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第二章 機械仕掛けのあなたでも
四十三話 ストレートウォーク
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ヒューマンリノベーション被験者用居住施設で発生した虐殺事件。
四百人を超える死者を出した今回の事件は、わずかな間だけフリッシュトラベルタの街を騒がせた。
今回の事件を受けてニュースでは、連日アンドロイドの必要性について不毛な議論が繰り返されていた。
他にも被験者たちの心の闇がどうとか、鉄の華の思想が正しいとか正しくないといった、当事者たちとは関係の無い所で議論は巻き起こり、小さいつむじ風を作った。
だがそれも流れる日々の中に消え、三日も経った頃には別の不幸を人々は見つけていた。
フリッシュトラベルタ治安部隊は、今回の事件を宗教団体『鉄の華』によるものと断定し、これを徹底して排除する声明を出した。
治安部隊の発表によれば、今回の事件での生存者数はゼロ。
生活していた三百二十八人の被験者及び内部店舗で働いていた百十五人、その全てが死亡したと発表した。
部隊が内部に突入した時はすでに生存者は無く、一階で大量のアンドロイドの残骸と人間だった肉片と血だまりをいくつか発見した。
またそれと同時に発見したSFMは部隊員数名を殺害後、外へ続く円柱から逃走し現在も足取りは掴めていない。
暗闇の中で彼女はゆっくりと目を開く。
しん、と静まりかえった自室の空気は驚くほど冷たかった。
ベットの脇に置かれたマヌケ面の猫の時計は、深夜一時を示す。
本当に、耳が痛くなるような静けさだった。
ベットから体を起こすと、にわかに頭が痛む。本当は大人しく寝ていたほうがいいのだろうが、何故だか無性に喉が渇いていた彼女は、ベット横の椅子に掛けていた上着を羽織り隣人を起こさないように静かに部屋を出た。
少し冷える廊下を歩き、硬い階段をゆっくりと降りる。
足を踏み外さないように下を見ていた目線を元に戻すと。目の前のドアからは光が漏れていた。
リウが事務所の扉を開くと、バグウェットはソファーに座り一人で酒を飲んでいた。
彼はリウを見ると、吸いかけだった煙草を灰皿で潰す。だがずいぶん長い時間吸っていたのか、事務所の中は彼の好きなドレットノートの甘い香りが充満していた。
「夜更かしはよくねえな」
「バグウェットだって起きてるじゃん」
「夜更かしは大人の特権なんだよ」
「はいはい」
そう言ってリウはバグウェットに背を向け、冷蔵庫の中にある水を飲もうとした。
「おい」
その背中に向かってバグウェットが声を掛ける、彼はコップを持ってこいとだけ彼女に伝える。
その言葉の意図はよく分からなかったが、とりあえずリウはバグウェットの向かいのソファーに腰を下ろした。
いつものようなくたびれたワイシャツではなく、ラフでゆったりとした黒いTシャツを着たバグウェットはいつもとは少し違って見える。
彼はリウの持ってきたコップに、テーブルの上に置かれていたガラス細工のボトルに入った水を注ぐ。
「なにこれ?」
「ま、黙って飲んでみろ。ちょっとずつな」
バグウェットはこの水について、ただ飲めと繰り返すばかりでどういうものなのか詳しくは教えてくれなかった。
リウは恐る恐る水を口に運ぶ。
「おいしっ……」
「だろ」
口に含んだ水は見た目も匂いもただの水だった、だがその飲みやすさと美味しさは普段飲んでいるような水とは明らかに違う。
炎天下の中で歩き回って、疲れ切り干上がった体で飲む水のような美味しさがいつでも味わえる。体がその水を歓迎しているのが、素直に分かるような感じがした。
「ある決められた地域で採れた水、そいつを素に人生三回くらいやりなおさねえと取れねえような試験をパスした職人が、まじで目ん玉飛び出すような値段の設備を使って造った水だ」
「……高いんじゃないの?」
「そりゃそうさ、値段は教えてやんねーけど」
なぜそんな水をバグウェットが持っているのか、リウは当然のように気になりその理由を聞いてみたが『知り合いにもらった』と言うばかりで彼はまともには答えてくれなかった。
「で、どうなんだよ頭の方は、問題ねえのか?」
「うん。ほとんど痛みもないし、傷跡も残らないだろうって」
そう言ってリウは頭をさする。
彼女が帰って来たのは昨日の夜の事だ。
あれから頭部を負傷したリウを連れて、バグウェット達は病院に向かった。
検査の結果リウの頭にこれといって異常は見つからなかったが、念のためという事で三日ほど入院したのだ。
病院は退屈だったが、バグウェットやシギはもちろんジーニャやベル、アグリーなどがちょくちょく顔を出してくれたため寂しさは感じなかった。
病室でジーニャにバグウェットが大声で怒られ、看護師に注意されている場面を思い出し、リウは小さく噴き出した。
「良かったじゃねえか、頭がこれ以上ひどい事になったらどうしようかと思ったぜ」
馬鹿にしたように笑いながら、バグウェットは酒を飲む。
その様子をリウは不満げに見ていたが、まあいいかと半ば諦め気味に水を飲んだ。
「でよ、お前は大丈夫なのか?」
「頭なら大丈夫って……」
「違う違う、どっちかっつーと……精神的な方の話だ」
リウは体の方は問題ない、それは間違いないのだがどうにも彼女はあの事件から元気がない。
時折どこか遠くを見ているような、正解のない疑問を抱えてしまっているような表情を見せる。
「シギとかジーニャの奴が心配しててよ、どうなんだよそこんとこ」
「わ……私は全然、そんな事……」
「バカ、もうとっくにバレてんだよ。下手な言い訳すんな」
リウはそう言われる心当たりがあった。
あの事件からずっと、自分の中にあるモヤモヤとした感情。それを整理する術を、彼女は持っていなかった。
話すべきか彼女は迷う、だが自分の中であれだけ考えても答えが出ないのなら、いっそ誰かに話してしまったほうが楽になるかもしれないと考え、少しの沈黙の後で彼女は口を開いた。
「私さ、本当はもっとエルさんの事を理解できてるって思ってたんだ。境遇も似てたし、短かったけどちゃんと話もして、それでエルさんの事を分かった気になってた」
バグウェットは、ただ黙ってリウの話を聞く。
「でも、本当はなんにも分かってなかった。例え本物じゃなかったとしても、大好きな人の姿をした機械だったとしても、そう簡単に切り捨てられるものじゃないって事を」
リウは膝の上に置いていた手を強く握る、手のひらに爪が食い込むほど強く握られた拳はそのまま彼女の悔しさの表れだった。
「頭に破片が当たって、意識はぼやけてたけど聞こえてた。エルさんのバーウィンさんがいない世界じゃ生きられないって、生きてる方が辛いって言葉。それってさ、生きてるより死んだ方が楽って意味だよね?」
「ああ」
「でも私は止めた、エルさんに死んでほしくなかったから。だけど意識が戻ってから考えてたの、私は自分勝手だったんじゃないかって、エルさんが本当にそう思うのなら、私は止めるべきじゃなかったんじゃないかって」
リウの目から静かに涙が落ちる、落ちた涙は彼女の膝をにわかに濡らす。
視界が潤んで、彼女の頭がぐちゃぐちゃになっていく。
「でも……どうしても私は……自分が間違ってるって思えない、死んだ方が幸せって考えをどうやっても理解できない」
リウは自分がどうしようもなく汚い人間だと思っていた。
エルは死んだ方が楽だと言った、生きてるのが辛いとも言った。それを彼女は自分の意思で止めた、それが自分勝手だったと、自分のわがままだったと彼女は当然理解している。
だがそれを間違っていたと思う事がどうしてもできなかった、エルなりの考えを否定し、自分の我を押し付けただけだというのに。
どれだけ考えても、どれだけ苦しんでも死んだ方が楽だという考えは理解できず、エルを止めた自分を否定できない。
それが彼女には苦しかった。
そういう考え方もある、とどうしても思えない自分の心の狭さ。
そして相手の考え、意思を否定しておいてそれを間違っていたと思えない自分の傲慢さにリウは嫌気が差していた。
「私って……おかしいのかな?」
そう言ってうつむいたまま泣くリウを見て、バグウェットはグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
「ああ、お前はおかしい」
はっきりと、無駄によく通る声で彼はリウにその事実を叩きつけた。
彼女はそれを否定する気はさらさらなかったし、そう言われるのも仕方ないと思っていた。
「相手の考えが理解できない、なんて悩みをいつまでも抱えてるからな」
「え?」
「あのなあ、自分とは違う考えを理解できないのなんて当たり前なんだよ。だってお前はあいつじゃねえんだから」
「それは……」
「どうやったって理解できない考え方、分かり合えない奴なんて山ほどいる。現に俺も何でお前がそこまで悩んでるか分からん」
リウはグスグスと泣きながらバグウェットの顔を見る、彼は目を赤くしたリウを見て肩をわざとらしくすくめてみせた。
「第一お前、自分でも言ってたけどあいつと会ってからそう時間は経ってねえだろ? なら尚更だ。それにこれからもあいつと、多少なりとも付き合っていくんだろ?」
「うん……」
「なら付き合っていく内に分かるかもしれねえ」
「うん……」
「まあそう悩むなよ、自分が間違ってたかどうかってのは後で分かる。一番最悪のタイミングでな」
そう言ってバグウェットは氷しかなくなったグラスに酒を注ぐ、それに合わせたようにリウもコップに入った水を少し飲んだ。
彼女は自分でも驚くぐらい胸がスッキリしていた、ずっと溜め込んでいた泥を吐き出したような感覚がある。
はっきりとおかしいと言ってくれて良かった、エルの考え方を理解できないというのを当たり前と言ってくれたのも嬉しかった。
バグウェットは終始呆れ気味のだるそうな口調で話していたが、その内容はリウを救ってくれるものしかなかった。
「それに安心しろ、死んだ方がマシなんて考え方は俺も理解できねえからよ」
「……バグウェットと一緒かぁ」
「なんだよ、嫌なのかよ」
そう言って口を尖らせた彼を見て、リウはクスクスと笑う。
彼もそれを見て、小さく笑ってから酒を飲んだ。
「ま、今回の件から学ぶとすりゃアンドロイドはろくなもんじゃねえってこったな」
「バグウェットはアンドロイドが嫌いなの?」
「嫌いだな、役に立ってんのは分かるが……なんだかな」
リウはバグウェットが最初から、アンドロイドに対して良い感情を持っていなかった事に気付いた。
エルとバーウィンの関係を人形遊びと言ったりしていた、そこには何かしらの理由があるようだ。
「ましてや死んだ人間をアンドロイドで造るなんてのは……最低だな」
「それでもまた会いたいって思うんじゃないかな、例え偽物でもさ」
「はっ……俺には分からんね」
バグウェットは心底、心底馬鹿にしたように笑いながら酒を流し込んでいる。
少し気分が上がって来たのか、声が若干上ずっていた。
「バグウェットはさ、誰か……生き返って欲しい人とかいないの? 見た目だけでもさ」
リウは素朴な疑問をぶつけた、死んだ方がマシという考え方を理解できない彼女だったが、死んだ人にもう一度だけでも会いたいという気持ちは分かる。
だからこそ、バグウェットの馬鹿にするような態度が、僅かに気になった。
自分よりもずっと長く生き、たくさんの出会いと別れを繰り返しているであろう彼がそんな態度を取る事が。
バグウェットは空になったグラスに酒を注ぎ、グラスの中の氷をカラカラと回した。
「死んでほしくなかった奴は山ほどいた、でも生き返ってほしいと思った奴はいねえな」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃお前そいつらは死んだんだ。死んだ人間は生き返らない、それはどうあがいても覆らない世界のルールだ、分かるな?」
「うん」
「もし生き返らせるっていうなら、手っ取り早いのは今回みたいにアンドロイドとしてだがそれはあいつらとはいえない。俺が死んでほしくなかった奴らの身体は、鉄でできちゃいなかったんだからよ」
酒のせいか、それともまた別の理由でか、バグウェットはいつもより饒舌だった。
その言葉の一つ一つが嘘偽りのない、彼の本心だという事はリウに充分すぎるほど伝わっていた。
「さ、もう寝ろ。ちゃんと寝ねえと女はブスになるんだ」
「男の人は?」
「男は寝ねえとバカになる」
「ならお互いもう寝た方がよさそうね」
「……分かったよ」
バグウェットはリウを寝かせてから、もう少し起きているつもりだったがどうやらリウにはそれがバレているらしかった。
仕方なく彼はリウと二人で酒瓶やグラスを片付た。
「じゃあお休み、また明日」
「ああ」
リウは上から降りてきた時よりも、ずっと晴れやかな顔で部屋を出て行った。
バグウェットは、寝る前に一本吸うかと思い煙草を取り出したが何となく気分ではなくなってしまったため、部屋の電気を消してさっさと寝る事にした。
「はい、とりあえず一杯だけ」
リウとの話から二日後、バグウェットはジーニャの元を訪れていた。
いきなりの訪問にいつものように散々文句を付けた後、彼女はグラスに注いだドルトロットのウイスキーを持ってきた。
時刻は昼を少し過ぎたくらいだが、酒飲みの二人に時間は関係なかった。
「いいじゃねえか、まだ店を開ける時間じゃねえんだし」
「私の寝る時間なの、まったく……寝るの好きって分かってるくせにくるんだから」
「まあそう言うなって」
彼がグラスを掲げると、彼女も仕方なさそうに自分のグラスをそれにぶつける。
「にしても今回も無茶したのね、まさか鉄の連中に喧嘩売るなんて」
「しゃーねえだろ、依頼あったんだからよ」
「それに今回もギリギリだったって、シギ君から愚痴られたわよ? バグウェットは話下手なんですーって」
「あんの野郎……」
「でも、私も一応シギ君から今回の件について報告書もらったけど……正直かなりあぶなかったんじゃない? あの子の言う通り、相手がリウちゃんをさっさと殺してたら……」
「いや、それはねえ」
「なんで?」
バグウェットは残りのウイスキーを一気に飲み干し、グラスを静かにテーブルに置いた。
「あいつ……リウを殺そうとした奴が人間だったからだ。自分の手札であるバーウィンを盾に調子づいたり、少しでもこっちに損害を出してやろうとしたり、リウを人質に取ったり……とまあ見事に人間らしい動きをしてたからな」
「それで最後リウちゃんを殺すのが遅れたって事?」
「ああ、あいつはできるなら俺の前でリウを殺したかったんだろうさ。だからできる限り俺を待ってから、あいつを殺そうとした」
「うわー……陰湿」
「ま、ちょーっと肉体を捨てたくらいじゃ簡単に人間はやめられねえって事さ」
空になったグラスを差し出すと自然にジーニャは酒を注いでくれた。
それをぐっと飲み干すと、バグウェットは席を立つ。
「もう帰るの?」
「ああ、そろそろアグリーのとこ行かなきゃなんねえしな。それとよ」
「ん?」
「あいつが世話になった、ありがとよ」
「ああその事……いーのいーの好きでやってるんだし」
「また改めて礼に来る」
「そういえば……」
「ん?」
「……なんでもない。じゃ、またね」
不思議そうな顔をしながら、バグウェットは店を出て行った。
ジーニャは以前話したリウのこれからについて少し話そうかと思ったが、それは意味のない事だと気付き、話をするのをやめた。
なんとなく、帰ってくる答えが分かってしまったからだ。
この日は良く晴れていた、風は少し冷たいがそれが気にならないくらい良い天気だった。
リウは公園のベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。
天気も手伝って今日は人の出が多い、家族連れやカップル、友人同士ではしゃぎながら歩く少年たちなどが目につく。
穏やかで、平和な日だった。
「ごめんね、お待たせ」
「大丈夫です、私もさっき来たところだったんで」
ベンチに座っていたリウに声を掛けてきたのは、エルだった。
二人は合流すると、以前よりも少し近い距離で話をしながら歩き出す。
エルはあの事件の唯一の生き残りだ、本当ならこんな風におおっぴらには歩けるはずも無い。
今までのように出歩けば、瞬く間に好奇の目に晒されメディアに押しつぶされ、外野にいた人間たちに消費されるだけの存在となってしまうはずだった。
だが今の彼女は道を行く人々と変わらない、誰も彼女に興味を抱いてはいない。
それはバグウェットの古い友人で、あの場を担当した治安部隊長ラゴウィルのおかげだった。
徹底した情報操作を行い、エルの存在を隠していた。
またあえて鉄の華という組織の名前と異常性など、より旨味のあるネタを提供する事により周囲の目が向かないようにしてくれたのだ。
それは本来は彼の仕事の範疇外だが、彼は古い友人の頼みを断らなかったというわけだ。
だから今もこうして二人は穏やかに道を歩ける。
「そういえば、お父さんとはあれからどうなんですか?」
「まだちょっとぎこちないけど、それでも前よりはずっと話すようになったよ」
「よかった」
二人はあの事件から今日に至るまでの話をしたり、いつものように他愛のない話をしながら歩く。
そして花屋によると、花束を一人一つずつ買った。
二人はヒューマンリノベーション跡地にやって来た。
施設内の遺体や残骸はすでに撤去され、建物自体も解体が始まっていた。
重機のけたたましい音や、振動が伝わってくる。
二人は解体現場の近くにあった献花台に花を置いた、二人の他にも何人か訪れていたらしくいくつかの花や飲み物が置かれていた。
二人はそこで手を合わせる。
ここで死んだたくさんの人間が安らかに眠れる事を祈って。
「付き合ってくれてありがとね、どうしても……一人じゃきつくて」
「全然大丈夫です、むしろ私も中々これなくて」
二人は解体されていく社屋を見た。
本当に、本当にたくさんの命がここで消えて行った。
ただ、もう一度だけ大切な人に会いたいと願っただけの人たちが死んだ。
そしてその惨劇は、日々の中に埋もれようとしている。
「ありがとう、リウちゃん」
「え?」
「私を止めてくれて」
そう言ってエルは一筋の涙を流した、だがその顔には悲しみではなくただ
感謝だけがこめられた優しい笑みが浮かんでいた。
「私は……ただ本当に自分の願望を言っただけなんです、お礼なんて……」
「ううん、言わせて。何度でも、私はあなたにお礼を言いたい。生きてる限りずっと」
「でも、私じゃなくてもきっと他の誰かでもエルさんを止めたと思うんですけど……」
「そうね……もしかしたら他の誰かかも止めてくれたかもしれない。でもリウちゃんだったから、あなただったから私は止まれた。他の誰でもないあなたの言葉だったから」
「エルさん……」
「正直ね、これからの事を考えると不安はあるの。でももう死んだ方が楽なんて思わない、私はブルさんに助けられた、バグウェットさんに助けられた、リウちゃんが引き留めてくれた。そして……お父さんが抱きしめてくれた、だから生きるよ」
「エルざんんんん……」
リウはドバドバと泣きながらエルに抱き着く、彼女の頭をエルはあやすように優しく撫でた。
「そんなに泣かないで。さ、スイーツでも食べにいきましょ」
「はいいいい……」
泣くリウの手を握って、エルは嬉しいような困ったような顔で笑う。
彼女はもう一度だけ建物を見てから、リウの手を引いて歩き出した。
バーウィン私ね、本当にあなたが好きだった。
心の底から、愛してた。
あなたの笑顔が忘れられない、今もこれから先もずっと。
あなたのいない世界はさびしいよ。
でも私がそっちに行くのはまだもう少し先にしたい。
繋いでしまった手の温度、抱きしめられた胸の温度を私は裏切れないから。
その日が来るまで、精一杯生きてみせるよ。
それから、最後に。
私が造ってしまったバーウィンへ。
確かにあなたは他の人に言わせれば偽物だったかもしれない、私のエゴで造ってしまった紛い物かもしれない。
だけどバーウィンがいなくなってからあの日まで、確かにあなたはバーウィンだった。
私の心の支えだった。
だからあなたの事も、背負って私は生きていく。
短い間だったけれど、確かに愛していたから。
機械仕掛けのあなたでも。
四百人を超える死者を出した今回の事件は、わずかな間だけフリッシュトラベルタの街を騒がせた。
今回の事件を受けてニュースでは、連日アンドロイドの必要性について不毛な議論が繰り返されていた。
他にも被験者たちの心の闇がどうとか、鉄の華の思想が正しいとか正しくないといった、当事者たちとは関係の無い所で議論は巻き起こり、小さいつむじ風を作った。
だがそれも流れる日々の中に消え、三日も経った頃には別の不幸を人々は見つけていた。
フリッシュトラベルタ治安部隊は、今回の事件を宗教団体『鉄の華』によるものと断定し、これを徹底して排除する声明を出した。
治安部隊の発表によれば、今回の事件での生存者数はゼロ。
生活していた三百二十八人の被験者及び内部店舗で働いていた百十五人、その全てが死亡したと発表した。
部隊が内部に突入した時はすでに生存者は無く、一階で大量のアンドロイドの残骸と人間だった肉片と血だまりをいくつか発見した。
またそれと同時に発見したSFMは部隊員数名を殺害後、外へ続く円柱から逃走し現在も足取りは掴めていない。
暗闇の中で彼女はゆっくりと目を開く。
しん、と静まりかえった自室の空気は驚くほど冷たかった。
ベットの脇に置かれたマヌケ面の猫の時計は、深夜一時を示す。
本当に、耳が痛くなるような静けさだった。
ベットから体を起こすと、にわかに頭が痛む。本当は大人しく寝ていたほうがいいのだろうが、何故だか無性に喉が渇いていた彼女は、ベット横の椅子に掛けていた上着を羽織り隣人を起こさないように静かに部屋を出た。
少し冷える廊下を歩き、硬い階段をゆっくりと降りる。
足を踏み外さないように下を見ていた目線を元に戻すと。目の前のドアからは光が漏れていた。
リウが事務所の扉を開くと、バグウェットはソファーに座り一人で酒を飲んでいた。
彼はリウを見ると、吸いかけだった煙草を灰皿で潰す。だがずいぶん長い時間吸っていたのか、事務所の中は彼の好きなドレットノートの甘い香りが充満していた。
「夜更かしはよくねえな」
「バグウェットだって起きてるじゃん」
「夜更かしは大人の特権なんだよ」
「はいはい」
そう言ってリウはバグウェットに背を向け、冷蔵庫の中にある水を飲もうとした。
「おい」
その背中に向かってバグウェットが声を掛ける、彼はコップを持ってこいとだけ彼女に伝える。
その言葉の意図はよく分からなかったが、とりあえずリウはバグウェットの向かいのソファーに腰を下ろした。
いつものようなくたびれたワイシャツではなく、ラフでゆったりとした黒いTシャツを着たバグウェットはいつもとは少し違って見える。
彼はリウの持ってきたコップに、テーブルの上に置かれていたガラス細工のボトルに入った水を注ぐ。
「なにこれ?」
「ま、黙って飲んでみろ。ちょっとずつな」
バグウェットはこの水について、ただ飲めと繰り返すばかりでどういうものなのか詳しくは教えてくれなかった。
リウは恐る恐る水を口に運ぶ。
「おいしっ……」
「だろ」
口に含んだ水は見た目も匂いもただの水だった、だがその飲みやすさと美味しさは普段飲んでいるような水とは明らかに違う。
炎天下の中で歩き回って、疲れ切り干上がった体で飲む水のような美味しさがいつでも味わえる。体がその水を歓迎しているのが、素直に分かるような感じがした。
「ある決められた地域で採れた水、そいつを素に人生三回くらいやりなおさねえと取れねえような試験をパスした職人が、まじで目ん玉飛び出すような値段の設備を使って造った水だ」
「……高いんじゃないの?」
「そりゃそうさ、値段は教えてやんねーけど」
なぜそんな水をバグウェットが持っているのか、リウは当然のように気になりその理由を聞いてみたが『知り合いにもらった』と言うばかりで彼はまともには答えてくれなかった。
「で、どうなんだよ頭の方は、問題ねえのか?」
「うん。ほとんど痛みもないし、傷跡も残らないだろうって」
そう言ってリウは頭をさする。
彼女が帰って来たのは昨日の夜の事だ。
あれから頭部を負傷したリウを連れて、バグウェット達は病院に向かった。
検査の結果リウの頭にこれといって異常は見つからなかったが、念のためという事で三日ほど入院したのだ。
病院は退屈だったが、バグウェットやシギはもちろんジーニャやベル、アグリーなどがちょくちょく顔を出してくれたため寂しさは感じなかった。
病室でジーニャにバグウェットが大声で怒られ、看護師に注意されている場面を思い出し、リウは小さく噴き出した。
「良かったじゃねえか、頭がこれ以上ひどい事になったらどうしようかと思ったぜ」
馬鹿にしたように笑いながら、バグウェットは酒を飲む。
その様子をリウは不満げに見ていたが、まあいいかと半ば諦め気味に水を飲んだ。
「でよ、お前は大丈夫なのか?」
「頭なら大丈夫って……」
「違う違う、どっちかっつーと……精神的な方の話だ」
リウは体の方は問題ない、それは間違いないのだがどうにも彼女はあの事件から元気がない。
時折どこか遠くを見ているような、正解のない疑問を抱えてしまっているような表情を見せる。
「シギとかジーニャの奴が心配しててよ、どうなんだよそこんとこ」
「わ……私は全然、そんな事……」
「バカ、もうとっくにバレてんだよ。下手な言い訳すんな」
リウはそう言われる心当たりがあった。
あの事件からずっと、自分の中にあるモヤモヤとした感情。それを整理する術を、彼女は持っていなかった。
話すべきか彼女は迷う、だが自分の中であれだけ考えても答えが出ないのなら、いっそ誰かに話してしまったほうが楽になるかもしれないと考え、少しの沈黙の後で彼女は口を開いた。
「私さ、本当はもっとエルさんの事を理解できてるって思ってたんだ。境遇も似てたし、短かったけどちゃんと話もして、それでエルさんの事を分かった気になってた」
バグウェットは、ただ黙ってリウの話を聞く。
「でも、本当はなんにも分かってなかった。例え本物じゃなかったとしても、大好きな人の姿をした機械だったとしても、そう簡単に切り捨てられるものじゃないって事を」
リウは膝の上に置いていた手を強く握る、手のひらに爪が食い込むほど強く握られた拳はそのまま彼女の悔しさの表れだった。
「頭に破片が当たって、意識はぼやけてたけど聞こえてた。エルさんのバーウィンさんがいない世界じゃ生きられないって、生きてる方が辛いって言葉。それってさ、生きてるより死んだ方が楽って意味だよね?」
「ああ」
「でも私は止めた、エルさんに死んでほしくなかったから。だけど意識が戻ってから考えてたの、私は自分勝手だったんじゃないかって、エルさんが本当にそう思うのなら、私は止めるべきじゃなかったんじゃないかって」
リウの目から静かに涙が落ちる、落ちた涙は彼女の膝をにわかに濡らす。
視界が潤んで、彼女の頭がぐちゃぐちゃになっていく。
「でも……どうしても私は……自分が間違ってるって思えない、死んだ方が幸せって考えをどうやっても理解できない」
リウは自分がどうしようもなく汚い人間だと思っていた。
エルは死んだ方が楽だと言った、生きてるのが辛いとも言った。それを彼女は自分の意思で止めた、それが自分勝手だったと、自分のわがままだったと彼女は当然理解している。
だがそれを間違っていたと思う事がどうしてもできなかった、エルなりの考えを否定し、自分の我を押し付けただけだというのに。
どれだけ考えても、どれだけ苦しんでも死んだ方が楽だという考えは理解できず、エルを止めた自分を否定できない。
それが彼女には苦しかった。
そういう考え方もある、とどうしても思えない自分の心の狭さ。
そして相手の考え、意思を否定しておいてそれを間違っていたと思えない自分の傲慢さにリウは嫌気が差していた。
「私って……おかしいのかな?」
そう言ってうつむいたまま泣くリウを見て、バグウェットはグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
「ああ、お前はおかしい」
はっきりと、無駄によく通る声で彼はリウにその事実を叩きつけた。
彼女はそれを否定する気はさらさらなかったし、そう言われるのも仕方ないと思っていた。
「相手の考えが理解できない、なんて悩みをいつまでも抱えてるからな」
「え?」
「あのなあ、自分とは違う考えを理解できないのなんて当たり前なんだよ。だってお前はあいつじゃねえんだから」
「それは……」
「どうやったって理解できない考え方、分かり合えない奴なんて山ほどいる。現に俺も何でお前がそこまで悩んでるか分からん」
リウはグスグスと泣きながらバグウェットの顔を見る、彼は目を赤くしたリウを見て肩をわざとらしくすくめてみせた。
「第一お前、自分でも言ってたけどあいつと会ってからそう時間は経ってねえだろ? なら尚更だ。それにこれからもあいつと、多少なりとも付き合っていくんだろ?」
「うん……」
「なら付き合っていく内に分かるかもしれねえ」
「うん……」
「まあそう悩むなよ、自分が間違ってたかどうかってのは後で分かる。一番最悪のタイミングでな」
そう言ってバグウェットは氷しかなくなったグラスに酒を注ぐ、それに合わせたようにリウもコップに入った水を少し飲んだ。
彼女は自分でも驚くぐらい胸がスッキリしていた、ずっと溜め込んでいた泥を吐き出したような感覚がある。
はっきりとおかしいと言ってくれて良かった、エルの考え方を理解できないというのを当たり前と言ってくれたのも嬉しかった。
バグウェットは終始呆れ気味のだるそうな口調で話していたが、その内容はリウを救ってくれるものしかなかった。
「それに安心しろ、死んだ方がマシなんて考え方は俺も理解できねえからよ」
「……バグウェットと一緒かぁ」
「なんだよ、嫌なのかよ」
そう言って口を尖らせた彼を見て、リウはクスクスと笑う。
彼もそれを見て、小さく笑ってから酒を飲んだ。
「ま、今回の件から学ぶとすりゃアンドロイドはろくなもんじゃねえってこったな」
「バグウェットはアンドロイドが嫌いなの?」
「嫌いだな、役に立ってんのは分かるが……なんだかな」
リウはバグウェットが最初から、アンドロイドに対して良い感情を持っていなかった事に気付いた。
エルとバーウィンの関係を人形遊びと言ったりしていた、そこには何かしらの理由があるようだ。
「ましてや死んだ人間をアンドロイドで造るなんてのは……最低だな」
「それでもまた会いたいって思うんじゃないかな、例え偽物でもさ」
「はっ……俺には分からんね」
バグウェットは心底、心底馬鹿にしたように笑いながら酒を流し込んでいる。
少し気分が上がって来たのか、声が若干上ずっていた。
「バグウェットはさ、誰か……生き返って欲しい人とかいないの? 見た目だけでもさ」
リウは素朴な疑問をぶつけた、死んだ方がマシという考え方を理解できない彼女だったが、死んだ人にもう一度だけでも会いたいという気持ちは分かる。
だからこそ、バグウェットの馬鹿にするような態度が、僅かに気になった。
自分よりもずっと長く生き、たくさんの出会いと別れを繰り返しているであろう彼がそんな態度を取る事が。
バグウェットは空になったグラスに酒を注ぎ、グラスの中の氷をカラカラと回した。
「死んでほしくなかった奴は山ほどいた、でも生き返ってほしいと思った奴はいねえな」
「どうして?」
「どうしてって……そりゃお前そいつらは死んだんだ。死んだ人間は生き返らない、それはどうあがいても覆らない世界のルールだ、分かるな?」
「うん」
「もし生き返らせるっていうなら、手っ取り早いのは今回みたいにアンドロイドとしてだがそれはあいつらとはいえない。俺が死んでほしくなかった奴らの身体は、鉄でできちゃいなかったんだからよ」
酒のせいか、それともまた別の理由でか、バグウェットはいつもより饒舌だった。
その言葉の一つ一つが嘘偽りのない、彼の本心だという事はリウに充分すぎるほど伝わっていた。
「さ、もう寝ろ。ちゃんと寝ねえと女はブスになるんだ」
「男の人は?」
「男は寝ねえとバカになる」
「ならお互いもう寝た方がよさそうね」
「……分かったよ」
バグウェットはリウを寝かせてから、もう少し起きているつもりだったがどうやらリウにはそれがバレているらしかった。
仕方なく彼はリウと二人で酒瓶やグラスを片付た。
「じゃあお休み、また明日」
「ああ」
リウは上から降りてきた時よりも、ずっと晴れやかな顔で部屋を出て行った。
バグウェットは、寝る前に一本吸うかと思い煙草を取り出したが何となく気分ではなくなってしまったため、部屋の電気を消してさっさと寝る事にした。
「はい、とりあえず一杯だけ」
リウとの話から二日後、バグウェットはジーニャの元を訪れていた。
いきなりの訪問にいつものように散々文句を付けた後、彼女はグラスに注いだドルトロットのウイスキーを持ってきた。
時刻は昼を少し過ぎたくらいだが、酒飲みの二人に時間は関係なかった。
「いいじゃねえか、まだ店を開ける時間じゃねえんだし」
「私の寝る時間なの、まったく……寝るの好きって分かってるくせにくるんだから」
「まあそう言うなって」
彼がグラスを掲げると、彼女も仕方なさそうに自分のグラスをそれにぶつける。
「にしても今回も無茶したのね、まさか鉄の連中に喧嘩売るなんて」
「しゃーねえだろ、依頼あったんだからよ」
「それに今回もギリギリだったって、シギ君から愚痴られたわよ? バグウェットは話下手なんですーって」
「あんの野郎……」
「でも、私も一応シギ君から今回の件について報告書もらったけど……正直かなりあぶなかったんじゃない? あの子の言う通り、相手がリウちゃんをさっさと殺してたら……」
「いや、それはねえ」
「なんで?」
バグウェットは残りのウイスキーを一気に飲み干し、グラスを静かにテーブルに置いた。
「あいつ……リウを殺そうとした奴が人間だったからだ。自分の手札であるバーウィンを盾に調子づいたり、少しでもこっちに損害を出してやろうとしたり、リウを人質に取ったり……とまあ見事に人間らしい動きをしてたからな」
「それで最後リウちゃんを殺すのが遅れたって事?」
「ああ、あいつはできるなら俺の前でリウを殺したかったんだろうさ。だからできる限り俺を待ってから、あいつを殺そうとした」
「うわー……陰湿」
「ま、ちょーっと肉体を捨てたくらいじゃ簡単に人間はやめられねえって事さ」
空になったグラスを差し出すと自然にジーニャは酒を注いでくれた。
それをぐっと飲み干すと、バグウェットは席を立つ。
「もう帰るの?」
「ああ、そろそろアグリーのとこ行かなきゃなんねえしな。それとよ」
「ん?」
「あいつが世話になった、ありがとよ」
「ああその事……いーのいーの好きでやってるんだし」
「また改めて礼に来る」
「そういえば……」
「ん?」
「……なんでもない。じゃ、またね」
不思議そうな顔をしながら、バグウェットは店を出て行った。
ジーニャは以前話したリウのこれからについて少し話そうかと思ったが、それは意味のない事だと気付き、話をするのをやめた。
なんとなく、帰ってくる答えが分かってしまったからだ。
この日は良く晴れていた、風は少し冷たいがそれが気にならないくらい良い天気だった。
リウは公園のベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。
天気も手伝って今日は人の出が多い、家族連れやカップル、友人同士ではしゃぎながら歩く少年たちなどが目につく。
穏やかで、平和な日だった。
「ごめんね、お待たせ」
「大丈夫です、私もさっき来たところだったんで」
ベンチに座っていたリウに声を掛けてきたのは、エルだった。
二人は合流すると、以前よりも少し近い距離で話をしながら歩き出す。
エルはあの事件の唯一の生き残りだ、本当ならこんな風におおっぴらには歩けるはずも無い。
今までのように出歩けば、瞬く間に好奇の目に晒されメディアに押しつぶされ、外野にいた人間たちに消費されるだけの存在となってしまうはずだった。
だが今の彼女は道を行く人々と変わらない、誰も彼女に興味を抱いてはいない。
それはバグウェットの古い友人で、あの場を担当した治安部隊長ラゴウィルのおかげだった。
徹底した情報操作を行い、エルの存在を隠していた。
またあえて鉄の華という組織の名前と異常性など、より旨味のあるネタを提供する事により周囲の目が向かないようにしてくれたのだ。
それは本来は彼の仕事の範疇外だが、彼は古い友人の頼みを断らなかったというわけだ。
だから今もこうして二人は穏やかに道を歩ける。
「そういえば、お父さんとはあれからどうなんですか?」
「まだちょっとぎこちないけど、それでも前よりはずっと話すようになったよ」
「よかった」
二人はあの事件から今日に至るまでの話をしたり、いつものように他愛のない話をしながら歩く。
そして花屋によると、花束を一人一つずつ買った。
二人はヒューマンリノベーション跡地にやって来た。
施設内の遺体や残骸はすでに撤去され、建物自体も解体が始まっていた。
重機のけたたましい音や、振動が伝わってくる。
二人は解体現場の近くにあった献花台に花を置いた、二人の他にも何人か訪れていたらしくいくつかの花や飲み物が置かれていた。
二人はそこで手を合わせる。
ここで死んだたくさんの人間が安らかに眠れる事を祈って。
「付き合ってくれてありがとね、どうしても……一人じゃきつくて」
「全然大丈夫です、むしろ私も中々これなくて」
二人は解体されていく社屋を見た。
本当に、本当にたくさんの命がここで消えて行った。
ただ、もう一度だけ大切な人に会いたいと願っただけの人たちが死んだ。
そしてその惨劇は、日々の中に埋もれようとしている。
「ありがとう、リウちゃん」
「え?」
「私を止めてくれて」
そう言ってエルは一筋の涙を流した、だがその顔には悲しみではなくただ
感謝だけがこめられた優しい笑みが浮かんでいた。
「私は……ただ本当に自分の願望を言っただけなんです、お礼なんて……」
「ううん、言わせて。何度でも、私はあなたにお礼を言いたい。生きてる限りずっと」
「でも、私じゃなくてもきっと他の誰かでもエルさんを止めたと思うんですけど……」
「そうね……もしかしたら他の誰かかも止めてくれたかもしれない。でもリウちゃんだったから、あなただったから私は止まれた。他の誰でもないあなたの言葉だったから」
「エルさん……」
「正直ね、これからの事を考えると不安はあるの。でももう死んだ方が楽なんて思わない、私はブルさんに助けられた、バグウェットさんに助けられた、リウちゃんが引き留めてくれた。そして……お父さんが抱きしめてくれた、だから生きるよ」
「エルざんんんん……」
リウはドバドバと泣きながらエルに抱き着く、彼女の頭をエルはあやすように優しく撫でた。
「そんなに泣かないで。さ、スイーツでも食べにいきましょ」
「はいいいい……」
泣くリウの手を握って、エルは嬉しいような困ったような顔で笑う。
彼女はもう一度だけ建物を見てから、リウの手を引いて歩き出した。
バーウィン私ね、本当にあなたが好きだった。
心の底から、愛してた。
あなたの笑顔が忘れられない、今もこれから先もずっと。
あなたのいない世界はさびしいよ。
でも私がそっちに行くのはまだもう少し先にしたい。
繋いでしまった手の温度、抱きしめられた胸の温度を私は裏切れないから。
その日が来るまで、精一杯生きてみせるよ。
それから、最後に。
私が造ってしまったバーウィンへ。
確かにあなたは他の人に言わせれば偽物だったかもしれない、私のエゴで造ってしまった紛い物かもしれない。
だけどバーウィンがいなくなってからあの日まで、確かにあなたはバーウィンだった。
私の心の支えだった。
だからあなたの事も、背負って私は生きていく。
短い間だったけれど、確かに愛していたから。
機械仕掛けのあなたでも。
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