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第一章 汚れた初恋
6.坂下輝夜の不純な誘惑
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結論から言うと、最悪の気分だ。
優愛と今まで通りに接すること。
好きな人がいるのか質問すること。
最後に「お前と同じことをする」と伝えること。
全部、坂下さんの提案だ。
俺は頭を空っぽにして、彼女に言われた通りに……。
違うだろ。選んだのは俺だろ。
ふざけんな。今さら後悔とか、やめろよ。
でも……なんで、あいつ、あんな顔。
なんで優愛がショックを受けるんだよ。
お前だろ。お前が先にやったことだろ。
自分は良くて俺はダメなのかよ。なんだよそれ!?
「小倉くん、大丈夫ですか……?」
心配そうな声。
俺はハッとして、隣を歩く坂下さんに笑みを向けた。
「なんで? めちゃくちゃスッキリしてるけど」
「……ごめんなさい」
「謝るなよ。スッキリしたって言ってるだろ」
坂下さんは暗い表情をして俯いた。
その姿を見て俺は唇を噛む。こんなの八つ当たりだ。ダサ過ぎる。
「あの、小倉くん!」
目を向ける。
「私の家、本当に来ませんか?」
「……なんで」
「元気が出る本、紹介させてください!」
やめてくれ。
「俺、そこまで読書家じゃないよ」
「映像作品はどうですか? 好きな小説が映像化された時にはブルーレイを買うことにしているので、たくさんありますよ!」
彼女の姿が優愛と重なって見える。
その度に胸が張り裂けそうな気持ちになる。
「強いストレスを感じた時には、感動的な物語に触れて涙を流すべきです。副交感神経が優位になって気持ちが楽になります」
だけど彼女は優愛じゃない。
優愛は、こんな賢そうなことを言わない。
「アロマなんかも効果的です。ラベンダーアングスティフォリアの香りは、とても心が落ち着きます」
正直そんなに嬉しい言葉じゃない。
だけど、一生懸命に話す姿を見ていると心が軽くなる。
涙が、出そうになる。
坂下さんは本気で心配してくれている。
申し訳ない。情けない。でもそれ以上に、嬉しい。
「……映像作品」
ぽつりと声を出した。
「どんな感じ?」
我ながら言葉が足りない。
だけど、坂下さんは嬉しそうに目を細めた。
「色々ありますよ!」
それから俺は坂下さんの家へ行くことにした。
隣を歩く彼女は、とても楽しそうな様子で作品の概要を話し続けていた。
道中、ふと手を繋いでいることに気が付いた。
これは優愛を欺くための嘘だ。続ける必要は無い。
でも、気が付かない振りをした。
左手に感じる熱が心地良くて、離れたくないと思ってしまった。
* * *
坂下さんの家は二階建ての一軒家だった。
書斎があると聞いたから豪邸を想像していたけれど違った。普通の家だ。
彼女に案内され、手洗いうがいをした後でリビングのソファに座った。
初めて入る優愛以外の女子の家。
もっと浮かれた状況ならそわそわするかもしれないが、今は正面ある大きなテレビくらいしか目に入らない。ほんとデカい。横幅とか二メートル以上ありそう。
「準備完了です!」
坂下さんは部屋中のカーテンを閉め、机の上にアロマとお菓子、それから飲み物を用意した後で、俺の隣に座って言った。
「……映画館みたいだね」
「はい! お友達を招待するのは初めてです!」
彼女は無邪気に言った。
そして、映画が始まる。
正直、頭に入らない。
なんかファンタジー系の洋画ってことは分かるけど、それだけ。
気持ちは楽だ。俺が何もしなくても自動的に情報が入ってくる。だけど何か感じる直前で情報が弾かれてしまう。まるで心の中に見えない壁があるかのような感覚だ。
なんとなく、坂下さんを見る。
彼女は真剣な様子で映画を観ていた。どうやら集中しているようで、俺の視線には気が付かない。やらないけど、頬に触れても無視されそうだ。
(……表情、豊かだな)
シリアスなシーンでは真剣な表情。
コミカルなシーンではにっこり笑顔。
彼女が何を考えているのか一目で分かる。
それは、映画を観るよりもよっぽど面白かった。
やがてエンディングが始まった。
坂下さんはポロポロと流れる涙をハンカチで拭いながら言う。
「どうでしたか?」
「……ごめん、全く頭に入らなかった」
坂下さんは俯いた。
俺は悩む。ずっと彼女のことを見ていた話をすれば、きっと場が和む。表情がコロコロ変わるところとか、見てて面白かった。
だけど、そういう気分じゃない。
やっぱり、どうしても楽しい気分になれない。
「……」
重たい沈黙が生まれた。
流石に坂下さんも言葉を探しているようだ。
情けない。嫌になる。
計画を実行したのは俺だ。俺が勝手に傷付いてる。
坂下さんは気を遣ってくれた。
わざわざ家に招待して、もてなしてくれた。
笑えよ。今だけでも。
へこむのは後で良いだろ。
家に帰った後、いくらでも泣けるだろ。
……ああ、ダメだ。
俺、どんだけ優愛のことが好きだったんだよ。
「……あ」
ハンカチ。
坂下さんが俺の目元をそっと拭っている。
「ごめんなさい」
だから、坂下さんが謝ることじゃないってば。
言いかけて、咄嗟に口を閉じた。あまりにも情けない声になりそうだった。
「私、本当は分かってました」
……何が?
声を出す代わりに心の中で返事をした。
「小倉くんが傷ついた理由も、分かってます」
……だから、何が分かったんだよ。
「優愛さんがショックを受けていたから、ですよね」
……。
「自分のことを好きだったのかもしれないと、そう思ったんですよね」
……ほんと、なんなんだよ。
「だからこそ。どうして他の人と──」
「坂下さん」
途中で口を挟んだ。
「……坂下さんは、なに考えてんの?」
イラついている。
敏感な部分に遠慮なく触れられて、頭に血が上っている。
「許せなかったんです」
「……何が?」
気を抜けば自分が何をするのか分からない。
溢れ出る激情を必死に抑えながら、俺は彼女に目を向けた。
目が合った。
多分、彼女の家に来てから初めて。
「好きです」
……。
「私は、あなたのことが好きです」
「……ごめん、待って。なに言ってんの?」
理解が追い付かない。
「好きって……その、人間として?」
「恋愛的な意味です」
彼女と会話した記憶は、ほとんどない。
好かれる理由が分からない。このタイミングで言われることも分からない。
「気持ちを伝える機会は無いと思ってました」
からかわれてる?
それとも慰めるための前振り?
「絶対に叶わない恋だからです」
表情は真剣そのもの。
いや……よく見ると、怒っている。
「あなたの隣には、優愛さんが居たからです」
俺は息を吸った。
グチャグチャになった感情を強引に切り離して、純粋な疑問を口に出す。
「……なんで、優愛が理由になるんだよ」
「言ったじゃないですか。二人は有名人です。お似合いのカップル。私の目から見ても、他の人が入り込む余地なんて皆無でした。だから、諦めようとしたんです。小倉くんが幸せそうだから。それが一番かなって。なのに……優愛さんが裏切った!」
彼女は両手を握り締め、声を荒げた。
「本当に愚かです。自分が裏切ったくせに! あんな顔をして! また、小倉くんを傷付けて!」
大きな声。生活指導の男性教師なんかよりも、よっぽど迫力がある。
俺は唖然とした。ぽかんと口を開いて、感情を表に出した彼女を見ることしかできなかった。
「……あーあ、言っちゃった」
彼女は気まずそうな目をして俺を見る。
「ごめんなさい。全部、計算でした」
「……計算?」
彼女は立ち上がると、俺の正面に立った。
「ちょ」
肩を摑まれ、押し倒された。
「坂下さん?」
「下の名前で呼んでください」
「いや、待って、落ち着けって」
「私は冷静です」
「いやいや……俺を好きって、そんな、ほぼ話したこと無いだろ」
「あります」
「いつ?」
「小倉くんが図書委員だった時です。私が品の無い男性に絡まれている時、あなたが助けてくれました。あなただけでした。他の人は、見て見ぬ振りでした」
「……そんなの、ただの義務感で」
「あなたが居る時だけ、図書室が好きでした。最初は親切な人だと思う程度でした。だけど、いつの間にか意識するようになってました。学校に居る時は、あなたの姿を探すようになってました」
肩を摑む手に力が入る。
痛みは無い。その代わりに震えが伝わってくる。
「誠実なところが好きです。爽やかな笑顔が好きです。困っている人を助けるところが好きです。体育の授業でバスケをしていた時、運動が苦手な人でも楽しめるように動いていたところが好きです。でも最後はムキになって勝ちを狙いに行った子供っぽいところも好きです。優しい目が好きです。冗談を言った時の猫みたいな口元が好きです。少し低い声が好きです。ラ行が苦手なところも好きです。本を読む時の真剣な横顔が好きです。面白い文章に出会った時、周りを気にして恥ずかしそうに笑う顔が好きです。実は料理が得意なところも好きです。自作のお弁当を友達に自慢していた時の得意気な顔が好きです。実はトマトが苦手なところが可愛くて好きです。一年生の社会科見学で、同じ班の子が落とした物を必死に探していた時の顔が好きです。汗だくになって見つけた後、ジュース奢れよと言った時の顔が大好きです。声も好きです。友達から慕われているところも好きです。男女分け隔てなく優しいところも好きです。勉強が得意なところも好きです。一年生の期末試験、学年三位でしたね。一位は私でしたけど、数学だけは小倉くんの勝ちでした。あの時、本当は話かけたかったです。どういう勉強したんですかって。他にも。ずっとずっと。でも、あなたの隣には優愛さんが居たから。だから。ダメだって。ずっと我慢して。それなのにどんどん好きになって……私、どうにかなってしまいそうでした」
……。
「いいえ、違いますね。とっくに、おかしくなってます」
潤んだ瞳。
上下に揺れる肩。
鼻先に触れる熱い息。
「私を見てください」
ずっと前から目は合っている。
だけどこれはそういう意味じゃない。
「優愛さんのこと、上書きさせてください」
鈍感な俺でも分かる。
彼女の気持ちは本物だ。
「私は絶対に裏切らない。私が好きなのは、あなただけです」
彼女の家で二人きり。
ほとんど密着しているような距離感と、告白。学校一の美少女がストレートに好意を伝えている。これを拒める男なんて存在するのだろうか。
「……ごめん」
目を逸らす。
「こんな気持ちで、返事とかしたくない」
可能な限り誠実に、言葉を絞り出した。
「ダメです。言ったじゃないですか」
彼女は両手で俺の頬を挟むと、顔を力づくで正面に戻した。
もちろん本気を出せば抵抗できる。だけど俺は拒めなかった。
「私に、寝取られてください」
ドクンと心臓が跳ねた。
心はグチャグチャなのに、頭だけは冷静だった。
──ごめんなさい。全部、計算でした。
その言葉の意味を、今やっと理解した。
「十秒だけ待ちます。嫌なら逃げてください」
彼女は言った。
意味は直ぐに分かった。
潤んだ瞳が俺の唇を見つめている。
要するに、逃げるか受け入れるかを十秒で決めろと言われたのだ。
(……逃げる理由、あるのか?)
正直グッと来た。
昨日、俺は本当に辛かった。
だから坂下さんと話をして救われた。
良い人だ。ユニークで、優しくて、だけど計算高い一面もある。会話を続けるほど好きになれると思う。外見は言うまでも無い。学校では一番の美少女。多分、芸能人と並んでも見劣りしないような人だ。
そんな彼女が好意を伝えてくれた。
俺を絶対に裏切らない。今、一番欲しい言葉をくれた。
「時間です」
彼女は呟いて、目を細めた。
それから、ゆっくりと顔を近づける。
──初めてのキスは、味なんてしなかった。
優愛と今まで通りに接すること。
好きな人がいるのか質問すること。
最後に「お前と同じことをする」と伝えること。
全部、坂下さんの提案だ。
俺は頭を空っぽにして、彼女に言われた通りに……。
違うだろ。選んだのは俺だろ。
ふざけんな。今さら後悔とか、やめろよ。
でも……なんで、あいつ、あんな顔。
なんで優愛がショックを受けるんだよ。
お前だろ。お前が先にやったことだろ。
自分は良くて俺はダメなのかよ。なんだよそれ!?
「小倉くん、大丈夫ですか……?」
心配そうな声。
俺はハッとして、隣を歩く坂下さんに笑みを向けた。
「なんで? めちゃくちゃスッキリしてるけど」
「……ごめんなさい」
「謝るなよ。スッキリしたって言ってるだろ」
坂下さんは暗い表情をして俯いた。
その姿を見て俺は唇を噛む。こんなの八つ当たりだ。ダサ過ぎる。
「あの、小倉くん!」
目を向ける。
「私の家、本当に来ませんか?」
「……なんで」
「元気が出る本、紹介させてください!」
やめてくれ。
「俺、そこまで読書家じゃないよ」
「映像作品はどうですか? 好きな小説が映像化された時にはブルーレイを買うことにしているので、たくさんありますよ!」
彼女の姿が優愛と重なって見える。
その度に胸が張り裂けそうな気持ちになる。
「強いストレスを感じた時には、感動的な物語に触れて涙を流すべきです。副交感神経が優位になって気持ちが楽になります」
だけど彼女は優愛じゃない。
優愛は、こんな賢そうなことを言わない。
「アロマなんかも効果的です。ラベンダーアングスティフォリアの香りは、とても心が落ち着きます」
正直そんなに嬉しい言葉じゃない。
だけど、一生懸命に話す姿を見ていると心が軽くなる。
涙が、出そうになる。
坂下さんは本気で心配してくれている。
申し訳ない。情けない。でもそれ以上に、嬉しい。
「……映像作品」
ぽつりと声を出した。
「どんな感じ?」
我ながら言葉が足りない。
だけど、坂下さんは嬉しそうに目を細めた。
「色々ありますよ!」
それから俺は坂下さんの家へ行くことにした。
隣を歩く彼女は、とても楽しそうな様子で作品の概要を話し続けていた。
道中、ふと手を繋いでいることに気が付いた。
これは優愛を欺くための嘘だ。続ける必要は無い。
でも、気が付かない振りをした。
左手に感じる熱が心地良くて、離れたくないと思ってしまった。
* * *
坂下さんの家は二階建ての一軒家だった。
書斎があると聞いたから豪邸を想像していたけれど違った。普通の家だ。
彼女に案内され、手洗いうがいをした後でリビングのソファに座った。
初めて入る優愛以外の女子の家。
もっと浮かれた状況ならそわそわするかもしれないが、今は正面ある大きなテレビくらいしか目に入らない。ほんとデカい。横幅とか二メートル以上ありそう。
「準備完了です!」
坂下さんは部屋中のカーテンを閉め、机の上にアロマとお菓子、それから飲み物を用意した後で、俺の隣に座って言った。
「……映画館みたいだね」
「はい! お友達を招待するのは初めてです!」
彼女は無邪気に言った。
そして、映画が始まる。
正直、頭に入らない。
なんかファンタジー系の洋画ってことは分かるけど、それだけ。
気持ちは楽だ。俺が何もしなくても自動的に情報が入ってくる。だけど何か感じる直前で情報が弾かれてしまう。まるで心の中に見えない壁があるかのような感覚だ。
なんとなく、坂下さんを見る。
彼女は真剣な様子で映画を観ていた。どうやら集中しているようで、俺の視線には気が付かない。やらないけど、頬に触れても無視されそうだ。
(……表情、豊かだな)
シリアスなシーンでは真剣な表情。
コミカルなシーンではにっこり笑顔。
彼女が何を考えているのか一目で分かる。
それは、映画を観るよりもよっぽど面白かった。
やがてエンディングが始まった。
坂下さんはポロポロと流れる涙をハンカチで拭いながら言う。
「どうでしたか?」
「……ごめん、全く頭に入らなかった」
坂下さんは俯いた。
俺は悩む。ずっと彼女のことを見ていた話をすれば、きっと場が和む。表情がコロコロ変わるところとか、見てて面白かった。
だけど、そういう気分じゃない。
やっぱり、どうしても楽しい気分になれない。
「……」
重たい沈黙が生まれた。
流石に坂下さんも言葉を探しているようだ。
情けない。嫌になる。
計画を実行したのは俺だ。俺が勝手に傷付いてる。
坂下さんは気を遣ってくれた。
わざわざ家に招待して、もてなしてくれた。
笑えよ。今だけでも。
へこむのは後で良いだろ。
家に帰った後、いくらでも泣けるだろ。
……ああ、ダメだ。
俺、どんだけ優愛のことが好きだったんだよ。
「……あ」
ハンカチ。
坂下さんが俺の目元をそっと拭っている。
「ごめんなさい」
だから、坂下さんが謝ることじゃないってば。
言いかけて、咄嗟に口を閉じた。あまりにも情けない声になりそうだった。
「私、本当は分かってました」
……何が?
声を出す代わりに心の中で返事をした。
「小倉くんが傷ついた理由も、分かってます」
……だから、何が分かったんだよ。
「優愛さんがショックを受けていたから、ですよね」
……。
「自分のことを好きだったのかもしれないと、そう思ったんですよね」
……ほんと、なんなんだよ。
「だからこそ。どうして他の人と──」
「坂下さん」
途中で口を挟んだ。
「……坂下さんは、なに考えてんの?」
イラついている。
敏感な部分に遠慮なく触れられて、頭に血が上っている。
「許せなかったんです」
「……何が?」
気を抜けば自分が何をするのか分からない。
溢れ出る激情を必死に抑えながら、俺は彼女に目を向けた。
目が合った。
多分、彼女の家に来てから初めて。
「好きです」
……。
「私は、あなたのことが好きです」
「……ごめん、待って。なに言ってんの?」
理解が追い付かない。
「好きって……その、人間として?」
「恋愛的な意味です」
彼女と会話した記憶は、ほとんどない。
好かれる理由が分からない。このタイミングで言われることも分からない。
「気持ちを伝える機会は無いと思ってました」
からかわれてる?
それとも慰めるための前振り?
「絶対に叶わない恋だからです」
表情は真剣そのもの。
いや……よく見ると、怒っている。
「あなたの隣には、優愛さんが居たからです」
俺は息を吸った。
グチャグチャになった感情を強引に切り離して、純粋な疑問を口に出す。
「……なんで、優愛が理由になるんだよ」
「言ったじゃないですか。二人は有名人です。お似合いのカップル。私の目から見ても、他の人が入り込む余地なんて皆無でした。だから、諦めようとしたんです。小倉くんが幸せそうだから。それが一番かなって。なのに……優愛さんが裏切った!」
彼女は両手を握り締め、声を荒げた。
「本当に愚かです。自分が裏切ったくせに! あんな顔をして! また、小倉くんを傷付けて!」
大きな声。生活指導の男性教師なんかよりも、よっぽど迫力がある。
俺は唖然とした。ぽかんと口を開いて、感情を表に出した彼女を見ることしかできなかった。
「……あーあ、言っちゃった」
彼女は気まずそうな目をして俺を見る。
「ごめんなさい。全部、計算でした」
「……計算?」
彼女は立ち上がると、俺の正面に立った。
「ちょ」
肩を摑まれ、押し倒された。
「坂下さん?」
「下の名前で呼んでください」
「いや、待って、落ち着けって」
「私は冷静です」
「いやいや……俺を好きって、そんな、ほぼ話したこと無いだろ」
「あります」
「いつ?」
「小倉くんが図書委員だった時です。私が品の無い男性に絡まれている時、あなたが助けてくれました。あなただけでした。他の人は、見て見ぬ振りでした」
「……そんなの、ただの義務感で」
「あなたが居る時だけ、図書室が好きでした。最初は親切な人だと思う程度でした。だけど、いつの間にか意識するようになってました。学校に居る時は、あなたの姿を探すようになってました」
肩を摑む手に力が入る。
痛みは無い。その代わりに震えが伝わってくる。
「誠実なところが好きです。爽やかな笑顔が好きです。困っている人を助けるところが好きです。体育の授業でバスケをしていた時、運動が苦手な人でも楽しめるように動いていたところが好きです。でも最後はムキになって勝ちを狙いに行った子供っぽいところも好きです。優しい目が好きです。冗談を言った時の猫みたいな口元が好きです。少し低い声が好きです。ラ行が苦手なところも好きです。本を読む時の真剣な横顔が好きです。面白い文章に出会った時、周りを気にして恥ずかしそうに笑う顔が好きです。実は料理が得意なところも好きです。自作のお弁当を友達に自慢していた時の得意気な顔が好きです。実はトマトが苦手なところが可愛くて好きです。一年生の社会科見学で、同じ班の子が落とした物を必死に探していた時の顔が好きです。汗だくになって見つけた後、ジュース奢れよと言った時の顔が大好きです。声も好きです。友達から慕われているところも好きです。男女分け隔てなく優しいところも好きです。勉強が得意なところも好きです。一年生の期末試験、学年三位でしたね。一位は私でしたけど、数学だけは小倉くんの勝ちでした。あの時、本当は話かけたかったです。どういう勉強したんですかって。他にも。ずっとずっと。でも、あなたの隣には優愛さんが居たから。だから。ダメだって。ずっと我慢して。それなのにどんどん好きになって……私、どうにかなってしまいそうでした」
……。
「いいえ、違いますね。とっくに、おかしくなってます」
潤んだ瞳。
上下に揺れる肩。
鼻先に触れる熱い息。
「私を見てください」
ずっと前から目は合っている。
だけどこれはそういう意味じゃない。
「優愛さんのこと、上書きさせてください」
鈍感な俺でも分かる。
彼女の気持ちは本物だ。
「私は絶対に裏切らない。私が好きなのは、あなただけです」
彼女の家で二人きり。
ほとんど密着しているような距離感と、告白。学校一の美少女がストレートに好意を伝えている。これを拒める男なんて存在するのだろうか。
「……ごめん」
目を逸らす。
「こんな気持ちで、返事とかしたくない」
可能な限り誠実に、言葉を絞り出した。
「ダメです。言ったじゃないですか」
彼女は両手で俺の頬を挟むと、顔を力づくで正面に戻した。
もちろん本気を出せば抵抗できる。だけど俺は拒めなかった。
「私に、寝取られてください」
ドクンと心臓が跳ねた。
心はグチャグチャなのに、頭だけは冷静だった。
──ごめんなさい。全部、計算でした。
その言葉の意味を、今やっと理解した。
「十秒だけ待ちます。嫌なら逃げてください」
彼女は言った。
意味は直ぐに分かった。
潤んだ瞳が俺の唇を見つめている。
要するに、逃げるか受け入れるかを十秒で決めろと言われたのだ。
(……逃げる理由、あるのか?)
正直グッと来た。
昨日、俺は本当に辛かった。
だから坂下さんと話をして救われた。
良い人だ。ユニークで、優しくて、だけど計算高い一面もある。会話を続けるほど好きになれると思う。外見は言うまでも無い。学校では一番の美少女。多分、芸能人と並んでも見劣りしないような人だ。
そんな彼女が好意を伝えてくれた。
俺を絶対に裏切らない。今、一番欲しい言葉をくれた。
「時間です」
彼女は呟いて、目を細めた。
それから、ゆっくりと顔を近づける。
──初めてのキスは、味なんてしなかった。
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