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第十四章【全ての始まりの地】

第七十一節 始祖

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「――遅いっ!」

 日も昇り、朝も早い時間――。
 ビアンカに貸し与えられた家屋の玄関先――、そこの扉を開けた瞬間に、非常に不機嫌な表情を浮かべ、腕を組んで立つルシトが発した開口一番の言葉だった。

「う……。ご、ごめんなさい……」

 そのルシトの不機嫌ぶりに、ビアンカは思わず謝罪を口にしてしまう。

 ビアンカは、ルシトが『明日の朝――、迎えに来る』――と、そう言っていたことを思い、早めに起き出して準備をしていた。
 だが、ルシトの言う『明日の朝』という言葉は、ビアンカの予想を遥かに上回り早かった。
 そのため――、支度の途中でルシトが訪れてしまい、彼を玄関先で待たせてしまうという失態を犯していた。

 ビアンカの謝罪の言葉に、ルシトはワザとらしく大きな溜息を漏らす。
 そうして、一呼吸置いた後にビアンカの様子を目にし――、赤い瞳を細めた。

「――まあ、休むことはできたみたいだな。……昨夜より、良い顔色をしているよ」

 ルシトは端正な顔に、微かに笑みを見せる。
 そんなルシトの発した言葉に、ビアンカはキョトンとした表情を浮かべてしまう。

「うん? どうかしたかい?」

 ビアンカが呆気に取られた表情を浮かべたことで、ルシトは不思議そうに首を傾げていた。

「う、ううん。何でもないわ」

 ルシトからの問いに、ビアンカは慌ててかぶりを振った。

 ルシトの言う通り――、ビアンカは久方ぶりの寝食を取ることができたこともあり、身体的にも精神的にも安定を取り戻しつつあった。
 そのことをルシトが一目見て察したことに、ビアンカは驚いていた。

(――高圧的な雰囲気で口は悪いけど……。結構優しいところがあるのね、ルシトって……)

 しかし――、口に出してルシト本人に言ってしまうと、また不機嫌になるだろうと。ビアンカは出会ったばかりのルシトの性格を聡くし量り、本音は口に出さなかった。

「そうだ。あんたに渡しておくものがあったんだ」

 ルシトはビアンカの内心など気にも留めず、自身のまとっている法衣の中の内ポケットを漁り出す。
 そして――、内ポケットから取り出したものをビアンカに手渡した。

「これは……」

 ビアンカが手渡されたもの――、それは革で作られた一対の指抜きグローブだった。

「呪いの力に耐性のある魔獣の革をなめして、魔力で撚糸ねんしした糸で縫い合わせたグローブだ。呪いの力を多少なりとも抑え込む力を持っている」

 手渡されたグローブをまじまじと見つめるビアンカに、ルシトはグローブの持つ力を説明してやる。

「あいつ――、ハルのやつも、ずっとグローブをしていただろう?」

 ルシトの言葉を聞きビアンカは「そういえば……」――、と思い当たる。

 ハルは常に革のグローブを嵌めていて、“喰神くいがみの烙印”の痣を隠していた。
 そのため、ビアンカはハルがグローブを外している姿を目にしたのは――、ハルから“喰神くいがみの烙印”の継承を受ける際の、たった一度だけであった。

「“喰神くいがみの烙印”の呪いは、“呪い持ち”たちが持つ呪いの中でも一番厄介な奴で、宿主の意思に反して周りの者たちに呪いの力を撒き散らす。――ある意味、焼け石に水の状態だけれど、無いよりは幾らかはマシなはずだ」

 ルシトの言葉は――、“喰神くいがみの烙印”が持つ、宿主に近しい者たちの魂を貪り喰らう特性を揶揄やゆするものだった。

「そう……なんだ……」

 ビアンカは“喰神くいがみの烙印”の持つ呪いの力を聞き、眉をひそめる。

 以前にハルから、“喰神くいがみの烙印”が持つ呪いに関しては少しだけ聞かさせられていた話ではあったが――、その時のビアンカは、ハルが語る話を全く信じていなかった。

 ――全部、御伽噺おとぎばなしとかの……、物語の話だと思っていたけれど……。

 ハルの話していたことは本当のことだったんだ――、とビアンカは心中で思う。

「呪いの継承者の証とも言える“烙印”は……、なるべくならば人目に触れさせない方がいい。世の中には“呪い持ち”の力を我欲のために利用しようとする者や、呪いの力そのものを狙っている者も多くいる」

「――分かったわ……」

 ルシトの言葉にビアンカは頷き、手渡されたグローブを嵌める。

 嵌めたグローブは、まるでビアンカに合わせて見つくろわれたかのように、彼女の手の大きさに丁度良い物だった。

「――これ、ルシトが作ったの?」

 自らの手に嵌めたグローブを見つめ、ビアンカは疑問を抱く。

「まさか。それは、自称『世界と物語を紡ぐ者ストーリーテラー』――、が僕に持たせた物だ」

 ルシトは眉間に皺を寄せ、忌々しげな雰囲気を醸し出していた。

「あいつは――、世界で起こっている全てのことを見透かしている。今回、“喰神くいがみの烙印”を継承させる継承の儀が行われたことを察したのも、その継承者となったのがあんただっていうのも――、全部あいつは前知している」

 ルシトが非常に毛嫌いする様を窺わせ語る、『世界と物語を紡ぐ者ストーリーテラー』という存在。その人物は、ビアンカがハルから“喰神くいがみの烙印”を継承したことも見越していた――。
 そして恐らくは、ビアンカが“喰神くいがみの烙印”の伝承の隠れ里に訪れることをも予期し――、『調停者コンチリアトーレ』の役割を担うルシトを、里に派遣させてきたのであろうことを、ビアンカはルシトの言葉から推知する。

「その人って……いったい何者なの……?」

「言うなれば……、ヒトをヒトと思っていない“傲慢ごうまんな魔王”ってところだな。――いずれ、あんたも出くわすことになるはずだ。せいぜい気を付けることだね」

 ルシトは静かな声音で、ビアンカに対して忠告ともつかない言葉を口にする。
 その忠告の意図するものが読めず――、ビアンカは口をつぐんでしまう。

 ――今の時代に“魔王”だなんて比喩される人がいるの……?

 魔族と呼ばれていた種族が存在し、その魔族たちを統率していたとされる“魔王”がいたとされるのは――、ビアンカの知る限りでは遥か古の時代のことである。
 それ故に、ビアンカはルシトの発した『傲慢ごうまんな魔王』と言う言葉を、一つの比喩として受け止めていた。

「――まあ、そんなことより。里長代理にあんたを引き合わせないといけないんだ。支度が終わっているなら、さっさと行くぞ」

「あ、うん。ごめんなさい、遅くなっちゃって」

 昨夜からルシトに聞かされる様々な話に、心のどこかで腑に落ちなさを感じながら――、ビアンカはルシトの言葉に従い、里長代理との会合が行われる場所へ向かいことになった。


   ◇◇◇


 “喰神くいがみの烙印”の伝承の隠れ里――、その里の中央にある集会所として使用されている建物にビアンカは案内された。

 集会所の中は座敷になっており、そこには既に数人の里の人間が集まりその場に腰掛けて、ビアンカが訪れるのを待っていたという様子を彼女に窺わせる。
 その座敷の奥、階段一段分ほどの高さのある演壇に初老に近い男が一人――、胡坐あぐらをかいて座っていた。

 演壇に座る男は――、ビアンカが集会所に姿を現した途端に、顔を喜ばしげにほころばせる。

「――よくぞこの地にお戻りになられました。

 集会所に足を踏み入れた早々に投げ掛けられた男の言葉と、その場の異質な雰囲気――。
 それらに――、ビアンカは戸惑っていた。

 戸惑いの様相を見せるビアンカを、集会所まで連れてきたルシトが無言のまま顔を動かし、演壇の前に行け――と言うように顎で指し示す。
 ルシトの示した仕草にビアンカは頷き、演壇に座る男の前まで歩みを進めていく。

「申し遅れました。私は現在この里の里長代理を務めさせていただいている、ニコラ・ネクロディアと申します。以後お見知りおきを――」

 自身の目の前にまで来たビアンカに、演壇に座る男――二コラは深々と頭を下げた。
 すると次には下げていた頭を上げ、再びビアンカを優しげな眼差しで見据える。

「新たな“喰神くいがみの烙印”の継承者であるビアンカ様のことは――、神官将様よりお話を伺っております。先代の――“始祖”でおありになったハル様より継承の儀を受けられたことを……」

 不意に二コラからハルの名を出され、ビアンカは微かに反応をあらわす。

「――ハル様がこの里を出られ、“始祖”が不在となり早六百年以上……」

 だがしかし――、二コラはビアンカのどこか嫌悪感を含んだ反応に気付かず、話を続けていく。

「ここ、“喰神くいがみの烙印”の伝承の里で、“始祖”が世界見聞の旅に出奔することは、歴代で多くあったとされていましたが――、これほど永く“始祖”がいない状態が続いたことは、今まで例にありませんでした」

「……それで、あなたは何を言いたいの?」

 二コラの言葉に、ビアンカは静かな声音で問い掛ける。
 ビアンカは――、二コラが最後に言い出すであろうことを予感していた。

「我ら“喰神くいがみの烙印”を伝承する一族である“眷属”は――、“喰神くいがみの烙印”を宿す“始祖”の力の加護を受け、元々は不老長寿の特性を持っていました。だが――、“始祖”が永きに渡り不在となった影響故か……、我々“眷属”は、ただ長い寿命を持つだけの一族に成り果てた」

 そこで二コラは一呼吸置くように言葉を切り、ビアンカを真っ直ぐに見つめる。

「ビアンカ様には、この里の里長である“始祖”となり、我ら“眷属”に新たなる“喰神くいがみの烙印”の加護をお授けいただきたい――」

 二コラの発した言葉に――、ビアンカは予想していた通りだと、唇を噛みしめていた。
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