とばりの向こう

宇野 肇

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 次の日、シリル様はアルバート様に「手を出すのが早すぎる」と小言を言われていた。無論俺も父から「両家が揃っているときくらい節度を保ちなさい」と呆れ半分でお叱りを受けることになった。ごもっともだった。
 だが、シリル様の誘いをこれ以上断ることは俺にはできなかった。それを口に出すようなことは避けたので、俺もシリル様もじっとありがたい先達の言葉を賜ったのだった。
 そこからは家族でゆっくりと過ごさせてもらった。前から予定していた詩集の話も無事まとまり、課題を少しずつ消化し、忘れることのないように先に荷造りのなかへ仕舞い込む。チェスを代わる代わるで楽しんだりもした。父とアルバート様がさしているときが一番白熱していたように思う。
 ――そうして、いつもとは全く異なる冬休みは過ぎていった。

 二ヶ月もある長い休みの時、寮は閉まっている。登校日の三日前には入れるようになるが、それまでは荷物を送っておくのも無理だ。故に、シリル様と二人、寮で過ごすことはできない。
「折角懸念も解消したというのに、蜜月もまともに過ごせないとはな」
 一難去ってまた一難だとシリル様は零したが、一難の規模がぐっと下がっていると思うのは俺だけではないだろう。ただ、実現が可能かどうかという意味では、確かにとも思ったが。
 結局俺の家族は一ヶ月ほど滞在させてもらい、自宅へと引き上げていった。アルバート様達も本格的な冬ごもりを前に本邸へ帰るのだと言われ、荷造りの最中、途中までは鉄道で、それ以降はトナカイにソリを引かせるのだと教えてもらった。
「男女関係なく、バーネット領の皆様はお強くいらっしゃる」
「この環境に適応できた者しか生きてないからな」
 夫婦睦まじい姿を見送った後、シリル様は肩をすくめてそう言われた。

 一転してあっという間に二人になると、俺達は途端に堕落した生活を――送ることはなかった。
 別荘にいる使用人達はバーネット家でも代々仕えている者達で、シリル様も強くは出られなかったからだ。正論をぶつけられても尚、癇癪を起こして我儘を貫けるほどシリル様は羽目を外したわけではなかった。
 ただ一つ、俺に関する事柄に限って酷く奔放になるシリル様に、俺も思うところがないわけではない。面映ゆい気持ちにもなるし、一方でシリル様に応えるだけの男では不十分だという気になる。
 だが、ベッドの中でまで思い悩むのは無理な話だった。
 俺の下で、あるいは上で淫らに腰を揺らすシリル様の『威力』はすさまじいものだった。特に俺の上で、俺のペニスを後腔で味わいながら、自分の勃起したペニスを俺の腹に擦りつけるという痴態を見たときは、どれほど興奮してしまったかしれない。
 浴室で身体を清めて、その間に昂ぶった熱を吐き出し合った後、就寝。起きてモーニングティーをゆっくりと嗜みながら、唇に吸い付くだけのキスを飽きることなく繰り返しもした。多少股関節と肛門が痛いというシリル様を気遣いつつ、口淫をしたり、昼間ずっとベッドの上で過ごしたこともあった。
 そのせいでシーツを替えるタイミングがないことに気づいたのは部屋で昼食に舌鼓を打っていたときで、「こんなときくらい」と渋る彼に、だからこそ衛生面では気をつけなくてはと言うと、散々嫌がられた。俺が着付けないと服は着ないと駄々をこねられた。いざ服を着せる段階になるとそれはそれで楽しげで、可憐な花が綻ぶような笑い方に、こんな風に笑える人だったのかとじわりと胸が熱くなった。
 またある日にはシリル様のために設えられたという庭を散歩していた最中、東屋で誘われてことに及んだ。頃合いを見てアフタヌーンティーで喉を潤し、部屋へ戻って、日が暮れるまでまた睦み合った。登校日も近づいていたため気をつけてはいたが……日の光に晒される彼の白い肌は眩しく、思わずむしゃぶりついてしまったのは反省しなくてはいけないだろう。

「この浮かれポンチ」
 いよいよの登校日。シリル様の狙い通り、休み前の騒ぎは落ち着いていた。教室の中も妙な視線を感じることもなく平穏無事な学生生活が再開された。そんなおり、放課後に俺をうかがってきたソラにシリル様と深く繋がったことをかいつまんで話すと、そんな第一声をぶつけられた。
「オレ、あんたのこと好きって言ったんだけど? そんな奴にのろけんなよな……振られたからって好きな気持ちが消えたわけじゃねんだからさあ」
 顔をしかめて言うソラに異論は無い。俺を諦めてもらうダメ押しになるかもしれないという身勝手な狙いのために、わざわざ言わなくてもいいようなことまで口にしているのだから。真面目に思い出したら興奮してしまうため、これでも諸々抑えている方だ。
 ソラの方も俺の思惑が分かっているのか、明らかに気分を害した様子で睨めつけてくる。何度も直接的に言うのを止めろと言っているのに、こいつは言うことを聞く気が一向にないようだった。好きだからと相手の言うことを聞くような性根ではないらしい。まあ、見返りもないから当然と言えば当然なのか。
「ひっでー野郎だ。オレの心を弄びやがって。謝罪と賠償を要求する!」
 明け透けな物言いは相変わらずだが、シリル様のお気持ちが分かってからというもの、彼に対する俺の態度は大分柔らかくなったのではないだろうか、と思う。
 誰にでも噛みつくようなこの平民が分不相応にもシリル様の寵を受けようとすり寄ってくるなどと、どうして思っていたのか。シリル様の恋人には相応しくない、精々ペットが関の山だと、それでも尚品位がないと口を出していたのを思うと、あまりの察しの悪さに自分の今後が不安になった。人の心の機微が分からないなど、貴族たるもの――今後爵位を持たなくとも、求められている役割はある程度の人の上に立つことだ――不安要素でしかない。
 だが、シリル様が他の生き物に興味を示すということ自体がまず珍しいことだったのだ。俺がそう思ってしまっても仕方がない側面はあるはず。多分、そこまで壊滅的ではないと……信じたい。惚れた欲目が悪い方に出たのだと。
「生憎、俺は家督を継ぐことを放棄した身だ。謝罪はともかく賠償は無理だな」
 何も考えずにそう返すと、ソラはぽかんと口を開けた後、肩をすくめた。
「相変わらずクソ真面目なことで……ま、いいけど。あんたはそうでなくちゃ」
 彼の目が柔らかく細められる。シリル様の近くにいる俺へすり寄るためのものでなく、俺個人へ向けられた好意の顔だと、もっと早くに気づいていたら何か変わっていただろうか。一つでも対応を違えていたら、シリル様と俺の関係が深くなることはなかったかもしれない。それどころか、こいつとどうにかなる可能性も……否、ないか。ないな。
「ソラよ。そんな風だから要らない誤解を生むのだ」
「シリル様」
「うわ来たよ」
 教室の者に片手をかざして挨拶を返しながら、シリル様が教室に入ってきていた。ソラが再び顔をしかめる。
「おい、口の利き方に気をつけろと言っているだろう」
「いいんだよ。ここ出れば会うこともねえんだから」
 そう言う問題ではない。畏れも知らなければ恐れも知らないのかこいつは。力ある貴族に目をつけられたら平民一人の人生などどうにでもできるというのに。まあ、シリル様はそのような悪辣な振る舞いはされない……はずだが。
「相変わらずだな。お前を乗りこなすのはルートヴィヒには荷が重いのではないか?」
「乗りこなすのは俺だから大丈夫だね」
「残念だがこいつに乗っていいのは私だけだ」
「……相変わらずバチバチに牽制してくるじゃん。はいはい、ソーデスネ」
 いくらこの学び舎の中とは言え、あまりにも態度が酷い様子に顔に力がこもる。それを解すようにシリル様に触れられ、俺は気を取り直した。
「シリル様。シリル様はどうしてこちらへ?」
「お前がなかなか来ないからだろう。……というのもあるが、この子リスにも用があってな」
「……オレ?」
 ソラがどこかあどけない空気を纏ったままシリル様を見遣る。シリル様は鷹揚に頷き、空いている席の椅子に手を伸ばし、俺の近くに持ってきてそこに座った。
「ブレア殿の件は進んだか?」
「ぶっ」
 随分と不躾な言葉だった。シリル様が他の者もいる場所でそう口にすると言うことは何らかの根回しが済んでいるか、あえてそうしているかだろうが。
 しかし、ソラには寝耳に水だったようだ。
「おま、それ、しって、」
「当然だ。一時はルートヴィヒも巻き込まれそうになっていた話だからな」
 思わせぶりな――といってあながち軽口だと軽視できない気迫があった――ブレア様の例の発言。
 ソラははくはくと口を動かしていたが、その唇を一旦硬く閉じた。それから深呼吸を一つ。
「……進んだもなにもねえ。クリシュナがなんて言うかなって感じだけど、ブレアのあの様子だとクリシュナに面白がられて煽られちまって、無駄に噛み付きに行きかねねえから……」
「それはあるだろうな。ブレア殿がそこまで軽率とは思えんが」
「やっぱりなあ~……」
 うんうんとソラが頭を抱えている。
「お前にも人を心配する頭があったのか……」
「おいどういう意味だよ」
「いや、理解しているつもりだったが、目の前でその様子を見るのは初めてだからな」
「クソ~~~!! でもお前ってそう言うヤツだよな! 知ってるよなんせ分からされたし! いーよいーよ、ここでむかつくだけオレが損なんだから……ったく……報われねえし今更だし……」
「くっ……ははは、だから子リスにルートヴィヒは荷が重いと言ったんだ」
 ぶつくさと忙しないソラに、シリル様がおかしそうに笑う。
 気易いシリル様の様子に、微かに周囲が動揺するのが分かった。そうだろう。俺もそうだった。
「まあ、何か必要なことがあれば言え。私で可能な範囲でならば多少は手を貸そう」
 シリル様の狙いはどうやらこのことらしい。というか、……今まで、シリル様がここまでおっしゃるなど聞いたことがない。一介の平民、それも特に資産家でもない男に対してなど。
「はいはい。いいよなシリルは。ルートヴィヒとくっついた途端に余裕ぶりやがって」
 知ってか知らずか、ソラが不平を言う。その様子も全く意に介することなくシリル様はけたけたと笑った。
「お前とて収穫がなかったわけではなかろう? 私はバーネット家の嫡男ではないが、これで大体の家の者とコネクションができたのだから」
「どこまで知ってんのマジで……」
 げんなりとしたソラに、俺は意味を図りかねて改めてシリル様を見る。シリル様は俺と目を合わせると、肩をすくめた。
「私で最後だったんだよ。クリシュナ殿と子リスの仕掛けは。だからこれでゲームセットだ」
 そう言ったシリル様の顔は晴れやかだった。
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