19 / 26
19.
しおりを挟む
非常に寝心地のいい寝具により一晩で疲れが取れたのは俺だけではなかった。結果、シリル様の予想通り女性は外出――妹だけはやはり同席したかったようで最後まで粘っていたがうまく母が丸め込んでいた――、男は『話し合い』へと挑むこととなった。
応接室に通され、両家が重厚なセンターテーブルを挟み、革張りのソファに腰をおろす。背もたれには美しい毛皮が掛けられており、冷たさを感じることはなかった。
「改めて申し上げたい。この度は我が愚弟の暴挙により、大切なご子息に怪我を負わせてしまったこと、本当に申し訳なく思っている」
話を切り出したのはアルバート様だった。立場上、子爵である父から発言することはない。
辺境伯の名代の言葉を全て聞き、父は口を開いた。
「お顔をお上げください。こちらの愚息こそ、貴殿の大切な弟殿に長年懸想した挙句分相応な野心があったというではないですか。このような愚か者に育ててしまった咎は私にこそあります。バーネット家の皆様のご慈悲には深く感謝しております」
神妙な顔をしているアルバート様と父。父に倣い謝罪の意を示す俺。そして、つまらなさそうにしているシリル様……を、アルバート様が怒らないはずもなく。
「……シリル」
威圧以外の何物でも無い表情と声でシリル様も倣うようにとアルバート様が指示する。シリル様は一度肩をすくめて「くだらない」とでも言うかのような表情で応えたが、直ぐに俺の父に対しては表情を改めた。
「コナー子爵。昨日も申し上げましたが、全ては私の不徳の致すところです。大切にお育てになったご子息の輝かしい未来を、私の私欲で汚しました」
誠実な謝罪だった。その上で、シリル様の表情は決意に満ちていた。
それでも尚、自分の欲に従うのだと。
父はそんなシリル様をじっと見た後、不意に相好を崩した。
「……シリル様のお気持ちをこの目で見ることができて、私は光栄です。当人の意志が固いことはよく分かりましたから、建前はこのあたりで止めに致しませんか」
年の功、というものだろうか。ひどく柔らかな雰囲気でそう言った父に感化されてか、アルバート様の硬い表情が少し解けた。
「コナー殿が、ご子息とご息女を慈しんでおられる方でよかった」
息をつきながらアルバート様が言葉を紡ぐ。
「良くも悪くも時勢についていけない者は多いが、コナー殿は感性が非常に優れている」
「お褒めにあずかり誠に光栄です。なにぶん、代々と立ち回りを考えねばならない家ですので」
昨日よりは余裕のある態度で父が言う。どうやら夕飯の後、アルバート様と父とで晩酌かなにかがあったようだ。思わずシリル様を見たが、シリル様は予測していたのか俺を安心させるかのように微笑んだだけだった。
「さて、この場で最も情報がないのはルートヴィヒ殿かと思うが、それはシリルに任せることとしよう」
「はい」
アルバート様はシリル様にこそ厳しい顔を向けているが、俺には全くそんなことはなかった。寧ろ――ある種の憐れみのようなものが窺えるのだが、その胸中も含めてシリル様から教えていただけるのだろうか。
それに、父はともかく、バーネット家からは厳しい言葉があるものだと思っていた。シリル様がどう言ったとしても、俺がシリル様を堕落させたように見えるはずだからだ。
様子をうかがう俺の表情に気づいたアルバート様は、俺を見ると穏やかな表情になった。
「君のような前途ある若者が、愚弟の毒牙にかかったのかと思うと……全く、シリルに対する説教はしてもしたりんのだが。しかし、これの兄として些か安堵する面もある」
「……と、申しますと?」
「こいつはそのうちに好みの男とあらば粉をかけ誘惑し、いつか性病にかかりそれを振りまきながら死ぬようなどうしようもない男になるのではないかと懸念があったのでな」
バーネット家は――少なくともアルバート様は――シリル様の『癖』についてよく心得ていらっしゃったのか。
俺はアルバート様の言葉を聞いて合点がいったが、父の喉は奇妙な音を立てた。
恐らく内容に対してのものなのだろうが、俺からすればシリル様ならば男を誘いいくらでも肉欲を満たせただろうと納得しかできない。
だが、シリル様は俺の反応がお気に召さなかったようで。
「ルートヴィヒ、否定くらいしろ」
「しかしながらシリル様ほどの容姿であれば可能でしょう」
「そうではなくて、……いや、いい。コナー子爵の前だ」
本当に珍しい顔だった。苦虫を噛みつぶしたような。
そんなシリル様と俺を見て、アルバート様は膝を叩いて笑い出した。反対に、父は両手で顔を覆っている。
「はっはっは! あてられてしまったな」
「……どうも察しの悪い息子で……申し訳ない……」
「いや、私も本当にコナー家には申し訳ないとは思っているのだ。だが、……シリルの相手が君で良かったと思っている。おかげで家の恥を出さずに済んだし、シリルを始末する必要もひとまずはなくなった」
アルバート様の物言いは最初こそ朗らかで――否、最後まで声こそ明るくはあったものの、その内容は随分と物騒なものだった。……バーネット家とはそう言う家風なのだろうか。
「コナー家のことは必要であればバーネット家で面倒を見る。無論、子爵が必要とすればだが」
「腐っても当主ですから、できる限りのことは自分でいたします。爵位の件も、娘に譲ることも視野に入れております。息子は……ルートヴィヒ、お前はコナー家の男として、ライアン家の事業に従事するように」
「シリル、お前もだ」
二人の言うことはそれぞれの家の意向だ。
聞かされていなかったのはシリル様も同じだったらしく、シリル様と俺は咄嗟に返事ができなかった。俺はともかく、シリル様にしては珍しいことだ。
「それは、」
「流石に男同士での婚姻というのは無理だ。お前達が社会的に一緒になることは長生きしたところでないだろう。しかし、ライアン家の事業が拡大していけば、家を継ぐということそのものの価値は下がっていくだろう」
「そうだな。そしてその頃我々は老いさらばえているか、死んでいるだろう。故にお前達は、お前達自身で居場所を作っていけ」
父の言葉に、アルバート様の激励が続く。
それがどれほど険しい道なのか、分からない二人ではない。だが、それを最初に選んだのはシリル様であり、俺はどこまでもついていくと決めた。
二人の言葉は、宣誓を確認するものだ。
「はい」
だから俺達は、それに答えた。
頭の中がふわふわとして落ち着かない。あの後、アルバート様と父とで表向きの辻褄をあわせるべく細かな打ち合わせをし、ライアン家とも電話をすると言うことと、シリル様から俺がまだ知らないことを教えていただけると言うことで俺達は席を外すことになった。
両家間でのみ、とは言うものの許しがでたことが信じられず、父とアルバート様の言葉が暫く頭の中でぐるぐると回る。
『仮にお前達が今後パートナーを解消することがあったとしても、各々、責務は果たせ』
退室する直前に言われた言葉だ。釘を刺しているようだが、温かな反応の後だったこともあってか、重みの方が強く感じた。
俺がシリル様から離れることはほぼないにしても、逆はあり得る。そして、どうなろうとも死という別れはいつ来てもおかしくない。
俺達は女性と結婚はしない。シリル様との関係が公然の秘密になろうとも、表向きは爵位のない一人の男としての人生だ。今まで貴族の一員として生活していた状況も、クリシュナ様の『民主化』事業へ従事すれば異なってくるはずだ。
バーネット家は出自の異なる私兵を持ち、共に鍛錬と訓練を行うという。シリル様も、何事もなければ兵を率いる立場になるはずだったと言うから、少々荒くれた環境にも馴染みがあるようだ。兄を支える立場になるとは聞いていたし、シリル様が武芸に優れているのは知ってはいたが……そういう方面がメインだとは考えていなかった。
シリル様は貴族らしい貴族だと、心底思い違いをしていた自分が恥ずかしくなる。決して悪い意味ではなく。
俺はと言えば社会経験もまだない。これはまあ、まだ学生だということもあるが――それに、鍛錬といっても相手は出自の明らかな似たような立場の者ばかりだ。
シリル様の足は止まらない。この後は卒業後の環境に慣れるために必要なことでも教えていただけるのだろうかと姿勢の良い背中を見つめていると、外へ出た。
着いたのは温室で、日の光もあってコートなどが無くとも過ごしやすい温度だった。
従僕がティーセットの準備を行う横で、シリル様の案内によって椅子へ腰掛ける。
「疲れたか?」
穏やかな顔で言われ、俺は首を横に振った。
「いいえ。予想よりもアルバート様のお言葉に慈悲があったので……。意外でした」
「それを言うなら私も同じだ。お前の父君には一発殴られてもおかしくないと思っていた」
「流石にそれは……それに、シリル様は電話で父と直接やりとりをされていたでしょう」
「電話をしたのはお前が怪我をした件の一回きりだったからな。手紙も家同士とは言え、文面であればいくらでも取り繕うことはできる。最初はどうだったのか分からないが、怒気を欠片も感じなかった。私が未熟なのかも知れないが」
「俺も似たようなことを思いました。アルバート様だけではなくアンナ様にも」
カップに紅茶が注がれる。湯気と共に香りが上ってくる。茶葉の香りに混じって、独特のスパイスがつんと主張してくる――これは、チャイだ。
シリル様が口をつけるのを見届け、俺も倣った。
テーブルの上には様々な形のクッキーやワッフルが置かれており、食べやすそうなシンプルな形のクッキーをまず一ついただくことにした。
「下がっていい」
シリル様の言葉に従僕が一礼し、温室を出て行く。
その背を見送り、二人になったことを確認したシリル様は口を開いた。
「昔、私が男しか欲の対象にできないと気づいてから、まず兄に報告した」
切り出されたのは、その過去についてだった。気づいたのは、恐らくクリシュナ様の件よりも前の話なのだろう。
「直ぐに父にも伝わったが、男を抱きたいのではなく男に抱かれたいのだと伝えたときは随分と悩ませてしまった。父も母も悪くはない。私はそのような人間なのだと言ったら、そんなことは分かっていると窘められたな」
「……失礼ですが、それだけで済んだのですか?」
「私のような手合いはさほど珍しくはないそうだ。女性が『駄目』だというのは数が減るようだが」
家によっては『治療』や『教育』が行われるが、バーネット家では極端なことは行われなかったと言う。
「今よりもずっと幼かったからな。学舎に入るよりも前の話だったし、成長すればどうなるかわからない。だから様子を見ることにしたようだったよ。父や兄に言わせれば、私が死ぬまで、私がそのように生まれた人間なのかはわからないからということだった」
無論、死ぬまで気長に待つようなことは有り得ない。シリル様もそれは重々承知していただろう。
「それにしても寛大だったのですね」
思ったことを言うと、シリル様は肩をすくめた。
「そのことに関して言えば、比較的下の者達と直接言葉を交わすことの多い環境ではあったからな。悪く言えば奔放というのか……不貞ではないぞ? それに、そう言った話で盛り上がることは仲間意識を持つための手早い手段だ。その中には同性同士の話も多数ある」
「……その点で言えば……しかし、シリル様は学内ではそうではなかったですね?」
「私はそのようにあれときつく言われていたからな。男しかそう言う目で見られないというのならば、だからこそ必要以上に清廉でいるようにと。最も深い欲望を抑え、そのようにいれば……そして周囲の信用と友愛を勝ち取ることができれば……後々になって分かった一つのどうしようもない欠点など、眩んでしまうものだからと」
だからシリル様はアルバート様にあれほど厳しい目を向けられていたのか。
「まあお前も知っての通り、言いつけを破ったことに関してはこっぴどく説教されて散々だった」
全く堪えていないような軽い声色で言いながら、シリル様はチャイで喉を濡らした。
「しかし……兄夫妻が順調なこともあって、さらにクリシュナ殿からもよい提案があって、……子リスのこともあって、私は随分と時勢に助けられた。まだ公表はされていないが、義姉上は身ごもっておられるからな」
「それはそれは」
めでたいことだ。アンナ様の体型は目に見えて分かるようなものではなかった。無事に出産されるまではまだかかるだろうから秘されているのか。
「ソラのことは……クリシュナ様の事業と何か関係が?」
「私も全てを聞き、理解しているわけではない。だが、直接はどうだか分からないが、あるだろうな。クリシュナ殿が前々から『民営化』事業について動いていたというのならばその中で見初めた可能性は高い。……あの人は人を使うのが上手い。学び舎さえも実験場にしてしまうくらいには」
なんとなく、ではあるが、俺にも少し繋がりが見えてきた。クリシュナ様が起点となっているのならば、ソラが家柄の良い子息と縁を持つのはそこまで不自然ではない。
「あれで女遊びも男遊びもないのが本当に不気味でならない」
「あの方は人でよく遊んでいらっしゃいますから」
「私も昔心を弄ばれた身として、それは重々分かっている。本当に性質が悪い。あの人は私の幼い恋心を、そうと分かって育てたくせに踏み潰したのだからな」
「……そう、なのですか」
「そうだ」
感情豊かに不機嫌になり、むすりと眉間に皺を寄せたシリル様はテーブルのクッキーを一枚摘まむと、そのまますべて口の中に入れて頬張った。その上、それをチャイで流し込むという初めて見る姿に目を瞬く。
ずっとなかったことになっていたことを口に出して言ってくださった。
得がたい瞬間。
俺はほっとするのを隠すようにしてチャイに口をつけて、折角シリル様が見せてくれた『もの』に触れることにした。
「……クリシュナ様に抱かれる想像をしながらご自分を慰めたことが?」
「昔の男の話は止めよう」
「始めたのはシリル様ですよ」
「ならばさっさと言っておくが、クリシュナ殿は私が最も望む形で抱いてくれる御仁だろうが、あちらは私が好みでない上にそんな相手の望み通りの抱き方をするわけがない性格だ。私がここまで拗れたのだって、クリシュナ殿にも責任の一端はある。つまりろくでもないというわけだ」
いつもよりも少し早口で正確には答えにはなっていないが、シリル様の欲を最大限に満たすであろうのがクリシュナ様ということは、シリル様も中々に……意地の悪いのがお好みなのではないだろうか。
あの日、幼いシリル様の心が遠くなった日。
あれがもっと年を取っていた時であったならば、あるいはシリル様がクリシュナ様のあの言葉に更に熱を持ってもおかしくなかったのかも知れない。
「俺を選んでいただけたことが本当に信じられません」
「もういいだろう……信じられなくても、これが現実だ」
シリル様の心境がどんなものであったのか、つぶさに聞きたい。しかし、ねだってもシリル様の口は堅そうだった。
応接室に通され、両家が重厚なセンターテーブルを挟み、革張りのソファに腰をおろす。背もたれには美しい毛皮が掛けられており、冷たさを感じることはなかった。
「改めて申し上げたい。この度は我が愚弟の暴挙により、大切なご子息に怪我を負わせてしまったこと、本当に申し訳なく思っている」
話を切り出したのはアルバート様だった。立場上、子爵である父から発言することはない。
辺境伯の名代の言葉を全て聞き、父は口を開いた。
「お顔をお上げください。こちらの愚息こそ、貴殿の大切な弟殿に長年懸想した挙句分相応な野心があったというではないですか。このような愚か者に育ててしまった咎は私にこそあります。バーネット家の皆様のご慈悲には深く感謝しております」
神妙な顔をしているアルバート様と父。父に倣い謝罪の意を示す俺。そして、つまらなさそうにしているシリル様……を、アルバート様が怒らないはずもなく。
「……シリル」
威圧以外の何物でも無い表情と声でシリル様も倣うようにとアルバート様が指示する。シリル様は一度肩をすくめて「くだらない」とでも言うかのような表情で応えたが、直ぐに俺の父に対しては表情を改めた。
「コナー子爵。昨日も申し上げましたが、全ては私の不徳の致すところです。大切にお育てになったご子息の輝かしい未来を、私の私欲で汚しました」
誠実な謝罪だった。その上で、シリル様の表情は決意に満ちていた。
それでも尚、自分の欲に従うのだと。
父はそんなシリル様をじっと見た後、不意に相好を崩した。
「……シリル様のお気持ちをこの目で見ることができて、私は光栄です。当人の意志が固いことはよく分かりましたから、建前はこのあたりで止めに致しませんか」
年の功、というものだろうか。ひどく柔らかな雰囲気でそう言った父に感化されてか、アルバート様の硬い表情が少し解けた。
「コナー殿が、ご子息とご息女を慈しんでおられる方でよかった」
息をつきながらアルバート様が言葉を紡ぐ。
「良くも悪くも時勢についていけない者は多いが、コナー殿は感性が非常に優れている」
「お褒めにあずかり誠に光栄です。なにぶん、代々と立ち回りを考えねばならない家ですので」
昨日よりは余裕のある態度で父が言う。どうやら夕飯の後、アルバート様と父とで晩酌かなにかがあったようだ。思わずシリル様を見たが、シリル様は予測していたのか俺を安心させるかのように微笑んだだけだった。
「さて、この場で最も情報がないのはルートヴィヒ殿かと思うが、それはシリルに任せることとしよう」
「はい」
アルバート様はシリル様にこそ厳しい顔を向けているが、俺には全くそんなことはなかった。寧ろ――ある種の憐れみのようなものが窺えるのだが、その胸中も含めてシリル様から教えていただけるのだろうか。
それに、父はともかく、バーネット家からは厳しい言葉があるものだと思っていた。シリル様がどう言ったとしても、俺がシリル様を堕落させたように見えるはずだからだ。
様子をうかがう俺の表情に気づいたアルバート様は、俺を見ると穏やかな表情になった。
「君のような前途ある若者が、愚弟の毒牙にかかったのかと思うと……全く、シリルに対する説教はしてもしたりんのだが。しかし、これの兄として些か安堵する面もある」
「……と、申しますと?」
「こいつはそのうちに好みの男とあらば粉をかけ誘惑し、いつか性病にかかりそれを振りまきながら死ぬようなどうしようもない男になるのではないかと懸念があったのでな」
バーネット家は――少なくともアルバート様は――シリル様の『癖』についてよく心得ていらっしゃったのか。
俺はアルバート様の言葉を聞いて合点がいったが、父の喉は奇妙な音を立てた。
恐らく内容に対してのものなのだろうが、俺からすればシリル様ならば男を誘いいくらでも肉欲を満たせただろうと納得しかできない。
だが、シリル様は俺の反応がお気に召さなかったようで。
「ルートヴィヒ、否定くらいしろ」
「しかしながらシリル様ほどの容姿であれば可能でしょう」
「そうではなくて、……いや、いい。コナー子爵の前だ」
本当に珍しい顔だった。苦虫を噛みつぶしたような。
そんなシリル様と俺を見て、アルバート様は膝を叩いて笑い出した。反対に、父は両手で顔を覆っている。
「はっはっは! あてられてしまったな」
「……どうも察しの悪い息子で……申し訳ない……」
「いや、私も本当にコナー家には申し訳ないとは思っているのだ。だが、……シリルの相手が君で良かったと思っている。おかげで家の恥を出さずに済んだし、シリルを始末する必要もひとまずはなくなった」
アルバート様の物言いは最初こそ朗らかで――否、最後まで声こそ明るくはあったものの、その内容は随分と物騒なものだった。……バーネット家とはそう言う家風なのだろうか。
「コナー家のことは必要であればバーネット家で面倒を見る。無論、子爵が必要とすればだが」
「腐っても当主ですから、できる限りのことは自分でいたします。爵位の件も、娘に譲ることも視野に入れております。息子は……ルートヴィヒ、お前はコナー家の男として、ライアン家の事業に従事するように」
「シリル、お前もだ」
二人の言うことはそれぞれの家の意向だ。
聞かされていなかったのはシリル様も同じだったらしく、シリル様と俺は咄嗟に返事ができなかった。俺はともかく、シリル様にしては珍しいことだ。
「それは、」
「流石に男同士での婚姻というのは無理だ。お前達が社会的に一緒になることは長生きしたところでないだろう。しかし、ライアン家の事業が拡大していけば、家を継ぐということそのものの価値は下がっていくだろう」
「そうだな。そしてその頃我々は老いさらばえているか、死んでいるだろう。故にお前達は、お前達自身で居場所を作っていけ」
父の言葉に、アルバート様の激励が続く。
それがどれほど険しい道なのか、分からない二人ではない。だが、それを最初に選んだのはシリル様であり、俺はどこまでもついていくと決めた。
二人の言葉は、宣誓を確認するものだ。
「はい」
だから俺達は、それに答えた。
頭の中がふわふわとして落ち着かない。あの後、アルバート様と父とで表向きの辻褄をあわせるべく細かな打ち合わせをし、ライアン家とも電話をすると言うことと、シリル様から俺がまだ知らないことを教えていただけると言うことで俺達は席を外すことになった。
両家間でのみ、とは言うものの許しがでたことが信じられず、父とアルバート様の言葉が暫く頭の中でぐるぐると回る。
『仮にお前達が今後パートナーを解消することがあったとしても、各々、責務は果たせ』
退室する直前に言われた言葉だ。釘を刺しているようだが、温かな反応の後だったこともあってか、重みの方が強く感じた。
俺がシリル様から離れることはほぼないにしても、逆はあり得る。そして、どうなろうとも死という別れはいつ来てもおかしくない。
俺達は女性と結婚はしない。シリル様との関係が公然の秘密になろうとも、表向きは爵位のない一人の男としての人生だ。今まで貴族の一員として生活していた状況も、クリシュナ様の『民主化』事業へ従事すれば異なってくるはずだ。
バーネット家は出自の異なる私兵を持ち、共に鍛錬と訓練を行うという。シリル様も、何事もなければ兵を率いる立場になるはずだったと言うから、少々荒くれた環境にも馴染みがあるようだ。兄を支える立場になるとは聞いていたし、シリル様が武芸に優れているのは知ってはいたが……そういう方面がメインだとは考えていなかった。
シリル様は貴族らしい貴族だと、心底思い違いをしていた自分が恥ずかしくなる。決して悪い意味ではなく。
俺はと言えば社会経験もまだない。これはまあ、まだ学生だということもあるが――それに、鍛錬といっても相手は出自の明らかな似たような立場の者ばかりだ。
シリル様の足は止まらない。この後は卒業後の環境に慣れるために必要なことでも教えていただけるのだろうかと姿勢の良い背中を見つめていると、外へ出た。
着いたのは温室で、日の光もあってコートなどが無くとも過ごしやすい温度だった。
従僕がティーセットの準備を行う横で、シリル様の案内によって椅子へ腰掛ける。
「疲れたか?」
穏やかな顔で言われ、俺は首を横に振った。
「いいえ。予想よりもアルバート様のお言葉に慈悲があったので……。意外でした」
「それを言うなら私も同じだ。お前の父君には一発殴られてもおかしくないと思っていた」
「流石にそれは……それに、シリル様は電話で父と直接やりとりをされていたでしょう」
「電話をしたのはお前が怪我をした件の一回きりだったからな。手紙も家同士とは言え、文面であればいくらでも取り繕うことはできる。最初はどうだったのか分からないが、怒気を欠片も感じなかった。私が未熟なのかも知れないが」
「俺も似たようなことを思いました。アルバート様だけではなくアンナ様にも」
カップに紅茶が注がれる。湯気と共に香りが上ってくる。茶葉の香りに混じって、独特のスパイスがつんと主張してくる――これは、チャイだ。
シリル様が口をつけるのを見届け、俺も倣った。
テーブルの上には様々な形のクッキーやワッフルが置かれており、食べやすそうなシンプルな形のクッキーをまず一ついただくことにした。
「下がっていい」
シリル様の言葉に従僕が一礼し、温室を出て行く。
その背を見送り、二人になったことを確認したシリル様は口を開いた。
「昔、私が男しか欲の対象にできないと気づいてから、まず兄に報告した」
切り出されたのは、その過去についてだった。気づいたのは、恐らくクリシュナ様の件よりも前の話なのだろう。
「直ぐに父にも伝わったが、男を抱きたいのではなく男に抱かれたいのだと伝えたときは随分と悩ませてしまった。父も母も悪くはない。私はそのような人間なのだと言ったら、そんなことは分かっていると窘められたな」
「……失礼ですが、それだけで済んだのですか?」
「私のような手合いはさほど珍しくはないそうだ。女性が『駄目』だというのは数が減るようだが」
家によっては『治療』や『教育』が行われるが、バーネット家では極端なことは行われなかったと言う。
「今よりもずっと幼かったからな。学舎に入るよりも前の話だったし、成長すればどうなるかわからない。だから様子を見ることにしたようだったよ。父や兄に言わせれば、私が死ぬまで、私がそのように生まれた人間なのかはわからないからということだった」
無論、死ぬまで気長に待つようなことは有り得ない。シリル様もそれは重々承知していただろう。
「それにしても寛大だったのですね」
思ったことを言うと、シリル様は肩をすくめた。
「そのことに関して言えば、比較的下の者達と直接言葉を交わすことの多い環境ではあったからな。悪く言えば奔放というのか……不貞ではないぞ? それに、そう言った話で盛り上がることは仲間意識を持つための手早い手段だ。その中には同性同士の話も多数ある」
「……その点で言えば……しかし、シリル様は学内ではそうではなかったですね?」
「私はそのようにあれときつく言われていたからな。男しかそう言う目で見られないというのならば、だからこそ必要以上に清廉でいるようにと。最も深い欲望を抑え、そのようにいれば……そして周囲の信用と友愛を勝ち取ることができれば……後々になって分かった一つのどうしようもない欠点など、眩んでしまうものだからと」
だからシリル様はアルバート様にあれほど厳しい目を向けられていたのか。
「まあお前も知っての通り、言いつけを破ったことに関してはこっぴどく説教されて散々だった」
全く堪えていないような軽い声色で言いながら、シリル様はチャイで喉を濡らした。
「しかし……兄夫妻が順調なこともあって、さらにクリシュナ殿からもよい提案があって、……子リスのこともあって、私は随分と時勢に助けられた。まだ公表はされていないが、義姉上は身ごもっておられるからな」
「それはそれは」
めでたいことだ。アンナ様の体型は目に見えて分かるようなものではなかった。無事に出産されるまではまだかかるだろうから秘されているのか。
「ソラのことは……クリシュナ様の事業と何か関係が?」
「私も全てを聞き、理解しているわけではない。だが、直接はどうだか分からないが、あるだろうな。クリシュナ殿が前々から『民営化』事業について動いていたというのならばその中で見初めた可能性は高い。……あの人は人を使うのが上手い。学び舎さえも実験場にしてしまうくらいには」
なんとなく、ではあるが、俺にも少し繋がりが見えてきた。クリシュナ様が起点となっているのならば、ソラが家柄の良い子息と縁を持つのはそこまで不自然ではない。
「あれで女遊びも男遊びもないのが本当に不気味でならない」
「あの方は人でよく遊んでいらっしゃいますから」
「私も昔心を弄ばれた身として、それは重々分かっている。本当に性質が悪い。あの人は私の幼い恋心を、そうと分かって育てたくせに踏み潰したのだからな」
「……そう、なのですか」
「そうだ」
感情豊かに不機嫌になり、むすりと眉間に皺を寄せたシリル様はテーブルのクッキーを一枚摘まむと、そのまますべて口の中に入れて頬張った。その上、それをチャイで流し込むという初めて見る姿に目を瞬く。
ずっとなかったことになっていたことを口に出して言ってくださった。
得がたい瞬間。
俺はほっとするのを隠すようにしてチャイに口をつけて、折角シリル様が見せてくれた『もの』に触れることにした。
「……クリシュナ様に抱かれる想像をしながらご自分を慰めたことが?」
「昔の男の話は止めよう」
「始めたのはシリル様ですよ」
「ならばさっさと言っておくが、クリシュナ殿は私が最も望む形で抱いてくれる御仁だろうが、あちらは私が好みでない上にそんな相手の望み通りの抱き方をするわけがない性格だ。私がここまで拗れたのだって、クリシュナ殿にも責任の一端はある。つまりろくでもないというわけだ」
いつもよりも少し早口で正確には答えにはなっていないが、シリル様の欲を最大限に満たすであろうのがクリシュナ様ということは、シリル様も中々に……意地の悪いのがお好みなのではないだろうか。
あの日、幼いシリル様の心が遠くなった日。
あれがもっと年を取っていた時であったならば、あるいはシリル様がクリシュナ様のあの言葉に更に熱を持ってもおかしくなかったのかも知れない。
「俺を選んでいただけたことが本当に信じられません」
「もういいだろう……信じられなくても、これが現実だ」
シリル様の心境がどんなものであったのか、つぶさに聞きたい。しかし、ねだってもシリル様の口は堅そうだった。
0
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

初恋はおしまい
佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。
高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。
※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
六日の菖蒲
あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。
落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。
▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。
▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず)
▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。
▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。
▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。
▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……

フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる