神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第九章 歪な夏

六十二話 黄昏時の小路にて

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「さて……必要な物は全部買ったな」

 一輝は左手に持った袋の中を見る、パンパンになった二つのビニール袋の中には食材や生活用品がぎっしりと詰まっていた。
 夕暮れ時の大通りは、人で溢れている。
 買い物中の主婦や一輝と同い年くらいの子供たち、仕事終わりのサラリーマンなど多種多様な人間がそれぞれ歩いている。

 陽は傾き始めたが、まだ空気は昼間の暑さを忘れていないらしい、何とも嫌な粘りつくような暑さが満ち満ちている。
 一輝は額に滲んだ汗を拭い、家へ向かって歩き出した。

 後ろを歩くサグキオナは、やはり何も言わない。
 歩いている時はもちろん買い物をしている時も何一つ喋らない、影のように一輝の三歩ほど後ろを付いて回っている。
 表情も変えない、足音も立てない。
 その姿は神というよりも幽霊のようだった。

 一輝も本当はもう少し話をしてみたいが、外でサグキオナと話すのは難しい。
 なぜなら彼女の姿は他の人間には見えないからだ、彼がサグキオナと話をしている姿は周りから見れば何も無い空間に話しかけるただの不審者にしか見えないのだ。

 それを分かっているからこそ、一輝も下手に声をかけられない。 
 だが話しかけない以上は、向こうも話さない。
 そんなもどかしい関係が続いていた。

 スーパーや店が多く立ち並ぶ通りを抜け、一輝は家へ帰るため人通りの少ない道へ入った。
 この道は細い上に両脇の高い塀のせいで他の道と比べると薄暗く、通る時は早足になるような道だ。
 あまり使わない道だったが、以前通った時にいつもよりも早く家に帰れた事を思い出し、彼はこの道に入ったのだった。

「なぁ、いいじゃねえかよ。ちょっとくらい付き合えって」

「そうだよ、ぜってえ損はさせねえからさ」

 道を歩く彼の耳に、頭の悪い声が響く。
 声のした方を見ると、柄の悪いいかにもな二人組が誰かに絡んでいるらしい。
 雰囲気的にはあまり良いものでは無い、彼は絡まれている誰かを助けようと一歩前に踏み出した。

「やめた方がいいと思いますが」

「……こういう時は話しかけてくるんだな」

「必要かと思いまして、あなたは他の人間に比べて危機管理能力が低いようですから」

「そうかもしれないな」

 そう言って一輝は二人組の方へ歩いて行く、サグキオナはただそれを見ている事しかできない。

「あ? 何だお前?」

 一輝が近づいていくと、男の一人が彼の存在に気付いた。
 男はすぐさま邪魔者である一輝を排除しようといきり立ったらしい、威圧的な態度のまま彼に向かって来た。
 もう一人の男もそれに合わせて向かって来る、彼は何も言わず二人が来るのを待った。

「何見てんだよ、邪魔だ。消えろ」

「すいませんが、そちらの方が困っているようでしたので」

「困ってるだあ? おいおい何言ってんの? 言いがかりはやめてくれよ、俺たちはただ遊びに誘ってるだけだぜ?」

「そういうこった、痛い目みねえうちに消えろガキ」

 男の一人が一輝の肩を軽く小突く、だが彼はその場から立ち去ろうとはしなかった。男は舌打ちし、一輝の胸倉を勢いよく掴んだ。

「おい、言葉わかんねーのか? 消えろって言ってんだよ!」

「まじで怒らせない方が良いよ? そいつキレたらまじやべーからさ」

 男たちの怒りが段々と溜まってきているのは誰の目にも明らかだった、恐らくあと一つ何か反抗的な態度を見せれば、殴りかかって来るというのは目に見えている。
 だが一輝はやはり何も言わず、そして退こうとはしなかった。
 その態度に、ついに男の怒りが頂点に達した。

「てめぇいいかげんにしろよ!」

 男の拳が一輝の右頬に当たる、さすがの彼もたまらず地面に倒れ込んだ。

「しゃしゃってんじゃねえぞ! このクソガキが!」

 男は一輝の身体に二、三回蹴りを入れる。
 もう一人の男は自分は知らないとでも言いたげに、手を出すわけでも無くスマホをいじっていた。

「おい! お前ら何してる!」

 声を上げたのは警官だった、男たちはその姿を見て我先にと逃げ出す。
 警官は無線で仲間に男たちの事を伝えると、一輝に手を貸して立たせてくれた。

「大丈夫か? 痛むところは?」

「大丈夫です、ありがとうございました」

 一輝の素直な感謝に浅黒くやけた顔を崩して、中年の警官は笑った。

「いやいや、お礼なら彼女に言ってくれ。君の事を助けようと必死だったからね」

 警官はそう言って仲間の所へ合流するため、後で話を聞くかもしれないと言って一輝から連絡先を聞き走って行った。
 残されたのは、一輝ともう一人。あの男たちに絡まれていた少女だけだった。

「ありがとうございました」

 白いワンピースを着た少女は、一輝に頭を下げた。
 年は彼と同じくらいで、身長は彼の肩くらい。金糸のような細やかな髪と、鈴の音のような、澄んだ美しい声を持った少女だった。

「いえ……こちらこそ助けられました。情けない事に、いざ前に出たらうまく言葉が出なくて……」

 その言葉に少女は小さく笑う。

「それはあなたが優しいからですよ」

「そうでしょうか?」

「ええ、声を聞けばあなたが優しいという事くらいは分かりますから」

「声?」

 その時初めて一輝は、少女の目が見えていない事に気付いた。
 彼女の手には買い物袋と一緒に白杖が握られており、その柔らかい瞼は固く閉ざされていた。

「失礼ですが……目が?」

「はい、ほとんど見えていません。明るさくらいは少し分かりますけど」

 彼の言葉に少女は事もなげに答える、彼はなぜあの二人組が彼女に詰め寄ったのか分かったような気がした。
 そして同時に怒りがふつふつと湧いてきた、同じ男として恥ずかしいとさえ思うほどに。

「では私はこれで、本当にありがとうございました」

 少女は頭を下げ、彼に背を向けて歩き出す。
 その小さな背中を、彼はただ見送る事などできなかった。


「すいません、助けていただいた上に荷物まで……」

「いえ、これくらいは」

 一輝は少女の荷物を持ち、隣を歩いていた。
 荷物を持つと言った時、彼女は申し訳ないからとやんわり断ったが最終的には彼の提案を受け入れた。

「正直なところ助かりました、この町にも日本に来てからもまだ日が浅いので」

「今までは海外に? それにしては日本語が……」

 彼がそう呟いてしまうのも無理はない、少女の話とその風貌から明らかに外国人であるはずだが、彼女の日本語は流暢そのものだ。
 生粋の日本人である彼と比較しても大差ない。

「両親の影響なんです、父は日本が好きで昔から日本語のスクールにも通ってましたし、母は日本人でしたから」

「ああ……なるほど」

 謎が解け、彼はつい油断してしまった。
 その油断につけこむように、小さな段差が少女のバランスを崩す。

「あっ……」

「危ない!」

 バランスを崩した少女を助けようと、一輝は咄嗟に手を伸ばす。
 彼の右手は彼女の手を、しっかりと握り支えていた。

「大丈夫ですか!?」

「はい……ありがとうございます」

 焦りと驚きで脈打っていた心臓が収まると、彼はまた別の事で心臓の鼓動を早くした。
 柔らかく、自分の手よりも少し小さい少女の手。
 初めて触れた手は、あまりにも華奢で温かった。

「あっ……えっ……すいません!」

 彼は顔を赤くしながら少女から手を離そうとしたが、逆に彼女の方が手に力を込めた。

「大丈夫ですよ、せっかくですしこのまま手を引いて貰ってもいいですか? 嫌じゃなければ……ですけど」
 
 一輝はその問いには答えなかった、というよりも答えられなかった。
 嫌なわけがなかった、むしろ向こうの方が嫌ではないか心配していた。緊張のせいで彼は少しだが手汗をかいている、それが不快に思われないか、それが心配だった。
 
 だが手を握るのが嫌じゃない事も、手汗の事も口に出す事ができない。
 口に出した瞬間に顔から火が出るような気がしてならなかった、だから彼は彼女の家に着くまで彼女の話にぎこちない返事で付き合う事と、できる限り優しく手を引く事でその問いに答えるしかなかった。

 少女に案内されてやってきたのは、町外れの小さな教会だった。
 蔦におおわれた石造りの壁に囲まれた、かなり年季の入った教会で屋根のてっぺんにある十字架は少し錆びている。

「この町にこんな協会が……」

 古さの中に神秘めいたものを一輝が感じていると、少女は静かに彼の手から離れて行った。
 そこにあったはずの熱の喪失に、彼は自分でも驚くほど寂しさを感じていた。
 一体それが何なのか、まだ彼には分からない。

「今日は本当にありがとうございました」

「いえ、本当に自分は何も……」

「そう謙遜しないでください、さっきも言いましたけどあなたが優しいという事、私を助ける為に必死になってくださったという事は十分伝わっていますよ」

「……ありがとうございます」

 一輝は深々と頭を下げ、彼女に背を向けて歩き出そうとした。

「あの」

「え?」

 呼び止めの声と共に彼は足を止めて、振り返る。
 少女は彼の方を見て、控えめに唇の端を上げる。

「また、会ってくれませんか?」

 絞り出したような、頑張って出したような声が聞こえた。
 少女の顔は夕暮れのせいか、少し赤らんで見える。一輝の顔は夕日のせいにはできないほど、赤くなっていた。
 温い風が吹く、夏の匂いが濃くなっていくような感覚に彼は襲われていた。

「また……また来ます、絶対にまた来ます」

 熱にうなされたように彼は答えた、それに満足そうに少女は笑う。

「そういえば、お名前は?」

 少女の言葉で、彼はまだお互いに名前も知らない事に気付く。
 
「宇佐美……宇佐美一輝です、君は?」

「私はダリア、ダリア・プリセツカヤ。じゃあまたね、宇佐美くん」

「ああ、また」

 そう言って今度こそ二人は別れた。
 名残惜しくはなかった、また会おうとお互いに口にできたから。
 夕暮れに吹くぬるい風、夏はまだ始まったばかりだ。
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