上 下
12 / 41
第一章 汚れた初恋

10.坂下輝夜の決断

しおりを挟む
 昼休み。場所は一昨日と同じ。
 机はふたつ。俺は椅子だけを持って側面に座った。

 右側には優愛、左側には輝夜が居る。
 俺は、輝夜の表情を伺いながら説明した。

 もちろん事件については伏せた。
 優愛の通院と、それに付き添うことだけを伝えた。

 背景さえ知らなければ違和感の無い話だ。
 だけど、いくらか事情を知る輝夜には多くの疑問があるだろう。

 なぜ自分を裏切った相手の面倒を見るのか。優愛が好きなのか。だったら今日は、別れ話をするために呼んだのか。

 俺が輝夜の立場なら、このような言葉を考える。
 しかし彼女の反応は予想と全く異なるものだった。

「分かりました」

 彼女は、何も聞かなかったのだ。
 
「わざわざ説明して頂き、ありがとうございます」

 俺は思わずポカンと口を開けてしまった。

「……何も聞かないのか?」
「私が好きになったのは、誰かを大切にできる春樹さんです」

 輝夜は屈託のない笑顔で言った。
 
「優愛さんのこと、きちんと見てあげてください」

 本当に全く予想できなかった。
 ふと優愛の方を見ると、彼女も驚いた顔をしていた。

「優愛さん」

 輝夜が優愛を見て言う。

「私とも、仲良くしてくれませんか?」
「えっ、と……」

 優愛は困った様子で俺を見た。
 
「輝夜、あのさ……」
「なんでしょうか?」

 ……マジかよ。
 怖いくらいに淀みがない。

 輝夜が「仕返し」を提案した。俺はそれに乗った。
 計画を実行した数日後、二人で仲良く会いに来た。

 おかしいだろ。気になるだろ。
 何も思っていないわけがない。

「春樹さん」

 俺が言葉を探していると、輝夜が口を開いた。

「私が優愛さんと仲良くしたいのは本当です。それに二人の仲は知っています。恋人を作ったからという理由で、疎遠になる必要は無いと思います」

 それから彼女はパチンと手を合わせて言う。

「そうだ! 今度の社会科見学、この三人で班を組みませんか?」

 俺は思考がフリーズするのを感じた。
 しかし、輝夜は笑顔のまま問いかけてくる。

「春樹さん、どうですか?」
「俺は、大丈夫だけど……大丈夫?」
「もちろんです。優愛さんも、どうですか?」
「……えっと、その、良いの?」
「はい!」

 輝夜は得意気な顔をして胸を張る。

「私は友達が居ないです」

 数日前にも見た仕草と台詞。
 恐らく初見である優愛は、それはもう唖然とした表情になっていた。

「これはチャンスです。逃す手はありません」

 優愛は「マジ?」という目で俺を見た。
 やめろ。聞くな。そういう意味を込めて目を逸らす。

「……坂下さん、面白いね」

 優愛は苦し紛れの言葉を口にした。
 輝夜は感無量と言った様子で目を輝かせ、両手で口を隠す。

「初めて、同性の方に面白いと言われました」

 本気で嬉しそうだ。
 なんかもう訳が分からん。

「優愛さん! 今後とも、よろしくお願いします!」
「……うん、よろしく」

 優愛は困ったような笑顔で言った。
 こんな表情は初めて見たかもしれない。

「あの、早速で申し訳ないのですが……」

 輝夜は俺を一瞥して、優愛に言う。

「五分ほど、春樹さんと二人にさせてください」

 その一言で俺は全てを察した。

「優愛、頼む」

 優愛は頷いて、席を立つ。

「私、先に教室戻るね」
「すみません、ありがとうございます」
「こっちこそ、二人の邪魔してごめんね」
「邪魔だなんて、そんなこと言わないでください」
「ごめん、冗談。またね」
「はい、また会いましょう」

 会話の後、優愛は去り際に一瞬だけ俺を見た。
 しかし何も言わず、その後は振り返らずに立ち去った。

 ドアが閉まった後、静寂が生まれる。

 恋人同士、二人きり。
 普通ならドキドキする状況だが、俺が感じているドキドキは意味合いが違う。

 要するに、ここからが本番だ。
 優愛を退出させた理由なんて、他に何も思い浮かばない。
 
「春樹さん」

 輝夜の声。
 俺は息を止め、彼女に目を向けた。

「どうぞ!」

 俺は再び予想を裏切られた。
 彼女は机を退け、両手を広げて俺を見ていた。

「どうぞ!」

 二度目の言葉。
 俺は頭痛を感じながら行動の意味を考える。

「ごめん、分かんない。何それ」

 結局、分からないから質問してみた。
 輝夜はにっこりと笑って返事をする。

「ハグ待ちです!」
「……なんで?」

 意味が分からない。
 ハグ? なぜ? どういう脈絡で?

「ハグ、嫌ですか?」
「嫌じゃないけど……ごめん、なんで?」

 輝夜はムッとして言う。

「理由は三つあります」

 手の位置を正面に戻し、今度はピンと人差し指を立てた。

「ひとつは嫉妬です。色々とあったのに、結局は優愛さんが大切なんですね」
「……ごめん」
「べつに悪いことではないです。ただ私が嫉妬しているだけです」

 予想とは違った言葉が胸に刺さる。
 顔を守る構えをしていたら、脛を蹴られたような気分だ。

「もうひとつは危機感です。せっかく勇気を出して告白したのに、こんなに短期間で破局なんて絶対に嫌です」
「それは、俺も同じだよ。むしろ俺の方が嫌われないか心配してる」
「甘いです。私の方が何倍も不安です」

 輝夜は微かに目を細めて言った。
 俺は背中が痒くなるのを感じた。

 この時、最初の緊張感は消えていた。
 純粋に嫉妬されているだけなのだと思い始めていた。

「最後は、春樹さんを労うためです」

 だからそれは完璧な不意打ちだった。

「詳しくは聞きませんが、色々あったことは顔を見れば分かります」

 輝夜は腰を上げると、俺の隣で膝立ちになった。
 それから俺の手を握り、柔らかい笑みを浮かべて言う。

「頑張ったんですよね」

 ……なんだよ。やっぱりか。
 全部推理した上で、あの態度だったのかよ。

「私は春樹さんの選択を尊重します。嫉妬はしますが、束縛はしません。そもそも、春樹さんに好かれていないことは自覚しています。それでも関係を維持してくれるのは、ただの責任感だと分かっています」

 輝夜の握力が強くなる。
 握られた手を通して、震えと不安が伝わってくる。

「違うよ」

 俺は彼女の手を握り返した。

「ただの責任感なんかじゃない」
「……本当ですか?」

 不安そうな目。思い返せば、優愛もそうだったのかもしれない。俺が気持ちを言葉にしないから、ずっと不安だったのかもしれない。

 今さら後悔しても遅い。
 何をしたって過去は変わらない。

 だけど、せめて未来は変えたい。
 二度と悲劇を繰り返したくない。

「俺は……」

 輝夜のことが好きだよ。

「……」

 あれ? 

「春樹さん?」
「……いや、えっと」

 なんで言えなかった?
 なんで直前に、優愛の顔が浮かんで……。

「輝夜は、いつも俺が欲しい言葉をくれるよね」

 ごまかすような声が出た。

「ありがとう。分かりにくいかもしれないけど、心から感謝してる」

 違うだろ。そうじゃない。
 たった二文字。今伝えるべき言葉は、好きの一言だ。

「輝夜が思っているよりもずっと、俺は輝夜のことが大切だよ」
「……っ」

 俺は笑みを作って言った。
 輝夜は面白いくらいに表情を変えて、あちこちに目を泳がせた。

 手に力が入っている。
 俺に握られていなければ、きっと顔を隠していた。

 可愛いと思う。
 輝夜が恋人になってくれるなんて、幸せなことだ。

「えっと、話は終わり?」
「……はい。今のが最後です」

 チクチクと胸が痛む。
 
「じゃあ、食事にしようか」
「はい。少し急がないとですね」

 理由が分からない。
 ……いや、これが正解だ。考えるべきじゃない。

「あの、今日もお弁当を用意したのですが……どうですか?」
「メッチャ食べたい」

 その後、普通に食事をした。
 優愛の話はしなかった。中身の無い雑談に終始した。
 
 楽しかった。
 輝夜の無垢な笑顔を見る度、惹かれた。

 それなのに……。
 彼女に惹かれた分だけ、どうしてか胸の痛みが増した。

 何か間違えたかもしれない。
 漫然とした不安が生まれるけれど、答えは出ない。

 だから俺は無色透明な悪感情に蓋をして、輝夜を見た。

 学校一の美少女と評されるだけあって顔が良い。
 きちんと話をするまでは冷酷な印象があったけれど、今は愉快な人という印象の方が強い。

 気の利いたことは言えないけど賢そうなことなら言える。友達が居ないことを何故か誇らしげに言う。表情がコロコロと変わって、感情表現が分かりやすい。

 そして何より、俺のことをよく見ている。
 俺自身でも気が付かないような感情を見抜いて、欲しい言葉をくれる。

 こんなにも素敵な人、そうは居ない。
 俺は輝夜が──だ。大切だ。これからもっと、──になる。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~

メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」 俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。 学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。 その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。 少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。 ……どうやら彼は鈍感なようです。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【作者より】 九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。 また、R15は保険です。 毎朝20時投稿! 【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

処理中です...