日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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第三章 りょーくんのうた

第一話:みさきと自己紹介

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 春、それは出会いの季節。
 月次な言葉だけれど、これから小学生になる子供に贈るならば、きっとこれが一番の言葉だ。

 風岡南小学校。森に近い丘の上にある小学校で、五十年以上の歴史を持っている。児童の数は少なく、全学年を合わせても百五十人程だから、各学年ひとクラスしかない。

 始業式が終わった後の教室。初めての集団登校と始業式を経験したばかりの新一年生達は、各々そわそわしていた。男子十四名、女子十一名の二十五名。保育園から交流のある児童達もいるけれど、周辺に小学校が多く、それから地理的な問題があるからか、ほとんどは周りの人の顔を知らない。だから騒ごうにも騒げない、そんな状況だ。

 戸崎ゆいは、自分の前に座る義妹の背中を見ながら、それはそれはそわそわしていた。

 あいうえお順の座席だから、戸崎ゆいの前には戸崎みさきが座っている。ゆいはみさきに声をかけたくて仕方ないけれど、周りは静かだし、なんだかみさきは堂々としているしで声をかけにくい。そもそも先生が黒板の前に居るから、今は声をかけて良い時間ではない。ゆいはグッと我慢していた。

 カタン。黒板に平仮名で大きく名前を書き終えた担任教師は、ゆったりとした笑みを浮かべて振り返る。

「初めまして。私は、岡本《おかもと》怜《れい》です。どうぞ、怜先生と呼んでください」

 岡本怜は、ちょうど去年の卒業生を受け持っていた女性教師で、今年で二十九歳になる。この学校では基本的に担任クラスが繰り上がっていくことになるから、彼女と二十五人の児童達は、きっとこれから六年間を共に過ごすことになる。

 六年前、新人教師だった岡本は、それはそれは緊張していて、そのせいで子供達に揶揄われたものだが、流石に六年経った今では余裕があるのか、その佇まいは堂々としている。

 卒業式が終わってから暫くの間、送り出した子供達の事が忘れられなくてクヨクヨしていた岡本は、しかし春休みが終わる前に髪を切って、気持ちを新たにこの場に居る。

 もちろん、児童達の顔と名前は春休みに名簿と睨めっこして覚えている。

 さぁ、新しい一年の始まりだ!
 岡本は思い切り息を吸って、元気よく言った。

「それじゃあ一回呼んでみよっか。せーの、れいせんせー」

 ……。

「あ、あれ? 元気がないぞー?」

 岡本は困惑しながら児童達を見る。一年生といえば、教師の間では言葉の通じない宇宙人として有名な学年だ。

 公の場で子供を宇宙人扱いすれば問題になるだろうし、それこそ新人教師なんかは先輩からこの言葉を聞いた時に少なからず反感を抱くのだが、どんな子供好きでも本能の赴くままに行動する集団を相手にすれば心を病み、やがて理解する。

 しかし、岡本の目の前にいる二十五人は、まるで偏差値の高い高校生を相手にしているかのように静かで大人しかった。

 ……それはそれでいいんだけど、あれー?

 ざっと子供達の姿を見る。本当に大人しく座っている子が多くて……あっ、そわそわしてる子がいる、かわいいな。えっ、あの子なんで手鏡を持ってるの? あわわ、あっちの子は鼻水垂れてる。ええっと、あの子はなんか態度でかいな……。

 ……ダメよ怜、落ち着いて。もしも子供達に下に見られたら、この先に秩序は無いわ。

 そうやって自分に言い聞かせる岡本の首筋に冷たい汗がにじむ。彼女は背中に隠した手を強く握ると、努めて笑顔で言った。

「みんな緊張してるみたいだね。あはは、じゃあ先ずは自己紹介しよっか!」

 ……。

「しよっか!!」

 ……。

「自己紹介したくない人は手を挙げてー!」

 ……。

「よしっ、みんな自己紹介したいみたいだね! じゃあ最初は、天霧《あまぎり》隼人《はやと》くん!」
「はい」

 おっ、ちゃんと返事した!
 ようやく児童の反応を得られて、岡本は心から安堵した。天霧と呼ばれた少し髪の長い男の子は、机に置かれたランドセルに手を付いて立ち上がる。

「あまぎりはやとです。じっかのけんじゅつどうじょうをつぐにふさわしいうつわとなるべく、べんがくにはげみたいしょぞんでございます。いご、おみしりおきを」

 パチパチパチと、疎らな拍手が起こる。岡本はあんぐりしそうになる口を必死に引き締めて、なんとか教師としての威厳を保とうと努めた。

「はい、ありがとう。隼人くんは、好きな物とかあるの?」
「すききらいなどありませぬ。ただ、しいて言うならば……アンパンマソのようなひととなりが、すきでございます」
「……はーい、ありがとうございました。では次は、伊藤《いとう》静流《しずる》さん!」
「はい!」

 おー、元気な返事。
 これだよこれ! と、岡本は少し前のめりになって女の子の自己紹介を見守る。女の子は地面まで届きそうなくらい長い髪をふわりと揺らした後、両手を胸に当てて、年齢の割には聞き取りやすい落ち着いた声で言う。

「いとうしずる、おねえさんです!」

 お姉ちゃんなのかー、妹さんはいくつなのかな?

「いじょうです!」
「はい、ありがとう。そっか、静流ちゃんはお姉ちゃんなんだね」
「はい! しずるねぇってよんでください!」
「あははは。妹さんからもそう呼ばれてるの?」
「それは、まだです……」
「あら、もしかしてまだ赤ちゃん?」
「いえ、ひとりっこですよ?」

 ……ん?

「お姉ちゃん、だよね?」
「はい、おねえさんです」

 ……え、自称ってこと?

「う、うん、ありがとう。今日からよろしくね」
「はい! よろしくおねがいします!」
「はい。では次は――」

 次々と、個性的な自己紹介が続いていく。岡本は子供達の自己紹介を聞く度に、この六年でいったい幼児教育にどんな変化があったのかと驚愕していた。しかしながら、強烈な個性を放ったのは最初の二人くらいだけで、続く子供達の自己紹介は許容できる範囲にあったから、岡本は徐々に落ち着きを取り戻していった。

「はい、ありがとう。じゃあ次は、戸崎みさきちゃん!」
「……ん」

 あら可愛い、と岡本は思った。綺麗に整った髪と丸々とした輪郭、大きな目。それから他の子と比べて頭ひとつくらい小さな身長と、それに見合った小さな動き。

「みさき。よろしく、します」
「はーい、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたみさきを見て、岡本は頬が緩むのが抑えられなかった。
 可愛い、可愛すぎる。

「みさきちゃんの好きな食べ物は何?」
「たべもの?」
「うん、食べ物」
「……ケーキ」
「そっかー、ケーキかぁ」

 ……何この子、なんでこんなに可愛いの?
 アクの強い自己紹介が続いた後に現れた女の子が、岡本にはまるで天使のような存在に見えた。だから思わず長々と話してしまいそうになったが、流石にそこは二十九歳。理性で感情を抑え込んだ。

「ありがとう。じゃあ次は、戸崎ゆいちゃん」
「ひゃっ、はい!」

 あらあら、この子はとても緊張しているみたいね。ええと、みさきちゃんとは姉妹だったかしら? 確か、この子が四月生まれで、みさきちゃんが二月生まれ。

「と、とさきゆいです! ななさいです! すきなたべものは、ママのつくるにくじゃがで、きらいなたべものは、トマトだけど、がんばってたべられます! よろしくおねがいします!」

 おー、流石お姉ちゃん、しっかりしてるなー。
 岡本は素直に拍手した。最初は緊張した様子だったけれど、声を出したら緊張が解けたのか、椅子に座った後、ゆいは満足そうな表情をしていた。

 その後も中村、名倉、七咲と続き、そこで岡本は一度ごくりと何かを飲み込んだ。次の子は、ずっと手鏡を手放さない女の子で、聞く前から強烈な自己紹介が来ると予測できる。

 岡本は笑顔の裏に最大限の警戒心を携えて、その子の名前を呼んだ。

「七森《ななもり》瑠海《るみ》ちゃん」
「はーい☆」

 名前を呼ぶと、女の子は手鏡を机に置いて、無駄にキレッキレな動きで立ち上がった。それからピンと伸ばした人差し指と中指を目の上下に当てて、ウインクしながら二つに分けた長い髪を揺らし、妙にキャピキャピした声で言った。

「みんなのアイドル、るみるみでーす☆ ここにいるみんなはラッキー☆ るみるみのみりょくでハートをメロメロにしてあげるっ♪ でも、るみるみはみんなのものだから、だんしのみんなは、わきまえてねっ、ルミミン☆」

 ……時間が、止まったような気がした。
 岡本は思った。見誤ったと、心から後悔した。
 予想を遥かに上回るインパクトだった。
 しかも古かった。

 だけど自分は教師なのだ。
 低学年を預かる教師が、この程度のことに対応できなくてどうする。

「かわいー、瑠海ちゃんは将来どんなアイドルを目指してるの?」
「もちろん、うたっておどってしゃべれるアイドルです! あくしゅけんをつけずに、アルバムでミリオンセールをきろくするのら☆」

 言葉は古いのに夢は現代的!?

「うん、がんばって、応援するね」
「ありがとー! みんなも、おうえんしてね☆」

 クルリと一回転した後、瑠海はとても満足した表情で座った。
 岡本は一年分の精神力を使い果たしたような気がして、しかしながら、あれを乗り越えればもう大丈夫だろうという妙な安心感のような物も感じていて、それを糧に自己紹介の続きを促す。

「はい、次は穂村《ほむら》蒼真《そうま》くん」
「……うむ」

 ……あれ?
 岡本はパチパチと瞬きを繰り返した。見れば、それは席に座ってからずっと目を閉じて腕を組んでいた男の子だ。彼はとてもゆったりとした動きで立ち上がると、何故か右手で顔を覆った。

「我が名は穂村蒼真。齢六にして、世界の理を悟りし者。我が知性は既に義務教育の範疇を逸脱しているが、機関の追跡を逃れる為、こうして教育施設に身を預けている。特技は深淵に潜む魔の者を呼び出すことだが、残念ながら現世に存在する魔力量では使用することが出来ない……ふっ、怯えているな? なに、案ずることは無い。我は、貴殿等と親しい関係になりたいと希っている。故に、安心すると良い。以上だ」

 ……。
 岡本は、笑顔のまま凍り付いた。

「ええっと、蒼真君は、好きな食べ物とかあるの?」
「愚問だ。特定の供物を好むことなど無い。あれらは、等しく我が血肉へと変わる物だ」

 これは、きっとアニメか何かの影響なんだ、そうに違いない。
 岡本は無理矢理納得することにして、次の質問をした。

「……嫌いな食べ物は?」
「ピーマン」
「……そっか」

 子供らしからぬ発言の後に来た子供らしい回答に、岡本はほっと息を吐いた。

 きっとこの六年間で幼児教育に革命があったに違いない。私は何も知らされていないけれど、それでも、この子達は私の大事な児童なんだ。ちょっと個性が強過ぎるけれど、それはきっと悪いことじゃない。教師として、この子達の個性を良い方向へ伸ばそう。

 岡本は決意を新たに、次の子の名前を呼んだ。
 とんでもない六年間になりそうだと、心から思いながら。
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