philophilia

宇野 肇

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Hallelujah!

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 気づけば僕は地面に這いつくばっていました。記憶が飛んでいるようで、夜の時もありましたし、昼の時もありましたが、どうにか生きているようでした。道端のゴミを漁り、口にできそうなものは口にしました。それで体調を崩してしまっても、もうぼろぼろだった僕には、さほど怖がるようなことではありませんでした。

 あまりにも記憶が飛んでいる様子なので僕にはきちんと日にちを数えることが難しくなりましたが、およそ一週間ほど経っていたでしょうか。アトリ様が道の向こうを歩かれているのを目にしました。僕はまず、自分の目を疑いました。
 その頃の僕は、意識のある時、アトリ様のことが思い出され、アトリ様の声が聞こえて、けれどそれは幻で、そのことが悲しくて悲しくて、アトリ様にお会いして、抱きしめていただきたいと強く思っていました。けれどもう僕はアトリ様の奴隷ではなくて、それは自分のせいで。恋人になりたいだなんて思ってしまった、これは罰なのだと、そしてその罰はこれからもずっとずっと続いてゆくのだと思っていました。ですから、アトリ様のお姿を目にした時、僕はなにやら頭を殴られたような衝撃に身を震わせました。喜びだったかもしれませんし、もしかするとまた幻なのではないかと恐がる気持ちもあったでしょう。どちらなのかは分かりませんでした。
 僕の目の前で、アトリ様はお変わりなく歩いておられました。その背に追いすがって、僕を見て欲しいと思いました。僕はそのお名前を口にしましたが、アトリ様は遠く、聞こえることはありませんでした。
「おいアトリ!」
 それどころか、アトリ様は別の人にお名前を呼ばれて、そちらへ振り向かれました。僕にはそれがよく見え、アトリ様に声をかけた方はアトリ様の肩に腕を回して、にこにこと笑っておられました。そうしてお二人はなにやら話し込まれている様子でしたが、僕にはその声までは聞こえませんでした。ただ、お二人が近い位置で、親しそうにされているのを眺めるばかりでした。その様子は僕が望んでいた『恋人』そのもののように思われて、でもアトリ様の隣にいるのは僕ではない誰かで、アトリ様はそのように触れられることを受け入れておられて、それはつまり、あの人がアトリ様の好きな方なのだろうかと、僕は足の先から体が冷えるような気がしました。そうしてそんな僕とは反対に、お二人は身を寄せ合って、人の流れに沿うようにして、並んで道の向こうへと行ってしまわれました。
 幻なのか、真実、そこへおられたのかは分かりませんでしたが、もう僕にはどちらでもよいことでした。幻であれば、せめてアトリ様に笑いかけていただきたいと思いましたが、すぐにそれも罰なのだろうと思い直しました。

 胸が苦しくて、一層重くなった体を動かすことももう辛くて、僕は暗い道端で倒れ伏しました。冷ややかな地面はじわじわと僕の体も冷やしてゆき、このまま地面に食べられてしまいたいと、そう思いました。
 その時、もう眠ってしまいそうだった僕の耳に、こつん、こつんと音が入ってきました。それは僕の胸の音のようでもあり、どこか心地がよくて、僕はそのまま深いところに落ちてゆきました。
「……おい? お前、アトリんトコの……おい、おい! どうした、大丈――」



 次に目を開けると、僕はどこかの部屋の中にいるようでした。どこだろう、と思ったのもほんの僅かの間だけでした。そこは、僕にとって安全で、大好きで、そして唯一の場所だったのです。アトリ様の、お部屋でした。
「……気付いたか……?」
 うつ伏せで眠ったはずの僕は、柔らかなベッドで、横向きになっているようでした。起き上がろうとしても体が重く、僕は、僕を覗き込むようにして現れたその人を見やりました。月の光のような白銀の髪の毛に、穏やかな海の色の瞳。穏やかな声と、優しい匂い。
 アトリ様、と言おうとしましたが、声が上手に出せなくて、僕は呟いたきり、じっとアトリ様の顔を見つめました。幻だろうか、それとも、夢だろうかと、そんなことを考えていました。けれど、やっぱり僕にはこれがどういうことなのかはどうでもよいことでした。アトリ様が僕を見て、
「辛かったろう」
 そう言って頭を撫でてくださったことが、嬉しくて嬉しくて、もうこのまま、嬉しいままで終わってしまいたいと思いました。そしてその通りに、僕は目を閉じました。ふっと体が浮くような、沈むような感覚があって、僕の意識はそこで途切れていました。

 僕は随分、寝ては目を覚ますのを繰り返していたようです。目を開ける度にアトリ様が見えて、僕の頭を撫でてくださいました。昼や夜は関係なく、アトリ様は僕のすぐ近くでベッドの淵に頭を乗せて眠っておられることもありましたが、それでも僕は目の見えるところに、すぐ近くにアトリ様がいらっしゃるのが嬉しくて、とても幸せな心地でした。
 さすがにそんなことがいつまでも続き、また段々と体が重いのが軽くなって、意識の飛ぶらしい時間も無くなってくるように感じると、どうにもこれは幻どころか、夢というわけでもないようだと分かりました。ベッドの中はとても暖かでしたが、死んでしまったわけでもありません。アトリ様のこともその他のことも全部全部覚えていましたし、お腹がぐう、と鳴るのです。アトリ様は僕のお腹が鳴った時、くすっと微笑まれました。そして、ご飯を食べさせてくださったのです。僕はベッドの中で尻尾を振りましたが、アトリ様にはきっと、僕が尻尾を振っていることなんてお見通しだったでしょう。

 僕はまた、アトリ様によって『保護』されていました。ひどく弱っていたらしい僕は、ある程度回復するまでは体を洗うのも、傷を癒すのも、水やとろとろに煮込んだスープ、リゾットを食べることも、全てを眠っているか、意識のない間にアトリ様にしていただいたようでした。嬉しいけれど、それ以上にただただ申し訳なく思い、僕は何度もごめんなさいと言いました。するとアトリ様は綺麗な顔を歪められ、おっしゃいました。
「フィロン、お前がこんな風になったのは、ここ最近巷で出回ってるろくでもない薬のせいだ。お前は獣人だから人のようにあっさり死んだり廃人にならずに済んだが、意識が混濁したりバッドトリップの影響でその分苦しかっただろう。お前は何も悪くはない。薬も俺の力で徐々にだが抜いてやれる。今はただゆっくり休めばいい。……俺がお前の世話をするのは、俺がそうしたいからだ。俺が、お前に触れていたいんだ。お前は何も気にしなくていい。嫌なら別の奴を寄越そう」
 アトリ様の言葉に、僕は気だるい体をなんとか動かして、手を伸ばそうとしました。アトリ様は僕の手を取ってくださり、両方の手で優しく挟んで、僕の手を撫でてくださいました。僕は喜びに震えました。包まれた手から、アトリ様の温もりが広がるようでした。
「……うれし、です」
 そうして、なんとかそれだけを言いました。アトリ様は僕の手をきゅっと握って、僕の手の甲を撫でてくださっていた方の手で僕の頭を撫でられました。耳の後ろを指先でかりかりと優しく引っ掻いて、そっと僕の体にご自身の体を寄せて、頬ずりをされました。アトリ様の着ておられる服も、僕の着せていただいた服も、布団も、要らないと思いました。それらはアトリ様を感じるには邪魔で、もっと、もっと近くでアトリ様を感じていたいと、もどかしくてたまりませんでした。けれどそれをお伝えする力はまだなくて、僕はそのまま眠ってしまいました。せめてと精一杯吸い込んだ空気にはアトリ様の匂いが混じっていて、僕の体の内側を温めてくれるようでした。

 僕の『治療』は順調でした。日に日に僕の体は軽くなり、起き上がったり、一人で食事をしたり、入浴したり、また排泄をしたりといったことができるようになりました。けれどアトリ様はなにかと僕の側にいてくださり、僕はふさふさに戻った尻尾を振ることが常となっていました。そんな穏やかで静かな日々は幸福でしたが、時々、なぜか足りないと思うことがありました。
 僕はまた『欲しがり』になっているのだ、と思いました。アトリ様にもっと触れていただきたい。もっと名前を呼んでいただきたい。キスを、セックスをしていただきたい。求められたい。そう思うようになっていたのです。これはいけないと、僕は自分からは言わないようにと注意していました。僕が『特別』を欲しがれば、なにか良くないことが起こってしまうのではないかと、それを恐れていました。アトリ様から頭を撫でて、軽く抱きしめられることで満足しなければならない、と、強く思いました。
 好き、という気持ちは、アトリ様から離れていても膨らんでいたのです。大きく、大きくなって、もう伝えずにはいられないほど、僕一人では抱えきれないほどになっていたのです。僕がそれを理解するまで、そう時間はかかりませんでした。

 僕は記憶が途切れがちなので、今日がいつなのかを教えてくださいとお願いし、『保護』されてから一ヶ月と三週間と四日経ったと教えていただいた日。アトリ様は見慣れた、いいえ、忘れるはずもありません。ずっと僕が身につけていた、アトリ様によって付けていただいた、アトリ様の所有物である証を持って、僕のところへ来られました。ピアスです。アトリ様の目と同じ色を持つ、銀の輪。僕の耳から引きちぎられてしまったそれが、アトリ様の手の中にありました。
「それ、は」
「無理やり取られたのはお前の耳を見た時すぐに分かった。お前は覚えてるかどうかわからないが、うわ言でこれを気にしていたからな、見つけて取り返してきた。痛い思いもしたわけだから、再びつけろとは言わんが」
 アトリ様は、僕に向かってそのピアスを渡そうとされました。僕は嬉しくて嬉しくて、すぐに頂戴しようと手を出そうとして、そして気づいたのです。すでに僕は、アトリ様の奴隷ではないということに。これを受け取る資格を、自分で放ってしまったことに。
「あ……」
「どうした?」
 僕のしたことはやはりとても愚かだったと思います。アトリ様の『恋人』を望んだばかりに、僕はアトリ様から離れてしまい、そしてアトリ様から贈られた品を身につける権利も失ってしまったのですから。
 僕の様子を、アトリ様はどう見られたのでしょうか、
「……やはり、奴隷の証などもう見たくもないか」
 ピアスに釘付けになっていた僕は、その言葉に勢い、顔をあげました。アトリ様は、見たこともない、悲しそうな、苦しそうな顔をされていました。僕の胸がぎゅっと縮み、痛くなるような顔でした。
「思えば、そもそもお前は奴隷をやめたいと言ってここを出たのだしな。悪かった。嫌なことを蒸し返した」
 そして直ぐに手のひらに乗せていたピアスを握り込むと、そのまま部屋のドアの方へ、足早に向かわれてしまいました。
「ぁ」
 行ってしまわれる。そう思った僕は、アトリ様を引き止めたいと思ったのに、足がすくんで動けませんでした。
 嫌なはずがありません。アトリ様の奴隷でいた間、嫌なことなどありませんでした。アトリ様はひたすらに優しく、僕を大事にしてくださいました。僕が、奴隷なのに恋人になりたいと、過ぎた思いを抱くほど、です。それなのにアトリ様は悲しそうな顔をされて、ピアスを持って、ここを出てゆこうとされているなんて。
「アトリ様!」
 早く、なんとかして待っていただかなければ、僕はまた大切なものを失ってしまうような気がして、喉が詰まったように出ない声にさえ焦れた末、僕が出したのは、ほとんど叫び声でした。いつの間にか握りしめていた拳。それを緩めると同時に、アトリ様は僕を振り返って、それから軽く目を見開かれました。
「フィロン、泣いて……」
 アトリ様はそうおっしゃいましたが、決して僕の方へ戻っては来てくださいませんでした。そのことに僕は怖くなって、欲しがってはいけないとあれだけ思ったのに、それでももう失いたくなくて、アトリ様の方へ駆け寄っていました。僕がアトリ様の胸にしがみつくと、そこでアトリ様は僕の背を撫でてくださいました。ピアスを握っていない方の手はそのままでした。
「どうした? やはり、辛いことを思い出したか」
 ここのところずっと耳にしていた、僕を気遣ってくださる声でした。僕は必死に首を振りました。そして、ピアスが握られたアトリ様の手を、両手でそっと、挟みました。
「……僕はもう一度、アトリ様の奴隷になりたいです」
 恋人になりたいだなんて思ったから、良くないことが起こったのです。それを言うなんてとてもできそうにありませんでした。だから、僕は代わりにそう言いました。ずっとずっと、アトリ様の側に居たいのだと思いを込めました。恐る恐る、アトリ様の顔を見上げると、アトリ様は僕の頭を撫でてくださいました。
「……これが欲しいのなら、奴隷に戻らなくともお前に渡す。せっかく解放されたのだから、ピアス一つでその身を落とすこともない」
 アトリ様は確かに微笑んでおられましたが、それは今まで見たことのない、どこか不自然で、違和感のある微笑でした。そこで、僕は理解してしまったのです。アトリ様は、もう僕を奴隷にしたくないのだと。僕はもう、要らないのだと。それはアトリ様から離れた時とは比べ物にならないほど悲しいことでした。
「泣かなくていい。ほら、ピアスだ」
 アトリ様は僕にピアスを握らせてくださいました。ですが、違うのです。僕が、僕は、アトリ様が大好きで、苦しいほどで、だから、だから、
「……き、です……」
「フィロン?」
「僕は、アトリ様が、好きです」
 ピアスをぎゅっと胸の前で握り、そう言いました。ひゅ、と息を飲むような音がして、アトリ様はしばらくの間、黙られたままでしたが、それから少しして、僕をそうっと、そうっと抱きしめられると、僕の頭と背中を撫でられました。アトリ様が僕の言葉に答えてくださることはありませんでしたが、それでも僕は抱きしめてくださったことが嬉しくて、ゆらゆらと尻尾が揺れました。

 それからは、いいえ、それからも、アトリ様は僕に優しくしてくださいました。僕が恐る恐る擦り寄ると抱きとめてくださいましたし、眠る時は手を握っていてくださいました。けれど、決して僕にキスやセックスをされることはありませんでした。悪い薬の影響はアトリ様のお力でほとんどなくなっているようで、僕はどんどん元気になりました。けれどそれは同時に、ここから出てゆかねばならない日が近づいているということでもありました。
 だから、僕はある日、ズルをすることにしました。どうせアトリ様から離れなければならないというのなら、自分から進んで悪い子になってしまおうと思ったのです。僕はアトリ様に、裸になってキスをして、抱きしめていただきたいのだとお願いをしました。アトリ様は「辛いことを思い出さないか」と気遣ってくださいましたが、僕が、いろんな人にセックスをされた時は大体の人が服を着ていたことと、無理やりに舌を入れられ、口の中をねぶられはしても、優しくキスをされたり、抱きしめられるということがなかったので、そうされたいのだと言うと、了承してくださいました。僕はアトリ様が頷いてくださることを分かっていました。僕は、ズルい子です。きっとアトリ様はこんな僕は要らないでしょう。でも、そうでなくてももう、アトリ様は僕を必要とされないのです。そうして僕は僕自身に、最後だからいいじゃないかと言い聞かせました。

 僕とアトリ様は広いベッドに横になって、ぴったりと肌を合わせました。
 アトリ様は僕の体のいろんなところを撫でてくださいました。撫でられていないところなどないと思えるほど。僕はそれがたまらなく嬉しくて、アトリ様に抱きつきました。
「フィロン、俺と同じようにフィロンも俺を触ってごらん」
 促され、僕はアトリ様にそうされたように、アトリ様のほっぺたを恐る恐る両手で包みました。するとアトリ様は僕の左手の上からアトリ様の右手を添えられ、嬉しそうに、柔らかく笑ってくださったのです。僕はそれを見て嬉しくなって、アトリ様の肩や背中、腰、太もも、胸、いろんなところに触れました。手だけではありません。肌で有ればどこだって、擦り合わせるようにしてぴったりと、僕とアトリ様は抱き合いました。アトリ様の肌は暖かくて、僕を包んでくださるその肌の感触も、匂いも、声も、温もりも、全てが優しく、アトリ様に可愛がっていただいた間のことが鮮明に思い出され、それは僕の頭の中と胸の中に広がって、僕をいっぱいにしました。その途中、ちゅ、ちゅ、とキスもしました。一度キスをする度にアトリ様と僕は見つめ合い、また唇を寄せ合いました。
 ああ、やっぱりこの人は僕を傷つけない。そのことが切ないほど僕の胸を締め付け、たくさんの人に無理やりセックスをされたあれは、僕を傷つけていたのだと思うと涙がこみ上げました。
「フィロン」
 そんな僕に、アトリ様は泣き止むようにはおっしゃいませんでした。ただ静かに、僕の名前を呼んでくださり、涙を舌で舐め、あるいは唇で吸い取って、何度も何度も、キスをしてくださいました。僕は同じくらいアトリ様をお呼びしました。涙はなかなか止まりませんでしたが、僕は傷ついていたことが分かり、改めて悲しい思いをすると同時に、今この時にアトリ様の腕に抱かれているということに、どうしようもなく安心して、喜んでいました。
 名前を呼ばれること、名前をお呼びできること、微笑んでくださること、微笑むこと、触れていただくこと、触れたいと思うこと。その全てを大好きで、求めて、焦がれたアトリ様とできること。それは幸せで、夢のような心地でした。
 だから僕は、僕の内側も、アトリ様に撫でていただきたくなったのです。
「アトリ様、……セックス、してください」
 僕の言葉に、アトリ様は真剣な表情で僕を見つめられました。
「フィロン、お前は随分傷ついた。俺は目に見える傷は癒せるが、お前の心はお前にしか癒せない。今のお前とセックスをするのは、お前の心を傷つける」
「それは違います。僕は、アトリ様に傷つけられたことはありません。アトリ様に触れられて、傷ついたことなどありません。僕はアトリ様に触っていただくと嬉しいのです。……だから、僕の中を、奥を、触ってください。アトリ様が、お嫌でなければ」
 悲しいことですが、僕はもう、アトリ様のものではありません。愚かにも、自分でそれを手放したのです。ですから、アトリ様が以前「好きに生きろ」と僕を外へ押しやったように、ここを出てゆかなければなりません。だったら、もう一度、最後でもいいから、アトリ様とセックスがしたかったのです。アトリ様との優しいセックスで、終わりたかったのです。
「……お前が、そう望むなら。俺に否やはない」
 アトリ様はそうおっしゃると、服は着ずに、僕を連れて風呂場へ向かわれました。僕はそこで手ずから体を洗われ、お尻の穴も、丁寧に綺麗にしていただきました。アトリ様に触れられて感じてしまう僕に、アトリ様は優しく僕のおちんちんをしごいて、イカせてくださいました。僕は自分のえっちな体がアトリ様以外の人に反応してしまうことを思い出して、ごめんなさい、と言って泣きたくなりましたが、アトリ様は「いいんだよ」と言って、僕の頭や背中を優しく撫でてくださいました。それから体を拭かれ、お揃いのバスローブを身にまとい、ベッドへと運ばれました。そうっと優しく降ろされて、触れ合うだけの優しいキスがありました。アトリ様は僕のバスローブをはだけさせて、僕の首筋、鎖骨、胸にもしてくださいました。それは、在りし日をなぞるようでした。僕の胸はどきどきとして、それだけで体の内側が清められてゆくようでした。
 アトリ様は僕の乳首を舐め、吸い付き、その熱い吐息を吹きかけられました。僕はそれが嬉しくて、アトリ様をじっと見つめていました。僕の様子に気づかれたアトリ様は、僕の両手にご自身の両手を重ね、指を絡められました。手のひらで僕とアトリ様の温もりが合わさって、混ざって、一つの温もりになるのが嬉しくて、尻尾が揺れました。
「……大丈夫か?」
「はい……アトリ様の顔を、見ていたいんです」
 僕が今セックスをしようとしているのは紛れもなくアトリ様なのだと、安心したい。そう言うと、アトリ様は「分かった」と微笑んで、僕のほっぺたを優しく撫でて、それから、キスを下さいました。そのままアトリ様の唇は下がってゆき、僕は足を広げました。少し尻尾が気になりましたが、背をそらす事で据わりのよい姿勢を保ちます。アトリ様は僕の勃起したおちんちんにもちゅ、ちゅ、と唇をつけて、その間から出てきた舌は、下から上へと這い上がって、そうして先っぽまでたどり着くと、その口がぱくりと、僕のおちんちんを咥えました。棒の付いた飴をねぶるように、アトリ様の口の中で、その舌が僕のおちんちんをつつきました。僕のおちんちんはぴくん、ぴくんと動き、一段と硬くなりました。アトリ様はたっぷりと唾をつけて、僕のおちんちんから口を外されました。てらてらと光るおちんちんは、アトリ様にもっと舐めてほしそうに、ぴんと立っていました。
「フィロン」
 もう一度僕の唇にキスをされて、僕はそのままころんと、自分からベッドへ倒れました。その際にアトリ様は手を離して、僕の体を支えてくださいました。手が離れてしまったことは残念でしたが、アトリ様の暖かな掌を腰とお尻に感じて、僕の胸はとくんと跳ねたようでした。
「尻尾、大丈夫か?」
「……はい。足を上げれば……平気、です」
 自分から足を開いて足を持つのは、なぜだかとても不安の覚えることでした。きっとそれは、他の人からなじられた言葉や声が、未だに僕の中に残っているからだったのでしょう。アトリ様に何か言われてしまったらどうしよう、と思いながらも、気遣っていただけるのが嬉しくて、僕は動けなくて、きゅっと目をつむりました。すると、ふ、とアトリ様の息を感じました。
「フィロン、俺に抱かれているんだと、俺を見ていたいんだと言ったろう。ほら、目を開けて」
 アトリ様が僕のお尻の位置を留めておくようにして太ももをくっつけて、僕に覆いかぶさられるのが分かりました。そっと目を開けると、すぐそこにアトリ様の顔があって、僕とアトリ様は見つめあったままキスをしました。アトリ様は離れていく時に、ぺろ、と僕の唇を舐められて、僕はそれにぞわりと、腰のあたりで気持ちいいのがのたくったような心地がしました。
 アトリ様は僕を見つめながら、開いた足や腰を丁寧に手のひらで撫でてくださいました。暖かなそれは心地が良くて、僕もアトリ様の顔を見上げていましたが、その口元にうっすらと笑みがあって、けれど全く怖くはなくて、いつしかうっとりと、アトリ様の海色の目を追いかけていました。
 アトリ様は僕がすっかり体の力を抜いたのを確認されると、僕のお尻の穴を、中指の腹で軽く押されました。
「んっ……」
 ついに触っていただける。アトリ様に、僕の中を撫でていただける。そう思うと、期待からお尻の穴がきゅんとしました。
「怖くないか?」
 アトリ様はしばらく僕のお尻の穴に指を入れられることはせずに、そのまま、その上を円を書くように優しく撫でられておられました。怖いはずもない僕は、こっくりと頷きました。アトリ様は僕の返事に「そうか」とほんの少し、ほっとされたような声を出されました。それからローションの入った瓶の蓋を取り、それを手に馴染ませると、僕のお尻の穴にたっぷりと塗り、この上なくゆっくりと指を入れられました。アトリ様に触れていただきたくて仕方がなかった僕からすればそれは焦れったいほどで、声にこそ出しませんでしたが、僕はおねだりをするようにアトリ様の目を見つめていました。
「はあん……」
 ゆっくりと、アトリ様の指が僕の内側を撫でてゆきます。それが嬉しくて、僕はため息とともにその気持ち良さに鳴きました。アトリ様の指はじっくりと僕の中を探り、解しました。指が増えても、それは同じでした。長い時間をかけて、僕のお尻の穴はアトリ様によってとろとろに柔らかくなっていました。
「フィロン……大丈夫そうか?」
 アトリ様の声でした。僕ははい、と答えました。アトリ様にセックスをしていただけることが嬉しくて、たとえ大丈夫じゃなかったとしても、僕はそう答えていたと思います。
 アトリ様はご自分のおちんちんにもローションをたっぷりと塗られると、僕のお尻の穴に、そのスラリとした熱いおちんちんの先を当てられました。それからゆっくり、指の時と同じくらいの遅さで、僕の中に入って来られました。その腫れた先っぽが入ると、シーツで手についたローションをぬぐわれ、僕の手を握られました。絡んだ指からはじん、と気持ちいいのが広がって、気持ちいいのが僕の腰に集まって、溶けてしまいそうでした。そこへアトリ様のおちんちんが奥へ奥へと入ってきて、僕は喜びと気持ち良さにイッてしまいそうでした。僕の中を、アトリ様のおちんちんが隙間なく撫でてゆかれるのです。空気さえ入り込むことができないと思われるほどの密着に、僕はこの上なく幸せで、アトリ様の目を見上げながらお尻の穴からの感覚に集中しました。恋人になりたいという願いは叶えられることはなくても、アトリ様にセックスをしていただけたことは、僕をとても慰めました。
「あっ……アトリ様のおちんちん、今、僕の中に……入ってます……」
「……ああ……フィロンの中は暖かくて、気持ちいいよ」
 アトリ様は微笑んで、キスをくださいました。アトリ様も僕で、僕を心地よく感じてくださっている。僕は嬉しくて、きゅっと、絡められた手に力を込めました。アトリ様も同じように返してくださり、僕はもっともっと、嬉しくなりました。
「アトリ様……僕の中、もっと撫でてください……いっぱい……」
 アトリ様の顔を近くで見つめながら、両手は指を絡めたまま、肩の横で縫いとめるようにして押さえられながら、僕はアトリ様がゆっくり、僕の中を撫でてくださるのを感じていました。アトリ様は目を開けたままキスを繰り返し、僕はアトリ様のおちんちんを一番深くで感じる度に、おちんちんから精液を垂れ流しながら鳴きました。
「んんっ……アトリ様……きもち、いいです……っ、はぁ……ぁ、……すごく、……とっても……熱くて……僕の中、アトリ様でいっぱいで……っ、うれしい、ですっ……」
「フィロン……俺も、気持ちいいよ……。フィロンが俺のおちんちんをぎゅって包んでくれて、すごく気持ちがいい」
「あんっ……」
 アトリ様の腰の動きは、僕の頭や背中を撫でて下さる時と同じくらいにゆっくりでした。けれど、僕がそれに焦れることはなくて、優しいその動作と気持ち良さに、僕は胸のあたりがじわじわと暖かくなった気がしました。
「アトリ様……もっと、奥まで来てください……お願いします……」
 僕は嬉しくて、幸せで、ここを出てゆかねばならなくても、この気持ちがあれば、なんでもできるような気がしました。
「いいよ。俺の首に手、回して。しがみつくんだ」
「はい……」
 アトリ様が僕の手を放されました。けれど、もう悲しくはありませんでした。僕はおっしゃる通りにアトリ様に抱きつき、アトリ様は僕の腰に腕を回され、そのまま起き上がられました。僕はアトリ様の膝の上に乗る形になり、それだけ深く、アトリ様のおちんちんが奥へ届きました。
「っ……」
 それが一層嬉しく、気持ち良く、僕は息を詰めてそれを感じました。じん、とした痺れるような感覚が過ぎ去り、腕の力を緩めて少し顔を離すと、アトリ様と目が合いました。気遣うように背中を撫でられ、僕はそれが嬉しくて、だから、本当に本当の、最後のお願いをしました。
「アトリ様、僕の中で射精してください」
「……フィロン?」
 僕のお尻の穴には、いく度となくいろんな人の精液を放たれました。おしっこもです。なのに、アトリ様は僕のお尻の穴の中に精液を放たれたことは一度もありませんでした。それが悔しいだとか、悲しいだとか、そういうことではないのです。お尻の穴の中にそうやって精液やおしっこを出すのは、僕の体に良くないことだと、本にも書いてありました。アトリ様は、僕の体を大事にしてくださっていました。僕はそれを知っていました。けれど、今日は、僕の中でイッて欲しかったのです。アトリ様の放たれた精液が僕の中にあるのだと、例え精液はいつか僕の体から出て行ってしまうものであっても、その出来事が僕の体の中にあったのだと思うと、いつでもアトリ様を感じられる気がしたのです。
「僕はアトリさまが……アトリさまが、好きです。大好きです。……特別なんです……アトリさまだけなんです、好きなのは、アトリ様だけでっ……だから、アトリ様の精液をください。欲しいんです。……ぼく、奴隷じゃなくて、アトリ様の恋人になりたかったんです。本当は今も、ずっと、ずっと……っ!」
 でもそれは叶わないから、最後だから、後生だからと僕がそう言った時でした。アトリ様は急に激しく腰を突き上げられました。
「っきゃぅうん!」
 強い快感に悲鳴を上げた僕に構うことなく、アトリ様は強く強く、僕に向けて勃起しきったおちんちんをうちつけられました。それはいっそ暴力的だと思えるほどで、けれどそこに痛みはなく、ただただ快感があるだけでした。アトリ様の声、匂い、温もり。僕にそうしているのがアトリ様だということが何よりも嬉しくて、嬉しいのに、僕は泣いていました。
「フィロン……っ、フィロン!」
「あっ、んっ! アトリ、さまっ、ぁっ、あぅっ、」
「俺だって……お前が、欲しい……! っ、ずっと、欲しかった!」
「あん! あっ、ああんっ」
「好きだ、愛してるっ、フィロン……! 最後になんてさせない……っ、もう、放してなんかやらない!!!」
 それは打ち寄せる大きな波のようでした。アトリ様の声が、顔が、目が、眉が、唇が、言葉が、声が、気持ちが、全部が僕へと向けられる、それは無上の歓びで、快感でした。アトリ様は穏やかな海色の瞳から涙を流しておられました。僕はアトリ様にすがりつき、キスを求め、キスをしました。僕たちはお互いの涙を舐めあいました。夢中でした。このまま肌を合わせている場所から一つにくっ付いてしまえばいいのにと思うほど強く、僕の内側から込み上げてくるもの。その流れのままに、僕はアトリ様の唇を貪り、涙を舌で舐めとって、激しい突き上げに叫ぶように鳴き声を上げながら、何度も、何度も『好き』を伝えました。アトリ様も僕の名前を何度も呼んでくださり、同じことをおっしゃってくださいました。それが嬉しくて幸せで、やはりアトリ様が特別なのだと知りました。僕は涙でぐちゃぐちゃに顔を濡らしながら、アトリ様の腹におちんちんを擦り付け、びくびくと体を震わせて射精しました。アトリ様も一際大きく僕の中へおちんちんを打ち付けると、そのまま、奥深く、僕の中に入ったままイッてくださいました。そして、それで終わりではありませんでした。その後も、何度も、何度も。アトリ様の手で、口で、声で、何度もイカされて、気持ち良くて、なのにまだまだ足りない程で。僕はアトリ様に言われるがままに、たくさんの人にどんな風にセックスを、えっちなことをされたのかを言っていました。怖くて不安だった出来事を思い出しても、アトリ様にその一つ一つをなぞっていただくとそれが解けて、気持ちのいい安心の中に溶けて、無くなってゆくようでした。途中、僕のお尻の穴からはアトリ様の精液が漏れてきてしまって、僕がそれを残念がると、アトリ様は「そんなに中で出されたいのか」と僕のほっぺたを軽くつまみながら、嬉しそうに笑われました。そうしてじゃれ合うように、けれど食べつくすように、僕とアトリ様は、お互いの精根尽き果てるまで求め合ったのでした。



 アトリ様に何度も「好きだ」「愛してる」と言っていただけた日から、数日後。やっと体の節々の痛みも取れた僕は、アトリ様から指輪を頂きました。あのピアスを加工してこしらえたものだそうで、綺麗な銀色の細いリングに、アトリ様の目と同じ色の宝石がついています。ピアスは奴隷の証と言えども、アトリ様から初めて贈られた装飾品でした。ですから僕はそれにこだわっていましたが、僕はもう奴隷ではなくて一人の獣人であり、またアトリ様の恋人だということで、指輪にしなさいと言われたのです。モノは同じだから、と説き伏せられ、その指輪は今、僕の左手の薬指で輝いています。着けてみて分かったのですが、指輪の好い所はふとした時に目に入り、アトリ様からこれを頂いたときのことをよく思い出して、胸が暖かくなるところです。こればかりはピアスではなかなか難しいので。また、アトリ様も左手の薬指にゴールドの指輪をしてらっしゃいます。小粒の宝石の色は、淡い青色。僕の髪と目の色に近いものを選ばれたそうです。意匠もお揃いなのです。これも嬉しいことでした。

 さて、アトリ様の恋人にしていただいた僕は、アトリ様の所から出てゆかなくても良くなりました。今までと同じようにアトリ様と暮らしながら、アトリ様の『アジト』……『ねぐら』? である【月と鍵尻尾の黒猫亭】で給仕をすることになりました。既にアトリ様に雇われている他の皆さんは、変わらず僕に優しくしてくださいます。頭もよく撫でてくださいますし、僕が上手に仕事が出来ると、褒めてくださいます。お給金まで出していただけるのです。僕はこれを少しずつ溜めて、アトリ様に何かをお贈りできればよいなあと考えています。
 尻尾を振るばかりの日々ですが、【月と鍵尻尾の黒猫亭】にいらっしゃるお客様の中には、僕のお尻やしっぽを触ったりされる方もいらっしゃって、それは少し困っています。その度にアトリ様が怒ってくださるのですが、お客様とアトリ様は仲が良いらしく、アトリ様が大きな声で怒鳴られても全く怯む様子もなく、隙を見ては僕のお尻を触られるのです。僕はお尻や尻尾を触られるたびにきゃん、と鳴いてしまい、それがよいのだとお客様は仰るのですが、僕が触られて嬉しいのはアトリ様だけです。お客様にもそう申し上げたのですが、そういうところもよい、とおっしゃるばかりです。ついこの間などはアトリ様が僕を抱き寄せて、「こいつは俺のだ。勝手に触るな!」と言ってくださいました。僕は嬉しくてアトリ様に擦り寄りましたが、その方は「フィロンちゃん見つけたの俺なんだけど? 触るくらいしたっていいじゃん」と飄々とされていたので、効果のほどは分かりません。……そのお客様に触られた日は、「消毒だ」といってアトリ様にさんざんお尻と尻尾を揉まれ触られして、その流れのままセックスをすることが多く、僕はそれを楽しみにしていたりもしましたが、それは口が裂けても言えない、僕の秘密です。

「大体な、いつまで経ってもフィロンは俺のこと様づけだろう。もう対等なんだ。恋人らしく、呼び捨てで『アトリ』と呼べばいい」
「はい、分かりました。……アトリ」
 アトリ様にせがまれ、僕がそのお名前を呼ぶと、アトリ様はどこかあどけないようにも思える表情で、とても嬉しそうに笑われました。僕の尻尾が揺れたのは、言うまでもありませんでした。
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