上 下
61 / 92
第十二章【鎮魂歌】

第六十一節 リベリア公国

しおりを挟む
 ビアンカはオルフェーヴル号を駆り、リベリア公国のある方角へと向かっていた。

 土が剥き出しの状態であった街道は、いつしか石畳に変わり――、オルフェーヴル号の馬蹄ばていが石畳を叩く乾いた音を響かせ、ビアンカの目指しているリベリア公国が近いことを指し示す――。

(――もうすぐ、リベリア公国が見えてくる……)

 段々とビアンカの目に、遠く見えてくるリベリア公国――。

 ビアンカの故郷である国は“リベリア解放軍”の襲撃を受け、幾日かの日が経っているにも関わらず、未だに黒煙をぶらせていた。

 遠目から見えるリベリア公国の様子を見て、ビアンカは眉を寄せる。

 ――やっぱり……、夢とかでは、なかったのよね……。

 何かの間違えであったのではないか――と、儚い希望をビアンカは胸に抱いていた。
 だが――、今、目に見えるリベリア公国の様子は、確かに現実であり夢ではなかった。

 そのことを実感し――、ビアンカは唇を噛む。

(――あまりオルフェーヴル号に乗って、近づきすぎるのも良くないかな……)

 はたと、ビアンカは思い至る。

 このままオルフェーヴル号に乗りリベリア公国に近づきすぎてしまうと、“リベリア解放軍”の面々に勘付かれる可能性を――、ビアンカは聡く察する。

「オルフェーヴル号、ごめんね。また……、どこか近場で待機していて」

 ビアンカの語り掛けに、オルフェーヴル号は鼻を鳴らし返事をする。
 そんな風にビアンカの言葉を解するよう返事をしてきたオルフェーヴル号を、ビアンカは優しく撫でてやった。


 リベリア公国が間近まで迫ってきた時――、ビアンカはオルフェーヴル号の足を止めさせる。
 そうして、オルフェーヴル号の手綱を引き、樹々の茂みに入り込み、オルフェーヴル号の手綱を手頃な太さのある木にくくりつけた。

「――ここで良い子にして、待っていてね」

 ビアンカはオルフェーヴル号に優しく声を掛けると、外套がいとうの中に自らの長い亜麻色の髪を引き入れ――、フードを頭に被るのだった。


   ◇◇◇


 ビアンカは――、ハルの着ていた外套がいとうのフードを目深まぶかに被り、リベリア公国に足を踏み入れていた。

 ビアンカの特徴とも言える長い亜麻色の髪は外套がいとうのフードで隠され、翡翠色の瞳もフードを目深まぶかに被っていることにより見えないため――、その姿から、彼女がビアンカだと気付く者はいない。

 寧ろ、リベリア公国が荒廃している今の時期に旅人が訪れることが珍しい――、という奇異の目を、真っ黒な外套がいとうを身にまとったビアンカに向ける者が殆どであった。


(――これが……、リベリア公国だなんて。信じられない……)

 ビアンカは、足を踏み入れたリベリア公国の有様を見て、自身の目を疑った。

 美しい街並みが自慢の国――、とさえ言われていたリベリア公国。
 かつて褒め称えられていたビアンカの故郷である国は――、今は荒れ果て、かつての美しかった様相を全く残していなかった。

 こぢんまりとした家々が軒を連ねていた一般国民の暮らしていた地区も、商業地区にも倒壊した建物が見受けられる。

 そして――、通りを歩く人々の様子も、どこか生気が無く、憔悴しきった様子を見せていた。

 辺りには物が焼け焦げた後の匂いが漂い、その中に微かな血の匂いと――、何かが腐敗した匂いも混じる。

 ビアンカとハルが“リベリア解放軍”に強襲された際、城門越しに見えた騎士や兵士の亡骸を思い返すに――、リベリア公国の騎士団と“リベリア解放軍”が大きく争ったことを、城下街の様相が雄弁に物語っていたのだった。

 争いで命を落としたであろうリベリア公国の騎士や兵士、“リベリア解放軍”の反王政派の亡骸は、目に見える場所には一切見られなかった。
 恐らくは――、一応、という形で埋葬されたか、どこか一か所に集められ何らかの方法で後始末がされているのだろう――、とビアンカは思う。

 ――でも、この何かが腐ったような匂いは何なんだろう……。

 鼻につく、鼻腔の奥を濃く深く刺激するような腐敗臭――。
 城下街を――、特に荒廃の激しい高級住宅街にある自身の生家――、ウェーバー邸へ視線を向けながら、ビアンカはそれに疑問を感じつつ眉をひそめていた。

(お家の様子を見に行くより……、リベリア王城に行った方が、お父様に会えるかも知れないわよね……)

 ウェーバー邸のある高級住宅街に視線を向けつつ、ビアンカは考える。

 勿論、ウェーバー邸に仕えていた使用人たちのことは心配であった。
 しかしながら、今は何よりも自身の父親――ミハイルの安否が、ビアンカにとって気掛かりだった。

 ビアンカがハルと共にファーニの丘に出かける際、リベリア公国の将軍であるミハイルは、いつものようにリベリア国王より言い渡された命令によって国境付近の砦への遠征で不在であった。
 しかし、リベリア公国が“リベリア解放軍”に襲撃されたと知らせを受ければ――、国の将軍であるミハイルは、急ぎ遠征地より戻って来ているはずである――。

 そう思い――、ビアンカはリベリア王城の方へと足を向けるのだった。


 リベリア王城まで向かう道すがら、城下街の中央広場を通る必要があった。

 リベリア王城を背にして存在する中央広場――。
 中央広場の真ん中には大きな噴水があり、噴水から噴き出している水が、水飛沫の音を荒廃した故の静寂が包む辺りに響き渡る。

 ビアンカの知る中央広場の噴水は、絶えず濾過ろかされた澄んだ水が噴き出している。そんな美しい印象を感じさせるものであった。

 だがしかし――。

 ビアンカは自らの目に映る光景に、言葉を失っていた。

(――何、これ……)

 ビアンカの目にした中央広場の噴水――。
 美しかったはずの噴水の状況は、ビアンカの知るものと全くの別物となっていた。

 噴水の湛える水は薄茶色く濁り、噴き出す水も濾過ろかされきれず同じ色をようしていた。水は――、強烈な腐った匂いを周囲に漂わせている。

 そして、噴水の水の吹き出し口でもある支柱には――、一人のの遺骸がくくりつけられ、水に晒されていたのだった。

 ビアンカが、噴水に無慈悲にくくられる晒された遺骸を――、と思ったのには理由があった。
 その晒されている遺骸には――、のだ。

「おう、坊主。死体が珍しいのかあ?」

 噴水の事様ことざまを動けず見つめていたビアンカに――、下卑げびた笑いを含ませながら、酒臭い息を吐き出す男がふらふらとした足取りで近づいて来た。

 男から『坊主』――、と呼ばれたのは、ハルが着ていた男物の外套がいとうを身にまとい、フードを目深まぶかに被っていたためか。
 幸いにも男には、ビアンカが少年に見えたようだった。

「あそこに吊り下げられている首のない死体は、この国の将軍だったミハイル・ウェーバーの娘っ子だ」

 近づいて来た男に目もくれなかったビアンカは、その言葉にピクリと反応する。

「名前は……、確か、“ビアンカ・ウェーバー”だったかなあ……?」

 男はどこかワザとらしく、こめかみに指を当て、思い出すような仕草を見せつつ言う。

「俺も前にチラッと見たことがあるけど、結構可愛い娘っ子だったな。それをさあ、首をねて殺しちまうとか。勿体ないことするよなあ」

 男は言いながらゲラゲラと下品に大笑いをし出す。

 ――この男は、何がそんなにおかしいんだろう……?

 ビアンカは男の話す内容を聞き、徐々に冷え切っていく心で静かに思う。

(そもそも……、“ビアンカ・ウェーバー”は、私じゃないの――?)

 ビアンカの心の中で湧きだす疑問――。

 ということは、噴水の中に吊るされ、無残に晒されている首の無い遺骸の正体は、見ず知らずの――、ビアンカと同じ年頃の少女のものである。
 そう考えると――、そんな見ず知らずの少女を殺め、このように晒す仕打ちにビアンカは怒りを感じずにはいられなかった。

(――左手が……、何だかうずくな……)

 強い怒りの感情――。
 それに伴い、左手の甲に赤黒い痣として刻まれる“喰神くいがみの烙印”が、歓喜に打ち震える感覚――。

 それらを胸の内で抱いた瞬間に、ビアンカは男の方へ身体を向け――、無意識の内に男の腕に、自身の左手を添えていた。

「――死に至る呪いを……。永遠の苦しみを……、あなたに与えてあげる……」

 深い闇の影を湛えた翡翠色の瞳を冷たく男に向け――、ビアンカは静かに呪いの言葉を囁いていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

【完結】お父様に愛されなかった私を叔父様が連れ出してくれました。~お母様からお父様への最後のラブレター~

山葵
恋愛
「エリミヤ。私の所に来るかい?」 母の弟であるバンス子爵の言葉に私は泣きながら頷いた。 愛人宅に住み屋敷に帰らない父。 生前母は、そんな父と結婚出来て幸せだったと言った。 私には母の言葉が理解出来なかった。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)

青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。 ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。 さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。 青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。

(完結)私の夫は死にました(全3話)

青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。 私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。 ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・ R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】では、なぜ貴方も生きているのですか?

月白ヤトヒコ
恋愛
父から呼び出された。 ああ、いや。父、と呼ぶと憎しみの籠る眼差しで、「彼女の命を奪ったお前に父などと呼ばれる謂われは無い。穢らわしい」と言われるので、わたしは彼のことを『侯爵様』と呼ぶべき相手か。 「……貴様の婚約が決まった。彼女の命を奪ったお前が幸せになることなど絶対に赦されることではないが、家の為だ。憎いお前が幸せになることは赦せんが、結婚して後継ぎを作れ」 単刀直入な言葉と共に、釣り書きが放り投げられた。 「婚約はお断り致します。というか、婚約はできません。わたしは、母の命を奪って生を受けた罪深い存在ですので。教会へ入り、祈りを捧げようと思います。わたしはこの家を継ぐつもりはありませんので、養子を迎え、その子へこの家を継がせてください」 「貴様、自分がなにを言っているのか判っているのかっ!? このわたしが、罪深い貴様にこの家を継がせてやると言っているんだぞっ!? 有難く思えっ!!」 「いえ、わたしは自分の罪深さを自覚しておりますので。このようなわたしが、家を継ぐなど赦されないことです。常々侯爵様が仰っているではありませんか。『生かしておいているだけで有難いと思え。この罪人め』と。なので、罪人であるわたしは自分の罪を償い、母の冥福を祈る為、教会に参ります」 という感じの重めでダークな話。 設定はふわっと。 人によっては胸くそ。

処理中です...