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第十二章【鎮魂歌】

第五十九節 弔いの歌声

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 草木が生い茂り、一本の若い樹木が存在する池の畔――。
 その場所で――、亜麻色の長い髪を柔らかな優しい春風になびかせ、少女――ビアンカが唄を口ずさんでいた。

「――永遠の安息を、彼の人に与えたもう。我が信仰するあるじよ……」

 ビアンカの歌う唄は――、リベリア公国で葬儀の際に唄われる鎮魂歌レクイエムだった。

「決して絶えることのない光が……、彼に輝き、届きますように……」

 酷く悲しげな声音で紡がれるビアンカの唄――。
 それは――、ハルへの弔いの歌であった。


 ビアンカは――、泣き腫らし赤くなった目元を気にすることなく、幾日も眠らず――その場から動こうとしなかった。

 ハルの死を眼前にした悲しみから憔悴しょうすいしきった様子を見せ、樹木に寄り掛かったままでいるハルの亡骸の傍らに寄り添い――、ハルのために鎮魂歌レクイエムを唄っていたのだった。

 ハルの亡骸は、不老不死の呪いを宿していた影響故なのか、幾日経っても傷むことなく――まるで、ただ眠っているだけなのではないのかと、ビアンカに錯覚させるほどであった。

 それほどまでに、ハルは穏やかな死に顔を見せていた――。

(――その内、「おはよう」って言って起き出すんじゃないかな……)

 ビアンカは鎮魂歌レクイエムを口ずさみながら、心の片隅で淡い期待を抱く。
 だが、幾日そうして時間が経とうとも、ハルが再び目を覚ますことはなかった。

 いつしか、ビアンカの中に、“諦め”の感情が芽生え始めていた――。
 しかし――、諦めきれない思いもあり、ただハルのために歌を唄って過ごす――。

 数日――、そのようにして、ハルの傍らから離れようとしなかったビアンカ。

(――このまま、ここでこうしているわけにもいかない……)

 ビアンカは、心の中ではわかってはいた。

 かといって、物言わぬ亡骸となってしまったハルを置いていくこともできず――、ビアンカの力だけでは埋葬してやることもできず――。
 ハルのためにと何もすることができずに――、ビアンカは半ば途方に暮れていた。


 新たな“喰神くいがみの烙印”の呪いを継承する者となったビアンカは――、寝食を全く摂らずとも、何も感じない身体へと変化していることを自覚していた。

(お腹が空かないのは――、ハルの魂を喰らったせい……?)

 ビアンカは、ハルが言っていた言葉を思い出す。

 ――『この呪いは――、宿主の近しい者に不幸を撒き散らし死に至らしめ、その魂を喰らいながら自らの糧とし、不老不死になって生き永らえるものだ』

 身近な人々に不幸を呼び込み死に至らしめ――、その魂を喰らい自らの糧とする。
 それは意味を言い換えると、誰かの魂を喰らうことで己の命の源とする。そのような呪いなのだろう――と、ビアンカは思いを馳せる。

 ハルが“喰神くいがみの烙印”の継承で自らの魂を呪いに差し出したため、“喰神くいがみの烙印”の呪いの真の力について――、ハルから詳しく聞く時間はなかった。
 それ故に――、全てはビアンカの憶測にすぎないものではあった。

 だけれども――、ビアンカが一つ、行きついた答えがあった。

(今まで、御伽噺おとぎばなしでも聞いたことのないような……、不思議で――、恐ろしい力……)
 
 ビアンカは考えつつ――、自らの左手の甲に刻まれる赤黒い痣。“喰神くいがみの烙印”へ、左手を掲げて目を向ける。

「こんな恐ろしいものを背負って――、かたくなに隠して、ハルは今まで生き続けていたのね……」

 死神が鎌を抱えているような――、禍々しさを印象付ける紋様をかたどった“喰神くいがみの烙印”を見つつ、ビアンカはハルに語り掛けるように言う。

「――こんなものを……、六百年以上もの永い時を持って、か……」

 ハルは、この“喰神くいがみの烙印”の呪いと共に、『六百年以上の長い時を生き永らえている』――と、以前ビアンカに言っていた。

(――私は……、そんなに永い時を、たった一人で生き続けられるの……?)

 身近な者の命を奪いながら生き続ける。
 そんな所業を行いながらでは、恐らく――、通常の精神を持つ人間であれば、六百年以上もの時を生き続けることは不可能であろう――と、ビアンカは思う。

 親しい者を死に至らしめ、己の命の糧とすること――。
 そんなことを繰り返していては、良くて百年、下手をすれば百年以内に――、不老不死の身体は生き続けられても、だろうと、聡いビアンカは察していた。

「ハルは……、永い時を生き続けても、やりたいことがあったのね……」

 ビアンカはポツリと独り言ちる。

 ――いったい、は何だったんだろう……。

 ハルを六百年以上にも渡り、強い意志を持って突き動かしてきたの理由。
 その理由は――、ビアンカには到底考えが及ばなかった。

 ビアンカは、様々な憶測の考えを巡らせながら、こうべを落とす。

「ねえ、ハル……。私は――、どうしたら良いんだろう……」

 ビアンカには――、ハルのように自らを突き動かす理由が存在しなかった。
 それ故に、ビアンカの口から零れ落ちる疑問の言葉――。

 何をしたらいいのか――。
 何をするべきなのか――。

 唐突に自らの身に与えられた、不老不死になるという呪いの力――。

 それを持ってして、ビアンカは自分が何をすれば良いのかが、わからなかった。

(――私には、ハルみたいな……、何かをしなければいけないという理由がないよ……)

 今までビアンカが生きてきた中で――、彼女は父親であるミハイルや、大人たちに言いつけられたことのみ、従順に行ってきていた。
 “決められた道を歩む”――、それがビアンカにとって当たり前のことだった。

 そこにビアンカの自分で決めるという意思は――、ほぼ存在しなかった。
 それらを思い、ビアンカはこうべを垂れたまま、深い溜息を吐き出す。

 だが――、次の瞬間に、ビアンカは弾かれたかのように頭を上げた。

「――馬の足音……」

 ビアンカは、その耳に馬蹄ばていの音を聞いていた――。

(――まだ距離はありそうだけど……、誰かが来る……っ!)

 もしかしたら“リベリア解放軍”の追手が来たのかも知れない――と、ビアンカは心中で考える。

 ビアンカの得意としている武器の棍は――、リベリア公国で“リベリア解放軍”に強襲を受けた際、その場に取り落として来てしまっていた。
 そのため、ハルがたずえていた短剣を手に持ち、その場を静かに立ち上がる――。

(もし……、追手だったとしたら……、私は戦える……?)

 ビアンカは――、人を殺めた経験など持たない。
 剣術の鍛錬を受けていたとは言え、殺傷力を持つ本物の武器を手に戦うことは初めてだった。

 だがしかし――、ビアンカは気丈に、震える手を抑え――短剣を手にし、向かって来る馬の足音に意識を集中させるのだった。
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