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陣屋に入り十兵衛と半蔵にお役所で待つように伝え、役宅に向かおうとして足が止まる。
皆が若干緊張した面持ちでせわしなく動いている。これは銀二郎が仕事をしている時だ。
銀二郎は算盤にも地理にも通じている。書物もよく読むので歴史や史書、文学への理解も深い。これで参勤交代の準備が大分進むだろう。
銀二郎がもっとも理解に苦しんでいるのは、話す相手はどの程度理解しているのかということ。
砕いて伝える、自分の速さを求めない。
その方が誤解により二度手間になることも、相手が心労で休み仕事が滞ることもない。手直しを加えたり追いつくのを待ったりよりも計画を立てやすいのではないかと伝えたら納得してくれ、皆も以前よりは銀二郎に緊張しなくなった。
これ以上は逆に銀二郎の心労が問題になるし折角の才を眠らせてしまう。これくらいが落としどころ、この状態を維持できるように注意を怠らないようにしなければ。
一通り見回して荷が勝ちすぎているような者の顔だけ憶え、銀二郎を役宅へと促した。
思考を遮られて銀二郎は不満そうだ。
「お役所に出るよう仰ったのは兄上ではありませんか」
「大事な話があるのだ。妙案を思いついた。
殿はどちらに?」
銀二郎は少し目を伏せて恥じらった。
「まだお休み中です。夕べのお疲れが抜けないようで」
わざわざ理由までは言わないか、病ではないとだけ言ってほしかった。独り身には辛い。
襖の前に座っていた小姓が私と銀二郎の顔を交互に見つめて困っている。
銀二郎はいつでも通すことになっているが、殿がまだお休みと分かっていて私を通していいのか迷っているのだろう。
銀二郎の張りのある声が過不足ない大きさで響く。
「銀二郎にございます。兄より急ぎお話がございます」
まだお休みになっていたいご様子の声が辛うじて聞こえた。
「入れ」
「お目通りのお許し、ありがとうございます」
「急ぎなのだろう?」
体を起こした殿の肩に銀二郎が羽織を掛ける。左手で背中を、右手で腕を支える銀二郎が優しく殿を見つめると、殿も優しく見つめ返して銀二郎の右手に左手を添えられた。
私は気にしないように努めながら用件を伝える。
「形の上でだけ、寧々殿を正室にお迎え下さい」
「どんな形でも嫌だと申した。そこからずるずると室にしていくのだろう?
かといって本当に形だけにしたら盛吉郎が黙っておるまい。娘が何より大事と儂にまではっきり申したのだぞ?」
銀二郎も頷いて付け足す。
「それにお世継ぎは?
女性をそれだけの道具のようには思っておりませんが、生まれなければ揉め事が先延ばしになるだけです」
そう言うだろうと思っていた。
「殿と源之助様は良く似ておいでです。跡継ぎは源之助様と寧々殿に委ねましょう。
実はお二方は想いあっておいでです。好き合った相手と結ばれて寧々殿は変わらず江戸住まい、お子は最上家を継ぐとなれば山田殿も異論はないかと。
しかも今回の落馬騒動で図らずも知ることができました。源之助様は家族のためならば嘘をつけるのです」
そう。源之助様が『生まれて来るのが百年遅かった』と言われるのは武道全般が飛びぬけているからだけではない。性格が実直過ぎるのだ。もちろん戦乱の世でもそれでは生き残りにくいが、泰平の世では実直過ぎる性格を戦の才で補えないのだ。
嘘をつけない性格だと思っていたから、源之助様が国にいらっしゃる間は大殿が本当に落馬で大怪我をしたと見せかけるつもりだった。
まだ帰って来ないだろうと高を括っていた大殿の油断で私の準備は水の泡になったが、源之助様は「父上がご隠居したいのは分かっていた。江戸に帰っても上手く話を合わせる」と仰った。これには本当に驚いた。
殿はまだ心配なご様子。
「それ一つで決めていいのか?
実際にうまくやれるか江戸に帰ってみなければ分からぬではないか」
「ひとつではありません。
源之助様はご自身の想いを秘めて殿と寧々殿の縁談を望まれていらっしゃいました。
殿は源之助様の寧々殿へのお気持ちに気付いていらっしゃいましたか?」
気付いていらっしゃったのなら家督を譲るか縁談を退けるかの武器にしていた筈だ。
銀二郎は乗り気なようだ。頷きながら付け加える。
「それに知られてしまったらその時はその時。手続きを踏んで養子にすればよいのです。費用の面から避けたいですが、血筋と後ろ盾に問題がないので今から根回ししておけば大きな揉め事にはならないでしょう」
銀二郎が前向きになって動いてくれたので、色恋の話が苦手な源之助様と私は大いに助かった。
皆が若干緊張した面持ちでせわしなく動いている。これは銀二郎が仕事をしている時だ。
銀二郎は算盤にも地理にも通じている。書物もよく読むので歴史や史書、文学への理解も深い。これで参勤交代の準備が大分進むだろう。
銀二郎がもっとも理解に苦しんでいるのは、話す相手はどの程度理解しているのかということ。
砕いて伝える、自分の速さを求めない。
その方が誤解により二度手間になることも、相手が心労で休み仕事が滞ることもない。手直しを加えたり追いつくのを待ったりよりも計画を立てやすいのではないかと伝えたら納得してくれ、皆も以前よりは銀二郎に緊張しなくなった。
これ以上は逆に銀二郎の心労が問題になるし折角の才を眠らせてしまう。これくらいが落としどころ、この状態を維持できるように注意を怠らないようにしなければ。
一通り見回して荷が勝ちすぎているような者の顔だけ憶え、銀二郎を役宅へと促した。
思考を遮られて銀二郎は不満そうだ。
「お役所に出るよう仰ったのは兄上ではありませんか」
「大事な話があるのだ。妙案を思いついた。
殿はどちらに?」
銀二郎は少し目を伏せて恥じらった。
「まだお休み中です。夕べのお疲れが抜けないようで」
わざわざ理由までは言わないか、病ではないとだけ言ってほしかった。独り身には辛い。
襖の前に座っていた小姓が私と銀二郎の顔を交互に見つめて困っている。
銀二郎はいつでも通すことになっているが、殿がまだお休みと分かっていて私を通していいのか迷っているのだろう。
銀二郎の張りのある声が過不足ない大きさで響く。
「銀二郎にございます。兄より急ぎお話がございます」
まだお休みになっていたいご様子の声が辛うじて聞こえた。
「入れ」
「お目通りのお許し、ありがとうございます」
「急ぎなのだろう?」
体を起こした殿の肩に銀二郎が羽織を掛ける。左手で背中を、右手で腕を支える銀二郎が優しく殿を見つめると、殿も優しく見つめ返して銀二郎の右手に左手を添えられた。
私は気にしないように努めながら用件を伝える。
「形の上でだけ、寧々殿を正室にお迎え下さい」
「どんな形でも嫌だと申した。そこからずるずると室にしていくのだろう?
かといって本当に形だけにしたら盛吉郎が黙っておるまい。娘が何より大事と儂にまではっきり申したのだぞ?」
銀二郎も頷いて付け足す。
「それにお世継ぎは?
女性をそれだけの道具のようには思っておりませんが、生まれなければ揉め事が先延ばしになるだけです」
そう言うだろうと思っていた。
「殿と源之助様は良く似ておいでです。跡継ぎは源之助様と寧々殿に委ねましょう。
実はお二方は想いあっておいでです。好き合った相手と結ばれて寧々殿は変わらず江戸住まい、お子は最上家を継ぐとなれば山田殿も異論はないかと。
しかも今回の落馬騒動で図らずも知ることができました。源之助様は家族のためならば嘘をつけるのです」
そう。源之助様が『生まれて来るのが百年遅かった』と言われるのは武道全般が飛びぬけているからだけではない。性格が実直過ぎるのだ。もちろん戦乱の世でもそれでは生き残りにくいが、泰平の世では実直過ぎる性格を戦の才で補えないのだ。
嘘をつけない性格だと思っていたから、源之助様が国にいらっしゃる間は大殿が本当に落馬で大怪我をしたと見せかけるつもりだった。
まだ帰って来ないだろうと高を括っていた大殿の油断で私の準備は水の泡になったが、源之助様は「父上がご隠居したいのは分かっていた。江戸に帰っても上手く話を合わせる」と仰った。これには本当に驚いた。
殿はまだ心配なご様子。
「それ一つで決めていいのか?
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源之助様はご自身の想いを秘めて殿と寧々殿の縁談を望まれていらっしゃいました。
殿は源之助様の寧々殿へのお気持ちに気付いていらっしゃいましたか?」
気付いていらっしゃったのなら家督を譲るか縁談を退けるかの武器にしていた筈だ。
銀二郎は乗り気なようだ。頷きながら付け加える。
「それに知られてしまったらその時はその時。手続きを踏んで養子にすればよいのです。費用の面から避けたいですが、血筋と後ろ盾に問題がないので今から根回ししておけば大きな揉め事にはならないでしょう」
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