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第三章 りょーくんのうた
SS:みさきのやりたいこと
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たららん、たららん。
ある日の朝、戸崎家にはピアノの音が響いていた。
「このピアノやわらかい!」
普段は大きなピアノばかり扱っているゆいは、みさきの電子ピアノをタンタン指で叩いて目を輝かせた。そして、ゆいの隣に座るみさきは、とても真剣な目でゆいの指先を見ている。
昨日、みさきは六歳になった。
初めての誕生日プレゼントをもらった。
ゆいちゃんのママからランドセル。
まゆみさんからお絵かきセット。
そしてりょーくんから、電子ピアノ。
みさきが貰った電子ピアノは、より詳しい区分ではキーボードに当たる代物だ。みさきの力でも一瞬なら持ち上げられるくらいに軽くて、大人なら膝に乗せて演奏することも可能である。やるかどうかは別問題だが。とにかく、幼い子供に買い与える物として適した品であると評価できる。それもそのはず、龍誠は店員から多くの助言を得たうえでコレを購入した。
早速ピアノを弾いてみたいみさき。
だけどピアノの使い方なんて分からない。
そこで先輩――ゆいちゃんに相談した。
まかせて! そう言ったゆいは、みさきと二人でピアノを机に運んで、電源をコンセントに繋いだ。それからソファに座ってピアノに手を伸ばし、たららんたららん。
そしてゆいが鍵盤の軽さに感動した所で、今に至る。
「では、まずはドのばしょをおぼえましょう!」
「……ん」
ゆいはピアノ教室で教わった事を思い出しながらみさきに伝えた。みさきは教わった事を次々と身に付けてるので、ゆいは「あたしのおしえかたがいいのね!」と鼻高々だった。
やがて簡単な曲を教えながら「こうだよ、こう!」とお手本を見せるゆい。みさきは一生懸命にマネしようとするが、どうしても両手が一緒に動いてしまう。
「はんぷくれんしゅうです! これからいっしょに、せっさたくましましょう!」
「……ん」
ゆいの言葉は、彼女の持つ年齢相応の舌足らずで甲高い声とは大きなギャップがある。そのせいで本人が意味を理解しているのかどうか怪しい響きがあるのだが、さておき、みさきはきちんと言葉の意味を理解したうえで頷いた。
「あたしね! このまえ、はっぴょうかいでえんそうしたよ!」
「……はっぴょうかい?」
「うん! にんぎょうげきやったとこ!」
発表会って何? その問いに対する返事は無く、代わりに、ゆいは楽しそうに話を始めた。
「みんなのまえでね! ちゃらららんって! おわったらね! ぱちぱちぱちぃ! せんせいがすごいねっていって、ママもとってもほめてくれたの!」
みてて! と、その時の曲を弾き始めるゆい。
「あたし、しょうらいピアニストになっちゃうかも!」
みさきは、ゆいの言っていることの意味は良く分からないけれど、楽しそうな雰囲気だけは理解した。
短い演奏を終えたゆいは、満足した表情でみさきの方を見て、元気に言う。
「みさきは、なにかやりたいことある?」
みさきは考えた。
やりたいことって、なんだろう。
その質問は、むしろ子供であるほど「お花屋さんになる!」などと答えやすい質問ではあるのだが、しかしみさきにとっては難しかった。それは彼女の置かれた環境が非常に特殊だからだろう。
しかし、だからこそ、頭に浮かんだのは、たったひとつだった。
「……りょーくん」
「むむむ? やりたいこと?」
みさきの返答に、ゆいは首を傾けた。
「……おれい?」
みさきは誕生日プレゼントを貰えて、とても嬉しかった。
りょーくんにも同じくらい嬉しくなって欲しい。
「なるほど!」
と、目を輝かせたゆい。
「おねえちゃんにまかせて!」
そう言って、えっへんと胸を張った。
みさきは戸崎結衣の娘になったから、戸籍上はゆいの妹である。しかし、その複雑な家系図について疑問を抱けるだけの知識は持っていないし、そもそも何故ゆいちゃんの所に預けられることになったのかも、みさきは良く分かっていない。ただ、ゆいちゃんがお姉ちゃんになったということだけは分かっていた。
「……おねえちゃんにまかせて!」
みさきの反応が無いから、ゆいはもう一度言った。
「……ん」
一年の付き合いで、ゆいのそういう所を分かっているみさきは、コクリと頷いて返事をした。
それはそうと、何を任せるのだろう?
疑問に思うみさき。
一方で、ゆいは次々と浮かび上がるアイデアに、わくわくが止まらない。
――外には、雪が降っている。
六畳の狭い部屋で、壁を構成する木材に鼻を近づけると少しだけ嫌な臭いがする。ドアの反対側に大きな窓があるけれど、その先には大きなマンションがあって景色は最悪。そして電気もガスも水道も通っていない代わりに、雨漏りや隙間風は一切無い。まさに雨風を凌ぐという最低限の機能だけを満たし、それ以外は最悪だった場所。
部屋の隅には、手作り感あふれるダンボール箱がいくつも並んでいる。そこには、しっかりアイロンで皺を伸ばした服と、様々なジャンルの本が入っている。ダンボール箱の隣には、まだ新しいランドセルと手提げバッグが置いてある。
そして部屋の中央には二つの布団が並んでいる。
布団の上には、小さな女の子と、大きな男性が座っていた。
二人の間には、ポータブル電源に繋げられた電子ピアノが置いてあって、枕元に置かれたスタンドランプの小さな灯りに照らされていた。
女の子はそっと鍵盤に指を乗せ、すーっと息を吸う。
そして、小さな口をそっと開いた。
その女の子は、ただ運命に翻弄されるだけだった。
しかし、やっと自分の意思で何かをする機会を得た。
これは女の子の――みさきの、初めての挑戦。
幼い女の子が、大好きな人の為に一生懸命がんばる物語。
ある日の朝、戸崎家にはピアノの音が響いていた。
「このピアノやわらかい!」
普段は大きなピアノばかり扱っているゆいは、みさきの電子ピアノをタンタン指で叩いて目を輝かせた。そして、ゆいの隣に座るみさきは、とても真剣な目でゆいの指先を見ている。
昨日、みさきは六歳になった。
初めての誕生日プレゼントをもらった。
ゆいちゃんのママからランドセル。
まゆみさんからお絵かきセット。
そしてりょーくんから、電子ピアノ。
みさきが貰った電子ピアノは、より詳しい区分ではキーボードに当たる代物だ。みさきの力でも一瞬なら持ち上げられるくらいに軽くて、大人なら膝に乗せて演奏することも可能である。やるかどうかは別問題だが。とにかく、幼い子供に買い与える物として適した品であると評価できる。それもそのはず、龍誠は店員から多くの助言を得たうえでコレを購入した。
早速ピアノを弾いてみたいみさき。
だけどピアノの使い方なんて分からない。
そこで先輩――ゆいちゃんに相談した。
まかせて! そう言ったゆいは、みさきと二人でピアノを机に運んで、電源をコンセントに繋いだ。それからソファに座ってピアノに手を伸ばし、たららんたららん。
そしてゆいが鍵盤の軽さに感動した所で、今に至る。
「では、まずはドのばしょをおぼえましょう!」
「……ん」
ゆいはピアノ教室で教わった事を思い出しながらみさきに伝えた。みさきは教わった事を次々と身に付けてるので、ゆいは「あたしのおしえかたがいいのね!」と鼻高々だった。
やがて簡単な曲を教えながら「こうだよ、こう!」とお手本を見せるゆい。みさきは一生懸命にマネしようとするが、どうしても両手が一緒に動いてしまう。
「はんぷくれんしゅうです! これからいっしょに、せっさたくましましょう!」
「……ん」
ゆいの言葉は、彼女の持つ年齢相応の舌足らずで甲高い声とは大きなギャップがある。そのせいで本人が意味を理解しているのかどうか怪しい響きがあるのだが、さておき、みさきはきちんと言葉の意味を理解したうえで頷いた。
「あたしね! このまえ、はっぴょうかいでえんそうしたよ!」
「……はっぴょうかい?」
「うん! にんぎょうげきやったとこ!」
発表会って何? その問いに対する返事は無く、代わりに、ゆいは楽しそうに話を始めた。
「みんなのまえでね! ちゃらららんって! おわったらね! ぱちぱちぱちぃ! せんせいがすごいねっていって、ママもとってもほめてくれたの!」
みてて! と、その時の曲を弾き始めるゆい。
「あたし、しょうらいピアニストになっちゃうかも!」
みさきは、ゆいの言っていることの意味は良く分からないけれど、楽しそうな雰囲気だけは理解した。
短い演奏を終えたゆいは、満足した表情でみさきの方を見て、元気に言う。
「みさきは、なにかやりたいことある?」
みさきは考えた。
やりたいことって、なんだろう。
その質問は、むしろ子供であるほど「お花屋さんになる!」などと答えやすい質問ではあるのだが、しかしみさきにとっては難しかった。それは彼女の置かれた環境が非常に特殊だからだろう。
しかし、だからこそ、頭に浮かんだのは、たったひとつだった。
「……りょーくん」
「むむむ? やりたいこと?」
みさきの返答に、ゆいは首を傾けた。
「……おれい?」
みさきは誕生日プレゼントを貰えて、とても嬉しかった。
りょーくんにも同じくらい嬉しくなって欲しい。
「なるほど!」
と、目を輝かせたゆい。
「おねえちゃんにまかせて!」
そう言って、えっへんと胸を張った。
みさきは戸崎結衣の娘になったから、戸籍上はゆいの妹である。しかし、その複雑な家系図について疑問を抱けるだけの知識は持っていないし、そもそも何故ゆいちゃんの所に預けられることになったのかも、みさきは良く分かっていない。ただ、ゆいちゃんがお姉ちゃんになったということだけは分かっていた。
「……おねえちゃんにまかせて!」
みさきの反応が無いから、ゆいはもう一度言った。
「……ん」
一年の付き合いで、ゆいのそういう所を分かっているみさきは、コクリと頷いて返事をした。
それはそうと、何を任せるのだろう?
疑問に思うみさき。
一方で、ゆいは次々と浮かび上がるアイデアに、わくわくが止まらない。
――外には、雪が降っている。
六畳の狭い部屋で、壁を構成する木材に鼻を近づけると少しだけ嫌な臭いがする。ドアの反対側に大きな窓があるけれど、その先には大きなマンションがあって景色は最悪。そして電気もガスも水道も通っていない代わりに、雨漏りや隙間風は一切無い。まさに雨風を凌ぐという最低限の機能だけを満たし、それ以外は最悪だった場所。
部屋の隅には、手作り感あふれるダンボール箱がいくつも並んでいる。そこには、しっかりアイロンで皺を伸ばした服と、様々なジャンルの本が入っている。ダンボール箱の隣には、まだ新しいランドセルと手提げバッグが置いてある。
そして部屋の中央には二つの布団が並んでいる。
布団の上には、小さな女の子と、大きな男性が座っていた。
二人の間には、ポータブル電源に繋げられた電子ピアノが置いてあって、枕元に置かれたスタンドランプの小さな灯りに照らされていた。
女の子はそっと鍵盤に指を乗せ、すーっと息を吸う。
そして、小さな口をそっと開いた。
その女の子は、ただ運命に翻弄されるだけだった。
しかし、やっと自分の意思で何かをする機会を得た。
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