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翌日には大勝にとっては日常の生活に戻った。違うことといえば子供たちが冬休みに入り、来る時間が3時から1時になったこと。
何時に来たとしても1時間習字をしてから5時まで子供たちはここにいる。
ばらばらとやって来る子供たちのなかに、山盛りのリンゴが入ったザルを抱えて来た子がいた。
「せんせー、これお母さんから」
「ありがとう。終わったらみんなで食べようね」
教室にしているのは6畳の和室で、ボードゲームやおもちゃをしまってある押し入れを背に大勝の長机、向き合うように生徒用の机が並ぶ。
1時間ほどしたら生徒たちが書道の道具を片付けて、その間に大勝がお茶の用意をする。それから5時まで宿題をしたりゲームをしたり。
今日も生徒たちが片付けを始めて大勝は台所に向かった。貰ったリンゴ一つ分をフライパンで焼きながら三個を塩水につける。焼けたリンゴをお皿に盛ったところでやっと万里が起きてきた。
「おはよう。ゆっくりだね」
「年内はのんびりするつもり」
まだ眠そうな様子で焼けたリンゴを一切れ食べた万里を見て、大勝は静かに台所のドアを閉めた。
ドアを背に立ったままの大勝に万里が振り返る。
「どうした?」
「兄ちゃんは思いっきり朝型人間でしょ。休みの日でも10時より遅くまで寝てたことはないのに」
万里はテーブルへと向き直りもう一切れ焼きリンゴを食べた。
「色々あったから、たまにはいいだろ」
大勝は空気を変えない。
「焼きリンゴはリンゴアレルギーの南美ちゃんの分だよ。忘れちゃったの?」
「あ~、そうだった。ゴメン、久し振りだから」
「焼けば大丈夫な人もいるって教えてあげたの兄ちゃんなのに?
『元々は大好物なんです』ってお母さんに両手を握ってお礼を言われたのに?」
万里は小さくため息を吐きながら観念したように呟いた。
「母方の実家にはあんま行ってないって……」
パジャマで指先を拭くと、椅子に横向きに座るように体の向きを変えて足を組んだ。
「でも君の頭が悪いのは情報通りやな。問い詰めるなら子供たちを帰してからにせんと。俺が逆上して人質に取るとか考えんかった?」
背中をドアにつけて守ろうとする大勝を余裕の表情で小さく笑う。
「普通にしてても勝てん相手に、普通じゃない状況で何ができるん?」
立ち上がって近づいて来てドアに壁ドンをする万里。そのすべてが落ち着いた速度で、大勝はかえって何もできずに余計に体を強張らせた。
その距離で急に優しく微笑んで囁いた。
「気ぃ付けや。君は意外と熱くなるタイプやろ?」
あっさり離れてカウンターキッチンにこちら側から近づき、ポットの隣にあるインスタントコーヒーの瓶を手に取った。
「貰うで?」
まだ恐怖心に大半を占められながらなんとか声を出す。
「何が目的ですか?」
「なにって、飲むに決まってるやろ?」
「そうじゃなくて!」
人差し指を口に当ててから教室にしている部屋の方を指さす万里を見て、大勝もドアをそっと開けて様子を見た。誰も出てきていないことを確認してそっと閉める。
万里はコーヒーを飲み始めていた。
「無防備な背中が丸見えやで。
いきなり目的にいったんは評価が分かれるところやね。
目的を知れば原因や弱点、解決の糸口が見えることもあるけど、そのつもりで訊いた?」
動揺してたまたま出てきた質問だと確信してる言い方だった。
「あなたは誰ですか?」
「言う訳ないやろ」
それからすぐに考え直した表情をした。
「でもまあ名前は無いと不便やな」
そしてテーブルに無造作に置かれたポケットティッシュを手に取ると、そこに入れられている広告のキャラクターを見つめた。
「たっくんとでも呼んでもらおか」
目の前の兄が兄じゃないという混乱と、確かにそんなことをする人が本名を名乗るはずもないという納得から、キャラクターの名前そのままを言われても大勝は何も言えなかった。
「子供たち放っといてええの?」
それにも反論できずに教室に戻った。
大勝を見送ってすぐに万里の体を歩かせて部屋に行き、体を眠らせて自分自身の目を開ける。実際の本数は比べ物にならない、髪の毛のように伸びたコードが繋がったヘッドギアを外した。
背もたれに思いっきり背中を預けて腕を伸ばし深呼吸。それから首を回す。いままで動かしてきた体の倍以上動かしにくい。万里の体も自分自身も疲れやすい。
立ち上がって部屋を出ようとして、今まで自分が座っていた椅子につまずいてしまった。慌てて姿勢を戻す。
「龍季?」
物音を聞いてドアを開けた女性に疲労を隠して明るく振舞う。
「5時まで休憩」
流れ込んできた空気からソースの香りがする。
『たっくんね、大きくなったら凪ねえと結婚する!』
そう宣言した時も彼女はタコ焼きを作ってくれていた。
10年以上変わっていない気持ちで、10年以上変わっていない味のタコ焼きを食べに部屋を出る。
彼女の身長もあの頃と変わっていない。龍季の身長だけが30センチ程伸びて、今は前を歩く彼女を見下ろしている。
変わったのはそれだけ。二人の距離は変わらない。むしろ龍季は遠くなったように感じていた。
凪は東京に出てすぐに標準語を覚え、龍季と二人の時も標準語のままで話す。
そして今はもうすぐ7歳になる息子のことで頭がいっぱい。
何時に来たとしても1時間習字をしてから5時まで子供たちはここにいる。
ばらばらとやって来る子供たちのなかに、山盛りのリンゴが入ったザルを抱えて来た子がいた。
「せんせー、これお母さんから」
「ありがとう。終わったらみんなで食べようね」
教室にしているのは6畳の和室で、ボードゲームやおもちゃをしまってある押し入れを背に大勝の長机、向き合うように生徒用の机が並ぶ。
1時間ほどしたら生徒たちが書道の道具を片付けて、その間に大勝がお茶の用意をする。それから5時まで宿題をしたりゲームをしたり。
今日も生徒たちが片付けを始めて大勝は台所に向かった。貰ったリンゴ一つ分をフライパンで焼きながら三個を塩水につける。焼けたリンゴをお皿に盛ったところでやっと万里が起きてきた。
「おはよう。ゆっくりだね」
「年内はのんびりするつもり」
まだ眠そうな様子で焼けたリンゴを一切れ食べた万里を見て、大勝は静かに台所のドアを閉めた。
ドアを背に立ったままの大勝に万里が振り返る。
「どうした?」
「兄ちゃんは思いっきり朝型人間でしょ。休みの日でも10時より遅くまで寝てたことはないのに」
万里はテーブルへと向き直りもう一切れ焼きリンゴを食べた。
「色々あったから、たまにはいいだろ」
大勝は空気を変えない。
「焼きリンゴはリンゴアレルギーの南美ちゃんの分だよ。忘れちゃったの?」
「あ~、そうだった。ゴメン、久し振りだから」
「焼けば大丈夫な人もいるって教えてあげたの兄ちゃんなのに?
『元々は大好物なんです』ってお母さんに両手を握ってお礼を言われたのに?」
万里は小さくため息を吐きながら観念したように呟いた。
「母方の実家にはあんま行ってないって……」
パジャマで指先を拭くと、椅子に横向きに座るように体の向きを変えて足を組んだ。
「でも君の頭が悪いのは情報通りやな。問い詰めるなら子供たちを帰してからにせんと。俺が逆上して人質に取るとか考えんかった?」
背中をドアにつけて守ろうとする大勝を余裕の表情で小さく笑う。
「普通にしてても勝てん相手に、普通じゃない状況で何ができるん?」
立ち上がって近づいて来てドアに壁ドンをする万里。そのすべてが落ち着いた速度で、大勝はかえって何もできずに余計に体を強張らせた。
その距離で急に優しく微笑んで囁いた。
「気ぃ付けや。君は意外と熱くなるタイプやろ?」
あっさり離れてカウンターキッチンにこちら側から近づき、ポットの隣にあるインスタントコーヒーの瓶を手に取った。
「貰うで?」
まだ恐怖心に大半を占められながらなんとか声を出す。
「何が目的ですか?」
「なにって、飲むに決まってるやろ?」
「そうじゃなくて!」
人差し指を口に当ててから教室にしている部屋の方を指さす万里を見て、大勝もドアをそっと開けて様子を見た。誰も出てきていないことを確認してそっと閉める。
万里はコーヒーを飲み始めていた。
「無防備な背中が丸見えやで。
いきなり目的にいったんは評価が分かれるところやね。
目的を知れば原因や弱点、解決の糸口が見えることもあるけど、そのつもりで訊いた?」
動揺してたまたま出てきた質問だと確信してる言い方だった。
「あなたは誰ですか?」
「言う訳ないやろ」
それからすぐに考え直した表情をした。
「でもまあ名前は無いと不便やな」
そしてテーブルに無造作に置かれたポケットティッシュを手に取ると、そこに入れられている広告のキャラクターを見つめた。
「たっくんとでも呼んでもらおか」
目の前の兄が兄じゃないという混乱と、確かにそんなことをする人が本名を名乗るはずもないという納得から、キャラクターの名前そのままを言われても大勝は何も言えなかった。
「子供たち放っといてええの?」
それにも反論できずに教室に戻った。
大勝を見送ってすぐに万里の体を歩かせて部屋に行き、体を眠らせて自分自身の目を開ける。実際の本数は比べ物にならない、髪の毛のように伸びたコードが繋がったヘッドギアを外した。
背もたれに思いっきり背中を預けて腕を伸ばし深呼吸。それから首を回す。いままで動かしてきた体の倍以上動かしにくい。万里の体も自分自身も疲れやすい。
立ち上がって部屋を出ようとして、今まで自分が座っていた椅子につまずいてしまった。慌てて姿勢を戻す。
「龍季?」
物音を聞いてドアを開けた女性に疲労を隠して明るく振舞う。
「5時まで休憩」
流れ込んできた空気からソースの香りがする。
『たっくんね、大きくなったら凪ねえと結婚する!』
そう宣言した時も彼女はタコ焼きを作ってくれていた。
10年以上変わっていない気持ちで、10年以上変わっていない味のタコ焼きを食べに部屋を出る。
彼女の身長もあの頃と変わっていない。龍季の身長だけが30センチ程伸びて、今は前を歩く彼女を見下ろしている。
変わったのはそれだけ。二人の距離は変わらない。むしろ龍季は遠くなったように感じていた。
凪は東京に出てすぐに標準語を覚え、龍季と二人の時も標準語のままで話す。
そして今はもうすぐ7歳になる息子のことで頭がいっぱい。
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