137 / 221
第五章 未来のこと
SS:ピンチですよ!
しおりを挟む戸崎結衣は考えていた。
それは特別なことではなくて、仕事で毎日行っていることだ。
ある商品の魅力を相手に伝えるにはどうすれば良いか。
例えば、ひとつの商品が持つセールスポイントは複数ある。
実用性を求めた若者に「有名なブランドが~」と伝えても響かないし、ステータスとして高級品を求めている顧客に「なんと定価の九割引です!」なんてトークをしたら鼻で笑われる。
商品を売る為に最優先されるのは、商品が持つ魅力を理解することである。そのうえで適切な顧客を発見することが重要となる。マッチ売りの少女よろしく闇雲に売り歩くのではなく、雨宿りしている人を見付けて傘を売れということである。
商品の魅力を理解することは誰にでも出来るけれど、適切な顧客を発見することは難しい。故に、人の普遍的な感情を色として識別している結衣は、物を売る人間として誰よりも優れている。
そんな結衣が次に売ろうと考えていたのは、自分だった。
もちろん転職を考えているわけでは……いや、これもある意味では転職なのだろうか。25歳にもなって「職業はお嫁さんです」というのは少しばかりふわふわしているから、専業主婦とでも表現しておこう。
結衣は悩んだ。
ただの一度も踏み入ったことの無い市場である。
ここでは何が求められているのか。
それを伝える為にはどうすれば良いのか。
そういったノウハウが結衣には皆無だった。
さて、最も重要なのは収入だろうか。
続いて容姿やスキル、互いの相性なんかも判断材料になりそうだ。
……どれも客観的な評価が難しいですね。
何かこう、とある人物から見た相手の銭的価値は「相手の収入ー自分の収入」といった具合に、明確な基準は存在しないのだろうか。という思考回路から察せられるように、結衣は少し……致命的にズレていた。
しかし幸いなことに彼女は勤勉だった。
知識を得たいのなら本を読めば良いのだ。
結衣は早速本屋で足を運び、それらしいタイトルの本を購入した。
恋愛力アップ! ~愛のある結婚を目指して~
男が求める理想の嫁
Re:バツイチから始める結婚生活
結婚できない女の特徴
結婚する為に必要な101のこと
この水簿らしき独身女性に祝福を
などなど、結衣は全部で十二冊の本を買った。
会計の際にレジの店員が親指を立てたことの意味は、きっと考えたら負けなのだろう。
さておき、もちろん一晩で全て読破した。
そして翌朝から実践した。
当然ながらいきなり結婚というのは難しくて、まずは交際に持ち込む必要がある。
その為に重要なのは、とにかく相手に自分を印象付けることらしい。印象付けるというのは、何も長く話をしろということではない。例えば毎日同じ電車の同じ場所で見かける人とか、そんな具合に自分の存在を相手に認識させることが重要なのだそうだ。
よって結衣は彼の行動パターンを調査した。
彼は午前8時20分の電車に乗り、午後6時頃に駅へ戻ってくる。
行きの時間は決まっているが、帰りの時間は日によってムラがある。
ならば狙うのは行きの電車以外に無いだろう。
毎朝グウゼンノデアイをする為には、仕事を少し調整するだけで良い。
それは営業職である結衣にとっては容易なことだった。
ある時は駅の前で。
ある時は駅に行く道の途中で。
ある時は改札で。
結衣は必ず日に一度は彼の前に現れた。
「最近よく会うな」
「ええ、偶然ですね」
会話も完璧である。
だが結衣は慢心しない。
本にはこうも記されていた。
挨拶は当然として、さりげないボディタッチなども効果的でしょう。
結衣は悩んだ。
彼とは駅でグウゼンノデアイをしただけなのだ。その設定を守るならば、どう足掻いてもさりげないボディタッチが可能なシチュエーションは生まれない。
満員電車を利用するという手については論外だ。それはボディタッチではなく密着である。交際する前からそんな大胆なことは出来ない。
そこで結衣は曲がり角に目を付けた。
フウンニモブツカッテシマウことで、さりげないボディタッチを演出したのだ。
これには高度な技術が求められた。
まず曲がり角を利用しているから、相手の姿を詳細に確認することが出来ない。失敗すれば他の人とぶつかることもあるだろうし、ぶつかり方を間違えたら痛い思いをする。だがしかし、結衣は的確な情報収集能力と驚異的な集中力をもってフウンニモブツカッテシマウことに成功し続けた。
……ふふっ、完璧な一ヶ月でした。
月曜日の仕事帰り、結衣は鮮やかな月の下で静かに笑う。
ここまでやれば自分を印象付けるという点においては完璧だろう。きっと彼はふとした瞬間に私のことを思い出してしまっているはずである。と結衣は思った。
……さて、次のステップへ進みましょう。
聖典にはこう記されていた。
二人の仲が進展してきたら、思い切って食事に誘いましょう。
……この選択は重要ですよ。
彼との関係を考えるならば、二人で食事に行こうなんて言葉はド真ん中にスローボールを投げるようなものだ。とはいえ、子供を同伴させるのは如何なものか。
そもそも何を食べに行くのか。
彼の食の好みなんて知らない。
うみゃい棒はコンポタ味が最も好きだったという記憶はあるけれど、十年も経っていれば好みは変わっているだろうし、食事に誘って駄菓子巡りをするというのは斬新過ぎる。
となると、相手の好みについては直接聞き出す以外に無いだろう。
さて話はふりだしに戻り、どうやって誘おうか。
何か上手い口実があれば……ある。絶好の口実があるではないか。
彼は、ほんの二日前に引っ越しをしたのだ。
そのお祝いということであれば、何ら気を使う必要は無い。
……ふふっ、彼のことですから、引っ越し祝いをしてくれるような女性は私以外にいないでしょう。きっと大喜びするに違いありません。
しかし、この案では必然的に子供達も同伴することになる。それどころか、例の女性も一緒に来ることになるだろう。
そうなのである。
結衣には競合相手が存在するのだ。
……負けませんよ。
結衣は思う。
彼女は同じ部屋で生活していれば、そのうち結婚しているかのような間柄になることを狙っているに違いない。それは彼の反応を見て確信している。
つまりは草食系なのだ。
もしかしたら、向こうにも恋愛がどうこうという発想が無い可能性すらある。
だが、あったとしても、もう遅い。
結衣は一ヶ月前からアピールを続けていたのだ。同棲という事実に胡座をかいて油断している相手に負けるはずがない。
次の一手で、全てを覆す。
その後は……その後は、どうしようか。
全てが計画通りに進行し、それで……交際することになったら、どうしようか。
想像力に翼が生える。
思わず頬が緩む。
そうこう考えているうちに、部屋の前に着いた。
「ただいま帰りました」
「ママー!!」
ドンっ!
扉を開けた途端、ゆいが全速力で飛び付いてきた。
「どうかしましたか?」
「ピーンチ! たいへんだよママ! ピンチ! ピンチですよ!」
駄々をこねる子供のようにジタバタして「ピンチ!」と繰り返すゆい。結衣は冷静に身を屈めて、ゆいと目線の高さを合わせた。
「落ち着いてください。ゆい、まずは状況説明ですよ」
「りょーくんがけっこんしちゃう!!」
……はい?
0
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
元平民の義妹は私の婚約者を狙っている
カレイ
恋愛
伯爵令嬢エミーヌは父親の再婚によって義母とその娘、つまり義妹であるヴィヴィと暮らすこととなった。
最初のうちは仲良く暮らしていたはずなのに、気づけばエミーヌの居場所はなくなっていた。その理由は単純。
「エミーヌお嬢様は平民がお嫌い」だから。
そんな噂が広まったのは、おそらく義母が陰で「あの子が私を母親だと認めてくれないの!やっぱり平民の私じゃ……」とか、義妹が「時々エミーヌに睨まれてる気がするの。私は仲良くしたいのに……」とか言っているからだろう。
そして学園に入学すると義妹はエミーヌの婚約者ロバートへと近づいていくのだった……。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる