とばりの向こう

宇野 肇

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 かくして編入してきた平民は小柄な男だった。特に全生徒に対する説明はなく、学校の理念に基づき学生生活を送るようにと教員から言葉少なに言われるだけだった。
 そうなると、錯綜するのは平民の編入の裏にあるものだ。まさか額面通り『後々へ備えた試験的運用』と捉える者はいない。平民に対する態度が評価に響く可能性もある。積極的に関わるべきか否か、最初の一週間はとにかく生徒全員が浮き足だっていた。
 多くの生徒が遠巻きに、まるで珍獣でも見るかのような扱いをする中、教員の根回しもあってクリシュナ様は平民の相手をしているようだったが、それでも終始行動を共にしていられるわけではない。
 クラスは成績ごとに振り分けられている。大体は実家での爵位順であることが多いが、俺は努力してBクラスで、シリル様やクリシュナ様のように悠々とAクラスに在籍するほどの頭はない。平民は当然と言うべきか、一番下位のDクラスへの編入だった。寮は実家の爵位と成績を考慮して一年ごとで部屋割りが決まるため、当然会いに行かなければ話は出来ない。
 シリル様は随分と平民に声をかける機会を狙っていた様子だったが、基本的に人に囲まれているような方だ。カリキュラムの違いもあり、近くを通りがかることも難しく、そわそわと遠くから平民を見るだけの日々が続いた。
 なにがそんなによいのだろうかと思っていたが、いよいよクリシュナ様にそれとなく平民の探りを入れるシリル様を見て、ああ、ついに現れたのかも知れないと思い直した。クリシュナ様はシリル様の熱心さにくつくつと笑って、平民と引き合わせる時間を設けようと提案された。
 それが決まった時のシリル様の顔は、ここ数年見ることのなかったような喜色に満ちていた。
「聞いたかルートヴィヒ」
「はい」
 俺を振り返ったシリル様の顔。美しいかんばせに花を添えたように満足そうにされる表情は酷く眩しく感じられた。
 他の者はシリル様の前でこそ口をつぐんだが、平民の振る舞いは目に余るようで、木々のざわめきのように平民の一挙手一投足の話は耳に入った。どうやら既に、クリシュナ様が構っていると言うところから平民にさえすり寄ろうとしている連中がいるらしい。クリシュナ様の交友関係の者たちとも随分と距離が近いようだ。
 その悪目立ちは格好の『的』となり、様々な生徒に影響を及ぼした。

 ある者は率直にあまりある性根に心地よさを感じ、
 ある者はあまりの粗野な様子と、それを補って余りあるほどの力に侮蔑と妬みを持ち、
 ある者は責を負うことのない気ままな立場ゆえの奔放さに心惹かれ、
 ある者はその容姿に劣情を催した。

 ――そしてシリル様は、平民の男を愛でた。
 俺が知っているのだ、シリル様も平民がどんな扱いを受けているのかを知っているだろう。そういうものをおくびにも出さず質問攻めにした。
 本人の見目は悪くはない。絹のような髪にヘーゼル色の瞳をした、男としてはまだ幼さの抜け切らぬ男とも女ともつかぬ風貌。しかしひとたび口を開けば思わず顔を顰めるほどの声量で話し、表情も喜怒哀楽を前面に出し、思慮のかけらもない。そして平民ならではの言葉使いの悪さや礼儀の拙さはやはり目を引いた。
 クリシュナ様は昼休憩の間コーヒーハウスを模したラウンジの一角で時間と場所を取ってくださっていたが、その時間いっぱいになってもシリル様が話を切り上げることはなかったほど、と言えば、どれほど楽しまれていたのか分かるだろう。平民の応答の所作は見苦しかったが、クリシュナ様とシリル様が何も言わないのであれば俺の出る幕はない。
 シリル様は汚い所作で食事をする姿をリスのようだと仰り、聞くに堪えない言葉の数々にも小鳥の囀りのようだと笑われた。俺はただ場に投げられていく言葉を聞きながら、不敬にならない程度に会話に参加し、時間が過ぎるのを待った。
「シリル様、そろそろお時間です」
「そうか。時間が経つのは早いな。すまないクリシュナ殿、このような場を設けて頂き感謝する」
「気にするな」
 軽く片手を振って応えるクリシュナ様に深く礼をして、シリル様に続きその場を辞する。
「コナー」
 クリシュナ様に家名を呼ばれ、足を止める。堂々たる風格でソファに座るクリシュナ様と、馴れ馴れしくもその側で足を開いて座る平民を視界に収めた。
「なんでしょうか」
「お前もよろしくしてやってくれ」
 酷く楽しそうに口元を歪めながらクリシュナ様がそう言う。この方は、何がどうなるのを楽しんでおられるのだろう。ふとそんな疑問が浮かんだが、俺に分かるはずもない。
「……私にできることがどれだけあるかは分かりませんが」
 当たり障りのない言葉でそう返す。それでもクリシュナ様には充分だったのか、引き留めたことを詫びられた。悪かったなどと、とんでもない。再び一礼し、今度こそシリル様を追いかける。
 ラウンジを出てすぐのところで、シリル様は俺を待っていた。
「なんの話だったんだ?」
「いえ、特には」
 本当になんでもないことだ。平民とよろしくしろとクリシュナ様から直接言われたことの意味はよく考えなくてはならないだろう。何かの根回しの可能性が高い。不本意だが、シリル様もあの平民と良好な関係を築くことを望まれるのだろうから、俺に否やはなかった。

 結果として、シリル様が自分から平民の元へ行ったのはそれが最初で最後だった。なぜなら、以降は平民の方が無遠慮にシリル様の元へやってきたからだ。平民だからと邪険にしないシリル様に、平民の男はあっさりと陥落したようだった。
「シリル!」
 これが身分の高い者であれば気さくな態度ですぐに打ち解けたと言って良いのだろうが、奴は平民だ。無作法にもほどがあるだろう。そう思って眉をひそめそうになっているのはどうやら俺だけのようだった。他の者は平民の態度に気を揉んではいるようだが、クリシュナ様が咎められていないこともあって口を出せないでいる、といった様子で、無論見下している者もいるにはいるが近寄りたくもないという空気が殆どだ。
「子リスか」
「子リスじゃねえ! オレの名前はソラだって言ったじゃんか」
「はは、まあそう言うな」
「しょうがねえなあ」
 一体何様なのだ。苛々として、湧き上がる不快感をシリル様の顔を見て収める。シリル様は平民の前では愛玩用の小動物を見るような顔をする。久方ぶりに見た柔らかい表情を見てしまえば、「何様だと思っているのか」などという言葉は俺自身に深々と刺さった。
「おい貴様、口の利き方を改めろと言っているだろう」
「なんだよ、別にいいじゃん」
 シリル様がよしとしているのだからと己を諫めようとしても、あまりにも気易い平民の態度には口を出さずにはいられない。豪商の子息でももう少し見られる振る舞いをしているというのに。
「ルートヴィヒ、構わん」
「しかし、」
「ソラは叙爵するわけでもないのだから、必要ないだろう。寧ろ下手に触れば、元いた場所に戻りにくくなるのではないか?」
「あーそれ。どうかな。オレがここに連れてこられたのって偶然とか運じゃないっぽいんだよな。お貴族様の考えることは分かんねえけど、なんか考えあってのことっぽくってさあ」
「それはそうだ。でなければお前は真実子リスとしてここにいることになる」
「はは、なんだそりゃ」
「多くを学ぶといい」
「まあ、学費とかは持たなくていいって話だからそりゃあそうするけどさ」
 噛み合っていない。シリル様の言わんとするところと平民の受け取り方のすれ違いに、俺は閉口した。
「おい、シリル様がお優しい方だからと言って調子に乗るな」
「はあ? 別に調子に乗ってなんかいねえよ。普通だ」
 話にならない。息をつきそうになるのを堪えた。クリシュナ様も、こいつを窘める様子もないし、こいつもクリシュナ様について何も言わない。ということは、こいつの振る舞いに関しては容認されているということだ。
 理解しかねる。だが、考えもなしにあの方がこれを野放しにしているということは考えにくい。
 結論、俺には扱いかねるのだ。だが、こいつから向かってこられてはどうしようもない。
 一日の授業を全て終えた後、ラウンジでコーヒーを嗜みながら予習をしようと誘われ、一も二もなくついていった俺は、やはり変わらず過ごされている様子のシリル様に申し出ることにした。
「シリル様」
「なんだ?」
「あの平民のあなたへの態度は、俺には許容しかねます」
 きょとんと俺を見て、シリル様は僅かに目を細めて微笑まれた。
「お前はいつも規律正しいな」
「そうでもありません。シリル様のお側にいるのであれば相応の努力というものが必要だと思っているだけです」
「だから、せめてあの子リスにも努力をしている様子でもいいから見せろと」
「……そうですね。俺には、あの者の態度は度し難い」
 ふむ、とシリル様が少し考える素振りでコーヒーの香りを楽しむ。それを見ながら、そつのない表情に、あの平民の所作がもっと洗練されれば、俺も納得ができるというのにと歯噛みしたくなる。
「しかし、そうしないというのもある種本人の意思だからな。それに私は別に気にしない。仮に努力をしなかったとして、後に苦労するのは本人さ」
「そうですが……いえ、過ぎたことを申しました」
「いいや」
 シリル様も、何も感じずに接しているわけではないのだろう。なにか考えがあってのことだと思うのについ口を挟んでしまっていたことに気づき、俺は謝罪を述べた。シリル様は寛容に受け取ってくださったが、胸の内のわだかまりが収まることはなかった。




 俺にとって悪いことに、平民の態度が改善されることは終ぞなかった。殆ど毎日と言って良いほど足繁くシリル様の元へやってきては言葉をかわし、あまつさえ授業で分からない箇所があると図書室へ引っ張り込み、俺は気易くそれを請け負うシリル様についていくか、見送ることしかできなかった。
 一方で、シリル様の表情は明るいものだった。俺がどんなに側にいても見ることのなかった溌剌としたきらめきがその目に置かれているのを見ると、胸の内が酷く乱れた。
 ――あれで、平民がもっと弁えていれば。
 平民の不躾な態度を見ていると、シリル様が軽んじられているような気さえして平静を保つのが難しい。いつしか眉が寄るのを止められず、指で解すのが癖になっていた。
「どうしたルートヴィヒ、随分と難しい顔をしている」
「クリシュナ様……いえ、たいしたことではありません」
 一人でいたところをクリシュナ様に声をかけられ、礼をする。
「苦い薬でも飲んだような顔をして、とてもそうは見えんがな。どうせソラがいつまでも平民ぶっているのが見ていられないという所だろう。そんなに気になるなら、いっそお前が躾けたらどうだ?」
 まさかクリシュナ様が平民の名を口にするとは思わず、俺は目を見開いた。クリシュナ様は酷く愉快そうな面持ちで俺を見て、その双眸を細めた。
「しかし、」
「俺やシリルはあれでいいと思ってはいるが、それを他に強制するつもりは毛頭ない。あの跳ねっ返りを手懐けるのは骨が折れるだろうが、お前がどうしようが邪魔をする者はいないんじゃないか? ……ああ、お前がそれで成果を上げれば、ソラを気に入っている者がお前の立ち位置を奪おうとしてくるかも知れないが」
「……他の……。俺以外に、あいつの振る舞いを正そうという者はいないのですね」
「まあそうだな。『かぶれてない』ところがいいという声もあるようだ」
「そうでしたか……」
 珍しい動物だと思っているのだろう。あるいは、物を知らなければより容易く手込めに出来ると思っているか。
「なんにせよ、そう難しい顔をしているばかりよりは余程いい案だと思うがな」
 肩を二、三度叩かれ、クリシュナ様が廊下を歩いて行く。何を考えて俺は発破をかけられたのだろうか。分からないが、直々に言われたと言うことはあまり悪いことではないのだろう。
 あの平民がどんな扱いを受けていようがさして興味はないが、他でもないクリシュナ様がそう言うのであれば。
 ふと息をついて、俺はその場を後にした。
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