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第二章【平穏な日常】
第十四節 メイドたちの噂話
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最近になりウェーバー邸に仕えるようになった新人メイド――リスタは、綺麗に手洗いをされたシーツやテーブルクロス用のリネンの入った洗濯籠を抱え、裏庭にある物干し場に足を運んでいた。
その日は雲も少なく、太陽の光が降り注ぎ、爽やかな風が吹き抜ける心地の良い陽気だった。
これなら洗濯物も早い内に乾くだろう――、とリスタは眩しい青い空を見上げ思う。
重たい洗濯籠を抱えてリスタが物干し場に行くと、フッと屋敷の影に誰かが座り込んでいることに気が付いた。
そちらに目を向けると――、赤茶色の髪と目をした少年が、屋敷の壁を背凭れ代わりに座り込み、本を読んでいたのだった。
(あの子は……、確か、ハルさんだったかな?)
まだウェーバー邸に仕え始めて日が浅いリスタは、少年――ハルの姿を目にして、彼の名前を思い返す。
初めてウェーバー邸に仕えることになり、屋敷の者たちを紹介された日――。
その時に、リスタはハルのことをウェーバー邸の主であるミハイルの息子で、その娘であるビアンカと兄妹なのかと思っていた。
だが、先輩メイドたちからの話によると、それが違うということをリスタは知った。
ハルは四年ほど前にリベリア公国の将軍であるミハイルが、遠征先である国境付近の砦から連れて帰ってきたという経緯を持つのだと――。
そして、それ以来、ウェーバー家の令嬢であるビアンカの“お目付け役兼護衛”を任されている――、ということを聞かされた。
何故、そんなハルがこのような屋敷の影で本を読んでいるのだろうとリスタは一瞬考え、あることに気が付く。
ハルの座っている場所は――、ちょうど屋敷の二階にあるビアンカの部屋の窓の真下。
そして――、ビアンカは現在、家庭教師が屋敷に訪れているために自室で勉学に勤しんでいる。
つまりハルは、ビアンカの勉学の時間が終わるまで、ビアンカの部屋の近くで本を読んで暇を潰しているというわけだった。
(本当、仲の良いお二人なのね)
リスタはそんな様子に微笑ましい気持ちになる。
「さて、と。お洗濯物、干しちゃわないとね」
微笑ましい様子を傍目にして、リスタは物干し場で洗濯物を干し始めるのだった。
◇◇◇
「ハルさんが“盾持ち”をするために連れて来られたってことは、将来的に騎士の立場に立つわけですよね?」
午前の雑務や昼食の準備と奉公の仕事を終え、少し遅いメイドたちの休憩時間――。
その最中でフッとリスタは疑問に思っていたことを、先輩メイド――アメルとエミリアに聞いた。
ハルは、本来であれば将来――、リベリア公国の将軍であるミハイルの盾持ちの任を担うため、この国に連れて来られていた。
だが、ウェーバー邸を訪れた当初にハルがミハイルから与えられた任務――ビアンカのお目付け役兼護衛という役割を思いの外上手くこなしており、ビアンカもハルに良く懐いて仲良くやっていた。
なので、ミハイルはビアンカを寂しがらせないようにと、正式に彼を盾持ちとして遠征に連れ出すのを保留にしていたのだった。
「そうね。本当なら盾持ちは騎士の家系のご子息が行うものだけれど……、ハル君の場合はミハイル様の口利きで騎士になれる可能性はあるわね」
アメルが奉公で余った茶菓子を口にしながら、リスタの疑問に答える。
“盾持ち”とは、本来は騎士の家系に生まれた男児が就く、騎士となるための前段階となる職務だった。
その職務は正式には“従騎士”と呼ばれるものである――。
それは、一人の騎士を主人として仰ぎ――、その主人の身の回りの世話などを行うことを生業としていた。
時には甲冑の運搬や武器の修理などの雑務、戦の際には主人に甲冑を着せることまでをたった一人で執り行うのだ。
そして、盾持ちである従騎士の任を何年か続けた後に――、漸く一人前の騎士として認められ、正式に叙階を受ける。
ハルは元々、身寄りのない孤児である。
だが――、将軍であるミハイルが自分自身の盾持ちをさせるために直々に連れてきたハルは、孤児という異端の出自ではあるものの――、ミハイルの口利きで騎士として叙階を受ける可能性を大いに持っていた。
「――と、言うことは。騎士に就任したら、将来はウェーバー家の婿養子としてビアンカお嬢様とご婚姻……、とかになるんですかね?」
「滅多なことを口にするものではありませんよ、リスタ――」
リスタが新たな疑問を口にすると、そこで今まで席を外していたメイド長――エマが家政婦室に戻り、リスタを咎めた。
「メ、メイド長っ!」
エマはリスタを視線で見咎めると、空いている席に腰掛ける。
「確かにハル君は人として良くできた子だとは私も思います。ビアンカお嬢様も彼に良く懐いてはいますけれど……」
そこでエマは一度言葉を区切り――、一巡考える様子を見せた。
「ウェーバー家の跡取りとして、いくら騎士に就任したとはいえ――、元孤児が籍を入れるということは普通に考えてないでしょうね……」
エマはぽつりと呟く――。
「――実際のところは、ミハイル様の部下であるヨシュア様やレオン様辺りが婚約者として選ばれるのが妥当でしょう……」
エマの言葉の通り、孤児であったハルが例え騎士に就任したとしても、良家の婿養子として籍を入れるということは他に前例がないものであった。
その反対に、ミハイルの直属の部下であるヨシュアとレオンは正当な騎士の家系出身なため――、この二人のどちらかがビアンカの婚約者となることが確実と、ウェーバー邸に仕える者たちの間で噂されていた。
「まあ……、ミハイル様が何をお考えかは、下々の私たちにはわかりませんけどね」
もしかしたら――、そんな考えをエマも持っていた。
それ故にリスタの言葉を咎めつつも、エマは何かを思う様子を見せていた。
「あれだけビアンカお嬢様と仲良くされているなら、私はハル君が時期ウェーバー家当主でも良いと思いますけどねえ」
「私も思います。ハル君が来てからビアンカお嬢様の悪戯もなくなって平和になりましたし。何よりハル君はビアンカお嬢様を諫めるのがお上手なんですもの」
ハルがウェーバー邸に訪れるよりも以前より、ウェーバー邸に仕えていたアメルとエミリアが口を揃えて言う。
アメルとエミリアは、過去に――幼いビアンカの行った悪戯の被害者たちだった。
当時の悪戯盛りだったビアンカは、干したばかりのシーツなどを物干し台から引っ剥がし泥だらけにしたり、時にはメイドたちの寝室のベッドに虫やカエルを仕込んだりと、相当な悪戯をしていた。
その数多くの悪戯は、ウェーバー邸に仕える者たちの手を焼かせていた。
しかし、仕える主の娘という立場にいるビアンカに対して厳しく諫めることもできず、使用人たちは困り果てていた。
そんな折にウェーバー邸に訪れたのがハルであり――、ハルがビアンカの“友達”として接するようになってから、ビアンカが使用人たちに悪戯を行うことがなくなったのだった。
「確かに……、ハル君が来てから、ビアンカお嬢様はハル君にべったりですものね」
普段のハルとビアンカのやり取りを思い返し、エマは微笑ましげに口元を緩める。
「私、ここに仕え始めた最初の頃は、本当に仲の良い兄妹だなって勘違いしていましたもの」
「あー……、そう見えなくもないわねえ」
リスタの言葉に、アメルとエミリアも笑う。
「ハル君がこの屋敷に来てから四年目。あっという間でしたね……」
エマは静かに言葉を零す。
「この四年間、リベリア公国は何とか平和でしたけど。最近はミハイル様が不在なことも多いですし……」
エマが続けざまに言葉にするそれは――、今のリベリア公国の不安定な状態を暗喩していた。
リベリア公国の将軍であるミハイルが自身の屋敷を留守にすることが多いということは、隣国であるカーナ騎士皇国との戦争が間近に迫ってきていることを、ウェーバー邸に仕える者たちに推知させていた。
この四年間――、リベリア公国とカーナ騎士皇国は、互いの国境付近で牽制を取り合うだけで、大きな諍いを起こさずに均衡を保ってきていた。
だが、何か一つでもバランスが崩れれば、大きな戦乱が訪れるだろう。
「もし――カーナ騎士皇国との戦争となったら……、ハル君はミハイル様と共に戦地へと赴かなければいけなくなるでしょう」
エマの言葉に、メイドたちは口を噤む。
戦地へ赴くことになれば――、生きて帰って来られる保証はない。
ミハイルもハルも、多くの騎士たちも帰って来られないかも知れない――。
万が一、戦争が敗戦となれば――、リベリア公国も無事では済まないだろう。
きっと多くのリベリア国民が命を落とすこととなる。
それは――、ウェーバー邸に仕えている者たちの命の危険をも比喩していた。
先々の不安な要素を抱え、今まで和やかな雰囲気だった家政婦室には、重苦しい空気が漂い始めていた。
その日は雲も少なく、太陽の光が降り注ぎ、爽やかな風が吹き抜ける心地の良い陽気だった。
これなら洗濯物も早い内に乾くだろう――、とリスタは眩しい青い空を見上げ思う。
重たい洗濯籠を抱えてリスタが物干し場に行くと、フッと屋敷の影に誰かが座り込んでいることに気が付いた。
そちらに目を向けると――、赤茶色の髪と目をした少年が、屋敷の壁を背凭れ代わりに座り込み、本を読んでいたのだった。
(あの子は……、確か、ハルさんだったかな?)
まだウェーバー邸に仕え始めて日が浅いリスタは、少年――ハルの姿を目にして、彼の名前を思い返す。
初めてウェーバー邸に仕えることになり、屋敷の者たちを紹介された日――。
その時に、リスタはハルのことをウェーバー邸の主であるミハイルの息子で、その娘であるビアンカと兄妹なのかと思っていた。
だが、先輩メイドたちからの話によると、それが違うということをリスタは知った。
ハルは四年ほど前にリベリア公国の将軍であるミハイルが、遠征先である国境付近の砦から連れて帰ってきたという経緯を持つのだと――。
そして、それ以来、ウェーバー家の令嬢であるビアンカの“お目付け役兼護衛”を任されている――、ということを聞かされた。
何故、そんなハルがこのような屋敷の影で本を読んでいるのだろうとリスタは一瞬考え、あることに気が付く。
ハルの座っている場所は――、ちょうど屋敷の二階にあるビアンカの部屋の窓の真下。
そして――、ビアンカは現在、家庭教師が屋敷に訪れているために自室で勉学に勤しんでいる。
つまりハルは、ビアンカの勉学の時間が終わるまで、ビアンカの部屋の近くで本を読んで暇を潰しているというわけだった。
(本当、仲の良いお二人なのね)
リスタはそんな様子に微笑ましい気持ちになる。
「さて、と。お洗濯物、干しちゃわないとね」
微笑ましい様子を傍目にして、リスタは物干し場で洗濯物を干し始めるのだった。
◇◇◇
「ハルさんが“盾持ち”をするために連れて来られたってことは、将来的に騎士の立場に立つわけですよね?」
午前の雑務や昼食の準備と奉公の仕事を終え、少し遅いメイドたちの休憩時間――。
その最中でフッとリスタは疑問に思っていたことを、先輩メイド――アメルとエミリアに聞いた。
ハルは、本来であれば将来――、リベリア公国の将軍であるミハイルの盾持ちの任を担うため、この国に連れて来られていた。
だが、ウェーバー邸を訪れた当初にハルがミハイルから与えられた任務――ビアンカのお目付け役兼護衛という役割を思いの外上手くこなしており、ビアンカもハルに良く懐いて仲良くやっていた。
なので、ミハイルはビアンカを寂しがらせないようにと、正式に彼を盾持ちとして遠征に連れ出すのを保留にしていたのだった。
「そうね。本当なら盾持ちは騎士の家系のご子息が行うものだけれど……、ハル君の場合はミハイル様の口利きで騎士になれる可能性はあるわね」
アメルが奉公で余った茶菓子を口にしながら、リスタの疑問に答える。
“盾持ち”とは、本来は騎士の家系に生まれた男児が就く、騎士となるための前段階となる職務だった。
その職務は正式には“従騎士”と呼ばれるものである――。
それは、一人の騎士を主人として仰ぎ――、その主人の身の回りの世話などを行うことを生業としていた。
時には甲冑の運搬や武器の修理などの雑務、戦の際には主人に甲冑を着せることまでをたった一人で執り行うのだ。
そして、盾持ちである従騎士の任を何年か続けた後に――、漸く一人前の騎士として認められ、正式に叙階を受ける。
ハルは元々、身寄りのない孤児である。
だが――、将軍であるミハイルが自分自身の盾持ちをさせるために直々に連れてきたハルは、孤児という異端の出自ではあるものの――、ミハイルの口利きで騎士として叙階を受ける可能性を大いに持っていた。
「――と、言うことは。騎士に就任したら、将来はウェーバー家の婿養子としてビアンカお嬢様とご婚姻……、とかになるんですかね?」
「滅多なことを口にするものではありませんよ、リスタ――」
リスタが新たな疑問を口にすると、そこで今まで席を外していたメイド長――エマが家政婦室に戻り、リスタを咎めた。
「メ、メイド長っ!」
エマはリスタを視線で見咎めると、空いている席に腰掛ける。
「確かにハル君は人として良くできた子だとは私も思います。ビアンカお嬢様も彼に良く懐いてはいますけれど……」
そこでエマは一度言葉を区切り――、一巡考える様子を見せた。
「ウェーバー家の跡取りとして、いくら騎士に就任したとはいえ――、元孤児が籍を入れるということは普通に考えてないでしょうね……」
エマはぽつりと呟く――。
「――実際のところは、ミハイル様の部下であるヨシュア様やレオン様辺りが婚約者として選ばれるのが妥当でしょう……」
エマの言葉の通り、孤児であったハルが例え騎士に就任したとしても、良家の婿養子として籍を入れるということは他に前例がないものであった。
その反対に、ミハイルの直属の部下であるヨシュアとレオンは正当な騎士の家系出身なため――、この二人のどちらかがビアンカの婚約者となることが確実と、ウェーバー邸に仕える者たちの間で噂されていた。
「まあ……、ミハイル様が何をお考えかは、下々の私たちにはわかりませんけどね」
もしかしたら――、そんな考えをエマも持っていた。
それ故にリスタの言葉を咎めつつも、エマは何かを思う様子を見せていた。
「あれだけビアンカお嬢様と仲良くされているなら、私はハル君が時期ウェーバー家当主でも良いと思いますけどねえ」
「私も思います。ハル君が来てからビアンカお嬢様の悪戯もなくなって平和になりましたし。何よりハル君はビアンカお嬢様を諫めるのがお上手なんですもの」
ハルがウェーバー邸に訪れるよりも以前より、ウェーバー邸に仕えていたアメルとエミリアが口を揃えて言う。
アメルとエミリアは、過去に――幼いビアンカの行った悪戯の被害者たちだった。
当時の悪戯盛りだったビアンカは、干したばかりのシーツなどを物干し台から引っ剥がし泥だらけにしたり、時にはメイドたちの寝室のベッドに虫やカエルを仕込んだりと、相当な悪戯をしていた。
その数多くの悪戯は、ウェーバー邸に仕える者たちの手を焼かせていた。
しかし、仕える主の娘という立場にいるビアンカに対して厳しく諫めることもできず、使用人たちは困り果てていた。
そんな折にウェーバー邸に訪れたのがハルであり――、ハルがビアンカの“友達”として接するようになってから、ビアンカが使用人たちに悪戯を行うことがなくなったのだった。
「確かに……、ハル君が来てから、ビアンカお嬢様はハル君にべったりですものね」
普段のハルとビアンカのやり取りを思い返し、エマは微笑ましげに口元を緩める。
「私、ここに仕え始めた最初の頃は、本当に仲の良い兄妹だなって勘違いしていましたもの」
「あー……、そう見えなくもないわねえ」
リスタの言葉に、アメルとエミリアも笑う。
「ハル君がこの屋敷に来てから四年目。あっという間でしたね……」
エマは静かに言葉を零す。
「この四年間、リベリア公国は何とか平和でしたけど。最近はミハイル様が不在なことも多いですし……」
エマが続けざまに言葉にするそれは――、今のリベリア公国の不安定な状態を暗喩していた。
リベリア公国の将軍であるミハイルが自身の屋敷を留守にすることが多いということは、隣国であるカーナ騎士皇国との戦争が間近に迫ってきていることを、ウェーバー邸に仕える者たちに推知させていた。
この四年間――、リベリア公国とカーナ騎士皇国は、互いの国境付近で牽制を取り合うだけで、大きな諍いを起こさずに均衡を保ってきていた。
だが、何か一つでもバランスが崩れれば、大きな戦乱が訪れるだろう。
「もし――カーナ騎士皇国との戦争となったら……、ハル君はミハイル様と共に戦地へと赴かなければいけなくなるでしょう」
エマの言葉に、メイドたちは口を噤む。
戦地へ赴くことになれば――、生きて帰って来られる保証はない。
ミハイルもハルも、多くの騎士たちも帰って来られないかも知れない――。
万が一、戦争が敗戦となれば――、リベリア公国も無事では済まないだろう。
きっと多くのリベリア国民が命を落とすこととなる。
それは――、ウェーバー邸に仕えている者たちの命の危険をも比喩していた。
先々の不安な要素を抱え、今まで和やかな雰囲気だった家政婦室には、重苦しい空気が漂い始めていた。
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