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第十三章【滅亡と望郷】

第六十三節 真なる統率者

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 深い闇を翡翠色をした瞳の奥底に湛えたビアンカの目にした人物――。
 その人物は――、ビアンカにとって、馴染みのある者だった。

「おかしいなあ。矢に射られたのはウェーバー家の娘だ――って、私は聞いていたんですけどねえ?」

 ウェーバー邸の門から中庭へ部下と思しき男たちを引き連れ、ビアンカを目にしながら不思議そうな表情を――ヨシュアは浮かべていた。

 ビアンカは、自らの方へと近寄ってくるヨシュアたちを見据え――、ゆっくりとした動きで立ち上がる。

(――どうしてヨシュアが……、ここにいるの……?)

 リベリア公国の騎士団は、“リベリア解放軍”との応戦で、ほぼ壊滅に近い状態であるだろうことは、リベリア城下街の荒廃の様相や、騎士や兵士の姿を全く目にしなかったことで窺い知ることができた。

 そんな中で、突如として現れたリベリア公国の騎士であるヨシュアに対して、ビアンカは疑問と――、違和感を覚えた。

 ビアンカの虚無を感じさせる表情の中に疑問の色を見出みいだしたヨシュアは、いつもの気さくな騎士の青年とは違う、いとわしい印象を与える笑みを見せる。

 笑みを浮かべていたヨシュアは、不意に自らのかたわらに立つ男に目を向けた。

 ヨシュアが目を向けた相手。その人物は、ビアンカにも――見覚えのある男であった。

 ビアンカとハルがファーニの丘から急ぎ戻ってきた際、リベリア公国の城門前で“リベリア解放軍”の弓持ちたちを指揮していた男――。
 その男が、ヨシュアの隣で焦燥を浮かべた青白い顔色で立ち尽くしていた。

「ねえ。私が……、嘘の報告が嫌いだって――、知っているよね?」

 ヨシュアは静かだが、どこか冷たさを感じさせる声音で――、男に問いかける。

「ヨ、ヨシュア様……っ!! 私は確かにこの目であの娘の背に矢が刺さる現場を目撃しました……っ!!」

「――それじゃあ、目の前にいる女の子は、誰かな?」

 男の弁解の言葉に対してヨシュアは――、ビアンカの知る気さくな騎士であった青年とは違う、冷徹さを感じさせる冷ややかな眼差しを見せて問いかける。

 ヨシュアの問いに――、男はそれ以上の弁解の言葉を口に出せずにいた。
 どのように言い訳をしようとも――、今、目の前に矢で背を射かれたはずのビアンカが存在しているからである。

 ヨシュアは口ごもってしまった男に対し、呆れの色を滲ませる深い溜息を吐き出す。

 そうして、ヨシュアは腰にたずさえていた剣を鞘から抜くと――、一切の躊躇ためらいなく、男の胸元に剣を突き刺した。

「が――っ!!」

 唐突に胸を貫かれた男が、目を大きく見開き短く苦悶の声を零す。
 男の口から声が上がったのと同時に、ヨシュアは男に突き刺した剣を引き抜いた。

「ヨ……、ヨシュア、様……」

 男は貫かれたことで鮮血が溢れ出す胸元を手で押さえ、信じられない――と言った様子でふらつきながらヨシュアに目を向ける。

 ヨシュアは、そんな男の言葉など意に介さないかのように、男の血で汚れた剣を振るい血を払い落としていた。

「――私は、使えない人間は嫌いでね。自業自得だと思うと良いよ」

「そ、んな……」

 ヨシュアからの冷酷な宣告を受け――、男は倒れ伏した。
 男から止めどなく溢れ出していく鮮血が、ウェーバー邸の中庭を汚していく――。

 その様を傍目はために見ながらヨシュアは――、哀れみに満ちた眼差しでビアンカを見やる。

「矢に射られたのは、ハル君の方だったみたいですね。――ご愁傷様」

 ヨシュアの今までの言動を目にしても、なおビアンカは何も感じることはなかった。
 ただ、ビアンカの心の中にあるのは虚無と――仄暗く深い闇だけであり、その闇を湛えた虚ろとも言える瞳でヨシュアを見つめていた。

 そんなビアンカの姿を見て、ヨシュアはビアンカが絶望を感じていると思ったようで――、口角を上げる笑みを見せ、抜身の剣の切っ先をビアンカに差し向ける。

「すぐにミハイル将軍とハル君の所へ送って差し上げますから――、そんな顔をしないでくださいよ」

「――“リベリア解放軍”を率いていた本当の統率者は……、あなただったのね。ヨシュア……」

 今まで無言のままでいたビアンカは、漸く小さくではあるが口を開いた。

「ええ、そうですよ。……意外でした?」

 ビアンカからの問いかけに、ヨシュアはあざ笑うような笑みを浮かべる。

「ウェーバー邸に出入りの許可を頂いていたホムラを使い、ビアンカ様を誘拐させたり――、私が“リベリア解放軍”を率いていたことを隠すのには苦労しましたねえ」

 ヨシュアは言うと――くつくつと肩を震わせ、可笑しそうに笑う。

「でも、まさか――、あのハル君がたった一人でビアンカ様を助けてしまうとは……、流石の私も思っていませんでしたよ。どこか影のある不思議な少年だとは思っていましたけどね」

 かつて、ウェーバー邸で剣術鍛錬をハルと行ったことをヨシュアは思い返す。

(あの殺気すら覚える気迫――、あれは本当に不思議な感覚だった……)

 剣術鍛錬の際にハルが一瞬だけヨシュアに見せた、人を殺めることすらいとわない――、殺意にも似た気配。
 それは――、ヨシュアにとって、ハルという存在を色濃く印象付けるものとなっていたのだった。

「まあ――、お陰で時間稼ぎもできて、“リベリア解放軍”の計画書や資料を早々に隠蔽いんぺいすることもできたので……。ある意味でハル君には感謝、ですかね」


 ビアンカ誘拐事件が起きた際――、リベリア公国の将軍であるミハイルと共に、ヨシュアも国に戻って来ていた。

 ヨシュアの計画であれば――、ミハイルがホムラたち末端の一部が根城としていた坑道内の洞穴に辿り着くより前に、今後の“リベリア解放軍”の動向について記された資料は、ホムラが目を通した後に処分される手筈になっていた。

 だが――、ヨシュアの知らぬところで、彼の予期せぬ誤算が生じていたのだった。

 ミハイルが“リベリア解放軍”の動きを察知し――、西の砦に向かう道中の街で待機をし、斥候せっこうからの連絡を幾日か待つことまでは計画通りであった。
 しかし、斥候せっこうより先に現れたのは、ウェーバー邸に馬屋番として仕えている青年――ディーレであり、ディーレはミハイルにビアンカが誘拐されたことを伝えた。

 その出来事により、ヨシュアが思案していた計画よりも早く、ミハイルが動くこととなり――、ミハイルとヨシュアは急遽リベリア公国に戻ることとなってしまった。

 その後、リベリア公国付近にまで戻ったミハイルは、ヨシュアに対してリベリア公国へ戻り、小隊を組み“リベリア解放軍”を掃討するための指示を言い渡す。
 そして、ミハイル本人はホムラからの手紙――脅迫状の要求通り、重鎧じゅうがいを脱ぎ、剣の携持けいじもせず、リベリア公国に立ち寄らずにホムラから指定を受けた地へと先駆けて向かって行ってしまったのだった。

 ヨシュアは――、その時、顔には出さなかったものの、内心焦りを感じていた。
 計画の日数より早すぎる行動から、恐らくまだホムラに手渡していた資料のたぐいが処分されずに残っているであろうと――、そう思ったためである。

 だがしかし、そのヨシュアの焦燥も、杞憂きゆうに終わる結果となった――。

 ビアンカが誘拐されたことを、誰よりも早く知ったハルが――、ホムラを含めた“リベリア解放軍”の末端たちを壊滅させた。
 そのことにより、ミハイルはホムラたちが根城にしていた坑道内に入ることなく、ビアンカの奪還を果たし、リベリア公国に戻ってきたからである。

 ホムラたちが根城としていた坑道の調査を行うまで時間の猶予ができたヨシュアは、他の“リベリア解放軍”の同胞に指示をし――、ホムラたちが残したままにしてしまった計画書などの資料を処分させることに成功していたのだ。

 更にヨシュアにとって幸運だったこと――。
 それは、ビアンカ誘拐事件の折――、リベリア公国の将軍という立場に立つミハイルが、リベリア国王の任に逆らい独断行動を取ったことにより、ミハイル直属の部下であるヨシュアとレオンの二人と別行動を取らせられる罰を与えられたことだった。

 これにより、ヨシュアはリベリア公国に常駐することが増え――、反対にミハイルは遠征の任でリベリア公国を不在にすることが多くなった。

 そのことが――、“リベリア解放軍”の動きを加速化させ、リベリア公国を襲撃して荒廃させる結末を呼び込んだのであった。


「お陰で“リベリア解放軍”の動きは悟られることなく――、無事に私たちはリベリア国王を含め、王政派の者たちを潰すことができました」

 ヨシュアは手にした剣の切っ先をビアンカに向けたまま、語る。

「――本当、ハル君には助けられました」

 そうヨシュアは言うと、今までのいとわしい雰囲気の笑みとは違う――、ビアンカの知る気さくな青年の笑顔を見せた。

(まるで、ハルがいたからリベリア公国を壊滅させることができた――、みたいな言い方をするのね……)

 ビアンカはヨシュアの語る言葉を聞き、その内容に心中で引っかかりと共に――、静かな怒りの感情を徐々に抱き始めていた――。
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