特別な人

鏡由良

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初めての人

初めての人 第45話

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「ありがとう、藤原」
「あくまでも休戦ですからね。そこを忘れないで下さいね、先輩」
 顔を上げる虎君は休戦の証とばかりに手を差し出す。でも慶史は肩を竦ませるだけでその手を取ることはしなかった。
 きっと昨日までの僕なら、そんな慶史の態度を窘めていただろう。けど、慶史が抱く葛藤を知ってしまったからその失礼な態度を注意することが出来ない。
 何も言えない僕の視線に気づいた慶史は苦笑いを浮かべ、どこか申し訳なさそうだった。
(ごめんね、慶史……)
 慶史にもう二度と傷ついて欲しくないと思っているのに、その僕が今まさに慶史を苦しめている。
 それを分かっているのにどうすることもできない自分に罪悪感を抱くなという方が無理だろう。
 無意識に視線を下げてしまう僕の耳に届くのは、慶史の朗らかな声。僕に気を使っているのだろうことは明らかだ。
「まだその手は取れませんけど、歩み寄るために先輩のこと名前で呼んでもいいですか? 葵みたいに」
「! 名前で?」
「はい。……俺、相手を名前を呼ぶって結構大事だと思ってるんですよ。だから、形から入ろうかと思って」
 顔を上げれば、虎君に向けて笑顔を見せる慶史。その笑顔はとても綺麗で、ほとんどの人は好感を覚えるだろう。
 勿論僕もその一人で、本当に僕の為に虎君に歩み寄ろうとしてくれていると伝わってきてその優しさに涙ぐみそうになった。
 でも、虎君はそんな慶史の申し出に少し声のトーンを低くして「千景から何か聞いたみたいだな」と頭を抱えて見せた。
(虎君? なんでそんな不機嫌になってるの?)
 ついさっき『休戦しよう』と握手を求めたのは虎君なのに、何故今こんな風に慶史を拒絶する雰囲気を出しているのか。
 これまで理不尽な敵意を向けて慶史を傷つけたと分かっているはずなのに、これでは全然反省していないと反発を覚えるに決まってる。
 僕は慶史が理不尽な扱いに不快な思いをしないか心配になって思わず親友へと視線を向けた。
 でもそこには僕が想像していた受け取った敵意に敵意を返す気満々な慶史とは真逆の、とても満足気な表情で笑っている親友が目に入った。
(え……? 慶史……?)
「流石ですね、先輩。頭の回転早くて助かります」
「『休戦』は口だけか?」
「まさか。今のは最後の嫌がらせです」
 虎君の声のトーンが一層低くなって怒りが滲む。すると慶史はそれに力なく笑うと僕を見て、「ちゃんと追及してね?」と言ってくる。
 いったい何を『追及』すればいいのだろう? と思いながらも、僕は狼狽えながらも分かったと頷いた。
「それじゃ、今度こそ本当に休戦協定、ってことで」
「さっきの今でそれを信じてもらえると思っているのか?」
「思ってますよ。葵の為、ですから」
 今度は慶史から手を差し出し、握手を求める。当然虎君はその手を取ろうとしなかったんだけど、慶史の意地悪な言い方に大きな溜め息を吐いて結局その手を取った。
 きっと虎君的には絶対握手に応じたくなかっただろう。でも、僕の為に怒りも不快感をすべて我慢して慶史と『約束』を交わしてくれる。
 僕は虎君と慶史が交わす握手を眺めながら、大切な人にどれほど愛されているか改めて実感した。
(恋人からも親友からもこんなに大事にされてるなんて、きっと僕は世界で一番幸せ者だ)
 僕も虎君を、慶史を大切にできる人になりたい。
 そう思いながら涙を堪えていたら、慶史はそろそろ部屋に戻ると言って踵を返した。家探しされてる気がするから。と笑いながら。
「また明日ね、葵」
「うん。また明日」
 背を向けたまま手を振る慶史を見送った後、僕は虎君へと視線を向ける。すると、じっとこちらを見下ろす虎君と目が合った。
 いつから見られていたんだろう? って思いながらも僕の為に色々我慢してくれた虎君に感謝を伝えれば、虎君は僕の目の前に手を差し出してきた。
「? どうしたの?」
 差し出された手の意味は分からなかったけど、自分の願望のままその手に自分の手を重ね、握り締める。
 手を繋いだだけなのにホッとした自分に気付いた僕は、いったいどれほど虎君が好きなんだろう? と昔よりも『好き』があふれる自分にちょっと呆れてしまった。
「ズルいな。そんな可愛い顔されたら嫉妬できないだろ?」
「え? 『嫉妬』? 何に?」
 困ったように笑う虎君はそのまま僕の手を引き、抱きしめてくる。
 虎君の腕の中に導かれた僕は甘える様にその胸に頬を摺り寄せてしまう。虎君がヤキモチを妬くことなんて何もないのに。そんなことを想いながら。
「藤原の前では嫌がっただろ?」
「それは友達の前だからで―――」
「葵。俺に『休戦協定』を破らせないで」
 明らかな嘘だと分かってる。そう言いたいのだろう。
 本当のことは言えない。でも、虎君の不安は痛いほど理解できる。でも、やっぱり言えない……。
 僕は虎君がヤキモチを妬くと分かっていながらも「ごめんなさい……」としか言えなかった。
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