痛みは教えてくれない

河原巽

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 カツカツと音が聞こえる。
 乱雑に入り乱れるその音は……複数の靴音だろうか?
 揺蕩う意識の中では確信を持てず、ただ騒がしいなとだけ思うことにした。

 身体が痛い気がする。
 動かしているわけでもないのにそこかしこにジンジンと疼くような痛みがある。
 いや、身体だけではない。顔も痛い。
 頬と額だろうか、そちらはピリピリとひりつく痛み。

 その頬にザラリとした感触が撫で付けられた。ただでさえ痛いのに使い古しの毛羽立った布で拭われているかのような感覚だ。

(やめて、余計に痛いわ……)

 警護団に入団するまでは使い古した布の感触なんて知ることもなかった。訓練好きの先輩団員が頻繁に使い回している手拭いは洗濯しすぎてゴワゴワになっていた。その感触が好きだと言っていたっけ。
 ぼんやりした思考を咎めるかのようにザラついた感触は頬を行き来する。

「痛いの……」

 苦痛を訴えたはずなのにザラザラな感触は勢いを増した。嫌がらせなのか。

「いや、痛い……」
「エレノア、エレノア」

 名前を呼ばれた。知り合いのようだ。ならば尚更聞き入れて欲しい。
 頬を拭うものを取り払いたくて腕を伸ばしたらツルツルと滑らかな感触が掌を滑る。思っていた感触と違っていたが遠ざけようと掴んだら、一層強く擦られる。

(もう、痛いと言っているのに!)

「止めて!」

 沸き起こる苛立ちが意識を覚醒させたのか、勢いのままに目を開くとまず飛び込んだのは黒混じりの灰色。エレノアの手が掴むのも同色の――これは、なに?

「え、マグラさん?」
「エレノア」

 スイと顔をずらしてマグラが覗き込んでくる。その距離の近さと言ったら鼻と鼻が触れんばかりで、ガチンとエレノアの身体は硬直する。

「傷が痛む?」
「傷? あの、さっきから頬が痛くて」
「可哀想に。擦り傷が出来てる」

 一瞬痛ましげな表情を浮かべたマグラは顔を傾けるとエレノアの頬をぺろりとひと舐めした。その痛みを増幅させるような感触。

「えっ、ちょ、ちょっと。ど、どうして舐めていらっしゃるのでしょう」
「消毒しなくちゃいけない」
「消毒……消毒?」

(傷の消毒とは本来薬品を用いるものでは?)

 エレノアの持ち合わせる常識との食い違いに疑問符が点滅する中、手に掴んだままの灰色の何かがピクリと動いた。思わず手放すと頭部に生えた三角形のそれがピクピクと小さく震える。

「マグラさん、もしかして……?」

 耳から離れた手にするりと何かが絡みついて視線を移す。縞模様の尻尾だった。

「猫、の獣人、ですか?」
「そうだ」

 まさか彼が獣人だったとは。本人から聞いたこともなければ支部長からの説明もない。この四ヶ月で一片たりとも気付かなかった事実にエレノアは内心で大きな衝撃を受ける。

 いや、だからと言って舐めて消毒とは?
 先程からザラザラと頬を行き交いしていたのは、もしかしなくても彼の舌?
 飛び込んでくる情報が何ひとつとして理解出来ず、まじまじとマグラの顔を見つめていたら、今度は額を舐められて思わず肩が弾んでしまった。

「大丈夫だ。弟も使用人も無事だし、今しがた犯人は一人残らず捕縛が終わった」

 穏やかな顔で述べられた言葉を反芻して我に返る。言葉通りならもう危険は取り払われて大事はないようだけど、エレノアの記憶はアデルの乗る馬車に不審者たちが押し入ろうとするところで途切れている。
 そこでようやく視線を周囲に巡らせて――複数の靴音が第四支部の警護団員たちのものであること、事件現場からほんの僅か壁際に寄せたところで上体をマグラに預けた姿で覚醒したこと、衆人環視の下で頬を執拗に舐められていたようだということを知ってしまう。
 もう一度気を失いたかった。
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