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番外編―本編の補完―
宵闇に浮かぶ月<その1>
しおりを挟む初夏が過ぎ、夏を迎えようとしていた。
磨き上げたテーブルの上には、白いテーブルクロスが敷かれている。その真ん中に置かれた花瓶の中には、季節外れの花が一輪挿してある。庶民が楽しむような名もない雑草の花で『綺麗だったから』という理由で飾られたものだ。
「王妃様の考えがわからないわ」
見栄えの悪い花を嫌そうな顔で見つめるのは友人でもある女中長だ。こんな花では恥ずかしくて誰も迎えることができないと不満そうな声色で私に喋りかけてくる。異例尽くしの王妃様は、やはり特異な存在だった。
王妃様の自室に客人が招かれることは、あまりないことだ。部屋には足の踏み場もないほどに薬草が積み上げられ、怪しげな薬品が放置されている。他の部屋に比べると落ち着かない部屋と化していた。
新入りの女中ならば、その異様な光景を見れば、数日はうなされて寝れなくなるだろう。私がそうだった。恨めしそうに目玉が動く龍の生首とかサイクロプスの舌とかグロテクスな素材もあるのだ。
「やだ……、また龍の目から涙が出てる」
「王妃様が見たら、喜びそうだけどねぇ……」
普通の女性であれば悲鳴を上げて逃げ出すだろう。即日で辞表を提出されたこともある。かろうじて残った肝っ玉の女中――現在は女中長に昇格したが――その涙ぐましい努力は無駄に終わっている。
ここは本当に王妃様の部屋なのかと問い正したくなる惨状ではある。『魔女の館』とは、誰かが名付けた別称ではあるが、現状に当てはまっていた。
私は眉を顰めつつも、この乾いた薬草の独特な匂いもまた良いものだ、と胃に負担がかからないように、出来るだけ前向きに考えることにしている。国王陛下は、部屋を彩る花がみすぼらしくとも、生首が転がっていても気にする方ではない。
良くも悪くも王妃様しか見ていないからだ。そして、私もそのような些細な事に、構っていられなかった。どうせ勿体ないほどの陛下の愛情は王妃様にだけ向かわれているのだから、心変わりすることはあり得ない。
あるわけもないことを心配していても仕方のないことだ。
「大変です、レディ先生!」
女中長ヘレンと、愚痴混じりの情報交換をしていると、王妃様付きの侍女が息を切らせながら走ってきた。
私は報告を受け、頭を抱えた。部屋の中にまでもギラギラとした太陽の光が照り付け、頭が沸騰しそうだった。
あれだけ言っているのに、またやらかしたらしい。
深々とため息をつく私に、本棚の塵を叩いていたヘレンは手を止めて私を見た。
「またなの?」
「そうなのよ」
「今度は何をしたのかしら? 貴方も大変ね」
「大精霊を助けに行ったらしいんだけどね……」
「まぁ」
情にもろく、義を大事にするのは良いことだが、立場を忘れてもらっては困る。もう庶民でなく、国民の信望を一身に集める王妃なのだ。それなのに、この王妃様は、ときおり行方不明になるのだ。風の魔法に長けており、あっちこっち行き放題。魔力のない一兵卒が見ても、つむじ風がわき起こったぐらいにしか思わないだろう。
今度の生徒は、子供ではない。10に満たない子供が結婚が決まる昨今では、年齢的に言えば、立派な大人と言ってもいい。
それなのに、生まれの悪さを隠そうともしない。その堂々たる振る舞いが、庶民に大いに受けているが、こんな野生児は生まれて初めてみた。庶民出なのだから当たり前なのかもしれないけれども、感性の違いが問題だった。
けれどもそこは一度引き受けたものだから、意地としか言いようがない。
不本意ながらも根が真面目なのか、既に言葉のなまりは解消しており、育ての母が踊り子であったためか、音楽や踊りの素養もある。裁縫に関しては本職の者も顔負けするぐらいの出来栄えで教えを乞うほどだった。
しかし王妃様は、覚える気がないものに関しては無関心を示した。
いくら聡明で頭が良くとも、覚える気がなければ、意味がない。時間と労力を、水に流すようなものだ。何度辞めたいと思ったことか。
この国は再興の途中にあり、ようやく食べ物には困らなくなってきたところだ。
けれども、まだ平和な国と呼ぶには程遠い。まだ建国して、そう時間が経っていないからだ。
そんな国だからこそ、これほど頼りになる王妃様もいなかった。魔物が村を襲ったりした時も、自ら率先して戦うので、軍の信頼も得ていた。
歴代の王妃様と比較しても遜色はなく、国民からも愛されている。
ただ、せっかちなのだ、この王妃様は。
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