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第一章 汚れた初恋
10.坂下輝夜の決断
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昼休み。場所は一昨日と同じ。
机はふたつ。俺は椅子だけを持って側面に座った。
右側には優愛、左側には輝夜が居る。
俺は、輝夜の表情を伺いながら説明した。
もちろん事件については伏せた。
優愛の通院と、それに付き添うことだけを伝えた。
背景さえ知らなければ違和感の無い話だ。
だけど、いくらか事情を知る輝夜には多くの疑問があるだろう。
なぜ自分を裏切った相手の面倒を見るのか。優愛が好きなのか。だったら今日は、別れ話をするために呼んだのか。
俺が輝夜の立場なら、このような言葉を考える。
しかし彼女の反応は予想と全く異なるものだった。
「分かりました」
彼女は、何も聞かなかったのだ。
「わざわざ説明して頂き、ありがとうございます」
俺は思わずポカンと口を開けてしまった。
「……何も聞かないのか?」
「私が好きになったのは、誰かを大切にできる春樹さんです」
輝夜は屈託のない笑顔で言った。
「優愛さんのこと、きちんと見てあげてください」
本当に全く予想できなかった。
ふと優愛の方を見ると、彼女も驚いた顔をしていた。
「優愛さん」
輝夜が優愛を見て言う。
「私とも、仲良くしてくれませんか?」
「えっ、と……」
優愛は困った様子で俺を見た。
「輝夜、あのさ……」
「なんでしょうか?」
……マジかよ。
怖いくらいに淀みがない。
輝夜が「仕返し」を提案した。俺はそれに乗った。
計画を実行した数日後、二人で仲良く会いに来た。
おかしいだろ。気になるだろ。
何も思っていないわけがない。
「春樹さん」
俺が言葉を探していると、輝夜が口を開いた。
「私が優愛さんと仲良くしたいのは本当です。それに二人の仲は知っています。恋人を作ったからという理由で、疎遠になる必要は無いと思います」
それから彼女はパチンと手を合わせて言う。
「そうだ! 今度の社会科見学、この三人で班を組みませんか?」
俺は思考がフリーズするのを感じた。
しかし、輝夜は笑顔のまま問いかけてくる。
「春樹さん、どうですか?」
「俺は、大丈夫だけど……大丈夫?」
「もちろんです。優愛さんも、どうですか?」
「……えっと、その、良いの?」
「はい!」
輝夜は得意気な顔をして胸を張る。
「私は友達が居ないです」
数日前にも見た仕草と台詞。
恐らく初見である優愛は、それはもう唖然とした表情になっていた。
「これはチャンスです。逃す手はありません」
優愛は「マジ?」という目で俺を見た。
やめろ。聞くな。そういう意味を込めて目を逸らす。
「……坂下さん、面白いね」
優愛は苦し紛れの言葉を口にした。
輝夜は感無量と言った様子で目を輝かせ、両手で口を隠す。
「初めて、同性の方に面白いと言われました」
本気で嬉しそうだ。
なんかもう訳が分からん。
「優愛さん! 今後とも、よろしくお願いします!」
「……うん、よろしく」
優愛は困ったような笑顔で言った。
こんな表情は初めて見たかもしれない。
「あの、早速で申し訳ないのですが……」
輝夜は俺を一瞥して、優愛に言う。
「五分ほど、春樹さんと二人にさせてください」
その一言で俺は全てを察した。
「優愛、頼む」
優愛は頷いて、席を立つ。
「私、先に教室戻るね」
「すみません、ありがとうございます」
「こっちこそ、二人の邪魔してごめんね」
「邪魔だなんて、そんなこと言わないでください」
「ごめん、冗談。またね」
「はい、また会いましょう」
会話の後、優愛は去り際に一瞬だけ俺を見た。
しかし何も言わず、その後は振り返らずに立ち去った。
ドアが閉まった後、静寂が生まれる。
恋人同士、二人きり。
普通ならドキドキする状況だが、俺が感じているドキドキは意味合いが違う。
要するに、ここからが本番だ。
優愛を退出させた理由なんて、他に何も思い浮かばない。
「春樹さん」
輝夜の声。
俺は息を止め、彼女に目を向けた。
「どうぞ!」
俺は再び予想を裏切られた。
彼女は机を退け、両手を広げて俺を見ていた。
「どうぞ!」
二度目の言葉。
俺は頭痛を感じながら行動の意味を考える。
「ごめん、分かんない。何それ」
結局、分からないから質問してみた。
輝夜はにっこりと笑って返事をする。
「ハグ待ちです!」
「……なんで?」
意味が分からない。
ハグ? なぜ? どういう脈絡で?
「ハグ、嫌ですか?」
「嫌じゃないけど……ごめん、なんで?」
輝夜はムッとして言う。
「理由は三つあります」
手の位置を正面に戻し、今度はピンと人差し指を立てた。
「ひとつは嫉妬です。色々とあったのに、結局は優愛さんが大切なんですね」
「……ごめん」
「べつに悪いことではないです。ただ私が嫉妬しているだけです」
予想とは違った言葉が胸に刺さる。
顔を守る構えをしていたら、脛を蹴られたような気分だ。
「もうひとつは危機感です。せっかく勇気を出して告白したのに、こんなに短期間で破局なんて絶対に嫌です」
「それは、俺も同じだよ。むしろ俺の方が嫌われないか心配してる」
「甘いです。私の方が何倍も不安です」
輝夜は微かに目を細めて言った。
俺は背中が痒くなるのを感じた。
この時、最初の緊張感は消えていた。
純粋に嫉妬されているだけなのだと思い始めていた。
「最後は、春樹さんを労うためです」
だからそれは完璧な不意打ちだった。
「詳しくは聞きませんが、色々あったことは顔を見れば分かります」
輝夜は腰を上げると、俺の隣で膝立ちになった。
それから俺の手を握り、柔らかい笑みを浮かべて言う。
「頑張ったんですよね」
……なんだよ。やっぱりか。
全部推理した上で、あの態度だったのかよ。
「私は春樹さんの選択を尊重します。嫉妬はしますが、束縛はしません。そもそも、春樹さんに好かれていないことは自覚しています。それでも関係を維持してくれるのは、ただの責任感だと分かっています」
輝夜の握力が強くなる。
握られた手を通して、震えと不安が伝わってくる。
「違うよ」
俺は彼女の手を握り返した。
「ただの責任感なんかじゃない」
「……本当ですか?」
不安そうな目。思い返せば、優愛もそうだったのかもしれない。俺が気持ちを言葉にしないから、ずっと不安だったのかもしれない。
今さら後悔しても遅い。
何をしたって過去は変わらない。
だけど、せめて未来は変えたい。
二度と悲劇を繰り返したくない。
「俺は……」
輝夜のことが好きだよ。
「……」
あれ?
「春樹さん?」
「……いや、えっと」
なんで言えなかった?
なんで直前に、優愛の顔が浮かんで……。
「輝夜は、いつも俺が欲しい言葉をくれるよね」
ごまかすような声が出た。
「ありがとう。分かりにくいかもしれないけど、心から感謝してる」
違うだろ。そうじゃない。
たった二文字。今伝えるべき言葉は、好きの一言だ。
「輝夜が思っているよりもずっと、俺は輝夜のことが大切だよ」
「……っ」
俺は笑みを作って言った。
輝夜は面白いくらいに表情を変えて、あちこちに目を泳がせた。
手に力が入っている。
俺に握られていなければ、きっと顔を隠していた。
可愛いと思う。
輝夜が恋人になってくれるなんて、幸せなことだ。
「えっと、話は終わり?」
「……はい。今のが最後です」
チクチクと胸が痛む。
「じゃあ、食事にしようか」
「はい。少し急がないとですね」
理由が分からない。
……いや、これが正解だ。考えるべきじゃない。
「あの、今日もお弁当を用意したのですが……どうですか?」
「メッチャ食べたい」
その後、普通に食事をした。
優愛の話はしなかった。中身の無い雑談に終始した。
楽しかった。
輝夜の無垢な笑顔を見る度、惹かれた。
それなのに……。
彼女に惹かれた分だけ、どうしてか胸の痛みが増した。
何か間違えたかもしれない。
漫然とした不安が生まれるけれど、答えは出ない。
だから俺は無色透明な悪感情に蓋をして、輝夜を見た。
学校一の美少女と評されるだけあって顔が良い。
きちんと話をするまでは冷酷な印象があったけれど、今は愉快な人という印象の方が強い。
気の利いたことは言えないけど賢そうなことなら言える。友達が居ないことを何故か誇らしげに言う。表情がコロコロと変わって、感情表現が分かりやすい。
そして何より、俺のことをよく見ている。
俺自身でも気が付かないような感情を見抜いて、欲しい言葉をくれる。
こんなにも素敵な人、そうは居ない。
俺は輝夜が──だ。大切だ。これからもっと、──になる。
机はふたつ。俺は椅子だけを持って側面に座った。
右側には優愛、左側には輝夜が居る。
俺は、輝夜の表情を伺いながら説明した。
もちろん事件については伏せた。
優愛の通院と、それに付き添うことだけを伝えた。
背景さえ知らなければ違和感の無い話だ。
だけど、いくらか事情を知る輝夜には多くの疑問があるだろう。
なぜ自分を裏切った相手の面倒を見るのか。優愛が好きなのか。だったら今日は、別れ話をするために呼んだのか。
俺が輝夜の立場なら、このような言葉を考える。
しかし彼女の反応は予想と全く異なるものだった。
「分かりました」
彼女は、何も聞かなかったのだ。
「わざわざ説明して頂き、ありがとうございます」
俺は思わずポカンと口を開けてしまった。
「……何も聞かないのか?」
「私が好きになったのは、誰かを大切にできる春樹さんです」
輝夜は屈託のない笑顔で言った。
「優愛さんのこと、きちんと見てあげてください」
本当に全く予想できなかった。
ふと優愛の方を見ると、彼女も驚いた顔をしていた。
「優愛さん」
輝夜が優愛を見て言う。
「私とも、仲良くしてくれませんか?」
「えっ、と……」
優愛は困った様子で俺を見た。
「輝夜、あのさ……」
「なんでしょうか?」
……マジかよ。
怖いくらいに淀みがない。
輝夜が「仕返し」を提案した。俺はそれに乗った。
計画を実行した数日後、二人で仲良く会いに来た。
おかしいだろ。気になるだろ。
何も思っていないわけがない。
「春樹さん」
俺が言葉を探していると、輝夜が口を開いた。
「私が優愛さんと仲良くしたいのは本当です。それに二人の仲は知っています。恋人を作ったからという理由で、疎遠になる必要は無いと思います」
それから彼女はパチンと手を合わせて言う。
「そうだ! 今度の社会科見学、この三人で班を組みませんか?」
俺は思考がフリーズするのを感じた。
しかし、輝夜は笑顔のまま問いかけてくる。
「春樹さん、どうですか?」
「俺は、大丈夫だけど……大丈夫?」
「もちろんです。優愛さんも、どうですか?」
「……えっと、その、良いの?」
「はい!」
輝夜は得意気な顔をして胸を張る。
「私は友達が居ないです」
数日前にも見た仕草と台詞。
恐らく初見である優愛は、それはもう唖然とした表情になっていた。
「これはチャンスです。逃す手はありません」
優愛は「マジ?」という目で俺を見た。
やめろ。聞くな。そういう意味を込めて目を逸らす。
「……坂下さん、面白いね」
優愛は苦し紛れの言葉を口にした。
輝夜は感無量と言った様子で目を輝かせ、両手で口を隠す。
「初めて、同性の方に面白いと言われました」
本気で嬉しそうだ。
なんかもう訳が分からん。
「優愛さん! 今後とも、よろしくお願いします!」
「……うん、よろしく」
優愛は困ったような笑顔で言った。
こんな表情は初めて見たかもしれない。
「あの、早速で申し訳ないのですが……」
輝夜は俺を一瞥して、優愛に言う。
「五分ほど、春樹さんと二人にさせてください」
その一言で俺は全てを察した。
「優愛、頼む」
優愛は頷いて、席を立つ。
「私、先に教室戻るね」
「すみません、ありがとうございます」
「こっちこそ、二人の邪魔してごめんね」
「邪魔だなんて、そんなこと言わないでください」
「ごめん、冗談。またね」
「はい、また会いましょう」
会話の後、優愛は去り際に一瞬だけ俺を見た。
しかし何も言わず、その後は振り返らずに立ち去った。
ドアが閉まった後、静寂が生まれる。
恋人同士、二人きり。
普通ならドキドキする状況だが、俺が感じているドキドキは意味合いが違う。
要するに、ここからが本番だ。
優愛を退出させた理由なんて、他に何も思い浮かばない。
「春樹さん」
輝夜の声。
俺は息を止め、彼女に目を向けた。
「どうぞ!」
俺は再び予想を裏切られた。
彼女は机を退け、両手を広げて俺を見ていた。
「どうぞ!」
二度目の言葉。
俺は頭痛を感じながら行動の意味を考える。
「ごめん、分かんない。何それ」
結局、分からないから質問してみた。
輝夜はにっこりと笑って返事をする。
「ハグ待ちです!」
「……なんで?」
意味が分からない。
ハグ? なぜ? どういう脈絡で?
「ハグ、嫌ですか?」
「嫌じゃないけど……ごめん、なんで?」
輝夜はムッとして言う。
「理由は三つあります」
手の位置を正面に戻し、今度はピンと人差し指を立てた。
「ひとつは嫉妬です。色々とあったのに、結局は優愛さんが大切なんですね」
「……ごめん」
「べつに悪いことではないです。ただ私が嫉妬しているだけです」
予想とは違った言葉が胸に刺さる。
顔を守る構えをしていたら、脛を蹴られたような気分だ。
「もうひとつは危機感です。せっかく勇気を出して告白したのに、こんなに短期間で破局なんて絶対に嫌です」
「それは、俺も同じだよ。むしろ俺の方が嫌われないか心配してる」
「甘いです。私の方が何倍も不安です」
輝夜は微かに目を細めて言った。
俺は背中が痒くなるのを感じた。
この時、最初の緊張感は消えていた。
純粋に嫉妬されているだけなのだと思い始めていた。
「最後は、春樹さんを労うためです」
だからそれは完璧な不意打ちだった。
「詳しくは聞きませんが、色々あったことは顔を見れば分かります」
輝夜は腰を上げると、俺の隣で膝立ちになった。
それから俺の手を握り、柔らかい笑みを浮かべて言う。
「頑張ったんですよね」
……なんだよ。やっぱりか。
全部推理した上で、あの態度だったのかよ。
「私は春樹さんの選択を尊重します。嫉妬はしますが、束縛はしません。そもそも、春樹さんに好かれていないことは自覚しています。それでも関係を維持してくれるのは、ただの責任感だと分かっています」
輝夜の握力が強くなる。
握られた手を通して、震えと不安が伝わってくる。
「違うよ」
俺は彼女の手を握り返した。
「ただの責任感なんかじゃない」
「……本当ですか?」
不安そうな目。思い返せば、優愛もそうだったのかもしれない。俺が気持ちを言葉にしないから、ずっと不安だったのかもしれない。
今さら後悔しても遅い。
何をしたって過去は変わらない。
だけど、せめて未来は変えたい。
二度と悲劇を繰り返したくない。
「俺は……」
輝夜のことが好きだよ。
「……」
あれ?
「春樹さん?」
「……いや、えっと」
なんで言えなかった?
なんで直前に、優愛の顔が浮かんで……。
「輝夜は、いつも俺が欲しい言葉をくれるよね」
ごまかすような声が出た。
「ありがとう。分かりにくいかもしれないけど、心から感謝してる」
違うだろ。そうじゃない。
たった二文字。今伝えるべき言葉は、好きの一言だ。
「輝夜が思っているよりもずっと、俺は輝夜のことが大切だよ」
「……っ」
俺は笑みを作って言った。
輝夜は面白いくらいに表情を変えて、あちこちに目を泳がせた。
手に力が入っている。
俺に握られていなければ、きっと顔を隠していた。
可愛いと思う。
輝夜が恋人になってくれるなんて、幸せなことだ。
「えっと、話は終わり?」
「……はい。今のが最後です」
チクチクと胸が痛む。
「じゃあ、食事にしようか」
「はい。少し急がないとですね」
理由が分からない。
……いや、これが正解だ。考えるべきじゃない。
「あの、今日もお弁当を用意したのですが……どうですか?」
「メッチャ食べたい」
その後、普通に食事をした。
優愛の話はしなかった。中身の無い雑談に終始した。
楽しかった。
輝夜の無垢な笑顔を見る度、惹かれた。
それなのに……。
彼女に惹かれた分だけ、どうしてか胸の痛みが増した。
何か間違えたかもしれない。
漫然とした不安が生まれるけれど、答えは出ない。
だから俺は無色透明な悪感情に蓋をして、輝夜を見た。
学校一の美少女と評されるだけあって顔が良い。
きちんと話をするまでは冷酷な印象があったけれど、今は愉快な人という印象の方が強い。
気の利いたことは言えないけど賢そうなことなら言える。友達が居ないことを何故か誇らしげに言う。表情がコロコロと変わって、感情表現が分かりやすい。
そして何より、俺のことをよく見ている。
俺自身でも気が付かないような感情を見抜いて、欲しい言葉をくれる。
こんなにも素敵な人、そうは居ない。
俺は輝夜が──だ。大切だ。これからもっと、──になる。
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