ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第二章 機械仕掛けのあなたでも

二十四話 コレクトオムライス

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 初めてだった、誰かを心の底から好きになったのは。
 初めてだった、自分の全てを捧げても良いと思える人に会ったのは。
 初めてだった、目の前からいなくなった人を想って泣き叫んだのは。
 彼女にとっては、その全てが初めてだった。

 深い深い悲しみの底で、エルは泣いていた。
 涙も枯れ果て、ただ色と輝きを失っていく世界を見ていた。彼女には世界が色褪せていくのを止める事ができたのかもしれない、彼女はその術を持っていたのかもしれない。
 だがそんな事はどうでもよかった、色褪せていく世界にすでに興味は無く。あるのは、悲しみの果てに辿り着いた虚無だけだ。
 
 誰も彼女を救えない、友人も過去の偉人も父でさえ。
 
 彼女は今でも夢を見る、大好きな彼が何よりも愛おしい彼が崩れて消える夢を。


「う、うううう……」

 うたた寝していたエルは、ソファーの上でうなされていた。
 彼女は夢を見ているのだ。自分にとってこの世界で一番見たくない悪夢を、汗を搔きながら息を荒げて彼女は呻く。
 彼女は体を優しく揺さぶられ、目を覚ました。
 ひどく喉が渇いた、誰かを殺した後のような気持ちで。

「大丈夫?」

「はあーっ……はあっーっ……はー……」

 酸素が体に入らない、肺が膨らまない、酸素の薄いかほとんどない場所から帰って来た彼女はひどく疲れていた。
 体は汗を滝のように掻き、全身を気持ち悪い倦怠感が包んでいる。
 隣に座っていたバーウィンが、震える彼女の頭を優しく撫でた。
 
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて、今日ここに来たあの人のせい?」

「バーウィン……」

 エルは泣きながらバーウィンに抱きついた、その胸に顔をうずめて子供のように泣く。
 泣きながら強く強く、その体を抱きしめる。

「いるよね? バーウィンは……ここにいるよね?」

「いるよ、エル。大丈夫、僕はどこにもいかない」

「うん……うん」

 泣きじゃくる彼女は、彼の体を更に強く抱きしめる。
 柔らかな皮膚、心地よい声、その体から伝わる熱、何一つ嘘は無い。バーウィンが死んだ事はきっと何か悪い夢を見ていたのだろう、彼は今も生きていて自分の事を強く優しく抱きしめてくれている。
 
 ここにいるバーウィンこそが本物だと、彼女は本気でそう信じていた。



 バグウェットは煙草を吸い終え、店の中に入る。
 彼の目には、自分を恨めしそうに見ながらジュースをあおるシギとカウンターで楽しそうに話をする、リウとジーニャの姿が映る。

 機嫌の悪いシギにはあえて触れず、バグウェットはズカズカとカウンターまで歩きリウから一つ席を空けて座った。
 
「あんたさあ、シギ君にちゃんと謝っときなよ?」

 バグウェットにグラスを用意しながら、ジーニャはため息を吐く。
 シギがバグウェットに切れているのを見るのは、一体何度目か彼女はもう数えるのも馬鹿らしくなっていた。
 相手の目を気にする事無く怒れるというのは、それだけ打ち解けたとも言えるが毎度毎度シギがあまりにも気の毒なため、あまり良い傾向では無いとも言える。

「謝ってどうこうなる問題なら謝るけどよ、ありゃ一言二言ぐらい謝ったってどうにもならねえよ」

「もう……屁理屈ばっかり」

「そうだよバグウェット、やっぱりちゃんと謝ったほうがいいって」

「なんだなんだ、寄ってたかって。勘弁してくれよ」

 バグウェットは用意されたグラスにウイスキーを注ごうと、カウンターに置いてあったボトルを持ち上げようとした。
 だがその手はジーニャによって抑えられ、彼はウイスキーをグラスに注ぐ事ができない。

「謝りなさい、さすがに今回はあんたが下手糞すぎ」

「……分かったよ」

 母親に叱られた子供のように、バグウェットは渋々とシギの所へ行く。

「あー……その……なんだ……悪かった。俺が軽率だった、次は気をつける」

 シギはジロリとバグウェットを見る、次は気を付ける一体その言葉を何度聞かされた事か。
 次は、次は、次は……いい加減聞き飽きたとシギは言いたかったが、もはやそういう人間だとそろそろ諦めもついてきた。
 それに彼には恩もある、シギは大きく深いため息を吐いた。

「ワオスイーツの飴百本セット」

「買ってやる」

「事務所のトイレ掃除一週間代行」

「代わってやる」

「諸々の経費計算」

「……やり方を教えてくれたらやってやる」

「後は……」

「お前いい加減にしとけ」

 すでにシギの怒りは収まっている、バグウェットが女性陣から正論でリンチされているのを彼はジュース片手に満足そうに見ていた。そのため一言だけ謝ってくれれば、それ以上は何も言わないと思っていたのだが、あまりにも要求が気持ちよく通るためついつい欲を張ってしまった。

 そのせいで彼は、煙草臭い中年男にヘッドロックをかまされる羽目になった。



 ひとまず和解を済ませ、三人はジーニャの作った夕食を食べていた。
 今夜のメニューは彼女手製のオムライス、バターを使って焼いた卵はフワフワで程よく味が付いている。
 そしてそれに包まれたチキンライス、これがまた絶妙なのだ。ケチャップは均等に満遍なく米に色を付け、食べやすい大きさにカットされた鶏肉は火がしっかりと通り美味い。
 卵とチキンライス、それぞれが十分すぎる力を持っているというのにそれを合わせてしまったのだ。この悪魔的美味さのオムライスを前にしては、三人もただ黙ってそれを口に運ぶ事しかできない。

 ただ唯一バグウェットだけは、その完璧なオムライスを自分なりのアレンジを加えて食べようとした。
 だが他の二人に全力で止められたため、仕方なくそのままのオムライスを食べた。

「それでこれからどうするの? このままじゃ本当に失敗しちゃうわよ」

 皿を洗いながら、ジーニャは心配したように視線を三人に向ける。
 腹が膨れても事態が好転したわけではない、もしこのまま何も手を打たなければ彼らは飴玉一つ、煙草一本吸えなくなってしまうのだ。

「まあ何とかするさ、俺も仕事をしてる身なんでね。報酬分は働かねえとな」

 バグウェットが視線を送ると、シギは何かに気付いたように飲み物を持ち、リウを連れてカウンターを離れる。
 その行動の意味が、リウはよく分からなかったがいつもより少し強引なシギの勢いに負け、カウンターを離れた。

 二人になり、バグウェットとジーニャの間に流れる空気が先ほどよりも少しだけ強張る。

「それで今回は、どういう情報が欲しいわけ?」

「ヒューマンリノベーション、知ってるか?」

「うーん……私のとこには無いかな。あっ、アウルなら知ってるんじゃない?」

「あー……かもなあ。しゃーねえ、あっちにあたるか」

 アウルはジーニャと同じ情報屋であると同時に、この街で五指に入る天才ハッカーである。
 あらゆる機器を操作し、この街にある企業や組織の秘密を盗み出しそれを使って取引する事で生計を立てている。アウルはその天才的な腕を持ちながらも、どの組織に属する事も無い中立的立場を取っている。

 周りの企業や組織からすれば、そのハッキング技術や日常の電化製品から遠隔式ドローンまで、ありとあらゆる電子機器に関する知識と技術を持ったアウルは是非とも味方につけておきたい存在だった。
 だがどれだけ好待遇を提示しても、アウルは首を縦には振らずあくまでフリーランスとして今日まで活動している。
 
「あいつに頼めば問題ねえだろ、さてそっちが片付いたとなればもう一個の方か」

「もう一個? 何よそれ」

「……父親だよ、依頼主のな」

 エルは父親に対して明らかに失望していた、それも相当に。
 バグウェットたちの所に来たパトリックと、エルの中にある父親の印象にはどうにもズレがある。
 彼はそのズレを直さなければ、この依頼に本当の意味で向き合う事ができない気がしていた。

「ま、上手くやんなよ。あんたも一人じゃないんだからさ、もうちょっと考えてね」

 ジーニャの視線は、後ろで仲良くジュースを飲むシギとリウに向けられた。

「その事なんだけどよ、お前リウだけでも預かれねえか? あいつは……」

「ちょっと、それ以上は何も言わないでよ。あんたの言いたい事は分かる、けどそれは無責任すぎるでしょ。だったら最初から助けないで」

 ジーニャの声には怒りが滲む、彼女は別にリウの事が嫌いなわけではない。
 可愛い妹のようにも思える、だがだからといってバグウェットの提案を受け入れるわけにもいかなかった。
 彼女は元々あの日に死んでいた、だが誰に頼まれたわけでもなく自らのエゴでバグウェットはリウを救ったのだ。

 言うなれば、彼女はバグウェットのエゴによってここにいる。
 助けるだけ助けて、その尻拭いを誰かにさせる。それはあまりにも無責任すぎると、ジーニャは怒っていたのだ。

「それにあの子はあんたの事、少なからず信頼してる。シギ君もね」

「いや、それは無い。断言してもいい」

「またそんな事ばっか、きっとあんたがいなくなったら二人とも悲しむよ。それこそ、そのエルって子みたいにあんたみたいなアンドロイドを造るかもね」

「ありえねえな、見てろ」

 バグウェットは、後ろの二人の方に向き直った。

「なあお前ら、俺が死んだら俺そっくりのアンドロイド造るか?」

「造るわけないじゃないですか、あっでも要望出して綺麗なバグウェットでも造ってもらいましょうか」

 あまりにもあっけらかんとした物言いのシギ、さすがにリウは大きく同意する事は無かったが、申し訳なそうに笑いながら手を合わせていた。

「な? 言ったろ?」

 そう言って笑うバグウェットの声は、少し震えていた。

「……ごめん」

 ジーニャの口からは一人の男を憐れんだ、素直な謝罪が漏れた。
 それが男の心を更に傷付けた。

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