ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第二章 機械仕掛けのあなたでも

三十六話 ダーリンオーバーラン

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 驚きはあった。
 当然のように困惑もした。
 叫び出したい、泣き喚きたい感情は腹の底からふつふつと湧き上がってきている。

 舌に乗った悲鳴を噛み潰し、どうにかリウはエルの方を見た。

「人……死んで……嘘……」

 パニックを起こす彼女の肩をリウが掴むと、彼女は怯えた目でリウを見た。
 弱弱しい、あまりの恐怖と現実離れした状況に彼女の目からは涙すらこぼれない。ただただ、ひたすらに困惑していた。

「エルさん、落ち着いてください。大丈夫、大丈夫です」

 そう話すリウにエルは恐怖から、なぜそこまで冷静なのかと食って掛かろうとした。だが自分の肩を掴むリウの手が小さく震えているのに気づき、何も言えなくなる。
 リウが先ほど呟いた大丈夫という言葉は、決してエルだけに向けられたものではない。それは自身にも向けられた、大丈夫だった。

「少し落ち着きましたか?」

「うん……ごめん」

 良かったと言って無理に笑顔を作るリウに申し訳なさを抱きながら、おそるおそるエルは半開きになった扉の向こうに倒れた死体を見た。
 すでに生気を失った中年の男の死体、彼女はその顔に見覚えがあった。

「あの人……確か上の階に住んでた人よ」

「知ってるんですか?」

「何度か挨拶は……まだここに来て日が浅かったから詳しくは知らないけど、確か奥さんを亡くしてここに……」

「あの……まさかとは思いますけど、今までにここで誰かが殺される何てこと……ありました?」

「まさか、外じゃあるまいし。ここじゃほとんど争いなんてないわ、あっても精々が小さい言い合いくらいよ」

「ですよね……」

 とりあえずどうすればいいのか、リウには分からない。
 まさか自分たちで死体の処理はできないし、かといって入り口の前に放置しているのも良くないような気がする。

「とりあえず警備に連絡してみるわ」

「分かりました」

 そう言ってエルは部屋の奥にあるヒューマンリノベーション管理部への直通電話へ向かう、何か生活に関する不都合があれば電話一本で五分以内で駆けつけてくれる。
 建物内での殺人となればこれを活用しない手はないだろう、奥へ行ったエルを見送り、リウはとりあえずバグウェットに連絡を入れようと考えた。

 だが腕に装着されたワルコネはうんともすんとも言わない、ただ目の前に映し出された画面には『ERROR』の文字だけが浮かぶ。

「あれ……使い方間違ったかな?」

 自らの操作ミスを疑い、リウは何度かやり方を変えてみたがやはり上手くいかない。
 もしかしたら壊れているのかも、とも考えたが真新しい光沢を放っているワルコネが壊れているとは考えづらかった。
 どうにかできないかと試行錯誤を繰り返していると、エルが困ったような顔をして戻って来た。

「どうでした? 警備の人とは連絡取れましたか?」

「それが誰も出ないの、呼び出しはしてるんだけど……今までこんな事なかったのに」

 二人はお互いに立ち会った事の無い状況に困惑し、黙り込んでしまった。
 
 リウは何か嫌な予感がした。
 以前のラインズの時は気付けなかった、自分の中の平和に少しずつヒビが入っていくような感覚。あの倉庫でバグウェット達の戦いを見ていた時のような、人間の死を感じさせる肌を刺す尖った空気をリウは感じ取っていた。

「もしかしたら隣の部屋のなら通じるかも」

 少しでも状況が良くなればと考えたエルが思いついたのは、自分の部屋の電話が壊れているという考えだった。
 
「隣の? 貸してくれそうなんですか?」

「ええ、隣に住んでるのはジャンさんとアラーナさんっていう仲の良いご夫婦で二人とも優しいから」

 二人はどちらともなく頷くと、倍以上の時間をかけて部屋から出た。
 部屋の前の通路は嫌に静かで、どこか薄気味悪い。
 塵一つ落ちていない廊下だからこそ、部屋の前に横たわった男の死体がシミのような存在感を放っている。
 
 彼女の部屋の右隣、ジャンの部屋のインターホンを鳴らしたが反応はない。
 
「いない……みたいですね」

「この時間はいつも家にいるはずなんだけど……」

 そんな話をしていると、ガチャリと鍵が外れ扉が開く。
 中から現れたのは一人の老婆だった。
 薄紫色のセーターを着た白髪頭の上品そうな老婆の顔には、人の良さそうな笑みが浮かんでいる。

「あら、エルちゃん。どうしたの?」

「こんにちはアラーナさん、突然で申し訳ないんですが電話を貸してもらってもいいですか?」

「電話?」

 首をかしげるアラーナと目があったリウは軽く頭を下げる、それに応えるように彼女も頭を下げた。

「貸してあげたいのは山々なんだけど……うちのも調子が悪くて昨日から使えないの。ごめんなさいね」

「……そうですか」

 そんな話をしていると部屋の奥から何かが倒れるような音がした、音的には何か重い物が床に倒れたような、そんな音だ。

「いまのは?」

「さあ、何かしら」

 エルの問いに答えたアラーナの声はぞっとするほど冷たかった、温かみだとかそういう人間らしさを一切感じさせない声。
 言葉をただ読み上げているだけのような無機質さがその一言にはあった。

 気になったリウがひょいとエルの後ろから顔を出し、アラーナの後ろの部屋を覗き込む。
 部分的に見える廊下、その曲がり角から血まみれの老人が這い出てきた。

「に……逃げろ! 妻が……妻がおかしい!」

 そう叫んだのはジャンだった、彼は廊下の奥で頭から血を流しながら入り口にいる二人にそう力の限り叫んだ。
 そしてその叫びとほとんど同時に、アラーナは後ろへ振り返るとドアを開けたまま倒れているジャンの元へ勢いよく走り出した。
 そして倒れている彼に向かって、拳を振り上げると何度も何度も拳を振り下ろし始めた。

「やめ……! アラーナ! やめてくれ! やめ……!」

 振り下ろされるたびに悲鳴と共に血が壁などに飛び散っていく、ジャンの姿は見えないが段々と悲鳴が聞き取りづらくなっている所から考えるに、口元か顔の全体かの程度は分からないが、おそらく顔の形を変えられているのであろうことは分かった。

「あば……ばべ……」

 放心状態だった二人はジャンの死にかけた豚のような鳴き声で我に返り、理解した。
 ジャンの次は自分たちだと。

「エルさん!」

 リウは我に返ったものの、動けずにいたエルの手を掴むと勢いよく扉を閉めて走り出した。
 扉を閉める直前に、ジャンだっただろう肉塊がこちらを見ていたような気がした。

 それからリウとエルはがむしゃらに走った、廊下を何度か転びながらとにかく走った。
 走っている途中で目の前の扉が僅かに開き、その隙間から血まみれの手が廊下へ伸びる。だがその手を掴んだ別の手によって室内へと引き戻され、無情にも僅かに開いていた扉は閉ざされてしまった。
 
 自分たちが通り過ぎた部屋の中で何が行われているのか、それを想像しないように二人は走る。
 リウは自分がここへ来る時に使っていた通路へ通じる扉の前にたどり着いた、ここさえ抜ければ後は通路を走り抜けエレベーターに乗り地上へ帰るだけだ。

「はあっ……はっ……」

 息を切らしながらリウは扉に近づいた。

「待って……! まだ彼が……」

 扉にかかったリウの手をエルが握る、彼女はここにいないバーウィンの安否を気にかけていた。
 
「エルさん……」

「彼を……探さなきゃ……」

 リウは縋るエルに何を言うべきか、ただそれだけを考えていた。
 先ほどの男を殺したのは恐らくアンドロイドだ、もちろん人間の可能性も捨てきれないがエルの言葉から考えるにここでは人間同士の争いはほとんど起きない。
 というよりも起き得ない。
 
 なぜならここは、ここで生きる人間にとっての理想郷だからだ。
 死んだはずの大切な人がいて、生活に必要な物はほとんど揃っている。
 不足による争いは起きない、そして何よりここには自分と同じ境遇の人間しかいない。大切な人を失った人間しかいない。

 隣を見ても上を見ても下を見ても、どこを見ても自分と同じ不幸を抱えた人間しかいない。
 ある意味で平等な場所の一つともとれる。
 という点からも、アンドロイドが何らかの誤作動を起こし人を殺した。そう考えた方が自然だ。

 だがリウはそこまで考えていない、ジャンの先ほどの言葉である『妻がおかしい』という言葉から何かしらの理由でアンドロイドが暴走したのだろうという結論を、早々に自分の中で出していた。

 はっきり言ってそれだけならリウは躊躇う事無くバーウィンを探そうと言えた、暴走しているのが、おかしくなったのが一体や二体ならこの騒ぎはすぐに収まるからだ。
 だが違う、不自然な通信障害や転がる死体に殴り殺された老人と血まみれの手、そして自分が感じた嫌な予感。
 それらは最悪の展開をリウの脳内に浮かび上がらせている、それは『建物内の全てのアンドロイドがおかしくなっている』という展開だ。

 もし仮にそうだとすれば、バーウィンを見つけたとして自分たちの置かれた状況が好転するはずもない。
 自分もエルも最悪の形で今日を終える事になる。

 その可能性を捨てきれないリウは、何かを言おうとはしたが上手く言葉にできなかった。

「……ごめん、ここから先は一人で行って」

 リウの不安を感じ取ったエルは、自分の身勝手さに気付き寂しげに笑顔を作った。
 
「だ……駄目です! 一人でここに残るなんて……!」

「リウちゃん……分かってる、分かってるの。でも、それでも……私には彼がいないと」

 全てのアンドロイドが暴走している、その可能性に辿り着かないほどエルは無能ではない。
 だが『きっとバーウィンなら大丈夫』という根拠の無い、朝靄のような希望を捨てる事ができずにいた。

「私は大丈夫、だから行って」

「でも……」

「お願い」

 エルの言葉には力あった、言葉自体は頼む者の立場から放たれているにも関わらず、一つ一つの言葉に明確な力を持った意思が込められている。
 何も言えなくなったリウの手を引いて、彼女は扉の横にある端末を操作する。入る時には担当者の網膜認証と指紋認証が必要で、居住者が外へ何かしらの理由があって出る際も本来であればその旨を申請書に記入し許可を取らなければ、この扉は開かない。
 だが非常事態や、急に外に出なければならない理由ができ場合は個々人に与えられたパスコードを端末に入力する事で扉を開く事ができる。

 エルは今まで一度も使ったこと無い四桁のパスコードを、端末に入力した。

「えっ?」

 扉は開かなかった。
 何度も入力するが、エラーを示す短い電子音が鳴るばかりで扉は一向に開かない。

「……どうして」

 打ち間違えているわけでは無い、一度も使った事が無いとはいえたった四桁のパスコードだ。
 そうそう間違えるようなものではない。

「リウちゃ……」

 扉が開かない事を伝えようとエルが後ろを振り返る。

「どうかしましたか?」

 エルの行動を見ていたリウの後ろ、距離にして二百メートルほど後方の通路でアンドロイドが人を殺していた。
 首を締めあげ、へし折る。
 遠目にも体を宙に浮かせた人間の体から力が抜け、ぶらぶらと力なく揺れているのが分かった。
 そして死体を床に落とすと、体の向きをこちらに変え走り出した。

「リウちゃん走って!」

 全身が総毛だつ、エルは無意識に声を荒げていた。
 自分の後ろを見て表情を変えたエル、そして『走れ』という言葉。それはリウが彼女と共に走り出すには十分な理由になった。

 走りながら次々と階を降りていく、そして階を降りる事に徐々にここで何が起こっているのかが明らかになっていった。

「うわあああ!」

「やめ……!」

「どうして……どうして!」

 三階の公園は地獄のような有様だった、あちこちに人の死体が転がり耳を塞ぎたくなるような悲鳴と慟哭が満ち満ちている。
 ベンチに座ったまま息絶えている者、今まさに噴水の中へ顔を沈められている者、足を折られたのか片足を引きずりながら逃げる者。

 最愛を模した鉄の塊に蹂躙される様は、あまりにも惨たらしいものだった。

「た……たすけ……」

 地獄の只中を走る彼女らに手を伸ばす女がいた、リウがその声に気付きその方向を見た時には、すでに後ろから迫っていたアンドロイドが彼女の首を百八十度に回していた。

「う……」

 こみ上げる悲鳴と、涙を堪えながら公園を抜け二階へ降りる。
 アミューズメント施設も似たような地獄だった、更に彼女らは階を下る。

 辿り着いた一階にもほとんど同じ惨状が広がっていたが、生きている人間が少ないのかアンドロイドの数も少ない。
 二人は洋服屋のカウンター裏に身を潜めた。

 体を小さくした二人はしばらく喋る事ができなかった、緊張状態のまま走り続けた事により体には感じた事の無い疲労が蓄積している。
 呼吸と心が整うまで実に十分もの時間を要した。

 呼吸と心が整った後でも、二人は口を開けなかった。
 脳裏に焼き付いた、悲鳴と惨劇が二人から言葉を奪ってしまっていた。

「……おい……おい」

 掠れるような声を聞き、二人は同時に声の方を見る。
 隠れていたカウンター裏、その更に奥の店員の控室から男が二人を呼んでいた。

「だ……誰!?」

「大きな声を出すな、とにかくこっちに来い。そこは危ない」

 顔を覗かせていた男の奥から、女性が顔を見せる。
 二人を見て、彼女は小さく手招きをした。

 何かの罠かもしれない、という考えも浮かんだ。
 だがもし本当に罠で、自分たちを呼んでいるのがアンドロイドだとすれば、いちいち声などかけずに早々に殺せばいい。
 
「ど、どうする?」

「……行ってみましょう」

 陰になっているとはいえカウンターは少し除けば彼女たちの姿はすぐに見えてしまう、ここにいるよりも奥へ隠れた方がずっと安全だろう。
 リウの言葉にエルも静かに頷くと、二人は物音を立てないように店の奥へと進んだ。
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