ユニコーン聖女は祈らない

下城米雪

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ユニコーン聖女は約束を果たす

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 標的の寝室に忍び込むのは、実に簡単な仕事でした。
 まずは結界魔法で姿を消します。続いて結界魔法で宙に足場を作り、無防備なバルコニーから堂々と侵入しました。

 カリオペとは顔見知りですが、もちろん寝室に入ったのは初めてです。
 だから、こんなにも悪趣味な場所で寝ているとは、夢にも思わなかった。

 心の中で溜息を吐き、カリオペの両手足を結界魔法で包む。
 それからシャロの姿を消していた結界を解除しました。

 私が合図を出すと、シャロは真っ直ぐ彼の元へ向かいました。

「……なっ、なんだ貴様は!?」

 人影を見て、彼が驚いた様子で叫びます。
 シャロは返事をせず、握り締めていた短刀を振り上げ、彼の太腿に突き──あら?

(……本当に、刺した?)

 カリオペの悲鳴を聞きながら、私は唖然としてしまった。
 まさかシャロが迷わず刃に血を吸わせるとは思っていなかった。

「貴様っ! 何のつもりだ!?」

 シャロは返事をする代わりに短刀を引き抜き、反対側の太腿に突き刺した。

「ぐぅぅっ、ふざけるな! 私を誰だと──」

 その言葉は最後まで続かない。
 シャロが拳を握り、思い切り顔を殴ったからだ。

 何度も、何度も。
 その手が鮮血に染まろうとも、貴族が静かになるまで繰り返した。

「……なぁ、これ、治せる?」

 そう呟いた彼女の綺麗な白い手は、真っ赤になっていた。
 ところどころ皮も捲れているのは、きっと歯を殴ったからだろう。よくよく見れば、彼女の足元に白い個体が転がっている。

 私は戸惑いながらも要望通り魔法を使った。
 回復魔法と浄化魔法。それはシャロの血に汚れた手を綺麗にして──

「こっちじゃない」

 一瞬、私は思考が止まった。
 言葉の意味は理解できる。しかしこれは、全く想定していなかった。

(……見誤った)

 シャロが抱いた悪感情は、私の想像以上だった。
 私は彼女の要望通り「貴族」を回復魔法で全快させ、目を背けた。
 
(……失敗した)

 カリオペの悪行は想像に難くない。

 あちこちに配置された悪趣味な家具。
 先日シャロに案内された死臭が漂う場所。

 どちらも吐き気がする程に不愉快だ。
 そしてこの悪感情は、きっと彼のことを知るにつれて大きくなる。

 それでも見たくなかった。
 私はシャロに対して、何か勝手な幻想を抱いていたのかもしれない。

 彼女は気弱で、美しくて、どれだけ憎悪しても人を傷付けることは無いと、そんな風に思っていた。

 まったく嫌になる。
 たかだか数日の付き合いで、何を分かった気になっていたのだろう。

(……まあ、いいでしょう。ちょうど釣り合わないと思っていたところです)

 私はシャロに交換条件を出した。
 貴族一人分の全てを代価にシャロの全てを貰い受けること。

 これは私だけが無傷で得をする条件だ。
 貴族は勝手に自分を差し出され、シャロは自らを差し出す。

 もちろん私にも危険はある。
 もしも寝室に騎士が配置されていたら、こうも簡単に事は運ばなかった。

 しかし、常日頃から騎士を寝室に置く貴族など滅多に居ない。相手が全く警戒していない「一度切り」の侵入ならば、赤子の手をひねるよりも容易い。

 彼女を得るのに、それは余りにも安い。
 私の甘い幻想を打ち砕いてくれたのは、公平性を保つ意味で、ちょうど良かった。

「治して」

 定期的な要求に従って傷を癒す。
 カリオペは傷が癒える度に騒いでいたが、やがて抵抗を諦めた様子で呟いた。

「待ってくれ。もう、やめてくれ」

 実に白々しい命乞いである。

「私が悪かった。望みを全て受け入れる。だから許してくれ! 助けてくれ!」

 無駄に大きな声は、きっと外の誰かに聞かせるため。
 その相手は誰でも構わない。誰かに異変が伝われば、きっと助けが入る。

 ああ、なんて浅ましいのでしょう。
 彼は救いを求めているようです。きっと罪の意識など皆無なのでしょう。

「無駄ですよ」

 だから私は、その心を折ることにしました。

「お久し振りですね。カリオペ殿」

 彼は心底驚いた表情を私に向けました。

「……そうか、これは、結界魔法か」

 この面白い顔を見てシャロの溜飲が下がれば素敵ですが、残念ながら無理そうだ。

 さて、カリオペ殿には冷静な思考をする程度の余裕が残っているらしい。
 やはり先程の命乞いは演技と考えた方が良さそうです。
 
「もういいか?」

 シャロは再び拳を握り、彼の顔面を殴った。

「ノエル! 聞け! 交渉だ!」
「うるさいぞ」

 シャロに殴られながらも、彼は必死に言葉を発する。

「育て、恩をっ、忘れたのか!?」

 ……ああ、なんて、憐れなのだろう。

「この結果は因果応報。あるいは自業自得というものでしょう」
「何を、言って」
「彼女の憎悪がもう少し小さければ、このような結果にはならなかった」
「ふざけっ、ぐっ、何がっ、憎悪だ!?」

 私は彼から興味を失い、シャロに目を向けます。

「まだ続けるのですか?」

 彼女が拳を振る度、床に血が落ちる。
 実に痛々しい。釣り合わない。私には、カリオペの命などよりも、彼女が流す血の一滴の方が尊いと思える。
 
「……それで心が晴れるのなら」

 私は目を瞑ることにした。

 この男は、なぜ自分が痛めつけられているのか理解していない。
 しかし頭は回るようだ。シャロに殴られている間は外に状況を伝えようとしていたのに、私の姿を見た瞬間、手段を交渉に切り替えた。

 彼は結界魔法について少し知っている。きっと私が寝室全体を結界で覆い、外に音が漏れないようにしていることを察したのだろう。

(……どうして、その知能を有意義なことに使えないのでしょうか)

 嘆かわしいことです。
 貴族は、自らが特別な存在であると信じて疑わない。その心を折るのは実に困難だ。

 ええ、白状しますとも。
 シャロと出会ったのが五年ほど前ならば、きっと私も同じように拳を振るっていた。

 しかし計画を練るうちに、どうでもいいと思えてしまった。

 この国の貴族達は、あまりに愚かだ。
 愚者のために時間を使うくらいならば、美少女のお尻を追いかける方が楽しい。

「ノエル、こいつ、運び出せないか?」
「どちらまで?」

 シャロは返事をせず、ただただ暗い目で私を見ました。

「良いのですか?」
「……頼む」

 具体的な言葉は無い。
 しかし分かり合った。

 シャロは、復讐の続きを、かつての仲間に分け与えることにしたのです。

「何を話している!?」

 私が通じ合った喜びとそれ以外の悲しみの狭間に居ると、遠慮を知らぬ愚者が叫びました。

「貴様ら! こんなことをして、ただで済むと思うなよ!?」
「……お前、愚かだな」
「なぁにぃ!?」

 シャロは溜息をついて、

「……まだ、生きられるつもりなんだな」

 と、どこか寂しそうな声で言った。
 その感情は分からない。でも是非に聞きたい。

 ええ、これは切り替えです。
 結界魔法で人を運ぶのは非常に疲れますが、それが終わればシャロは私のモノ。

 だから楽しいことを考えます!
 これからぐへへ、ぐへ、ぐへへへへ……。

 という気分になるのは、無理そうですね。

「シャロ、服が汚れています」

 この間にもカリオペが騒いでおりますが、私はシャロと二人だけの世界に入ります。

「……服を買う必要、あったのか?」
「もちろんです。浄化魔法は対象を綺麗にするだけなので……いいえ、白状すると、シャロに新しい服を着せたかったのです。これが乙女心ですよ。キャハッ」
「……そうか」

 お茶目な冗談も空振り。残念です。
 さてさて、不愉快な仕事を終わらせることにしましょう。

 この喧しい貴族をシャロの故郷……あの死臭が漂う貧民街へ案内するのです。

 無抵抗な貴族──仇を見た貧民達が何をするのかは想像もできませんが、何が起きても彼の心から尊厳が失われることはないのでしょう。

「……ノエル、良いことを教えてやる」
「黙りなさい。私に命乞いは通じない」
「聞け。貴様の師である赤髪の聖女は──」

 私は彼の口を結界魔法で塞いだ。
 
「お師匠様に対する侮辱だけは許さない」

 それは恐らく私が持つ唯一の逆鱗。
 睨まれた彼は、何がおかしいのか不気味な笑みを浮かべた。

(考える必要は無い。どうせ世迷言だ)

 私は彼を無視して移動を開始する。
 方法は簡単。膨大な数の結界を作り、順番に膨張させる。結界は膨張する際に触れた物を押し出すから、上手くやれば物を運ぶこともできる。

 ──こうして私は約束を果たした。

 シャロに提案した通り、一人の貴族を差し出した。その生殺与奪を決める権利はシャロにある。彼女は気の済むまで殴った後、貴族を貧困街に捨てろと私に伝えた。無論、拘束した状態で。

 私が最後に見たのは、貴族の周囲に痩せこけた平民が集まり、その一人が腕に噛み付いたところまで。

 その後、宿に戻った。

 私はシャロにかける言葉を探し、彼女は暗い雰囲気で俯いている。実に重苦しい時間。

 やがて、シャロは握りっぱなしだった短刀に目を向けた。私も釣られてそれを見る。

 恐らく、血を吸った刃を見て数刻前を思い出しているのだろう。

 やがてシャロは顔を上げた。
 虚な目で私を見て、そして──

 真っ直ぐに、飛び込んできた。
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