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間章 芽生え
SS:クリスマス前後 ー結衣の場合ー
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12月24日。
結衣は今日も働いていた。
時刻は12時を過ぎたところ。
彼女は後輩である森野《もりの》海未《うみ》と共に、社内食堂で昼食を食べていた。
この食堂は社員以外も使うことがあるからか、内装には気を使われている。机の配置には余裕があり、満席になっても狭いと感じることは無い。
二人は小さな丸いテーブル席を利用していた。
結衣が注文したのは日替わりのランチメニュで、今日は胡麻の乗った丸パンとマーガリン、それからサラダとコーンスープのセットだった。後輩である森野は結衣と同じ物を注文し、ドリンクにアイスコーヒーを選んだ。
「先輩、いつも水ですよね」
「慣れれば味わい深いものです」
「……なるほど?」
結衣が森野の教育係となってから一年以上が経った。最近では森野も一人で商談が出来るようになり、二人が共に行動する時間は減りつつある。
しかし長い時間を共に過ごしたことで、二人は仲の良い友人のようになっていた。もちろん確かな上下関係があるけれど、こうして食事を共にすることは少なくない。
といっても会話は少ない。
今日も二人は静かに食事をしていたが、森野が突然ストローでアイスコーヒーをブクブクしたから、結衣は何事かと思って声をかけた。
「何か、お悩みですか?」
「……ふと周りを見るとですね、いろんなところで『ママ~、ツリーだよ~』って……その一方で私はイヴなのに仕事……おしごと……おしごとぉ、たのしいなぁ~ ぶくぶくぅ~」
即座に重症だと判断した結衣は、彼女の精神的なケアを試みる。
「森野さん、この時期は稼ぎ時ですよ」
「先輩はいいですよ、もう結婚して娘さんまでいるんですから。でも私は……寂しいなぁ」
森野の返答を聞いて結衣は言葉に詰まった。
数少ない苦手科目とも言える話題だ。
「よければ、素敵な独身の男性を紹介しましょうか?」
ガタンという音と共に立ち上がった森野。
「ぜひ!」
「森野さん、落ち着いてください」
指摘され、森野は少しだけ気恥ずかしそうに腰を下ろした。
しかしそれで落ち着く彼女ではない。
「もぅ最近は焦っちゃってまして。男の人達の会話を聞いてると、女は25までだよな、みたいな言葉が聞こえてきて! どうしよ私あと二年で賞味期限切れちゃう! みたいな感じで!」
この後輩、人間的には全く成長していない。
そう思いながら静かに水を飲んでいた結衣だが、ある言葉にピタリと動きを止める。
「……賞味期限?」
「そうです。25過ぎた女には魅力が無いとか……あいつらきっとロリコンなんですよ」
「……ええ、そうですね」
ところで結衣は1月1日に25歳の誕生日を迎える。
「先輩が羨ましいです。素敵な旦那さんがいて、可愛い娘さんがいて、仕事もバリバリこなしていて……」
「私は、やるべきことをやっているだけです」
平静を装う結衣。
しかし内心ではかつてない程に動揺している。
会社では家庭を持っていることになっているが、もちろん嘘だ。
娘がいるのは本当だけれど、彼女とは血の繋がりが無い。
つまり恋愛や結婚という話において、結衣は目の前にいる後輩と何ら変わらない。
何度か縁談を持ちかけられたことはあった。
だが結衣の心が微かにでも動いたことは無い。
結衣の初恋は、まだ続いているのだから。
「先輩の紹介してくれる男性、期待してますね」
「……ええ、期待していてください」
言えない。本当のことは絶対に言えない。
「ところで、いくつか聞きたいことがあるんですけど……」
結衣は質問の続きを聞いてはならないと直感した。
「森野さん、」
「やっぱりその、初めての時って痛かったですかっ?」
遅かった。
「……その、どうでしたか?」
僅かな緊張と期待。
もちろん結衣は彼女の問に対する答えを持っていない。
よくよく考えれば、答えないというのが最も正しい選択だったのだろう。しかし結衣は、彼女の期待に満ちた色を見て妙な使命感を覚えてしまった。
「痛みなど皆無でしたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、愛の前に苦痛など無力なものです。例えるならそう、タンポンを入れるようなものです」
結衣は自分で自分が何を言っているのか分からない。
「えっと……あっ、細かったんですね」
「……」
ただ、とんでもない失言をしたということだけは分かった。
「ああいえその! 先輩、タンポン派だったんですね~」
「……」
取り繕うようにして言った森野。
しかし微妙な空気は消えてくれない。
結衣は何も言えない。
実は怖くてタンポンを使ったことが無いとも言えない。
「……えっと、誰にも言わないので!」
「この話はもう止めましょう」
力強く、結衣は言った。
「……その、すみませんでした」
「今日、私達は一切の会話をしなかった。いいですね?」
「……はい。私と先輩は、一切の会話をしませんでした」
12月25日。
結衣は今日も働く予定だ。
「ママァ! ママ見てママ! ママこれママ! プレゼント! サンタサンからプレゼント!」
朝。
いつも通りの時間に目を覚ました結衣がキッチンで朝食の用意をしていると、いつもより早く起きたゆいが元気な声で駆け寄って来た。
「はい、おめでとうございます。ですが、まずは顔を洗いましょう」
「あらうぅ!」
「歯磨きも忘れないように」
「みがくぅ!」
元気な返事をして、ゆいはドタバタ駆けて行った。
その後ろ姿を見て、結衣は満足そうに微笑む。
数分後。
「いただきます!」
「はい、頂きます」
二人はいつものように机を囲んで、手を合わせた。
今日はゆいの隣の椅子にもう一人、大きなクマのぬいぐるみが座っている。
「クマさん、これはホットケーキですよ!」
ぬいぐるみに話しかけるゆい。
「おー、おいしそうですね!」
ぬいぐるみ役を演じるゆい。
「早く食べてくれないと冷めちゃうよ~」
ホットケーキ役を演じる結衣。
今日の朝食は、クリスマスということでホットケーキと普段は飲まない炭酸のコーラ。
実は去年と同じメニュで、ゆいは一週間くらい前から楽しみだと口にしていた。
「きょうからクマさんといっしょにねます!」
「そうですか。ゆいは寝相が悪いので少し心配です」
「クマさんは、がんじょうです」
得意気な表情で言ってホットケーキをパクり。
何度か咀嚼して、ごくりと飲み込む。
「クリスマス!」
「はい、クリスマスですね」
独特の感性から生まれた感想を聞いて、結衣は微かに肩を揺らした。
「きょうは、りょーくんのたんじょうびです!」
その一言で結衣は次の言葉を察する。
「アピールしましょう!」
「しません」
「しましょう!」
またか、と結衣は心の中で溜息を吐く。
昨日に続いて今日も恋愛の話だ。
本来は神の誕生を祝う日であるクリスマスの意味を歪めた日本の販売戦略を絶対に許さないと結衣は思った。ゆいの場合は純粋に誕生日という点に反応しているのだろうが……。
「ゆい、何度も言っていますが、ママは彼をそういう対象としては見ていません」
「ウェディングドレスをきたママが見たい!」
やれやれと、結衣は思う。
結衣にだって結婚願望くらいはある。昨日聞いた賞味期限とかいう話を真に受けるつもりは無いが、そろそろ結婚していてもおかしくない年齢だ。
だからといって結婚出来れば良いなんて考え方はしたくない。
結婚するなら、きちんと好きな人と結ばれたい。
結衣だってもう子供じゃない。
十年も前の出来事を相手も覚えているなんて都合の良いことは考えていない。そもそも、あの人は既に結婚してしまっている可能性だってある。
それでも、この気持ちは変わらない。
「ママもいつかはウェディングドレスを着ることになるかもしれません。しかし、相手が彼になるということは有り得ません」
「なんで!?」
「彼のことが嫌いだからです」
「イヤよイヤよもスキのうち!」
娘からのアピールが止まらない。
なぜ彼はここまで好かれているのだろう。
確かに彼には助けられた。
彼のおかげで、一人では決して得ることの出来なかった時間が手に入った。
その時間を使って、ゆいとのかけがえのない思い出が生まれた。
その点は感謝している。
だけど、それだけだ。
ゆいには私が彼を意識しているように見えるのかもしれない。
確かに、意識していないと言えば嘘になる。
でもこれは彼の色を見て、あの人のことを思い出して、それで気になっているだけだ。
二人が同一人物なんて、そんなの有り得ない。
でも、もしも……
「ほら! ママかわいいかおしてる!」
「……ゆい、今晩はケーキですよ」
「ケーキ!」
「……苺とトマトって、似ていますよね」
「ぼうとく! ケーキへのぼうとく!」
結衣は権力を振りかざした!
ゆいは机をバンバン叩いて抗議する!
しかし! 晩御飯にはトマトが出現した!
12月26日。
結衣は今日も働いている。
午前中にいくつかの商談をして、昼は近くにあったファミレスを利用した。
店内には、冬休みが始まっているからか若い人の数が多かった。もちろん結衣と同じようにスーツを来た大人の姿も見えるが、カップルか家族連れがほとんどだ。
――きょうは、りょーくんのたんじょうびです!
「なんで出てくるんですか……」
結衣は小声で言って、シッシと手を振った。
二日続けて同じ話を聞いたせいか、どうにも気を抜くと結婚について考えてしまう。
それだけなら問題は無いのだが、その度に同じ人物が頭に浮かぶから腹が立つ。
冷静になろう。
彼よりも魅力的な人物は、両手の指で足りないくらい知っている。
一流企業で働く男性、自ら起業して成功した男性。数億円の収入があり、しかも紳士的で魅力のある男性を多く知っている。そんな人に交際を申し込まれたこともある。
全て断ったけれど、みんな彼とは比べ物にならないくらい素敵な男性だ。
例えば………………………………。
仮に、彼なんかと結婚してしまったとしよう。
そこに幸せな家庭なんてあるわけがない。
例えば、自分の命よりも大切なゆい。
ゆいは何故か彼に懐いている。それから、彼は意外と面倒見が良い。強引に押し付けられたみさきちゃんを育てる為に、いろいろ頑張っているのを知っている。みさきちゃんの姿を見れば、彼が親として子供にどのような接し方をしているのか分かる。そういう点で見れば、きっとゆいにとっても良き父親に――
「なりません!」
グーで机を叩いた結衣。
何事かと周りの視線が集まったけれど、それも一瞬のこと。
結衣はフーと息を吐いて、コップの水を一気に飲んだ。
落ち着こう。
結婚相手が娘にとって良き父親になってくれるかどうかは重要な点だが、今は忘れよう。
彼について、個人的にどう思っているのか考えよう。
あの人に似ているとか、そういう要素は除いて、あの無駄に背が高い男性について考えてみよう。
彼とは、なんだかんだで会う機会が多い。
戸籍上、みさきちゃんの母親となっているから、主に小学校に関連するイベントで嫌でも会う機会がある。それとは別に、ゆいとみさきちゃんが仲良しだから、その関係で会うこともあった。
実に嘆かわしいことだが、今の結衣にとって最も身近な男性は彼で間違いない。
しかし、しかしである。
それほどの時を共に過ごして、果たして胸に残るような出来事があっただろうか。
普通は一年も付き合いがあれば素敵な思い出がひとつは生まれるものだ。しかし彼の場合は――
――俺と友達になってくれ
「ん~~っ!」
結衣は机に頭を押し付けてグリグリした。
あれは……
だって……
ノーカウントォ!
あんなの、事故!
ノーカウントです!
ふふ、あれを除けば彼との思い出なんて――
――今日は、ありがとうございました!
「これ私ィ!」
言葉にならない感情が湧き上がって、ジタバタする結衣。
より強く机に頭を押し付けて、両足で床をドンドコドンドコ。
幸いにも周囲に彼女の知人は居なかったけれど、きっと居たとしても、この人物が戸崎結衣であるとは信じなかったに違いない。
……ああ、恥ずかしい。
人生最大の汚点です。
なぜあんな子供みたいなことを!
「ん~~~!」
すっかり人前だということを忘れてジタバタする結衣。
そのまま数秒ジタバタして、ハッと我に返る。
「時間です」
思わず声を出して、結衣は席を立った。
それから会計を終えて店を出て、真っ直ぐ次の仕事へ向かう――その途中。
……なんで、あなたが、ここに。
「よっ、今日も仕事か?」
……よっ、じゃないですよ。
私が今どんな――どうもなってない!
「……」
……あれ、なんで、頭が真っ白に。
どのような状況でしたっけ。
たしか……そう、挨拶、挨拶をしましょう。
挨拶をして、さっさと仕事に向かいましょう。
せーの。
「はいそうです仕事ですでは」
なに今の挨拶……おかしい、こんなの私じゃない。
……ああもう! なにこれ!!
結衣は表情を強ばらせて足早に立ち去った。
しかしどれだけ歩いても、彼のことが頭から離れることはなかった。
結衣は今日も働いていた。
時刻は12時を過ぎたところ。
彼女は後輩である森野《もりの》海未《うみ》と共に、社内食堂で昼食を食べていた。
この食堂は社員以外も使うことがあるからか、内装には気を使われている。机の配置には余裕があり、満席になっても狭いと感じることは無い。
二人は小さな丸いテーブル席を利用していた。
結衣が注文したのは日替わりのランチメニュで、今日は胡麻の乗った丸パンとマーガリン、それからサラダとコーンスープのセットだった。後輩である森野は結衣と同じ物を注文し、ドリンクにアイスコーヒーを選んだ。
「先輩、いつも水ですよね」
「慣れれば味わい深いものです」
「……なるほど?」
結衣が森野の教育係となってから一年以上が経った。最近では森野も一人で商談が出来るようになり、二人が共に行動する時間は減りつつある。
しかし長い時間を共に過ごしたことで、二人は仲の良い友人のようになっていた。もちろん確かな上下関係があるけれど、こうして食事を共にすることは少なくない。
といっても会話は少ない。
今日も二人は静かに食事をしていたが、森野が突然ストローでアイスコーヒーをブクブクしたから、結衣は何事かと思って声をかけた。
「何か、お悩みですか?」
「……ふと周りを見るとですね、いろんなところで『ママ~、ツリーだよ~』って……その一方で私はイヴなのに仕事……おしごと……おしごとぉ、たのしいなぁ~ ぶくぶくぅ~」
即座に重症だと判断した結衣は、彼女の精神的なケアを試みる。
「森野さん、この時期は稼ぎ時ですよ」
「先輩はいいですよ、もう結婚して娘さんまでいるんですから。でも私は……寂しいなぁ」
森野の返答を聞いて結衣は言葉に詰まった。
数少ない苦手科目とも言える話題だ。
「よければ、素敵な独身の男性を紹介しましょうか?」
ガタンという音と共に立ち上がった森野。
「ぜひ!」
「森野さん、落ち着いてください」
指摘され、森野は少しだけ気恥ずかしそうに腰を下ろした。
しかしそれで落ち着く彼女ではない。
「もぅ最近は焦っちゃってまして。男の人達の会話を聞いてると、女は25までだよな、みたいな言葉が聞こえてきて! どうしよ私あと二年で賞味期限切れちゃう! みたいな感じで!」
この後輩、人間的には全く成長していない。
そう思いながら静かに水を飲んでいた結衣だが、ある言葉にピタリと動きを止める。
「……賞味期限?」
「そうです。25過ぎた女には魅力が無いとか……あいつらきっとロリコンなんですよ」
「……ええ、そうですね」
ところで結衣は1月1日に25歳の誕生日を迎える。
「先輩が羨ましいです。素敵な旦那さんがいて、可愛い娘さんがいて、仕事もバリバリこなしていて……」
「私は、やるべきことをやっているだけです」
平静を装う結衣。
しかし内心ではかつてない程に動揺している。
会社では家庭を持っていることになっているが、もちろん嘘だ。
娘がいるのは本当だけれど、彼女とは血の繋がりが無い。
つまり恋愛や結婚という話において、結衣は目の前にいる後輩と何ら変わらない。
何度か縁談を持ちかけられたことはあった。
だが結衣の心が微かにでも動いたことは無い。
結衣の初恋は、まだ続いているのだから。
「先輩の紹介してくれる男性、期待してますね」
「……ええ、期待していてください」
言えない。本当のことは絶対に言えない。
「ところで、いくつか聞きたいことがあるんですけど……」
結衣は質問の続きを聞いてはならないと直感した。
「森野さん、」
「やっぱりその、初めての時って痛かったですかっ?」
遅かった。
「……その、どうでしたか?」
僅かな緊張と期待。
もちろん結衣は彼女の問に対する答えを持っていない。
よくよく考えれば、答えないというのが最も正しい選択だったのだろう。しかし結衣は、彼女の期待に満ちた色を見て妙な使命感を覚えてしまった。
「痛みなど皆無でしたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、愛の前に苦痛など無力なものです。例えるならそう、タンポンを入れるようなものです」
結衣は自分で自分が何を言っているのか分からない。
「えっと……あっ、細かったんですね」
「……」
ただ、とんでもない失言をしたということだけは分かった。
「ああいえその! 先輩、タンポン派だったんですね~」
「……」
取り繕うようにして言った森野。
しかし微妙な空気は消えてくれない。
結衣は何も言えない。
実は怖くてタンポンを使ったことが無いとも言えない。
「……えっと、誰にも言わないので!」
「この話はもう止めましょう」
力強く、結衣は言った。
「……その、すみませんでした」
「今日、私達は一切の会話をしなかった。いいですね?」
「……はい。私と先輩は、一切の会話をしませんでした」
12月25日。
結衣は今日も働く予定だ。
「ママァ! ママ見てママ! ママこれママ! プレゼント! サンタサンからプレゼント!」
朝。
いつも通りの時間に目を覚ました結衣がキッチンで朝食の用意をしていると、いつもより早く起きたゆいが元気な声で駆け寄って来た。
「はい、おめでとうございます。ですが、まずは顔を洗いましょう」
「あらうぅ!」
「歯磨きも忘れないように」
「みがくぅ!」
元気な返事をして、ゆいはドタバタ駆けて行った。
その後ろ姿を見て、結衣は満足そうに微笑む。
数分後。
「いただきます!」
「はい、頂きます」
二人はいつものように机を囲んで、手を合わせた。
今日はゆいの隣の椅子にもう一人、大きなクマのぬいぐるみが座っている。
「クマさん、これはホットケーキですよ!」
ぬいぐるみに話しかけるゆい。
「おー、おいしそうですね!」
ぬいぐるみ役を演じるゆい。
「早く食べてくれないと冷めちゃうよ~」
ホットケーキ役を演じる結衣。
今日の朝食は、クリスマスということでホットケーキと普段は飲まない炭酸のコーラ。
実は去年と同じメニュで、ゆいは一週間くらい前から楽しみだと口にしていた。
「きょうからクマさんといっしょにねます!」
「そうですか。ゆいは寝相が悪いので少し心配です」
「クマさんは、がんじょうです」
得意気な表情で言ってホットケーキをパクり。
何度か咀嚼して、ごくりと飲み込む。
「クリスマス!」
「はい、クリスマスですね」
独特の感性から生まれた感想を聞いて、結衣は微かに肩を揺らした。
「きょうは、りょーくんのたんじょうびです!」
その一言で結衣は次の言葉を察する。
「アピールしましょう!」
「しません」
「しましょう!」
またか、と結衣は心の中で溜息を吐く。
昨日に続いて今日も恋愛の話だ。
本来は神の誕生を祝う日であるクリスマスの意味を歪めた日本の販売戦略を絶対に許さないと結衣は思った。ゆいの場合は純粋に誕生日という点に反応しているのだろうが……。
「ゆい、何度も言っていますが、ママは彼をそういう対象としては見ていません」
「ウェディングドレスをきたママが見たい!」
やれやれと、結衣は思う。
結衣にだって結婚願望くらいはある。昨日聞いた賞味期限とかいう話を真に受けるつもりは無いが、そろそろ結婚していてもおかしくない年齢だ。
だからといって結婚出来れば良いなんて考え方はしたくない。
結婚するなら、きちんと好きな人と結ばれたい。
結衣だってもう子供じゃない。
十年も前の出来事を相手も覚えているなんて都合の良いことは考えていない。そもそも、あの人は既に結婚してしまっている可能性だってある。
それでも、この気持ちは変わらない。
「ママもいつかはウェディングドレスを着ることになるかもしれません。しかし、相手が彼になるということは有り得ません」
「なんで!?」
「彼のことが嫌いだからです」
「イヤよイヤよもスキのうち!」
娘からのアピールが止まらない。
なぜ彼はここまで好かれているのだろう。
確かに彼には助けられた。
彼のおかげで、一人では決して得ることの出来なかった時間が手に入った。
その時間を使って、ゆいとのかけがえのない思い出が生まれた。
その点は感謝している。
だけど、それだけだ。
ゆいには私が彼を意識しているように見えるのかもしれない。
確かに、意識していないと言えば嘘になる。
でもこれは彼の色を見て、あの人のことを思い出して、それで気になっているだけだ。
二人が同一人物なんて、そんなの有り得ない。
でも、もしも……
「ほら! ママかわいいかおしてる!」
「……ゆい、今晩はケーキですよ」
「ケーキ!」
「……苺とトマトって、似ていますよね」
「ぼうとく! ケーキへのぼうとく!」
結衣は権力を振りかざした!
ゆいは机をバンバン叩いて抗議する!
しかし! 晩御飯にはトマトが出現した!
12月26日。
結衣は今日も働いている。
午前中にいくつかの商談をして、昼は近くにあったファミレスを利用した。
店内には、冬休みが始まっているからか若い人の数が多かった。もちろん結衣と同じようにスーツを来た大人の姿も見えるが、カップルか家族連れがほとんどだ。
――きょうは、りょーくんのたんじょうびです!
「なんで出てくるんですか……」
結衣は小声で言って、シッシと手を振った。
二日続けて同じ話を聞いたせいか、どうにも気を抜くと結婚について考えてしまう。
それだけなら問題は無いのだが、その度に同じ人物が頭に浮かぶから腹が立つ。
冷静になろう。
彼よりも魅力的な人物は、両手の指で足りないくらい知っている。
一流企業で働く男性、自ら起業して成功した男性。数億円の収入があり、しかも紳士的で魅力のある男性を多く知っている。そんな人に交際を申し込まれたこともある。
全て断ったけれど、みんな彼とは比べ物にならないくらい素敵な男性だ。
例えば………………………………。
仮に、彼なんかと結婚してしまったとしよう。
そこに幸せな家庭なんてあるわけがない。
例えば、自分の命よりも大切なゆい。
ゆいは何故か彼に懐いている。それから、彼は意外と面倒見が良い。強引に押し付けられたみさきちゃんを育てる為に、いろいろ頑張っているのを知っている。みさきちゃんの姿を見れば、彼が親として子供にどのような接し方をしているのか分かる。そういう点で見れば、きっとゆいにとっても良き父親に――
「なりません!」
グーで机を叩いた結衣。
何事かと周りの視線が集まったけれど、それも一瞬のこと。
結衣はフーと息を吐いて、コップの水を一気に飲んだ。
落ち着こう。
結婚相手が娘にとって良き父親になってくれるかどうかは重要な点だが、今は忘れよう。
彼について、個人的にどう思っているのか考えよう。
あの人に似ているとか、そういう要素は除いて、あの無駄に背が高い男性について考えてみよう。
彼とは、なんだかんだで会う機会が多い。
戸籍上、みさきちゃんの母親となっているから、主に小学校に関連するイベントで嫌でも会う機会がある。それとは別に、ゆいとみさきちゃんが仲良しだから、その関係で会うこともあった。
実に嘆かわしいことだが、今の結衣にとって最も身近な男性は彼で間違いない。
しかし、しかしである。
それほどの時を共に過ごして、果たして胸に残るような出来事があっただろうか。
普通は一年も付き合いがあれば素敵な思い出がひとつは生まれるものだ。しかし彼の場合は――
――俺と友達になってくれ
「ん~~っ!」
結衣は机に頭を押し付けてグリグリした。
あれは……
だって……
ノーカウントォ!
あんなの、事故!
ノーカウントです!
ふふ、あれを除けば彼との思い出なんて――
――今日は、ありがとうございました!
「これ私ィ!」
言葉にならない感情が湧き上がって、ジタバタする結衣。
より強く机に頭を押し付けて、両足で床をドンドコドンドコ。
幸いにも周囲に彼女の知人は居なかったけれど、きっと居たとしても、この人物が戸崎結衣であるとは信じなかったに違いない。
……ああ、恥ずかしい。
人生最大の汚点です。
なぜあんな子供みたいなことを!
「ん~~~!」
すっかり人前だということを忘れてジタバタする結衣。
そのまま数秒ジタバタして、ハッと我に返る。
「時間です」
思わず声を出して、結衣は席を立った。
それから会計を終えて店を出て、真っ直ぐ次の仕事へ向かう――その途中。
……なんで、あなたが、ここに。
「よっ、今日も仕事か?」
……よっ、じゃないですよ。
私が今どんな――どうもなってない!
「……」
……あれ、なんで、頭が真っ白に。
どのような状況でしたっけ。
たしか……そう、挨拶、挨拶をしましょう。
挨拶をして、さっさと仕事に向かいましょう。
せーの。
「はいそうです仕事ですでは」
なに今の挨拶……おかしい、こんなの私じゃない。
……ああもう! なにこれ!!
結衣は表情を強ばらせて足早に立ち去った。
しかしどれだけ歩いても、彼のことが頭から離れることはなかった。
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父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
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カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
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引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
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