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番外編―本編の補完―

そして私は僕になる<その5>

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あれから、幾年もの歳月が過ぎた。

エヴァは、いまだに僕を振り向いてはくれない。変わったもの、変わらなかったものがあるけど、虚しさを感じ始めていた。
生ぬるい風が吹く。
窓際に置いた白い花の花びらが、千切れるように1枚1枚散っていった。

「ん?」

目の前に大きな影ができた。それは、あまりにも不自然だった。人払いを命じたのに、誰か僕以外の人間が、この場に居るということなのか。
けれども警戒体勢をとる前に、いきなり頭を押された。この世がいかに広いとはいえ、何重にも張られた結界を容易く破壊し、こんなことが出来る人物なんて叔父さんかエヴァのどちらかしかいない。
すこし考えればわかることなのだが、予想外のことだったので、変な叫び声を上げてしまった。思わず、口を押えながら犯人を見上げると、愛しい人がそこに居た。

情けないことに、自分でも、怒りが萎んでいくのがわかる。
むしろ数日ぶりにエヴァと逢えたことが嬉しくて飛びつきたいぐらいだった。しかし、なんとか理性がその衝動を抑えた。
ここで下手を打てば、それこそ1か月は会話してくれないかもしれない。過去の経験から、それだけは避けたかった。

「いやぁ、収穫収穫! どうだ、これを見ろ」
「どうしたんですか、これ」
「遺跡に行ってきたんだよ」
「いせき?」
「ちょっと遠かったけど、行ったかいはあった! この遺跡をつくった奴は、よっぽどの酒好きだな!」
「危ないことはしないでくださいって、言ってるじゃないですか!」

どうりで酒臭いと思った。顔も真っ赤だし、おかしいなと思っていたのだ。その辺りの川で水浴びしてきたんだけどな、というエヴァに目を剥きそうになった。
一国の后が川で水浴びなど、言語道断である。
けれども、エヴァは酔っぱらっているらしい。
ワインの樽を1つ担いで持ってきたエヴァに敬意を表すればいいのだろうか。それとも泣いて怒ればいいのだろうか。

ぜんぜん取り合ってくれないと思ったら、どうやら元より部屋に居なかったらしい。
どうりで足音ひとつしないわけだ。
けれども、とりあえず無事で良かった。

「そうだ、エヴァ。見せたい花があったんだ」

そう言って置いていた花の鉢を持ち上げたけれども、かろうじて付いていた最後の花びらがヒラリと落ちてしまった。
そういえば、もう散りかけだったんだと落ち込んだ。なんでこう上手くいかないのだろうと失望する。こうして、エヴァが傍に居てくれるだけで奇跡なのだとは、自分に言い聞かせている。
結婚した経緯に重大な過失があったから強い態度にも出れない。けれども、内心不満と不安が渦巻いていた。日に日に不安な想いが黒い芽となり成長していく。嫌われていないのは確かだと思う。ただ、愛してくれているのかと問われれば、それは頷くことはできなかった。

彼女に直接聞いたところで本音は聞けないだろう。エヴァが、こんな近くにいるのに、心の距離はどんどん離れていく気がする。もがけばもがくほどに、恋心は傷ついていくばかりだった。
愛してはいけない人を好きになってしまったのだろうか。そう思うと、チクチクと棘で刺したかのように心が痛んだ。

「へぇ。こんな時期に、こんな花が咲いていたのか。きれいな花びらだな」

落ち込んでいる僕をしり目に、エヴァは弾けるような笑顔を見せていた。エヴァは腰をかがめると、散った花びらを摘み上げた。
こんなに機嫌のよいエヴァを見たのは何時ぶりだろうか。こんな散ってしまった花では、興味も示さないだろうと思っていたので、嬉しい誤算だった。けれども、花見をしようと言い出す彼女に、じっとりとした視線を贈る。

「まだ飲む気なんですか」
「あぁ、まだ夜も始まったばかりだろ?」

酒を飲み始める笑顔のエヴァに、この人には勝てないなあと思う。しかし、飲めといってグラスを突き出してくるのには参った。

「ぼ、僕も飲むんですか?」

幼い頃に酒を飲んだことがあるが、それ以降母に厳しく禁止と言われていたのだ。今の今までそれを守り通してきたのだが、エヴァは誰かと飲みたい雰囲気のようだ。
エヴァの傍に居ることが出来る、せっかくのチャンスだ。誰かに譲るのも勿体なくて、グラスを持ったまま僕は固まった。

「私の酒が飲めないとでも言うのか」
「いえ、そうゆうわけではないのですが」

開けっ放しだった窓から入ってきた風が、散った花を巻き上げた。一片の花びらがエヴァが持つグラスに入る。エヴァは嬉しそうに花びらを見つめた後、それを口に含んだ。

「ッ!?」

何が起きたのか、一瞬わからなかった。
柔らかいものが、唇に重なり、舌の感触がする。今まで飲んだことがないぐらい、芳醇な味わいのするワインが喉の奥に流れ込んできた。

「なんだ、そんなに美味しかったのか?」

なんでここまで鈍いのだろう、この人は。僕も大概だとは思うが、ここまで重症ではない。
そんな見当違いなことを言うエヴァが愛しくて憎かった。誘惑しているのかと思えるほど大胆な行動なのに、おそらく彼女にその気はない。

けれども、久しぶりに触れるエヴァの温もりに、涙が止まらなかった。


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