78 / 221
第二章 仕事と子育て
就学時健診に行った日
しおりを挟む
気が付けば人形劇が終わってから一月が経っていた。
すっかりみさきとゴロゴロするのが当たり前になった土曜日、俺は唐突にとある衝動に襲われた。
「みさき、走るぞ!」
「……ん?」
走りたい!
ムズムズする!
とにかく走りたい!
「運動だ! 外行くぞ外!」
「……ん」
もー仕方ないなー。
みさきは読んでいた本をパタンと閉じて、ひょこっと立ち上がった。
それから部屋の奥にある段ボール箱をごそごそして、運動に適した服を取り出す。
仕事を始めてから半年、この部屋には少しばかり家具が増えていた。もちろん、全てみさきの為の物だ。
一方で俺は、ここ最近ずっとジャージを着用しているので着替えなど必要ない。
「いいよ」
「しゃあ! 行くぜみさき!」
「……ん」
冬の近付く寒空の下、俺とみさきは走り出した。
目的地など無い! どこまでも! 行けるところまで!
「……何してるんですか?」
残念っ! 俺達は出鼻を挫かれた!
「見りゃ分かるだろ、走ってるんだよ」
俺はその場で足踏みしながら、目を細めて乱入者を見た。
「おはようございます!」
「おう、ゆいちゃんも一緒だったのか」
一ヶ月前には威嚇されたが、今日は機嫌が良いらしい。
「あの、走るって、この後に健康診断があるの忘れてませんよね?」
「……健康診断?」
果たして、俺とみさきの未だ見ぬ世界への旅(小走り)は終了した。
就学時健診。
すっかり失念していたが、みさきは今年で保育園を卒園する。その後どうなるって、待ってました義務教育だ。そして初めて知ったことだが、どうやら小学校に入る前に健診を受けなきゃいけないらしい。その直前に激しい運動なんかしたら異常が出るかもしれない、というのが結衣の言い分だ。
「まったく、みさきちゃんが不憫でなりません」
相変わらず辛辣な結衣。ふとすると、あの夕陽の前の姿が夢か幻だったんじゃないかと思えてしまう。
「返す言葉もねぇな……そういう情報って何処で手に入れりゃいいんだ?」
成り行きで一緒に現地へ向かう事になった俺とみさきと戸崎親子。
一歩後ろから聞こえるみさきとゆいちゃんの元気な声を背に、俺は結衣から説教を受けていた。
「手に入れるも何も、自宅に書類が郵送されるはずですが?」
「郵送……なるほど、郵送か」
少し考えて、
「その住所って、送る方はどっから調べるんだ?」
「どこまで世間知らずなのですか……」
「頼む、教えてくれ」
「……まったく。住民票などですよ。我が国に籍を持つ者であれば誰もが役所などに提出する書類があって、それが無いと保育園へ入園することも適わないはずですが……?」
……やべー、郵送されてこなかった理由に心当たりが有りすぎる。
「郵便事故じゃないかな」
「嘘ですね」
馬鹿なっ、一瞬で!?
「まったく、貴方がチャランポランなのは仕方ないとして、そのせいで娘に迷惑をかけるなんて、恥ずかしいとは思わないのですか?」
「……」
「そんなことだから、奥さんにも逃げられるのです」
目的地へ着くまでの間、俺はずっとサンドバック状態だった。
なんかこいつ、前よりキツくなってねぇか?
辿り着いたのは小学校だった。
まるで全てを知り尽くしているかのように迷い無い足取りで歩く結衣の後に続いて、俺達は受付まで辿り着いた。
「――はい、よろしくお願いします。それから、こちらの親子ですが、どうやら書類が郵便事故か何かで届いていないようで……はい……はい……はい、ありがとうございます」
至れり尽くせりだった。
「どうせスリッパも持ってきていないのでしょうね。まったく、少し待っていてください」
本当に、至れり尽くせりだった。
受付の後、みさきとゆいちゃんは小学校の上級生に連れられて健診に向かった。そこで身長と体重、視力や聴力、それから歯の検査なんかも行うらしい。
「なんか緊張するな」
「静かにしてください」
「いやでも、もしもみさきに異常が見つかったらと思うと、俺は、俺は……!」
「静かにしてくださいっ」
その間、保護者は待機。
俺と結衣は、体育館の外に用意されたパイプ椅子に、ひとつ間を開けて座っていた。
やがて、とことこ走るゆいちゃんに引っ張られてみさきが戻って来る。
「ひゃくじゅうななせんち!」
と、ゆいちゃん。
「みさきのさんわりましです!」
117÷1.3=90
マジかよ、みさきマジで九十センチしか無いのかよ!?
という衝撃の事実が発覚した後、俺達は別の部屋に向かった。次は面談を受けるらしい。
保護者への質問もあるとのことなので、俺はとても緊張していたのだが……。
「それではみさきちゃん、お名前は?」
「……みさき」
「おー、良く出来ましたー。好きな食べ物はなんですかー?」
「……ぎゅうどん?」
「あははは、みさきちゃん面白いねー」
「……ん?」
みさきへの質問攻めが続いた後、
「では次、お母さんは」
「お父さんです」
「え、あ、失礼しました。お父さんは、普段みさきちゃんとどんなお話をしますか?」
「その日あったこと、などです」
「はい、ありがとうございました」
と、あっけなく面談は終了した。
それから戸崎親子と合流して、共に診断結果をもらって小学校を後にした。最初はどうなることかと思った就学時健診だったが、終わってみればどうということは無い。みさきに身長以外の異常が無いと分かったし、様々な心配も全て杞憂で終わった。
「そんなわけないでしょう。明日の午後、市役所に行きましょう。十六時半であれば、なんとかなります。貴方もなんとかしてください。いいですね」
……杞憂で、終わるわけが無かった。
すっかりみさきとゴロゴロするのが当たり前になった土曜日、俺は唐突にとある衝動に襲われた。
「みさき、走るぞ!」
「……ん?」
走りたい!
ムズムズする!
とにかく走りたい!
「運動だ! 外行くぞ外!」
「……ん」
もー仕方ないなー。
みさきは読んでいた本をパタンと閉じて、ひょこっと立ち上がった。
それから部屋の奥にある段ボール箱をごそごそして、運動に適した服を取り出す。
仕事を始めてから半年、この部屋には少しばかり家具が増えていた。もちろん、全てみさきの為の物だ。
一方で俺は、ここ最近ずっとジャージを着用しているので着替えなど必要ない。
「いいよ」
「しゃあ! 行くぜみさき!」
「……ん」
冬の近付く寒空の下、俺とみさきは走り出した。
目的地など無い! どこまでも! 行けるところまで!
「……何してるんですか?」
残念っ! 俺達は出鼻を挫かれた!
「見りゃ分かるだろ、走ってるんだよ」
俺はその場で足踏みしながら、目を細めて乱入者を見た。
「おはようございます!」
「おう、ゆいちゃんも一緒だったのか」
一ヶ月前には威嚇されたが、今日は機嫌が良いらしい。
「あの、走るって、この後に健康診断があるの忘れてませんよね?」
「……健康診断?」
果たして、俺とみさきの未だ見ぬ世界への旅(小走り)は終了した。
就学時健診。
すっかり失念していたが、みさきは今年で保育園を卒園する。その後どうなるって、待ってました義務教育だ。そして初めて知ったことだが、どうやら小学校に入る前に健診を受けなきゃいけないらしい。その直前に激しい運動なんかしたら異常が出るかもしれない、というのが結衣の言い分だ。
「まったく、みさきちゃんが不憫でなりません」
相変わらず辛辣な結衣。ふとすると、あの夕陽の前の姿が夢か幻だったんじゃないかと思えてしまう。
「返す言葉もねぇな……そういう情報って何処で手に入れりゃいいんだ?」
成り行きで一緒に現地へ向かう事になった俺とみさきと戸崎親子。
一歩後ろから聞こえるみさきとゆいちゃんの元気な声を背に、俺は結衣から説教を受けていた。
「手に入れるも何も、自宅に書類が郵送されるはずですが?」
「郵送……なるほど、郵送か」
少し考えて、
「その住所って、送る方はどっから調べるんだ?」
「どこまで世間知らずなのですか……」
「頼む、教えてくれ」
「……まったく。住民票などですよ。我が国に籍を持つ者であれば誰もが役所などに提出する書類があって、それが無いと保育園へ入園することも適わないはずですが……?」
……やべー、郵送されてこなかった理由に心当たりが有りすぎる。
「郵便事故じゃないかな」
「嘘ですね」
馬鹿なっ、一瞬で!?
「まったく、貴方がチャランポランなのは仕方ないとして、そのせいで娘に迷惑をかけるなんて、恥ずかしいとは思わないのですか?」
「……」
「そんなことだから、奥さんにも逃げられるのです」
目的地へ着くまでの間、俺はずっとサンドバック状態だった。
なんかこいつ、前よりキツくなってねぇか?
辿り着いたのは小学校だった。
まるで全てを知り尽くしているかのように迷い無い足取りで歩く結衣の後に続いて、俺達は受付まで辿り着いた。
「――はい、よろしくお願いします。それから、こちらの親子ですが、どうやら書類が郵便事故か何かで届いていないようで……はい……はい……はい、ありがとうございます」
至れり尽くせりだった。
「どうせスリッパも持ってきていないのでしょうね。まったく、少し待っていてください」
本当に、至れり尽くせりだった。
受付の後、みさきとゆいちゃんは小学校の上級生に連れられて健診に向かった。そこで身長と体重、視力や聴力、それから歯の検査なんかも行うらしい。
「なんか緊張するな」
「静かにしてください」
「いやでも、もしもみさきに異常が見つかったらと思うと、俺は、俺は……!」
「静かにしてくださいっ」
その間、保護者は待機。
俺と結衣は、体育館の外に用意されたパイプ椅子に、ひとつ間を開けて座っていた。
やがて、とことこ走るゆいちゃんに引っ張られてみさきが戻って来る。
「ひゃくじゅうななせんち!」
と、ゆいちゃん。
「みさきのさんわりましです!」
117÷1.3=90
マジかよ、みさきマジで九十センチしか無いのかよ!?
という衝撃の事実が発覚した後、俺達は別の部屋に向かった。次は面談を受けるらしい。
保護者への質問もあるとのことなので、俺はとても緊張していたのだが……。
「それではみさきちゃん、お名前は?」
「……みさき」
「おー、良く出来ましたー。好きな食べ物はなんですかー?」
「……ぎゅうどん?」
「あははは、みさきちゃん面白いねー」
「……ん?」
みさきへの質問攻めが続いた後、
「では次、お母さんは」
「お父さんです」
「え、あ、失礼しました。お父さんは、普段みさきちゃんとどんなお話をしますか?」
「その日あったこと、などです」
「はい、ありがとうございました」
と、あっけなく面談は終了した。
それから戸崎親子と合流して、共に診断結果をもらって小学校を後にした。最初はどうなることかと思った就学時健診だったが、終わってみればどうということは無い。みさきに身長以外の異常が無いと分かったし、様々な心配も全て杞憂で終わった。
「そんなわけないでしょう。明日の午後、市役所に行きましょう。十六時半であれば、なんとかなります。貴方もなんとかしてください。いいですね」
……杞憂で、終わるわけが無かった。
0
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
元平民の義妹は私の婚約者を狙っている
カレイ
恋愛
伯爵令嬢エミーヌは父親の再婚によって義母とその娘、つまり義妹であるヴィヴィと暮らすこととなった。
最初のうちは仲良く暮らしていたはずなのに、気づけばエミーヌの居場所はなくなっていた。その理由は単純。
「エミーヌお嬢様は平民がお嫌い」だから。
そんな噂が広まったのは、おそらく義母が陰で「あの子が私を母親だと認めてくれないの!やっぱり平民の私じゃ……」とか、義妹が「時々エミーヌに睨まれてる気がするの。私は仲良くしたいのに……」とか言っているからだろう。
そして学園に入学すると義妹はエミーヌの婚約者ロバートへと近づいていくのだった……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる