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第二章 機械仕掛けのあなたでも

四十話 セルフィッシュボーダー

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「バーウィン……どうして……ここに?」

「どうしてって……君をずっと探していたんだ。騒ぎが起きてからずっとね、それでやっと見つけたってわけさ」

 バーウィンの声だ、聞き慣れた愛しい声だ。
 ずっと会いたかった、もう会えないかと思っていた。
 
 きっとエルは彼に抱き着いて、子供のように泣きながら再会を喜んだはずだ。
 このタイミングで彼が現れさえしなければ、だ。

「良かった、ずっと連絡も取れないしもう会えないかと思ってたんだ」

 安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに話す彼とは対照的にエルの心中は穏やかではない。
 
 なぜ、今なのか。
 騒ぎが起こり人が死んだ、建物は壊れ平穏は崩れていく。
 その中を命からがら生き残り、ようやく逃げ出す算段も付き心のどこかでバーウィンを諦められそうな時のリウの負傷。
 
 そしてバーウィンとの再会。

 タイミングがあまりにも良すぎる、まるでエルが負傷するのを待っていたかのような。

「エル?」

 駆け巡る思考は、彼の呼びかけによって遮られた。

「なんで……どうして今なの?」

「え?」

「おかしい……絶対におかしいじゃない、こんな……こんな……偶然あるわけ……」

 取り乱したエルを見たバーウィンの顔から、すうっと表情が消えた。
 そしてそれと同時に祝うような拍手が、彼女の耳に響いた。

「いやあ素晴らしい、さすが貴方は我々が見込んだ通りの人だ。受け入れるだけの愚者ではないようですね」

 近くにあった噴水の陰から現れたのは、黒縁眼鏡の男。 
 いつかの人材管理課の男だ。

「あなたは……! 一体どういう事なの?」

 エルの質問にわざとらしくため息を吐き、男はニヤリと笑う。

「まあ……今更隠しても無駄だとは思うのではっきりと申し上げましょう、この一連の騒動は我々が意図的に引き起こしたものなんですよ」

「そんな……どうして!?」

「ここでのデータ収集は終わった、我々は次のステップへ進むのですよ。まあ要するにここは用済みというわけですね」

 男はただ淡々と説明していた。
 その言葉の裏で、何人の人間が死んだのかを想像する事も無く。

「それで彼に私を……殺させる気?」

「いえいえまさか、私は貴方をスカウトしに来たんですよ。助けに来たと言っても良い」

「どういう事?」

 男はニヤニヤと笑いながら、バーウィンに近づき彼の肩に手を置いた。

「彼を造ると決まってからの貴方の熱意はそれはそれは素晴らしいものだった! 匂いや握った手の肌触りや口調といった自分の中にあるあらゆる感覚、そして大事な思い出からほんの些細な仕草まで思い出し、可能な限り……いや文字通り二人目のバーウィンを造ろうとするあなたの姿は実に強く私たちの胸を打った!」

 わざとらしく、あえて大袈裟な口調と語り口はエルを苛立たせる。
 だがその言葉に嘘は無かった、それほどまで彼女は必死だった。

 一日ごとに消えていく彼の感覚、それを繋ぎ合わせ形にし思い出で色を付けた愛しい人形《バーウィン》。
 今すぐにでも彼を造らなければ、おかしくなりそうな自分を抑えながらバーウィンの制作に打ち込む彼女の狂気じみた熱意に彼らは感心していたのだ。

「我々は同志を求めている、そして貴方は我々と共に来る価値のある人間だ。だからこうして声を掛けたのですよ」

「嫌だといったら?」

「我々と共に来る事を拒むと? いいやそれはありえない、あなたはもう側にはいられないはずだ」

 その言葉の意味はすぐに分かった。
 バーウィンは彼女に向かって手を差し出す。

「エル、一緒に行こう」

「……やめて、今更……そんな」

「ならまた戻るのですか? 彼のいない世界に、貴方を腫れ物のように扱い、陰口を叩くような人間がいる世界に? どうせ誰も貴方を理解できない、貴方の生き方を認めない。辛いだけですよそんな世界、いいじゃないですか周りが何と言おうと、貴方は貴方の世界に生きて」

「私……私は……」

「エル」

 虹色の鎖が彼女の一番柔い所を締め付ける。
 
 頭では分かっていた。

 バーウィンは死んだ、もう戻らない。

 笑いかけてくれない、手を握ってはくれない。

 ぜんぶ、ぜんぶ分かっていた。

 それでもどうしようもなく求めてしまった。

 それほどまでに愛していたから、それほどまでに好きだったから。

 周りに何を言われても関係ない。

 もう一度だけでも手を握って欲しかった。

 もう一度だけでも笑いかけて欲しかった。

 例えそれが偽りとエゴで造られた、機械仕掛けのあなたでも。



「そう、それでいい」

 エルは立ち上がり、バーウィンの方を見た。

「……一つだけお願いが」

「なんでしょう?」

「リウちゃんは見逃して」

 傷の程度は分からないがバグウェットが追い付けば助かる見込みはある、エルは自分がどうする事もできない事を心苦しく思ったが、今はあの男に任せるしかない。

「いいでしょう、これから同志となる貴方の望みだ。その少女には手を出しませんよ」

 男は笑う。
 どうせじきに建物に潰されて死ぬのですから、という言葉を内に秘めて。
 
 エルは歩き出そうと足を前に進めようとした。
 だが、足は動かなかった。
 
 彼女が足元に目をやると、自分の右足のズボンの裾。
 そこを掴むリウの手が見えた。

「リウちゃん……?」

 ぼんやりとだがずっと意識はあった、だが頭部への衝撃と出血。痛みがリウから言葉と動きを奪っていたのだった。

「おや、意識がありましたか」

 傷口から流れ出た血液が、彼女の顔の右半分を赤く染めている。
 目は虚ろで、裾を掴んだ手は小刻みに震えていた。

「……行かせない」

 彼女の口から漏れた小さな言葉。
 絞り出した、残りカスのような声で確かに彼女はそう呟いた。

「駄目だよエルさん……こんな、こんな事をする人たちと一緒に行ったら……絶対、絶対ダメだよ」

「リ……リウちゃん」

「はっ、何を言うかと思えば……エルさん貴方はそんな言葉に耳を貸してはいけない! 早くその手を振りほどきなさい」

 狼狽えるようにリウと男をエルは、交互に見る。行くと決めたはずだ、自分の意思で、だがそれでもリウの手を即座に振り払う事は彼女にはできなかった。

「リウちゃんごめんなさい、私はもう……あっちに行くって……」

「絶対に行かせない、リウさん……駄目です。向こうに行ったらきっと、あなたは死ぬ。こんな風に……命を扱う人たちの所に行ったら……きっと」

 男はエルに聞こえないように小さく舌打ちをした、それは彼女がリウの手をさっさと振り払わない事とリウの言葉に苛立ったからだ。
 悪くない勘をしたガキだなと。

「エルさん! 早くその手を振り払ってしまいなさい! 何を迷っているのですか!?」

「で……でも」

「……貴方がそちらにいたいというのなら止めはしない、安穏と生きて行けばいい。彼のいない世界で」

 できない。
 エルはもう彼のいない世界で生きていく事ができない事に気付いていた、リウの事を軽視しているわけではない。
 彼女の存在は一時ではあったが間違いなくエルの心を温かく照らしていた、彼女に落ち度があったわけでは無い。
 あまりにもバーウィンの存在がエルの中で大きくなってしまっていた、それこそ彼女の世界の全てと言ってもいいほどに。

 彼のいない世界で生きる事は、死ぬ事よりも苦しい。

「ごめん……なさい、私はもう……彼のいない世界では生きていけないの」

 掴んだ手を乱暴に振り払う事はできなかったが、それでも少し力を入れて歩き出せばすぐに離してしまうだろうとエルは考えていた。
 だが動かない、リウのエルを行かせまいとする手に込められた力は少しも弱くなっていなかった。

「リウちゃんお願い……その手を離して! 私はもう駄目なの! ここで残っても辛いだけ、例え死んだとしても彼がいない世界で生きてる方がずっと辛いの!」

「だ、そうですよお嬢さん。結局のところ彼女を引き留めているのはあなたのエゴ! 自分が嫌な気持ちにならないために彼女を行かせまいとしている、彼女のエルさんの思いなど考えてもいない!」

 ここぞとばかりに男はリウを罵る。
 想定以上の足止めをくらい、彼は苛ついていた。

「生きていればいい事があるだとか、そういう綺麗事を並べて悦に入る。自分のエゴの為に彼女を地獄に引き留めている、どうしてそれが分からない!?」

「うるさい!」

 朦朧とした意識の中で、リウの口から先ほどとは違う強い言葉が飛び出した。

「知らないよそんなの! 訳わかんない事いつまでも言わないで!」

 傷の具合はまったく良くなっていない、大量の出血により意識は朦朧としすでに本能だけで話しているような有様だった。
 
「絶対に……行かせない……」

「リウちゃ……」

「分からないな、なぜそこまで頑なに引き留める? 出会ってそう時間も経っていないだろうに」

「関係ない、私はただ……エルさんに生きてて……ほし……いから。そう思った……から」

 リウはここで完全に意識を失い地面に頭を落とした、だがエルの裾を掴んだ手は少しも緩まってはいない。

「子供だな、いや頭がおかしいのか」

 男の口からそんな言葉が漏れ、そのあと彼がエルを呼ぼうとした時だ。

 足音、公園の人工芝も上を駆けてくる何者かの足音が聞こえた。
 徐々に近づいてきた人影は、バーウィンに向けて弾丸を放つ。

 顔色一つ変えずにそれを躱し、彼は身構えた。
 目の前に現れた自身の敵に。

「ったくこんなとこで何をチンタラしてんだ」

 バグウェットはエルの前に立ち、弾を入れ直す。
 彼は状況を詳しくは把握していなかったが、倒れたリウとそれに対するバーウィンと男の姿を見て反射的に弾丸を放っていた。

「次から次へと……邪魔な奴らだ、よほどお節介が好きな連中と見える」

 男の言葉を無視し、バグウェットは倒れたリウに視線を向けた。
 頭部からの出血、裾を握った手、困惑したエルの表情、お節介、向こう側にいたバーウィン、それらの要素を組み立て終えてからバグウェットは口を開いた。

「お前、向こう側に行くつもりか?」

「え?」

「ほう、ずいぶん察しがいい。その通り、彼女は我々の同志となる。もう邪魔はしないでもらいたい」

 その言葉を聞いたバグウェットは、自分の考えが間違っていなかった事を確信する。
 そしてエルの方を見た。
 それは冷たい、試すような目だった。

「行くんだな向こうに」

 その問いにエルは即答できなかった。
 全身を刺すような感覚、言葉を一つ間違えれば死んでしまうような感覚がのせいで。

「そうかい、なら勝手にしてくれ。あんたの親父には娘は死んだって言っとく」

「なに?」

「そうそう、お前らの邪魔もしない。こんな奴とっとと連れて行っちまえ、ただ俺たちだけは見逃してもらう」

「ふざけるな! そんな事が通じると思っているのか!?」

「いいじゃねえか、それくらい。こんなくたびれた中年と頭のおかしいガキ一人、見逃しても大した脅威にゃならねえだろーよ」

 ヘラヘラと笑い、バグウェットはリウを持ち上げる為に彼女の横にしゃがんだ。

「エルさんよ、悪いがこいつの手を剥がすの手伝ってくれねえか」
 
 予想外のバグウェットの態度に、エルはもちろん男ですらその行く末を見守ってしまっていた。
 男からすれば邪魔がいなくなればそれでいい、ここで逃がしても後でどうにでもなるという考えはあったが。

「何してんだ? 早くこいつの手をふりほどけよ、ちょっと強く足を振ればすぐだ」

「な……」

「さっさと向こうに行っちまえ、そんで二度と戻ってくんなよ」

 予想外ではあるがとにかく今はこれでいい、男はふうとため息を吐くとエルに向かって声を上げる。

「エルさん! さあ! 早く!」

 エルは足を振れない。
 バグウェットの言う通り、少し強く足を振ればリウの手は振りほどける。

 にもかかわらず足を振れない。
 彼女には分かっていた、ここが最後のラインだと。
 ここを超えてしまえばバグウェットが嘲笑と軽蔑の目を自分に向け、そして立ち去ってしまう事を彼女は容易に想像できた。
 だから彼は彼女にリウの手を振りほどくように促した、自分の意思でを去ったのだと自覚させるために。

 息が吸えない、胸が苦しい。
 決めたはずだ、向こうに行くと。
 諦めたはずだ、こちらで生きていく事を。

 だから振りほどかなければならない、血を流しながら自分を止めてくれた手を。
 置いていかなければならない、僅かな付き合いの中で温かい気持ちをくれた人を。

 エルの全身から嫌な汗が滲み出る、呼吸は乱れ視界が揺らぐ。
 ちょっと力を入れて足を振ればいい、たったそれだけだ。

 早く、早く、この手を振りほどかなければならない。
 
「なに迷ってんだよお前が好きになったのは」

 ゆっくりとバグウェットの指がバーウィンに向けられた。

なんだろ?」

 指先の向こう、そこにいるのはバーウィン。では、ない。
 
 きっと彼ならここでリウの手を振り払う事を許しはしないだろう。
 𠮟りつけ、自分をたしなめるだろう。

 今のようにただ自分にずっと優しい笑顔を向けてはいないだろう。
 怒りもする、泣きもする、それが普通だ。なぜなら彼女が好きになったのはバーウィンという人間なのだから。

 エルは自分でも知らぬ間に涙を流していた。
 あふれる涙は彼女の愚かさと、弱さと、そして人間である事の証明に違いない。

「ちっ……もういい、殺せ! バーウィン!」

「はい」

 バーウィンはエルに向かって拳を握り、向かって来た。
 当然、その拳に迷いはない。
 ただ彼女の頭蓋を、命を砕くために彼は拳を振り上げた。

 鈍い金属音が響く、バグウェットはすんでの所で拳を銃で受け止めた。
 そのまま間髪入れずに蹴りをバーウィンの腹に入れるが、わずかに後ろに下がらせただけで大して効いてはいない。

「泣く暇があるなら走って上を目指せ、そのアホを抱えてな」

 エルは泣きながらリウの手を離し、背中におぶる。

「さっさと行け、あれは俺が壊す」

 エルは何も言わなかった、ただリウを背負って上の階へ続く道へ走る。
 それを追わせまいと、バーウィンは向きを変えたが彼の鼻先を弾丸が掠めて行った。

「行かせねえよ」

 結局バーウィンも男も二人の後を追えなかった。
 忌々しそうに男がバグウェットを見る。

「……あのガキもお前も、ずいぶんとあの女に入れ込んでるな」

「そりゃあな、面も悪くねえし親も金持ちときてる。媚びを売るのも悪かねえさ」

「やはりそうか、でなければあんな女に肩入れしないだろう。恋人が死んだ程度でおかしくなるような弱い女だ、これを造る時の熱意は感服したがそれだけだ。我々と同じステージには立てないだろう」

「へえ」

「上手く使えば金も引っ張れそうだったし、何より馬鹿な男を釣るのにも使えそうな美味しい女だったが仕方ない。所詮は下らぬ世界でしか生きれぬ愚物だ」

 それを聞いてバグウェットは小さく噴き出す。
 男にはそれが妙に癇に障った。

「何がおかしい?」

「いやいや、別に。気にしないでくれよ、ただなあ」

 バグウェットは使った弾を少し笑いながら一発ずつ込める、そして二発の弾丸を入れ終えた時かれの顔に笑顔はなかった。

「傷心の女を捕まえて、世界だステージだと言うお前が……馬鹿らしくってよ」

「この……! 殺せ!」

 飛び掛かるアンドロイド|《バーウィン》、それを迎え撃つバグウェット。
 銃声が、死体に塗れた公園に響いた。
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