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第二章 綺麗じゃないから

3.忍び寄る影

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 朝。リビングで紅茶を飲んでいると、優愛が二階にある寝室から下りてきた。

「……おはよう」

 優愛が気まずそうな挨拶をした。
 俺はティーカップを机に置き返事をする。

「おはよう。よく眠れた?」
「……おかげさまで」

 寝ぼけているのか反応が鈍い。
 彼女はぼんやりとした表情で俺を見て言う。

「ハルくん、ソファで寝たの?」
「意外と寝心地良かったよ」
「……ごめんね」

 また謝罪の言葉。
 これを聞くと妙にムカムカする。

「何か食べる?」
「……ううん。帰って、着替える」
「そっか。じゃ、後で迎えに行く」
「……うん」

 ぎこちない。昨夜は普通に話せたのに。
 まあでも、そんな簡単じゃないか。気長にやろう。
 

 *  *  *


「……お待たせ」

 呼び鈴を鳴らしてから約二分後、優愛が出てきた。
 今朝は寝起きでぼんやりしているだけだと思っていたが、今も少しぎこちない。

「なんかあった?」
「ん? なんで?」
「顔が変」
「言い方」

 優愛はムッとした様子で目を細めた。
 昨日と同じ態度にも見えるし、違うようにも見える。

(……あんま神経質になってもしゃーないか)

 軽く息を吐いて、切り替える。
 
「なんでもない。言ってみただけ」
「……そういうこと、坂下さんには言わない方がいいよ」

 俺が歩き始めると、優愛は不機嫌そうな言葉と共に追いかけてきた。

「輝夜にゃんには言わないから安心しろ」
「だからその輝夜にゃんって何」

 やっべまた間違えた。
 俺はごまかし方を考えながら優愛に目を向けて……

「なんか遠くね?」
「……そうかな?」

 優愛の位置が違う。
 いつも隣だったのに、今は微妙に斜め後ろ。

「それより、猫カフェで何かあったの?」
「……いや、何も無いよ」
「絶対ウソじゃん」
「なんで」
「そういう顔してる」
「してない」

 俺は前を向き、逃げるようにして歩いた。
 そしてまた違和感。いつもならトタトタと追いかけてくるはずの足音が無い。

(……やっぱ、遠くね?)

 振り向いた後、心の中で呟いた。
 優愛の様子は、あの日からずっとおかしいけど……今日は、特に変だと思った。


 *  優愛  *


 これで良い。この距離感が正しい。
 私は自分に言い聞かせながら彼の後ろを歩いた。

 ハルくんは違和感を覚えてる様子だけど、私の狙いには気付いてないみたいだ。

 難しいことは考えていない。
 私はただ、初恋を終わらせようとしているだけ。

「私も輝夜にゃんって呼ぼうかな」
「絶対にやめてくれ」
「なんで? かわいいじゃん」
「怒られる」
「上手いこと言うよ」
「例えば?」
「ハルくん、輝夜にゃんの話ばっかりだったよ、みたいな」
「それ火にガソリン注いでないか?」
「えー、喜ぶと思うけど」

 だから私は二人の交際を応援する。
 カップルなんて直ぐに別れる。ハルくんには、そうなってほしくない。

「次のデートとか決めたの?」
「……何も話してない」
「それはダメだよ。ちゃんとデート中に決めなきゃ」
「べつに、いつでも話せるだろ。学校同じだし」
「出た。自然消滅の入り口」
「不穏な言葉やめろ」

 本当は嫌だ。譲りたくない。
 だけど……その方が、ハルくんのためだから。

(……楽しいなぁ)

 昨日よりずっと胸が痛い。
 だけど、昨日よりも楽に話せる。

(……寂しいなぁ)

 昨日よりずっと話が弾む。
 だけど、昨日よりも遠く感じる。

(……ダメだよ。こんな気持ち)

 笑顔を作って会話を続ける。
 あっという間に時間が経って、学校に着いた。

(……あ、坂下さんだ)

 校門の前。
 彼女の姿を見つけた私は、ハルくんに言う。

「ごめんっ、用事思い出したから先行くね!」
「用事? おい、優愛?」

 声を無視して小走り。
 坂下さんの前を通る時、私は彼女をチラと見た。

(……綺麗な人)

 評判通り、見た目は良い。羨ましいくらい。
 ハルくんの話を聞いていると、きっと中身も大丈夫。

(……ズルいなぁ)

 違う違う。バッチリだよ。
 ハルくんの隣には、汚い私なんかよりも、綺麗な坂下さんの方が立つべきだ。

 それが正しい。
 だから……早く、諦めないとダメなんだ。


 *  春樹  *


 優愛の様子がおかしい。
 昨日よりも普通に話せるのに、距離が遠ざかったような気がする。

 体調が悪い感じはしない。
 むしろ声の調子とかは絶好調だった。

(……考え過ぎか?)

 もやもやする。
 喉の奥に小骨が引っかかったような感覚が消えない。

 ──そして、異変は唐突に始まった。

 お昼前の授業中。
 そこそこの空腹と眠気を感じながら英語の授業を聞いている時だった。

「先生、新見さんの体調が悪いみたいです」

 優愛の後ろの席に座る女子が言った。
 見ると、確かに顔色が悪い。先生も意見が一致したようで、心配そうに言った。

「新見さん、保健室に行きますか?」
「……えっと、大丈夫、です」
「無理しない方が良いよ」

 手を挙げた女子が言うと、周囲の人も心配そうな声を出した。
 優愛は苦笑して、観念したように席を立つ。

「誰か付き添い……」

 先生は真っ先に俺を見た。

「小倉くん、頼める?」

 一瞬、教室中が緊張した。

「はい、分かりました」

 あえてそれを無視して立ち上がる。
 その直後、誰かが「ひゅー」と囃し立てるような声を出した。

 バカッ、やめろって。
 お前まだ知らねぇのかよ。

 小さな声が聞こえた。
 それを全部無視して、優愛を教室の外へ連れ出した。

「大丈夫か?」
「……ごめん」
「その……例のアレだよな? 薬は?」
「……飲んでるけど、なんか、今日はダメみたい」

 俺が言葉を探していると、優愛は微かに口角を上げた。

「大丈夫。横になれば、治ると思うから」
「分かった。肩とか貸そうか?」
「……平気、自分で歩ける」
「無理すんな。ふらふらだろうが」
「大丈夫だからッ」

 俺が強引に肩を貸そうとすると、優愛はサッと身を引いた。

「マジで無理そうだったら、おぶるからな」
「……あはは、心配し過ぎだよ」

 それから平常時の三倍くらい時間をかけて、保健室に辿り付いた。

「マジこういう時に限って先生居ねぇよな」
「……うん、でも、ベッドは空いてる」

 優愛はベッドまで辿り着くと、倒れ込むようにして横になった。
 流石に心配で、俺は彼女の額に手を当てる。

「熱は無いな」
「……だから、少し横になれば、治るってば」
「そっか。一応、先生探してくるよ。直ぐ戻るから」
「……うん、ごめんね」

 俺は駆け足で保健室を出た。
 
 ──半年前、俺は優愛の悲劇に気が付けなかった。
 この後悔が消えることは、この先ずっと無いだろう。

 次なんて絶対に起きちゃダメだ。
 でも万が一そうなった時は、絶対に過ちを繰り返さない。

 俺は誓った。
 だけど……。

 今この瞬間。
 彼女に忍び寄っていた影を、俺は──
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