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運命の赤い糸【エドガー視点】
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仮面を付けていた女が、魔王の亡骸を地面に置き、仮面を顔から外した。精度の高い治癒魔法を魔王にかけ続けた厄介な敵で、何度も煮え湯を飲まされ、あと少しで倒せそうなところで魔王が全回復したため、撤退したこともある。
想定より戦闘が長引いた元凶だ。
そのため、予定を変更し、魔王より先に仮面の女を倒すことになった。戦闘は熾烈を極めたが、どうやら魔王にとって大事な側近だったのか、魔王が仮面の女を庇って魔法の直撃を受け、魔王を倒すことが出来た。
仮面の女は、治癒魔法しか使えないようで、攻撃能力が低いと思われた。このまま、戦闘は圧勝で終わるかと思えた。
だが、仮面の女の素顔を初めて見た時、兜を被った男の時間が、ビクリと止まった。
涙にぬれそぼった大きな蒼い瞳が、わずかに男を見た。
見間違えるわけがない。学生だった、あの頃より美しく成長した幼馴染、カレン・ヴィ・ファーストがそこにいた。男は、カレンが学校を辞めた後、家を捨て、偽名を使って、冒険者になって旅をしながら、彼女を探していた。
なぜそんなところに、と思うよりも、彼女が懐から取り出し、封を開けて飲もうとしている瓶を見て、嫌な予感がした。
暗く淀んだ、濃い紫――
人工的に作られた、不気味な色を見て恐怖に駆られた。
彼女は死を選ぼうとしている。
男は彼女を止めようと、魔王との戦いで今にも倒れそうなほど疲弊した体に鞭を打って、走り出した。
だが、間に合わなかった。
紫色の液体は彼女のノドを通り抜け、体は力を失い、瞳はゆっくりと閉じていった。
彼女が倒れるのは、数秒とかからなかったはずなのに、数十秒をかけて倒れたかのように感じた。
「カレン!」と、悲痛な声を上げた男に驚き、聖女ユリアが手を尽くしてくれた。本来なら、魔王の味方をした人間は、殺さないといけない。けれども、仲間には、カレンという運命の双子を探している事を伝えていたから、男の気持ちを汲んでくれたのかもしれない。
適正がないからと、治癒系の魔法を覚えていなかったことを、ここまで後悔することになるとは思わなかった。男が彼女に出来ることは何もなく、ただ祈るしかなかった。
けれども、彼女が息を吹き返すことはなかった。彼女が飲んだ液体は、解毒魔法の効果がなく、解毒剤のない強力な毒薬で、倒れた時には即死の状態だったようだ。
その時になって、ようやくカレンが薬学に長けていたことを、男は思い出した。男はカレンを愛していたから、彼女が男の傍で笑って過ごせるような――男の母のように、働かずとも不自由のない生活をさせるつもりだったから、彼女が学校で何が得意なのかなんて、まるで興味がなかった。
「エドガー、残念だけど……」
言い出しにくそうに、聖女ユリアが呟く。
「カレン……」
彼女の体温が冷たくなっていく。それは、カレンの生命が抜けていってしまっているようで、男は泣くことも忘れて呆然自失とした。
ずっとカレンを探していた。きっと、何時の日か、見つけることが出来ると思っていた。見つけたら、言いたいことがいっぱいあった。
ポツポツと雨が降って、本降りになってきた。
信じたくなかった。カレンが死んでしまっただなんて。
魔王のそばにカレンがいるだなんて思いもしなかった。人間が魔王の手助けをしている、その情報は得ていた。けれど、カレンは正義感が強く、曲がった事が大嫌いだったから、魔王の手助けなんてするはずがないと思い込んでいた。
せめて魔王を倒す前に気が付いていたら、やりようがあったはずだ。
死んだ人間を生き返すことは出来ない。
だが、だが、ずっと謝罪がしたかった。
彼女が行方不明になったと聞いても、どこかにいるに違いないと、今までは一縷の望みがあった。
けれど、閉ざされた瞳が再び開くことは、もうない。
カレンの死という残酷な現実が、男の目の前に突き付けられていた。
「なんで……。俺の……運命なのに……」
しばらくして、男の本音が言葉となって零れ落ちた。
カレンは男にとって、心の支柱だった。薬を飲んでも、頭が痛くて眠れない日は、カレンに触れることが出来ていた日のことを想いながら寝ていた。
どれほど男がカレンに恋焦がれていたのか、カレンは知らないだろう。まるで宝石のような、青い瞳の輝きを、見ることが叶わなくなっても、それは男の記憶の中に留まり続けた。
触れることが出来なくなっても、カレンのことを想うだけで、男は救われていた。
幼い日に見た、カレンの笑顔を、もう1度だけでいいから見たいという男の夢は、もう2度と訪れることがなくなってしまった。
「カレンが死んだら……、生きる意味がない」
男は絶望のあまり、カレンの後を追おうとしたが、「馬鹿なことはやめろ!!」と仲間に剣を奪い取られ、死ぬことが出来なかった。
「なぜ死なせてくれない……!? 俺は愛している女を殺してしまった、無価値な男だ!」
「ふざけるな!! エドガーが、俺達の大事な仲間だからに決まってるだろ!!」
「仲間……? 俺はカレンを探すために冒険者になったんだ。魔王の討伐も興味はなかった。ただ路銀が欲しかっただけだ。仲間なんて……」
男の目から溢れた涙が、次から次に地面に零れた。
それからの男は抜け殻のようだった。
魔王討伐の報酬も受け取らず、気まぐれに魔物を狩って、酒を飲んで地べたで眠る。
体だけは丈夫だったから狂うことも出来ず、荒んだ生活が続いた。
赤い糸
カレンの死後、本来女にだけ見えるはずのそれが、なぜか、見えるようになった。
数メートルを残して切断されているが、カレンと繋がっていたはずだ。
もはや確かめることも出来ないが、それだけがカレンとの残された繋がりのような気がして、目を遣ることが多かった。
あれだけ悩まされていた頭痛は、安価な薬が出回るようになって、日常の生活に支障はなくなった。けれど、カレンに触れることで得られた充足感は得られることはない。
カレンに嫌いと言われても、認められなかった。どうしようにもなく、好きでたまらなかったからだ。その姿を見つけたら、駆け寄らずにはいられなかった。ずっと傍に居たら、運命だから、何時かは好きになってくれるんじゃないかと期待していた。
カレンの「嫌い」という言葉に、少しでも耳を貸していれば、まだ彼女は生きていたかもしれない。男が望む関係でなかったとしても、魔王みたいに友人として傍に居てくれたのかもしれない。
――好きという気持ちを、押し付け過ぎていなかったか。
そう思うと薬を飲む度に、悲しみが襲ってきた。
カレンが亡くなった際に、喧嘩別れするようにして、参加していたパーティを離脱したが、その縁は切れなかった。彼らは荒れた生活を繰り返す男を見放すことはなく、何かにつけて気にしている様子で、交流は続いていた。「もう構わないでくれ」と言ったこともあったが、特に勇者と結婚して冒険者を辞めた聖女ユリアは「こんな状態で放置したら、神様に怒られてしまいますわ」と信仰心を隠れ蓑にして、友人である男に救いの手を差し伸べ続けた。
「良かった。野垂れ死んでないわね」
「俺を誰だと思っているんだ? 俺1人が食う金ぐらい、稼げる」
ユリアは勇者の子を妊娠し、出産したようで、赤子を連れて男の様子を見に来た。
「……女の子か」
勇者もユリアも美男美女だ。どんな子が産まれたのだろうと自然と興味が沸き、その顔を覗き込んだ。そして、ふと違和感を感じた。
(赤い糸……?)
その赤子から、すぐに切れてしまいそうなほど細い、赤い糸みたいなものが見えた。それを辿って行くと、切断された太い赤い糸に繋がっているようだった。
「ユリア、その子は……」
「3か月前に産まれたのよ。ローズと名付けたわ」
その日から、男は生まれ変わった。「私の家に来るなら、それなりの姿で来てね」とユリアに言われたので、髭も剃って、川で体を洗って身なりも整え、訪れるようになった。
その日暮らしの生活もやめて、冒険者として働き、家を借りて住むようになった。
忙しい日常の合間を縫って、毎日のようにローズを見に行ったのが災いしたのか、不貞腐れた表情でローズは言った。
「おじさんきらい」
「おじさんじゃなくてエドガーだよ。エドガーって言ってごらん」
「エドガーおじさん、あっちいって」
ローズは優秀だった。カレンとしての記憶があることがエドガーにバレた後、開き直ったのか、5歳にして薬を作るための道具を親に要求するような子だった。
親しい友人だった魔王を倒した勇者と聖女の子として転生したことに対し、わだかまりがあったようだが、2歳差で産まれた妹が産まれた辺りから、わだかまりも溶け、すっかり勇者と聖女ユリアを両親として慕っているようだった。
だが、ローズは相変わらず、エドガーに敵意むき出しだった。
ぷくーと頬を膨らませるローズが可愛らしくて、彼女の機嫌を損ねるのが怖いのに、つい話しかけてしまう。ぷにぷにの頬に、とても触りたかったけれど、今度こそ彼女と仲良くなりたくて、必死になって愛想笑いをした。けれど聡明なローズは男の愛想笑いを見る度に不機嫌そうな表情になった。「今更猫被ってどうすんの? 気持ち悪いわよ」と言われたので、愛想笑いするのはやめた。
ローズの家は、「もう置く場所がないわよ」とユリアを困惑させるほど、男の贈り物であふれかえった。
だが、ローズの反応は芳しくない。このままではカレンの二の舞になってしまうかもしれないと、思い悩んだ。エドガーの身勝手な思いがカレンを苦しめ、彼女を愛していた母親を絶望に突き落としたのだ。
「――また、あの夢か……」
『貴方のせいよ! 貴方のせいで、私の娘が……!』
カレンの遺体を母親に渡す時、母親はエドガーを泣いて責めた。あの時に聞いた母親の声が、耳から離れることはなかった。
カレンはローズとして生まれ変わったが、ローズの母親は聖女ユリアだ。カレンの母親が愛した、カレンという存在が生き返ることはない。
ローズの傍にいたい気持ちと、ローズの傍にいることで彼女と、その母親であるユリアを不幸にしてしまうのではないかという迷いがあった。
エドガーの心は揺れた。
「最近うちに来ないけど、どうしたの? ローズも心配していたわよ? ……なんか頬がげっそりしてるじゃない。元気ないわね。ちゃんと食べてるの? はい、これ、ローズが作ったパンよ。……ちゃんと食べたか見て来て欲しいっていわれたから、食べてくれない?」とユリアに話しかけられ、エドガーは驚いた。
「ローズが……? 俺に……?」
「……1週間前に、ローズの誕生日会があったでしょう? 来て欲しかったみたいよ。何時も呼んでも居ないのに来るのに、なんで今年の誕生日は来ないのって怒ってたわよ。……な、なんで泣くのよ……!」
エドガーは泣きながら、そのパンを食べた。エドガーはローズに贈り物を山ほどしていたが、ローズがエドガーに贈り物をしてくれたのは、初めてだった。
「……美味しいよ」
「そう、良かったわ。ローズにもそう伝えておくわ」
そのパンは少し硬くて不格好だったが、噛みしめるように、エドガーは食べた。
想定より戦闘が長引いた元凶だ。
そのため、予定を変更し、魔王より先に仮面の女を倒すことになった。戦闘は熾烈を極めたが、どうやら魔王にとって大事な側近だったのか、魔王が仮面の女を庇って魔法の直撃を受け、魔王を倒すことが出来た。
仮面の女は、治癒魔法しか使えないようで、攻撃能力が低いと思われた。このまま、戦闘は圧勝で終わるかと思えた。
だが、仮面の女の素顔を初めて見た時、兜を被った男の時間が、ビクリと止まった。
涙にぬれそぼった大きな蒼い瞳が、わずかに男を見た。
見間違えるわけがない。学生だった、あの頃より美しく成長した幼馴染、カレン・ヴィ・ファーストがそこにいた。男は、カレンが学校を辞めた後、家を捨て、偽名を使って、冒険者になって旅をしながら、彼女を探していた。
なぜそんなところに、と思うよりも、彼女が懐から取り出し、封を開けて飲もうとしている瓶を見て、嫌な予感がした。
暗く淀んだ、濃い紫――
人工的に作られた、不気味な色を見て恐怖に駆られた。
彼女は死を選ぼうとしている。
男は彼女を止めようと、魔王との戦いで今にも倒れそうなほど疲弊した体に鞭を打って、走り出した。
だが、間に合わなかった。
紫色の液体は彼女のノドを通り抜け、体は力を失い、瞳はゆっくりと閉じていった。
彼女が倒れるのは、数秒とかからなかったはずなのに、数十秒をかけて倒れたかのように感じた。
「カレン!」と、悲痛な声を上げた男に驚き、聖女ユリアが手を尽くしてくれた。本来なら、魔王の味方をした人間は、殺さないといけない。けれども、仲間には、カレンという運命の双子を探している事を伝えていたから、男の気持ちを汲んでくれたのかもしれない。
適正がないからと、治癒系の魔法を覚えていなかったことを、ここまで後悔することになるとは思わなかった。男が彼女に出来ることは何もなく、ただ祈るしかなかった。
けれども、彼女が息を吹き返すことはなかった。彼女が飲んだ液体は、解毒魔法の効果がなく、解毒剤のない強力な毒薬で、倒れた時には即死の状態だったようだ。
その時になって、ようやくカレンが薬学に長けていたことを、男は思い出した。男はカレンを愛していたから、彼女が男の傍で笑って過ごせるような――男の母のように、働かずとも不自由のない生活をさせるつもりだったから、彼女が学校で何が得意なのかなんて、まるで興味がなかった。
「エドガー、残念だけど……」
言い出しにくそうに、聖女ユリアが呟く。
「カレン……」
彼女の体温が冷たくなっていく。それは、カレンの生命が抜けていってしまっているようで、男は泣くことも忘れて呆然自失とした。
ずっとカレンを探していた。きっと、何時の日か、見つけることが出来ると思っていた。見つけたら、言いたいことがいっぱいあった。
ポツポツと雨が降って、本降りになってきた。
信じたくなかった。カレンが死んでしまっただなんて。
魔王のそばにカレンがいるだなんて思いもしなかった。人間が魔王の手助けをしている、その情報は得ていた。けれど、カレンは正義感が強く、曲がった事が大嫌いだったから、魔王の手助けなんてするはずがないと思い込んでいた。
せめて魔王を倒す前に気が付いていたら、やりようがあったはずだ。
死んだ人間を生き返すことは出来ない。
だが、だが、ずっと謝罪がしたかった。
彼女が行方不明になったと聞いても、どこかにいるに違いないと、今までは一縷の望みがあった。
けれど、閉ざされた瞳が再び開くことは、もうない。
カレンの死という残酷な現実が、男の目の前に突き付けられていた。
「なんで……。俺の……運命なのに……」
しばらくして、男の本音が言葉となって零れ落ちた。
カレンは男にとって、心の支柱だった。薬を飲んでも、頭が痛くて眠れない日は、カレンに触れることが出来ていた日のことを想いながら寝ていた。
どれほど男がカレンに恋焦がれていたのか、カレンは知らないだろう。まるで宝石のような、青い瞳の輝きを、見ることが叶わなくなっても、それは男の記憶の中に留まり続けた。
触れることが出来なくなっても、カレンのことを想うだけで、男は救われていた。
幼い日に見た、カレンの笑顔を、もう1度だけでいいから見たいという男の夢は、もう2度と訪れることがなくなってしまった。
「カレンが死んだら……、生きる意味がない」
男は絶望のあまり、カレンの後を追おうとしたが、「馬鹿なことはやめろ!!」と仲間に剣を奪い取られ、死ぬことが出来なかった。
「なぜ死なせてくれない……!? 俺は愛している女を殺してしまった、無価値な男だ!」
「ふざけるな!! エドガーが、俺達の大事な仲間だからに決まってるだろ!!」
「仲間……? 俺はカレンを探すために冒険者になったんだ。魔王の討伐も興味はなかった。ただ路銀が欲しかっただけだ。仲間なんて……」
男の目から溢れた涙が、次から次に地面に零れた。
それからの男は抜け殻のようだった。
魔王討伐の報酬も受け取らず、気まぐれに魔物を狩って、酒を飲んで地べたで眠る。
体だけは丈夫だったから狂うことも出来ず、荒んだ生活が続いた。
赤い糸
カレンの死後、本来女にだけ見えるはずのそれが、なぜか、見えるようになった。
数メートルを残して切断されているが、カレンと繋がっていたはずだ。
もはや確かめることも出来ないが、それだけがカレンとの残された繋がりのような気がして、目を遣ることが多かった。
あれだけ悩まされていた頭痛は、安価な薬が出回るようになって、日常の生活に支障はなくなった。けれど、カレンに触れることで得られた充足感は得られることはない。
カレンに嫌いと言われても、認められなかった。どうしようにもなく、好きでたまらなかったからだ。その姿を見つけたら、駆け寄らずにはいられなかった。ずっと傍に居たら、運命だから、何時かは好きになってくれるんじゃないかと期待していた。
カレンの「嫌い」という言葉に、少しでも耳を貸していれば、まだ彼女は生きていたかもしれない。男が望む関係でなかったとしても、魔王みたいに友人として傍に居てくれたのかもしれない。
――好きという気持ちを、押し付け過ぎていなかったか。
そう思うと薬を飲む度に、悲しみが襲ってきた。
カレンが亡くなった際に、喧嘩別れするようにして、参加していたパーティを離脱したが、その縁は切れなかった。彼らは荒れた生活を繰り返す男を見放すことはなく、何かにつけて気にしている様子で、交流は続いていた。「もう構わないでくれ」と言ったこともあったが、特に勇者と結婚して冒険者を辞めた聖女ユリアは「こんな状態で放置したら、神様に怒られてしまいますわ」と信仰心を隠れ蓑にして、友人である男に救いの手を差し伸べ続けた。
「良かった。野垂れ死んでないわね」
「俺を誰だと思っているんだ? 俺1人が食う金ぐらい、稼げる」
ユリアは勇者の子を妊娠し、出産したようで、赤子を連れて男の様子を見に来た。
「……女の子か」
勇者もユリアも美男美女だ。どんな子が産まれたのだろうと自然と興味が沸き、その顔を覗き込んだ。そして、ふと違和感を感じた。
(赤い糸……?)
その赤子から、すぐに切れてしまいそうなほど細い、赤い糸みたいなものが見えた。それを辿って行くと、切断された太い赤い糸に繋がっているようだった。
「ユリア、その子は……」
「3か月前に産まれたのよ。ローズと名付けたわ」
その日から、男は生まれ変わった。「私の家に来るなら、それなりの姿で来てね」とユリアに言われたので、髭も剃って、川で体を洗って身なりも整え、訪れるようになった。
その日暮らしの生活もやめて、冒険者として働き、家を借りて住むようになった。
忙しい日常の合間を縫って、毎日のようにローズを見に行ったのが災いしたのか、不貞腐れた表情でローズは言った。
「おじさんきらい」
「おじさんじゃなくてエドガーだよ。エドガーって言ってごらん」
「エドガーおじさん、あっちいって」
ローズは優秀だった。カレンとしての記憶があることがエドガーにバレた後、開き直ったのか、5歳にして薬を作るための道具を親に要求するような子だった。
親しい友人だった魔王を倒した勇者と聖女の子として転生したことに対し、わだかまりがあったようだが、2歳差で産まれた妹が産まれた辺りから、わだかまりも溶け、すっかり勇者と聖女ユリアを両親として慕っているようだった。
だが、ローズは相変わらず、エドガーに敵意むき出しだった。
ぷくーと頬を膨らませるローズが可愛らしくて、彼女の機嫌を損ねるのが怖いのに、つい話しかけてしまう。ぷにぷにの頬に、とても触りたかったけれど、今度こそ彼女と仲良くなりたくて、必死になって愛想笑いをした。けれど聡明なローズは男の愛想笑いを見る度に不機嫌そうな表情になった。「今更猫被ってどうすんの? 気持ち悪いわよ」と言われたので、愛想笑いするのはやめた。
ローズの家は、「もう置く場所がないわよ」とユリアを困惑させるほど、男の贈り物であふれかえった。
だが、ローズの反応は芳しくない。このままではカレンの二の舞になってしまうかもしれないと、思い悩んだ。エドガーの身勝手な思いがカレンを苦しめ、彼女を愛していた母親を絶望に突き落としたのだ。
「――また、あの夢か……」
『貴方のせいよ! 貴方のせいで、私の娘が……!』
カレンの遺体を母親に渡す時、母親はエドガーを泣いて責めた。あの時に聞いた母親の声が、耳から離れることはなかった。
カレンはローズとして生まれ変わったが、ローズの母親は聖女ユリアだ。カレンの母親が愛した、カレンという存在が生き返ることはない。
ローズの傍にいたい気持ちと、ローズの傍にいることで彼女と、その母親であるユリアを不幸にしてしまうのではないかという迷いがあった。
エドガーの心は揺れた。
「最近うちに来ないけど、どうしたの? ローズも心配していたわよ? ……なんか頬がげっそりしてるじゃない。元気ないわね。ちゃんと食べてるの? はい、これ、ローズが作ったパンよ。……ちゃんと食べたか見て来て欲しいっていわれたから、食べてくれない?」とユリアに話しかけられ、エドガーは驚いた。
「ローズが……? 俺に……?」
「……1週間前に、ローズの誕生日会があったでしょう? 来て欲しかったみたいよ。何時も呼んでも居ないのに来るのに、なんで今年の誕生日は来ないのって怒ってたわよ。……な、なんで泣くのよ……!」
エドガーは泣きながら、そのパンを食べた。エドガーはローズに贈り物を山ほどしていたが、ローズがエドガーに贈り物をしてくれたのは、初めてだった。
「……美味しいよ」
「そう、良かったわ。ローズにもそう伝えておくわ」
そのパンは少し硬くて不格好だったが、噛みしめるように、エドガーは食べた。
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