如月万里は寒がりです

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 龍季たつきは自分自身の目を開けた数秒後、ヘッドギアを外す力も出ずにそのまま眠ってしまった。

 目を開けると約90分経っていた。ヘッドギアが外されていて毛布が掛けられていて、エアコンの設定温度も上げてある。

 龍季たつきが部屋を出てリビングに向かおうとすると、凪が心配そうにリビングのドアから出てきた。
 言葉を見つけられないまま見つめる凪に、軽く畳んだ毛布を少し持ち上げて見せる。
「ありがとお」

 凪は余計に何も言えなくなってしまった。
 元々凪だってこの仕事に納得していない。体がほとんど動かない息子に、5歳になったら無料で商品を譲ってくれるというから従っていた。

 万里ばんりの勤めていた病院の地下にありながら、病院からは入れない、病院で働いている者も誰も知らない部屋。そこが凪と龍季たつきの職場で、曖昧な返事でずるずると引き延ばされて2年が経とうとしていた年末に万里ばんりを見つけた。

 上を恐れないというよりも見えなくなっていただけの凪に龍季たつきは協力してくれた。1月4日から正規のテストプレイが入っているのに、3日まで万里ばんりに入ってくれると言った。
 成功したターゲットでも最初に動かすのは疲労が大きいのに、上に知られたら最悪消されるかもしれないのに、毛布を掛けただけで嬉しそうにお礼を言う龍季たつきにどうしたらいいのか分からなかった。

 龍季たつきが心配そうに凪の顔を見つめる。
「凪ねえも少し休んだ方がええんちゃう?」
 リビングには凪の息子のベッドがあって、それに向き合う形でベッドにもなるソファが置かれている。そこで休ませようとして背中を優しく押しても凪は動かなかった。
「どうして?
 どうしてここまで……」

 凪がどんな気持ちで言った言葉なのか、ずっと見てきた龍季たつきにはよく分かる。
 告白を予想しているとか遠回しに促しているとかじゃない。凪は本心から疑問に思っている。

『たっくんね、大きくなったら凪ねえと結婚する!』
 本当に全く相手にされていなかったのかと、普通そうだろうと思いながらも悲しかった。

「凪ねえは俺の憧れやったもん。運動もできて理系も文系も両方できて」
 龍季たつきは大きくなってから知ったことを適当に並べた。

 龍季たつきの両親は揃って教師だった。二人は放課後も生徒たちと遊び、家では宿題の添削。親を取られたようで家にいることが苦痛だった。
 頭が良いとか美人だなんて関係ない。凪という存在が龍季たつきの救いだった。凪がいなかったら今も両親を恨んでいた。

 いつも優しく微笑んで、時々妙なツボでずっと笑ってるのもかわいかった凪が、すっかり疲れた様子で力なく目を逸らした。
「今はがっかりしてるでしょ?」

 凪の自嘲めいた表情に、龍季たつきは言っても困らせるだけだと思っていたことを言うしかないと思うようになった。
「今は守りたいて思うてるよ」

 もう一度合った目は意味が分からないような驚いたような表情。
 龍季たつきはゆっくり凪の左肩に右手を置いた。凪は動かない。
 次に右の二の腕を左手で掴んだ。龍季たつきの手を振り払わないのを確かめてから、そのまま抱きしめた。

 最後に凪を抱きしめたのは9歳の時。ちょうど凪の胸の高さと龍季たつきの顔の高さが同じくらいで慌てたのに、凪はまったく気にしていなかった。
 凪は『抱きつかれた』と思っていると龍季たつきも当時でさえ気付いていた。

 凪の左肩に顎を乗せて右手で後頭部を包む。身長だけじゃなく手も大きくなったんだと頭の片隅で思った。
「どうするんが凪ねえを守ることになるんかずっと考えてる」

 ゲームには興味が無いのに「テストプレイの条件に合う人がなかなかいなくて困っている」と言ったら引き受けてくれた万里ばんり。出世争いに負けても、放任ではなく好きにしたらいいと言う両親。退職したことを少しも嗤うことなく「しょうがない奴だ」と笑う友人。たぶん暑がりなのに寒がりな万里ばんりにくっつく弟が頭をよぎる。

「このまま万里ばんりを犠牲にするんも助けるんも、凪ねえがまた昔みたいに笑ってくれるならなんでもするよ」

 凪の両腕は下ろされたまま動かない。
「私が二度と笑えなくても、英里えいりが一度でも笑ってくれたらそれでいい」
 凪の両手が龍季たつきの両肩にそっと触れてから、服だけを握りしめた。
「一度でいいから、英里えいりと話したい」

 里奈お嬢様は万里ばんりに未練がある。よりを戻したいと言い出すかもしれない。
 そうでなくても、いつバレるか分からない。

 そうなる前に英里えいりと万里を繋いでみることにした。不安要素が多くても何もできずに終わるよりはいい。一度でいいから話がしたいという望みだけでも叶えたかった。

 万里ばんりの体は東京まで移動できるほど長時間は動かせない。翌日、凪が万里ばんりの家まで行くことにした。
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