことはおかしいと踏みとどまった。武器から何から、俺が身に着けているものはフィズィのお下がりであったりフォーレの住人達がくれたものだったから、そんな恩知らずな真似は出来なかった。
 けど、そんな生活もそろそろ終わる。
 きちんとあいさつ回りをして、死なないように樹生を探して、フォーレから受けた恩を返せるように生きる。俺の目的と目標はそんなところだ。
 どうすれば帰れるのかはあまり期待しない。もしそれを考えることがあるとすればそれは樹生と合流できてからの話だ。
 樹生の存在は、俺にこのアルカディアで生きる目的をくれた。フォーレから出た後の、目指すべきもの。
 もし樹生がここに居なくても、確認する術がない以上死ぬまで探すつもりだった。その結果、樹生の死を確認することになっても、だ。
 フィズィには既に樹生のことは話してあった。本当のところを言うわけにはいかないから、「もしかしたら生きているかもしれない友達を探したい」と少しだけ言葉をぼかしたが、俺の身に悲劇的な何かが起こったものと思っているフォーレの住人にはそれでいいだろう。
 フィズィは眉を下げて、ため息をついた。まるで子どもの駄々に根負けするように。
「……いないかもしれない人を一生探すというのは、苦しくないか?」
「いえ、探さないままもしかしたら、と考える方が苦しいです」
 これは結局俺の勝手でしかない。俺が樹生のためになにかをした、ということが、俺自信を慰めてくれる。免罪符と言うには不確かで曖昧な状態ではあるが、俺は俺が後悔しないために、後ろ暗いところを抱えていたくないから、探しに行くのだ。
 そういうと、フィズィは「分かった」と答えてくれた。
 一番気持ち良く見送って欲しい人の説得は、それで終わった。


 出立を間近に控えた日。夜中、物騒な気配に目を覚ました。
「フィズィ?」
 スキル『暗視』のおかげでスッキリした視界の中、顔を強張らせたフィズィが俺にとくれた部屋の中に静かに入ってきていた。
 殺気立つほどではないが、押し殺した気配は近い距離のせいであまり意味はなく、彼の緊張が伝わってきて俺はすぐに身を起こした。
 少しばかり耳を済まそうと集中すると、『聴力強化』のスキルも相俟って複数の男の声を拾い上げた。内容まではわからないが、陽気さとはかけ離れていた。
「モンスターが暴れましたか」
 フォーレ周辺に限らず、エルフの住む森というのは総じて豊かだ。モンスターも比較的少なく、それよりも動物と遭遇する率の方が高い。ここの森は特に深いから、フォーレ近くまで他の種族に荒らされることは滅多にない。集落を囲う壁というものはないが、その代わり強いモンスター除けの魔法を魔晶石に定期的に込めることで侵入を防いでいる。
 ただ、それをものともせずに突っ込んでくる個体が全くいないというわけではない。らしい。滅多にないことだから俺は実際に見たことはなかったが、かと言ってないというわけではない。
 フィズィは強い。その彼がこんなにも緊張しているという事実ににわかに胸が早くなる。
 連携すればどうにかなるのだろうか。事態は一刻を争う?
 短い間で緊張と不安がルーレットのようにぐるぐると回って、順繰りに強くなる。
 軽くパニックになりかけた俺を制したのは、フィズィの暖かい掌だった。二つのそれが俺の二の腕を掴み、ぎゅっと挟むように力を込めて、沈みそうになっていた俺の意識を引きずりあげる。
「モンスターじゃない。大丈夫だ、ヒューイ」
 小さいながらもしっかりとした声に、ふ、と息を吐く。フィズィはさっと目を走らせて周囲を伺っているようだった。それを終えると、また俺を見て。
「だが……少々厄介な者が来たのは間違いない。……ヒューイ、今すぐここを発つんだ」
「え?」
 どういうことかを訊ねると、彼は手短に教えてくれた。
 アルカディアには体毛の薄い人間がたまに現れる。彼らは才能に溢れ、ほとんどは冒険者として成功する。神々の祝福を受けた彼らはモンスターの攻撃を負っても死ぬことはなく、また、人に害されても死なず、どこからかまた現れる。不老ではないが、不死と変わらない彼らは恐れられると同時に、モンスターの脅威に対する希望である、と。
「そしてここからが重要なんだが」
 フィズィは一旦言葉を切って、それから、さらに声を潜めた。
「……そういった人間は冒険者として成功し切ってしまうと手が出せない。強いからだ。しかし、そうでないうちに囲ってしまおうという動きがある」
 俺も息を潜め、彼の言葉を拾う。
 ここまでは俺にとってそこそこ有益な情報だったが、その先に待っている本題があまり良くないことだろうことは既に感じていた。しかしそれでも次にフィズィの口から出てきた内容は、俺の肌を警戒で粟立たせるには十分すぎた。
「死なないから、魔法だのなんだのの実験台にするんだ。罪をでっちあげて大々的に冒険者たちに追いかけさせるとか、誘拐するとか手段は多々あるが……どれも力のある貴族の行うことで手も口も出せないし、奴隷用の枷をはめられてしまえばどこへ行こうと追跡されてしまう。余程の人脈がなければまず救い出せない」
 動物だったなら、毛が逆立って尻尾は膨れ上がっていただろう。
 それほどフィズィが口にした内容は俺に迫ってくるものがあった。
 フィズィは続ける。
「更に悪いことには、特異な彼らの中にもむしろ体毛が濃かったと言われている者はいたし、薄くても死んでしまったということもあったようだ。そんな不確かなことで凄惨な目にあうなど理不尽以外のなにものでもない。……ヒューイ、分かるな。君の身が危ないということの意味が」
 言葉が出せず、俺は黙って頷いた。一度喉を鳴らして、今度こそ口を開く。
「……俺は、指名手配されるんですか?」
 出た声は掠れていた。それでも、掠れる程度の音でさえフィズィに届けるには十分だった。
「いや、賞金首にはならない。今回はどこぞの騎士が領主からの触れが出たからと言って来たようだ。『人探し』と言ってね」
 フィズィの手が腕から離される。しかし、顔は険しくなって行くばかりだった。
「名前や人相書きといったものは渡されなかったし、『探しているのは人間でエルフではない。貴殿らの手を煩わせはしない』とにべもなかった。犯罪者を追いかける体でありながら一切の情報は秘され、単独か複数かさえ分からない。体裁というものもあるのだろうが、どうも身体的特徴があるなどと言って宿で冒険者たちの衣類を脱がせているようだ。……正直、怪しいと思っている。彼らの目は冒険者ばかり向いているようだが……エルフの村で人間が混じって生活していることが知られれば間違いなく事情を聞かれるだろう。怪しいところがないか調べると言われることも考えられる。そうなっては遅い」

 だからその前にひっそりとここを出るんだ。

 そう言われて、俺に頷く以外の何ができただろう。
 手早く準備を済ませ、フィズィからの装備を身につける。アドルフはフォーレを出てから呼んだ方がいいだろうか。いいだろうな。
「ヒューイ」
 支度はすぐに済んだが予想外の事態に寒気が止められずにいると、フィズィに再び声をかけられた。右手を取られ、何かを握らされる。
「これを」
 渡されたのは、綺麗な鍵と精巧な地図、それに書簡だった。
「ここから北西へ……そうだな、森の中だから五日ほどか。そのあたりに、冒険者時代に隠れ家としていた場所がある。もし不安でたまらないなら、しばらくそこにいるといい。畑もあるし、備蓄しているものも多かったはずだから食うには困らない」
「でも……っ」
「大丈夫。特別な魔法がかかっていてね。この鍵がなければ誰も入れないし壊せない。それにそこから更に北上し森を抜ければ、遠目にも良く見えるほど大きな城壁が見えるだろう。そこは工業都市≪ゼクスシュタイン≫といって、規模の大きな街だ。職業組合もかなり充実している。この書簡を見せれば街の中に入れるし、冒険者ギルドへの口聞きもしてもらえるだろう」
 なにからなにまで、最後まで世話になりっぱなし。でも、最初から最後まで恩着せがましいことなんでちっとも言われなかった。
 だから余計に、なにか報いなくてはと思ってしまう。
「フィズィ、このことで責められたりは……」
「しない。エルフは誇り高き森の民。異なる種族であろうと、裏切りは最も穢らわしい行いだ。……それに、私が前に出れば仲間も庇ってくれるだろう。そもそも、騎士たちは君を知らない。彼らにとって君はここには存在しなかった人間だ」
 柔らかい笑みに震えが止まる。代わりに涙が出そうになったが、流石にそれは堪えた。
「……この恩は忘れません。いつかきっと返します」
「生きてさえいてくれればいい。君のように途方に暮れている者がいたら、同じようにしてやれ。それで十分だ。……もちろん、ほとぼりが冷めればここへ立ち寄ってくれても構わない。今夜のことも私の杞憂かもしれないから」
「はい。……はい……」
「さあ、行け。生きろ」
 背を押され、そっと硝子のない窓から身を翻し、気配も音も消して外へ出る。一度振り返ったが、すぐに北西へ駆けた。五ヶ月前のことだった。



 フォーレを出てから程なくして指笛を吹きアドルフと合流した俺は、五日後、無事にフィズィの言っていたと思しき隠れ家に到着した。見たこともないほどの精巧な地図は鍵と連動しているのか、今自分がいる場所が淡く輝いて、迷うことはなかった。
 万が一を思いインベントリに突っ込んでいた鍵を出し、ログハウス風に建てられたその家の扉の前に立つ。アドルフは俺の足元で待機中。危険はないだろうが、ここが本当にフィズィの言っていた場所なのかを確かめるべく、鍵を鍵穴に差し込み、指に力を込めた。
 かしゃん、と軽い音がして、鍵が回る。そっとドアノブを下げて手前に引くと、抵抗もなくドアは開いた。
「……!」
 俺は、言葉を失った。発しようにもここにはアドルフしかいないのだが、ひゅ、と吸い込んだ息は、僅かの間そのまま体内に留まった。

 『Arkadia』ではホームを持つことができる。
 最大のメリットは、持ち運び出来るインベントリには30という上限があるが、家を持てばそこで200程アイテムを保管できるようになること。増築により自分だけの工房や鍛治場、農場、畑が持てることだ。
 土地は早い者順で、規模は課金をすれば大きくできる。ある程度はゲーム内通貨でも増築できるため、ホームを持っているプレイヤーは多い。かく言う俺も持っていた。
 ゲーム内通貨を含めた課金でカスタマイズ出来るのはデザインそのものや家具の設置もだ。実際に生活できるわけではないが、横着をしてログアウトせずにそのまま仮眠を取ったりする場合にはベッドが重宝する。VR内であっても感触はあるため、ベッドだけやたら質がいいなんていうのはよく聞く話だ。

 そんなある意味親しんだホームそのままの光景が、そこにあった。

 木製の家具の数々は綺麗に加工してあり、美しく光沢を放っていた。玄関から入ってすぐの場所からはリビングとダイニングキッチンが見渡せた。
 数段低い位置にあるそこまでをアドルフを伴って降りる。
 リビングには立派なL字型のソファとテーブルがあり、その上にはアルカディアの精巧な地図が広げられていた。壁にはタペストリが掛けられ、暖かな色合いで目を和ませる。リビングから続くダイニングはシンプルで、椅子は二人分あり、その向こうにキッチンがあった。
 キッチンは綺麗だった。水道やコンロがあるわけではないが、石を削って作られた流しも竈も綺麗なものだった。道具も揃っており、フライパンや金網、菜箸、フライ返し、包丁、調味料も置いてあった。
 キッチンに置かれた冷蔵庫風のインベントリには食料がしこたま保管してあり、贅沢さえしなければかなり長い間過ごせそうだった。
 リビングの奥へ向かうと部屋は二つに分かれており、一つは工房として機能しているようだった。観葉植物と称するには実用的で、少し希少な薬草が鉢植えやプランターの中で慎ましく佇んでいる。植物に囲まれたその部屋には使い込まれた作業台と椅子が置いてあり、その上には試験管やビーカー、すり鉢、遠心分離機など、調合に必要なほぼ全てのものが置かれていた。部屋には煉瓦造りの一角があり、そこは囲炉裏のようになっていた。蒸留作業や鍋で材料を煮詰めたりが出来るようだった。
 工房の棚には乾燥した植物の根や葉が綺麗に並べられており、薬になるものもあれば状態異常を引き起こす毒物の類もあったが、全て状態は良好だった。この棚もインベントリのようで、中身はかなり充実していたが今の俺が『調合』をしようにも熟練度に不安を感じる希少度レアリティの高いアイテムが多く、自信が持てるまであまり触らないでおこうと思った。失敗するとゴミ屑になってしまう。
 工房の真向かいの部屋は寝室だった。ベッドはふわふわで、フォーレと比べると遥かに寝心地はいいだろう。ゲーム内通貨で買える範囲で最高のもののはずだからそれは当然だ。
 寝室にも宝箱を模したインベントリがあった。ホームを手に入れて最初に置かれている一番見慣れた形のものだ。そこには加工前の宝石の原石だとか、後は加工するだけというところまで調えられた大小、そして種類まで様々な金属の鋳塊インゴットがごろごろしていた。
 エルフは鍛治は不得手のはず。保管のされ方も雑然としていて、これは宝物、というよりは一応保管しておこう、という扱いをされているように思えた。
 フィズィを想い、胸をかきむしりたくなる衝動を抑えて目を閉じた。ずっと俺についてきたアドルフが足にすり寄ってきてくれたおかげで、ほんの僅かにだが、気が楽になった。

 フィズィはプレイヤーだ。

 結論はそれ以外になかった。フォーレを出ることになった時に話していたのも、プレイヤーのことだったのではないだろうか。そして俺の身体を見て、俺をそうだと判断した。フィズィとは何度も一緒に公衆浴場に行ったが、彼はシモの毛はあったはずだ。いや、そもそも彼はエルフであり、むさ苦しい外見はしていないが、――そうだ、彼はエルフだった。プレイヤーが他種族になれるのは転生した場合のみ。
 なら、フィズィは転生システムを利用した? じゃあどのタイミングで? 人間、客人マレビトとしてこっちに来て、それから? 冒険者だったというのはそういうことか? どういう経緯でアルカディアに来たんだろう。
 次から次へと溢れる疑問で胸が苦しい。答えをくれる人のところへ、今は行く訳にはいかない。でも、聞きたいことがたくさんある。とにかく話したい。会いたい。エルフで命の恩人で、俺の保護者でそして……プレイヤーかもしれない、彼の名前が知りたくてたまらなくなった。
 強烈な郷愁だったのだろう。そして、圧倒的孤独から来る淋しさ。
 しかしそれは解消されることはなく、突如として降ってきたプレイヤーというものの存在の危うさに、俺は恐怖を感じてそれどころではなかった。確かに淋しさ、人恋しさはあったはずなのに、それを自覚しなかった。
 樹生の心配をしながらも、足が、心が竦んでそれ以上動けなかったのだ。
 プレイヤーに対する一部現地人の見方を知った俺は、疑心暗鬼に陥っていた。フィズィは、エルフの裏切りは罪深いと言っていたが、だって、じゃあ、なぜよりによって《フォーレ》に騎士が来たんだ? 探し者がやましいことがあって森へ逃げ込んで、それを追ってきたなら分かる。けれど、だったらエルフの集落に潜んでいると考える方が可笑しいんじゃないだろうか。普通、人目につかないように行動するだろう。そんなに肝の据わっている奴だったのか。
 浮かび上がるのは、そもそも標的が俺だったという仮定だ。
 だったら話は合う。俺は森を彷徨いフォーレにたどり着いたのだから、俺は確実に捕えられるだろう。その場合、誰がどうやって俺の存在を知ったのかが問題となる。
 俺はログインしたら既に森の中にいた。そこで人は見掛けていない。一方的に知られていたのかもしれないが、ここまでタイムラグがあるだろうか? 俺を追ってきたのであればもっと早く姿を見せればよかったはずだ。それこそフォーレにたどり着く前に。
 だから多分、もし俺が狙われているとして、その情報が漏れたのはフォーレで過ごすようになってからのはずだ。さらに言うなら、俺の毛のことを知られた後。……可能性としてはエルフなんだけど。ああ、でもフィズィは騎士たちはまだ俺を特定したわけじゃないと言っていた。だったら、俺の話を聞いた誰かが俺を探しにやってきたのかもしれない。だったら、そいつは冒険者しかあり得ない。
 フォーレにやって来る冒険者たちは結構長居をする。森に入り、集落へ来るまでに消耗したものを補わなくてはならないからだ。そしてフォーレの森で採れる薬草や固有のモンスターを狩る。大体は観光ではなく冒険者ギルドを通した依頼で、討伐が目的だという場合もあれば、アイテム採集のように持って帰らなければならないこともある。
 冒険者の顔なんていちいち覚えちゃいない。逃げるにしてもここ以外のどこが安全だというのか。
 そうして、俺が出した結論は一つだった。

 とにかくこの家に身を隠しながら、レベルを上げてスキルを鍛える。そんじょそこらの輩が安易に手を出そうなんて思わない位の実力が要る。

 人がモンスター以上の脅威になるかもしれないことを考えると、大都市だという《ゼクスシュタイン》には行けそうもなかった。それどころか、恐らくは閑散とした小さな村でさえ。
 俺は強くならねばと言い繕いながら、隠れ家の畑を耕し、アドルフとともに狩りや採集を行い、積極的にモンスターを討伐もし、身体を休める間は家に置いてあるものを鑑定して過ごした。それは間違いなく臆病風に吹かれた故の行動であり、押しつぶされそうな不安を必死で紛らわせるための虚勢でもあった。

 一人と一匹で世間から隔絶したその暮らしはそこで完結しながらも、間違いなく何かをすり減らし、細り続けていた。
 ギルを見つけたのは、そんな心細さが現れたような生活を始めて一ヶ月ほど経った頃だった。
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親も友人もいない奴隷のミオは、ラクダを連れて阿刺伯(アラビア)国の砂漠の旅をする。 白髪と青白い肌、赤い目という姿で生まれ、『白』と蔑まれ不吉な存在と周りから疎まれていた。酷使される奴隷の上に『白』はさらに短命で、毎日、いつどこで自分の命はつきるのだろうと思いながら生きていた。 新王の即位と結婚式で阿刺伯国(アラビア国)が華やいでいる中、ジョシュアという若い英国の旅人を、砂漠キツネの巣穴に案内することになった。 旅の最中、気を失ったミオはジョシュアから丁寧な介抱を受ける。 介抱は、触れ合いから戯れの抱擁や口づけに変わっていき、不吉な存在として誰にも触れられないできたミオは、ジョシュアの接近を恐れる。 しかし、旅を続けていくうちにジョシュアの優しさに何度も触れ、ミオは硬く閉じていた心と身体を、ゆっくりと開かれていく。 恐れながらも惹かれていくミオだったが、ジョシュアは、急に姿を消してしまう。 実は、ジョシュアは英国の旅人ではなく、国籍を偽って、阿刺伯国の内情を調べる密偵だという疑いが出てきて...。

姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王

ミクリ21
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姫が拐われた! ……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。 しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。 誰が拐われたのかを調べる皆。 一方魔王は? 「姫じゃなくて勇者なんだが」 「え?」 姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?

子悪党令息の息子として生まれました

菟圃(うさぎはたけ)
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悪役に好かれていますがどうやって逃げられますか!? ネヴィレントとラグザンドの間に生まれたホロとイディのお話。 「お父様とお母様本当に仲がいいね」 「良すぎて目の毒だ」 ーーーーーーーーーーー 「僕達の子ども達本当に可愛い!!」 「ゆっくりと見守って上げよう」 偶にネヴィレントとラグザンドも出てきます。

転生したら、ラスボス様が俺の婚約者だった!!

ミクリ21
BL
前世で、プレイしたことのあるRPGによく似た世界に転生したジオルド。 ゲームだったとしたら、ジオルドは所謂モブである。 ジオルドの婚約者は、このゲームのラスボスのシルビアだ。 笑顔で迫るヤンデレラスボスに、いろんな意味でドキドキしているよ。 「ジオルド、浮気したら………相手を拷問してから殺しちゃうぞ☆」

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