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代償

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「まさかとは思うが……アデルは、まだグルトと交尾していないのか?」

内容が内容なので、アデルだけに聞こえるように、ゼルシウスは小声で尋ねた。

「こ、こう……!? 何を言うのじゃ、ゼルシウス! お主こそ、酔ってるのではないか!?」

アデルの純情すぎる反応に、ゼルシウスは頭が痛くなった。

──まだなのだ。魂の契りはしているのに、交尾が済んでいないらしい。不完全な女神の加護だけで、良く世界を救えたものだと、ゼルシウスは呆れてしまった。
女神アデルと契ったからこそ、勇者の使命を代行出来たのだと思っていたが、認識不足だった。

どうやら大鬼グルトの力を過小評価していたらしい。

「教えたはずだ。……魂の契りだけでは、まだ仮初の関係でしかない。契りとは夫婦になるということだ。深く契ってこそ、その真なる力が発揮されるのだと……」
「せ、接吻なら……」

それなりに常識は教えたはずだが、性教育を怠ったツケがここにきたか、とため息をついた。

「接吻など数に入らなぬ。魂を契ったのは大分前だろう? ……グルトは神ではない、鬼だ。一刻もはやく深く契らなければ、そのうち神の香気で狂ってしまうぞ」

大きすぎる力を得るには、代償がある。

(女神の加護なしで、よくぞ正気を保てたものだ……)

酒宴などしている場合でないことを、ゼルシウスは知った。大鬼グルトが狂えば、それを制止することが出来るものが、この世には居ない。

世界の危機は、まだ去っていなかったのだ。

「そ、それはだなっ。我と契約出来る者が現れるとは思っていなくてな……。ま、まだ心の準備が……!」
「そのような生半可な覚悟で、契ったのか? ……待て、なぜ泣く」

あまり強く糾弾したつもりはなかったが、アデルの双眸からぽろぽろと涙が流れ落ちたのを見て、ゼルシウスは口を噤んだ。

刺すような視線を感じて、振り返ると、大皿を持った大鬼グルトだった。

「ゼルシウス。すまないが、今日のところは帰ってくれ」

グルトはアデルを抱き抱えた。

アデルは「グルト、何をする! この手を離せ!」と叫んでいたが、「ひゃ……! や、やだ、グルト……!」とやけに可愛らしい声を発した後、グルトに接吻をされて、静かになった。

グルトは理性的で大人しい鬼だ。アデルに命を救われたと聞く。忠誠心の塊のような男で、無理難題を押し付けられても顔色一つ変えず、やり遂げてきた。

「グルト」
「心配せずとも、今夜契る」
「……どこまで聞こえたんだ?」
「鬼の地獄耳を舐めないでもらいたい」

グルトの不機嫌な様子に、ゼルシウスはすべてを悟った。アデルの不用意な発言は、すべて筒抜けだったのだろう。もちろんおせっかいなゼルシウスの助言も。

「……料理、美味かったぞ。……また来てもいいか?」
「あぁ、また来てくれ。……俺も、あんたのことは尊敬しているからな」

グルトは世界を救うことに興味がなかったはずだ。グルトが興味があるのは、アデルだけだ。アデルを愛しているがゆえに、今まで我慢を重ねていたのだろう。

飲酒の影響もあったかもしれないが、アデルは気丈な性格の持ち主だ。無意味に泣く女ではない。

今日も明るく振舞っているように見えたが、その心は推し量ることは出来ない。もしかすると、深く契っていないことに対して、葛藤があったのかもしれない。

余計なことをした、とゼルシウスは反省した。

「もったいないから、これは食っていくぞ」
「好きにしてくれ」

今度来る時は、詫びの品でも持っていかないといけないだろうかと思いながら、ゼルシウスは残された食べ物を平らげ、酒を飲みつくした。

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