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第二章 綺麗じゃないから
1.輝夜にゃんと癒しの時間
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季節は秋。日曜日の昼下がり。
今日は少し肌寒く、すれ違う人々の多くが長袖の服を着ている。
目的地は学校から最寄の駅。
俺は妙な緊張感を覚えながら歩いていた。
休日に女子と二人で遊ぶ。
そういう相手はいつも優愛だったからだ。
今回は違う。
素直に喜べない事情はあるものの、恋人と遊ぶために外出するのは初めての経験だ。
駅に着いた。
俺は直前にやりとりしたレインを思い出しながら階段を上がる。
彼女は直ぐに見つかった。
改札の横、壁の前、背筋を伸ばして立っている。
(……すごいな)
一瞬、見惚れてしまった。
決して目立つような服装をしているわけではない。よくあるワンピースの上に、白いセーターを着ているだけだ。それなのに自然と目を惹くような存在感がある。
急に心臓が騒ぎ始めた。
俺は何を話せば良いのだろう。周囲の視線を集める彼女の前に、どうやって立てば良いのだろう。あれこれ考えていると、彼女は誰かを探すようにして首を動かした。
目が合う。
瞬間、凛々しく見えた顔に笑顔が咲いた。
「春樹さん!」
彼女は大きく手を振ると、人懐っこい子供のように駆け寄ってきた。
俺は息を止め、どうにか笑みを作って彼女を待ち受ける。
「ごめん、待った?」
「いえいえ、まだ約束の十分前ですから。それより……」
輝夜は一歩下がると、その場でクルリと回った。
長い黒髪とスカートがひらりと舞う。俺が突然のことにドキドキしていると、彼女は少し照れた様子で言う。
「どうですか?」
多分、私服の評価を聞いている。
「なんか新鮮。私服姿、初めて見るから」
「……そういうことは聞いてないです」
「似合ってるよ。見惚れちゃうくらい」
「……」
まさかの無言。
あれ? 何か間違えたか?
「……自分で言わせておいて忍びないのですが、顔が熱いです」
俺が不安に思っていると、輝夜が恥ずかしそうに言った。
その気持ちが伝染する。俺は慌てて口を開き、ごまかすようにして言う。
「俺の方は、どう?」
「イメージ通りです」
「何それ、褒めてる?」
「もちろんです。だって大好きな人のイメージ通りなんですよ?」
……。
「ほら春樹さんも照れてるじゃないですか」
「……輝夜、もしかして負けず嫌い?」
「いいえ、大好きな人と気持ちを共有したかっただけですよ?」
してやった、という表情。
「やっぱ負けず嫌いじゃん」
俺が負け惜しみを言うと、輝夜は心から楽しそうに笑った。その表情を見て無性に背中が痒くなる。
正直、少し後ろめたい気持ちがあった。
付き合うことになった経緯とか、優愛のこととか、色々。
だから俺は、まずは純粋な気持ちで今日を楽しむことを目標にしていた。
「……行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
だけどその目標は、思ったよりもあっさりと達成できそうだった。
* * *
今日の行き先を決めたのは輝夜だ。
どうしても行きたい場所があるらしい。
案内されたのは──
「母が趣味で経営している保護猫カフェです」
というわけで、俺は今、猫に囲まれた輝夜を見ている。
「うふふ、今の子は甘えん坊さんが多いですね」
ピンと背筋が伸びた上品な正座姿。
輝夜は周囲に集まった猫を撫でている。
案内されたのは六畳ほどの個室。
少し暖かい部屋の中には四匹の猫が居た。
全ての猫が輝夜を選んだ。
だけど寂しい気持ちは無い。猫と戯れている輝夜を見るのは、とても楽しい。
「あ、春樹さんの方に一匹行きましたよ」
彼女の目線を追いかける。
猫の種類とか分からないが、なんか黒い奴が近寄ってくる。
仮にクロと名付けよう。
クロは俺の手前で止まると、つぶらな瞳で見つめてきた。
「撫でてあげてください」
「……分かった」
……撫でる。どうやって?
謎の混乱。そっとクロの手前まで手を伸ばすと、頬を擦り付けられた。
(……かわいい)
小動物の愛くるしい行動に癒される。
しばらくするとクロはトテッと倒れ、何かアピールするようにして腹を向けた。
そっと指先を伸ばし、触れてみる。
クロは幸せそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
(……かわいい)
もっと撫でたい気持ちになる。
しかし、この個室に入る直前に触り過ぎるのは良くないという説明があった。
グッと我慢して手を引いた。
クロは不思議そうな顔で俺を見ると、体を起こす。
そして、ピョンと俺の膝に飛び乗った。
俺は驚いて硬直する。クロは、そのまま動かない。
微かな温もりと確かな重量。
俺は衝動的にクロを撫でようとして、ふと視線に気が付いた。
「……なに?」
輝夜が俺をじっと見ている。
言葉は無い。数秒後、彼女は意を決した様子で猫のポーズをとった。
「輝夜にゃんも、構ってほしい……にゃん」
……。
「……二度とやらないです」
彼女は拗ねた様子でそっぽを向いた。
その仕草があまりにも可愛くて、俺の中にイタズラ心が芽生える。
「輝夜にゃん」
「んぁっ、やめてくださいっ」
少し裏返った声。
彼女は珍しく焦った様子で言った。
それがあまりにも可愛くて、俺は笑いを堪えることができなかった。
* * *
保護猫カフェを出た後、俺と輝夜は近くの公園に向かった。
目的は特に無い。俺達は取るに足らない話をしながら歩いた。
やがて、輝夜の提案でベンチに座る。
二人で軽く息を吐いた後、輝夜が言った。
「今日はお付き合い頂き、ありがとうございました」
「俺の方こそ。楽しかったよ。輝夜の意外な一面も見られたし」
「私も春樹さんが意外と意地悪なんだと分かりました」
互いに軽口を言って笑う。
グッと距離が近づいたような気がした。
ふと考える。
こんな風に笑えたのはいつ振りだろうか?
具体的な数字を出せば、それほど時間が経っているわけではない。だけど気持ちとしては本当に久々で……なんというか、言葉にならない。
「春樹さん」
呼びかけられ、顔を向ける。
「えいっ」
急にペチッと頬を叩かれた。
いや、触れるという表現の方が近いだろうか。
「……なに?」
とりあえず理由を問う。
輝夜は俺の頬に触れたまま、微笑みを浮かべて言った。
「気心の知れた人とのスキンシップは、幸せホルモンの分泌を促します」
賢そうな話が始まった。
「幸せホルモンには、精神を安定させる効果があります。ストレスが軽減されたり、睡眠の質が改善されたり、良いことがたくさんあります。だから、決して、私が触りたくなったことだけが理由ではありません」
賢そうな言い訳をして、彼女は言う。
「……如何ですか?」
ほんの数秒だけ考えて理解した。
見抜かれていたのだ。俺がどういう気持ちで今日この場に居るのか。あるいは、今日に至るまでの数日間を過ごしていたのか。
「輝夜は、なんでも分かっちゃうんだな」
「そんなことはありません。興味のあることだけです」
以前とは違うセリフ。
輝夜は俺から手を離すと、空を見上げて言った。
「私は、春樹さんの選択を尊重します」
それはきっと、優愛を切り捨てない選択をしたことについて言っている。
「もしも疲れた時は、私が癒します」
短い言葉。
だからこそスッと頭に入る。
「いつでも頼ってくださいね」
その笑顔を見て、チクリと胸が痛む。
気を遣わせてしまった情けなさと、純粋に嬉しい気持ち。相反する感情が同時に生まれて、少しでも油断したら涙が出そうだった。
「……ありがとう」
感謝の言葉を述べると、静寂が生まれた。
風が揺らす木々の音。近くを通る車の音。そして、やけにうるさい心臓の音。
ふと隣を見る。目が合った。
彼女は直ぐに俯いて、やがて何か決意した様子で顔を上げた。
「手を握ってもよろしいでしょうか……?」
消え入りそうな声。
俺は軽く笑みをこぼして、返事をする代わりに彼女の手を握った。
「……」
輝夜は何も言わなかった。
その代わり、ギュッと握り返された。
柔らかくて、温かい。
俺は余計な思考を捨てる。今この瞬間だけでも、他のことは全て忘れようと思えた。
今日は少し肌寒く、すれ違う人々の多くが長袖の服を着ている。
目的地は学校から最寄の駅。
俺は妙な緊張感を覚えながら歩いていた。
休日に女子と二人で遊ぶ。
そういう相手はいつも優愛だったからだ。
今回は違う。
素直に喜べない事情はあるものの、恋人と遊ぶために外出するのは初めての経験だ。
駅に着いた。
俺は直前にやりとりしたレインを思い出しながら階段を上がる。
彼女は直ぐに見つかった。
改札の横、壁の前、背筋を伸ばして立っている。
(……すごいな)
一瞬、見惚れてしまった。
決して目立つような服装をしているわけではない。よくあるワンピースの上に、白いセーターを着ているだけだ。それなのに自然と目を惹くような存在感がある。
急に心臓が騒ぎ始めた。
俺は何を話せば良いのだろう。周囲の視線を集める彼女の前に、どうやって立てば良いのだろう。あれこれ考えていると、彼女は誰かを探すようにして首を動かした。
目が合う。
瞬間、凛々しく見えた顔に笑顔が咲いた。
「春樹さん!」
彼女は大きく手を振ると、人懐っこい子供のように駆け寄ってきた。
俺は息を止め、どうにか笑みを作って彼女を待ち受ける。
「ごめん、待った?」
「いえいえ、まだ約束の十分前ですから。それより……」
輝夜は一歩下がると、その場でクルリと回った。
長い黒髪とスカートがひらりと舞う。俺が突然のことにドキドキしていると、彼女は少し照れた様子で言う。
「どうですか?」
多分、私服の評価を聞いている。
「なんか新鮮。私服姿、初めて見るから」
「……そういうことは聞いてないです」
「似合ってるよ。見惚れちゃうくらい」
「……」
まさかの無言。
あれ? 何か間違えたか?
「……自分で言わせておいて忍びないのですが、顔が熱いです」
俺が不安に思っていると、輝夜が恥ずかしそうに言った。
その気持ちが伝染する。俺は慌てて口を開き、ごまかすようにして言う。
「俺の方は、どう?」
「イメージ通りです」
「何それ、褒めてる?」
「もちろんです。だって大好きな人のイメージ通りなんですよ?」
……。
「ほら春樹さんも照れてるじゃないですか」
「……輝夜、もしかして負けず嫌い?」
「いいえ、大好きな人と気持ちを共有したかっただけですよ?」
してやった、という表情。
「やっぱ負けず嫌いじゃん」
俺が負け惜しみを言うと、輝夜は心から楽しそうに笑った。その表情を見て無性に背中が痒くなる。
正直、少し後ろめたい気持ちがあった。
付き合うことになった経緯とか、優愛のこととか、色々。
だから俺は、まずは純粋な気持ちで今日を楽しむことを目標にしていた。
「……行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
だけどその目標は、思ったよりもあっさりと達成できそうだった。
* * *
今日の行き先を決めたのは輝夜だ。
どうしても行きたい場所があるらしい。
案内されたのは──
「母が趣味で経営している保護猫カフェです」
というわけで、俺は今、猫に囲まれた輝夜を見ている。
「うふふ、今の子は甘えん坊さんが多いですね」
ピンと背筋が伸びた上品な正座姿。
輝夜は周囲に集まった猫を撫でている。
案内されたのは六畳ほどの個室。
少し暖かい部屋の中には四匹の猫が居た。
全ての猫が輝夜を選んだ。
だけど寂しい気持ちは無い。猫と戯れている輝夜を見るのは、とても楽しい。
「あ、春樹さんの方に一匹行きましたよ」
彼女の目線を追いかける。
猫の種類とか分からないが、なんか黒い奴が近寄ってくる。
仮にクロと名付けよう。
クロは俺の手前で止まると、つぶらな瞳で見つめてきた。
「撫でてあげてください」
「……分かった」
……撫でる。どうやって?
謎の混乱。そっとクロの手前まで手を伸ばすと、頬を擦り付けられた。
(……かわいい)
小動物の愛くるしい行動に癒される。
しばらくするとクロはトテッと倒れ、何かアピールするようにして腹を向けた。
そっと指先を伸ばし、触れてみる。
クロは幸せそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
(……かわいい)
もっと撫でたい気持ちになる。
しかし、この個室に入る直前に触り過ぎるのは良くないという説明があった。
グッと我慢して手を引いた。
クロは不思議そうな顔で俺を見ると、体を起こす。
そして、ピョンと俺の膝に飛び乗った。
俺は驚いて硬直する。クロは、そのまま動かない。
微かな温もりと確かな重量。
俺は衝動的にクロを撫でようとして、ふと視線に気が付いた。
「……なに?」
輝夜が俺をじっと見ている。
言葉は無い。数秒後、彼女は意を決した様子で猫のポーズをとった。
「輝夜にゃんも、構ってほしい……にゃん」
……。
「……二度とやらないです」
彼女は拗ねた様子でそっぽを向いた。
その仕草があまりにも可愛くて、俺の中にイタズラ心が芽生える。
「輝夜にゃん」
「んぁっ、やめてくださいっ」
少し裏返った声。
彼女は珍しく焦った様子で言った。
それがあまりにも可愛くて、俺は笑いを堪えることができなかった。
* * *
保護猫カフェを出た後、俺と輝夜は近くの公園に向かった。
目的は特に無い。俺達は取るに足らない話をしながら歩いた。
やがて、輝夜の提案でベンチに座る。
二人で軽く息を吐いた後、輝夜が言った。
「今日はお付き合い頂き、ありがとうございました」
「俺の方こそ。楽しかったよ。輝夜の意外な一面も見られたし」
「私も春樹さんが意外と意地悪なんだと分かりました」
互いに軽口を言って笑う。
グッと距離が近づいたような気がした。
ふと考える。
こんな風に笑えたのはいつ振りだろうか?
具体的な数字を出せば、それほど時間が経っているわけではない。だけど気持ちとしては本当に久々で……なんというか、言葉にならない。
「春樹さん」
呼びかけられ、顔を向ける。
「えいっ」
急にペチッと頬を叩かれた。
いや、触れるという表現の方が近いだろうか。
「……なに?」
とりあえず理由を問う。
輝夜は俺の頬に触れたまま、微笑みを浮かべて言った。
「気心の知れた人とのスキンシップは、幸せホルモンの分泌を促します」
賢そうな話が始まった。
「幸せホルモンには、精神を安定させる効果があります。ストレスが軽減されたり、睡眠の質が改善されたり、良いことがたくさんあります。だから、決して、私が触りたくなったことだけが理由ではありません」
賢そうな言い訳をして、彼女は言う。
「……如何ですか?」
ほんの数秒だけ考えて理解した。
見抜かれていたのだ。俺がどういう気持ちで今日この場に居るのか。あるいは、今日に至るまでの数日間を過ごしていたのか。
「輝夜は、なんでも分かっちゃうんだな」
「そんなことはありません。興味のあることだけです」
以前とは違うセリフ。
輝夜は俺から手を離すと、空を見上げて言った。
「私は、春樹さんの選択を尊重します」
それはきっと、優愛を切り捨てない選択をしたことについて言っている。
「もしも疲れた時は、私が癒します」
短い言葉。
だからこそスッと頭に入る。
「いつでも頼ってくださいね」
その笑顔を見て、チクリと胸が痛む。
気を遣わせてしまった情けなさと、純粋に嬉しい気持ち。相反する感情が同時に生まれて、少しでも油断したら涙が出そうだった。
「……ありがとう」
感謝の言葉を述べると、静寂が生まれた。
風が揺らす木々の音。近くを通る車の音。そして、やけにうるさい心臓の音。
ふと隣を見る。目が合った。
彼女は直ぐに俯いて、やがて何か決意した様子で顔を上げた。
「手を握ってもよろしいでしょうか……?」
消え入りそうな声。
俺は軽く笑みをこぼして、返事をする代わりに彼女の手を握った。
「……」
輝夜は何も言わなかった。
その代わり、ギュッと握り返された。
柔らかくて、温かい。
俺は余計な思考を捨てる。今この瞬間だけでも、他のことは全て忘れようと思えた。
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