上 下
91 / 92
エピローグ

第九十一節 権輿

しおりを挟む
「――それで、あんたは本当に旅に出るつもりなのか?」

 “喰神くいがみの烙印”を継承する“始祖”。その“始祖”割り当てられる家屋に戻って来たルシトは、テーブルを挟んで対面にある椅子に腰を掛け、自身の扱う棍の手入れをしていたビアンカに問い掛ける。

 真剣な面持ちで棍に亀裂などが入っていないか状態を確認しつつ、布を使って拭きあげていたビアンカは――、ルシトの問い掛けの声に棍に向けていた翡翠色の瞳を上げてルシトを見やる。

 ビアンカは、ルシトの問いに頷いて返事をした。

「うん。旅を、しようと思うわ……」

 ビアンカは持っていた棍をテーブルに立てかけ、静かな声音で言う。

「ハルの――、旅の間の軌跡を。私も歩んでみたい」

「ふーん……?」

 ビアンカから戻って来た言葉に、ルシトは興味なさげな雰囲気で声を漏らしていた。

「あんたの旅の目的は――、ハルの生まれ変わりとの再会……、だろ?」

 ルシトは赤い瞳を細め、ビアンカに再度問い掛ける。
 再三の問いにビアンカは、微かに笑みを浮かべる。その笑みはしかりを意味するものだと。ルシトはそう察した。

「あいつ――ハルの魂は確かに“喰神くいがみの烙印”の呪縛から解放されたけれど。再会できる保証はないよ?」

 ルシトは――、ビアンカ以上に世界が広いことを周知している。
 広い世界の中で、たった一人の人間。しかも生まれ変わりをし、全くの別人となってしまうであろう人物を探し出すことが、非常に困難なことであることを――。そのことを認知し、ビアンカに「それが分かっているのか?」――と、そう言いたげにしていた。

「それ――。同じようなことを“魂の解放の儀”の時に、“喰神くいがみの烙印”の呪いにも言われたわ」

 言いながらビアンカは苦笑いを浮かべる。

――『生まれ変わりで再び巡り合える可能性など――、無きに等しい確率かも知れないぞ?』

 “魂の解放の儀”の中で、“喰神くいがみの烙印”の呪いが発していた言葉。
 その言葉の意味は、今ルシトが口にした通り、保証も確約も何もないものであった。

 だが――、ビアンカは決してあり得ないものではないと、信じていた。

 それは、“魂の解放の儀”の最後の最後で――、ハルと再び巡り合う約束を交わしたから。
 たったそれだけの、“約束をしたから”という思いから来る定見だった。

「私は……、永い時を生きることを余儀なくされた。ううん……、許されたって言うのかな……?」

 本来であれば、“リベリア解放軍”の手にかかり、命を落としていたかも知れないビアンカ――。
 そんなビアンカは、ハルから“喰神くいがみの烙印”の呪いを継承するという形で命を繋ぎ、不老不死の身体を手に入れ――、老いも死も知らないになっていた。

「――限りのない命の時間を、ハルに与えられたから。この命を――、ハルのために。彼と交わした再会の約束を果たすために、使いたい」

 革のグローブを嵌めた自身の左手の甲を慈しむように触れながら、ビアンカは静かな口調で語る。
 ビアンカの声音は――、揺るぎのない決意を宿していることを、ルシトは感じ取っていた。

「永い時を生き続ければ、いずれはハルの生まれ変わりに逢えるかも知れない。――だから、私は行くわ」

「あっそ。勝手にすれば?」

 決意を宿したビアンカの翡翠色の瞳に見据えられ、ルシトは嘆息たんそくする。
 酷く呆れの混ざった返答をルシトにされ、ビアンカは苦笑してしまう。

 投げるようなルシトの返答に苦笑いを見せるビアンカを、ルシトは見つめ赤い瞳を細める。

「但し、自分の受け継いだ呪いの力の使い方は見誤らないように。その呪いは厄介すぎる……」

 “魂の解放の儀”の際に見せつけられた、“喰神くいがみの烙印”の魔力の強さ――。
 そうして、“喰神くいがみの烙印”の呪い自体が持つ、宿主の意思を反した性質の数々を思い、ルシトはビアンカに諭すように言葉を向ける。

「自分の宿す呪いが、“身近な者たちに不幸を撒き散らし死に至らしめるもの”だということを。を。くれぐれも忘れないように」

 ルシトの言葉を受け、ビアンカは眉を寄せつつも、頷く。

 一所ひとところに長くいてはいけない。そんな存在になってしまったこと。
 なるべくであるならば――、親しい人間を作らないこと。

 それをビアンカは、聡く察していた。

 今まで多くの人々に囲まれ、不自由なく育ってきたビアンカにとって、親しい者を作り、人と触れ合う機会を作ってはいけないという所業は――、酷なものであった。
 だけれども、致し方あるまいという――。どこか諦めに近い思いを抱いていた。

「ルシト。あなたとは――、また逢えるかしら?」

 そんな思いの中で、フッとビアンカに沸き上がった疑問。

 ルシトであれば――、“喰神くいがみの烙印”の呪いが通用しない存在である。
 そのためにビアンカには、今、唯一親しくしても問題のない人物が――目の前にいるルシトだと。そう思ったのだった。

 ビアンカからの投げ掛けられた疑問の言葉に、ルシトは彼らしい面倒くさげな表情を窺わせる。

「僕とあんたが再会する時は――、何かの厄介事が起きた時だ」

 ビアンカに見据えられたルシトは――、自身の瞳を伏せ気味にしてビアンカから逸らし、そう口にした。

「だから、なるべくならば。僕は――、あんたとの再会を望まない……」

 ビアンカの期待を一蹴りにするルシトの言葉は、彼が『調停者コンチリアトーレ』として動かなければならない事態のことを揶揄やゆしていた。
 ビアンカとの再会。その時は、何かしらの災厄がビアンカを取り巻いた際だと――。そう口には出さないものの、ルシトは暗喩する。

「そっか……」

 そんなルシトからの返答に、ビアンカはどこか寂しげにして呟きを零す。
 ビアンカの様子を伏せた瞳から傍目はためにし、ルシトは「ちっ」――と、舌打ちをする。

「だけれど……、先にも少し言ったように、“呪い持ち”を我欲のために狙う奴らや、“呪い持ち”の持つ呪いの力自体を狙う輩も多くいる――」

 ルシトは瞳を伏したまま、仕方なさげな雰囲気を醸し出しながら言葉を続けた。

「あんたは、これから永い時を生き続けなければならない。少なからず――、そういう事態に巻き込まれることは多くあるだろう。だから、そこで出会う確率は多いだろうな。僕が望もうが望むまいが、関係なく」

 言いながら、ルシトは伏せていた瞳を上げて、再びビアンカを見つめる。そのルシトの表情には――、微かな笑みが浮かべられていた。
 ルシトの表情を目にして、ビアンカはキョトンとした面持ちを見せる。

「うん。また逢えるのを楽しみにしているわ」

 一瞬、呆気に取られたビアンカであったが、ルシトからの返しの言葉に笑みを作って嬉しそうに返事をした。

「だから、また僕とあんたが逢う時は、あんたが面倒事に巻き込まれた時だって言っているだろう。本当にあんたは頭が悪いな……」

 嫌味混じりに返されるルシトの言葉。それを聞き、ビアンカはくすくす笑うのだった。

(――ルシトは……、本当に素直じゃないなあ……)

 ルシトの照れ隠しなのであろう言い分を聞き、ビアンカは内心で苦笑してしまう。

「全く――、何がそんなに可笑しいんだか。理解できないね」

 笑いを零すビアンカを目にして、ルシトは溜息を吐き出す。
 そして、気を改めたようにルシトは再びビアンカを見据える。

「それで、いつ頃にここを出るんだい?」

「……そうね。今日か明日か――、準備ができ次第に出るつもりよ」

 不意にルシトから投げ掛けられた問いに、ビアンカは考える様を一瞬見せつつ答える。

「もし、行先の決まっていない旅に出るならば――、一度この東の大陸を出てしまった方が良いと思う。リベリア公国が滅びたことで、暫く東の大陸は混乱するはずだからな」

 ルシトの言葉を聞き、ビアンカは眉を寄せる。

 ビアンカがリベリア公国という国を滅亡に導いたことは――、一部の人間しか知らない事柄であった。

 一つの国が突如滅びた。その滅びた原因は、常人には理解しがたい不可解な現象とされるであろう。その滅びるに至った真相を明らかにするため、東の大陸は暫くの間、混乱を来すだろうことは火を見るよりも明らかだった。
 ここでカーナ騎士皇国や近隣諸国の徹底的な調査が行われれば――、偶々遠方の砦などで待機をするなどをしていたリベリア公国の生き残りの者たちにも調査の手が回るはずである。

 もしも、そのようなことになれば――、ビアンカの存在が露見する可能性も孕んでいた。
 ビアンカも、それを察し――、頷いて応じるしかなかった。

(――そうよね。カーナ騎士皇国領に入る時にも、私は憲兵の人たちにリベリア公国が滅びたことを話してしまったし……)

 ビアンカは、自身がカーナ騎士皇国領に入る際に、リベリア公国とカーナ騎士皇国の国境で憲兵として詰めていたリベリア公国の者たちと出会っていたことを思い出す。

「港町まで行くなら――、送っていくよ……」

 ルシトの提案に――、ビアンカは驚いた様相を一瞬見せる。
 だが、すぐに嬉しそうにして、ビアンカはありがたくルシトの申し出を受けるのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~

山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」 母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。 愛人宅に住み屋敷に帰らない父。 生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。 私には母の言葉が理解出来なかった。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)

青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。 ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。 さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。 青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。

【完結】男爵家に嫁ぎましたが、夫が亡くなったので今度こそ恋をしたい

野々宮なつの
恋愛
ソフィアは社交デビューしてすぐに嫁いだ夫が亡くなり2年になった。 愛のない結婚だったから悲しみに暮れることはなかったが、ソフィアには他の問題が立ちはだかっていた。 後継者がいないのだ! 今は義父がいるけれど、このままでは生活が立ち行かなくなる。できたら家庭教師の職を見つけたい。 そんな時、義父の紹介で伯爵令嬢の舞踏会の付き添い役を務めることに。 職を紹介してもらえるかもしれない。そんな下心から伯爵令嬢の付き添い役を了承したが、社交嫌いで有名な伯爵は優しくて気づかいもできる素敵な人だった。 ソフィアはあっという間に彼に恋に落ちてしまう。 でも伯爵は今でも亡き妻を愛しているようで? ソフィアが仕事に恋に、再び自分の人生に希望を見出して生きるお話です。 全20話です この話は小説家になろう様にも載せています。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

処理中です...