不足の魔女

宇野 肇

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序幕: 最初の人

では参りましょう(1)

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 やだ、この子ったら相当間抜けだわ!

 当然ながら手入れのされてない森の中を歩きながら、私はほとほと呆れ果ててしまった。ヘンゼルとグレーテルだってパンくずを落とす程度の発想があるというのに、リュディガーときたらそれすらも考えずにただ森に飛び込んできたというのだ。好意的に考えればそれだけ余裕がなかったのだろうけれど、それでも、だ。強い魔物がいると言ったのは彼だ。なのに……無謀とか無茶とか以前に、バカなのかしら……。

 転移してそうそう人に出くわすなんて運のなさに眩暈がしそうだったけれど、一見して利発そうに見えたのは間違いだったか。ああ、でも子どもだし仕方が無いか。見た感じ12、3ってところだろう。きりりとした表情はそれなりに見えたけれど、これは評価を改める必要がありそうだ。でも、悪くはない。
 世界を渡ったことで私の肉体は子どもの頃にまで戻ってしまったようだけど、リュディガーの警戒を解くには都合が良かったからこちらも前向きに考えよう。能力が制限されてなければそれでいいのだ。こっそりと展開した結界はうまく魔物の存在を感知しているし、侵入も防げている。
 とりあえず今は、森を抜けて彼の家まで行くことだけを考えればいいわ。

 帰り道がわからないと途方に暮れていたリュディガーからちょっと記憶を覗き見して彼の辿ってきた道から最短で村まで戻れるルートを叩き出すと、私は迷うことなく足を踏み出した。エスコートは男の役目だから、と騙くらかして彼と手を繋ぐことも忘れずに(覗き見の魔法って接触してないと精度がイマイチなのよね)。この間に改めてじっくりと彼の記憶から情報を洗い出し、さっき彼と会話した時の彼の見解と現状を擦り合わせようという腹だ。リュディガーが嘘をついているとは思わないけれど、やっぱり彼はまだ子どもに過ぎないし、きちんと状況を把握できているのかという意味では不安が残る。
 彼のお母さまの病というのは、話を聞く限りある種の呪いである可能性が高い。それを病気だと思っているからにはそれなりの世界レベルの共通認識バックボーンがあるのだろうし、私にとってあやふやな部分を今のうちにはっきりさせておきたい。ついでにその他の常識もチェックさせてもらおうかしらね。幸い、リュディガーからみて、この容姿は好ましいもののようだし。

 きゅ、と力の籠った手の感触が微笑ましい。記憶を覗き見なくたって、彼が私を守ろうと思っているのがわかる。そんなことしなくても結界があるから魔物には襲われないのにね。勿論それをリュディガーが知るわけがない。分かってる。分かってるのだけれど、可笑しいったら。
 でも、好ましい。こういうの、久しぶりだな。嬉しいからってうっかり笑ってしまわないようにしなくちゃ。

 駆け引きしようったって、リュディガーはまだまだ子どもであるし、天才的な頭脳を持っているわけでもない。お母さまを治してあげると言う時、ちょっと遊びすぎたきらいはある。ずいぶん長い間多くの狸と腹の探り合いをすることが多かったから、ちょっと感覚が麻痺していたかもしれない。反省しなくちゃ。
 魔女だの、化け物だのと好き勝手言われてきた。傷ついたこともあったし、だったらそういう風になってやろうかと思ったこともある。それでも、私自身は人間であることをやめなかった。今、この時もだ。

 残念ながら円満な家庭というものは私には縁遠く、けれど、いいえ、だからそれゆえに憧れてもいる。
 リュディガーという子どもに会ったのも何かの縁。勝手に記憶を覗かせてもらったし、彼の家庭崩壊の危機をそっと食い止めるくらいならしても構わないだろう。記憶の中の彼らはとてもいい家族であったし、彼の言うように彼のお父さまも大分追い詰められているようだったし。具体的には、一家心中の未来も遠くないと言っても過言ではないってくらいにね。
 正直なところ、私は別にそれでも構わない。彼らのような家庭や境遇はどの世界でも山ほどいるだろうし。でも、まあ、私はリュディガーと縁を持った。彼を、彼のお母さまを治してもいいって思った。そういうことって、すごく大事なのよ。ある種、それが全てだったりするからね。
 本当に、この子は運が良い。
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