異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第4章:春、ダンジョン都市にて

第22話:やや腫れ物扱い

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「ギルド長、ホントにあの値段でよかったんですか?」
「お互いに納得したんだから、あれでいいのさ」

 あの値段というのは、一粒で一〇〇〇キールという二〇倍濃縮の下級体力回復薬です。一度下げかけた値段を、ヘザーは引き上げたのです。
 最初に一〇〇〇キールと言ったのはダーシーです。絶対それを超えてはいけないというわけではありませんでしたが、可能ならそれくらいまででという、ギルドが設定した金額でした。これはヘザーの指示です。
 レイが最初にダーシーに渡したのは一〇〇倍の超濃縮タイプでした。あの薬壺には三〇粒ほど入っていました。一本二〇〇キールのポーションと同じ成分の一〇〇倍が入っている錠剤が三〇粒です。六〇万キール。金貨六枚分。どこかに委託するとしても、金貨四枚半ほどの利益になるでしょう。
 ちなみに、ここで主査をしているダーシーの月給は一万キールです。主査は主任の一つ上、主事の二つ上で、管理職になります。管理職ですが、年収が一二万キールとそこまで高くないのは、危険が少ない仕事だからです。冒険者ギルドのほうが三割ほど高いのは、力が必要なのはもちろん、場合によっては剣を持って戦わないといけないからです。
 この薬剤師ギルドには単身者向けの寮があります。冒険者ギルドのように酒場はありませんが、簡単な食事がとれる食堂ならあります。福利厚生もある程度は保証されています。
 ダーシーはごく普通の家の生まれです。ものすごい知識を持った人が同じ領地にいるという話を聞いて、「わー、すごいなあ」と薬剤師ギルドで働きたいと思ったわけですが、それで入れるくらいに頭がよかったのです。ただし、金銭感覚は普通です。だから混乱気味だったのです。

「まあ、絶対に必要な薬じゃないけど、それなりに役立つはずさ。素材の在庫がはけてちょうどよかったじゃないか。あれくらいで欠品にはならないよ」

 ヘザーは「素材を切らしてはいけないからギルドは自分たちで薬を作らない」と言いましたが、普通にやっていれば切らすことはありません。あくまで薬剤師ギルドとしての方針を伝えただけで、実際にそのようなことはありません。少なくともヘザーがギルド長になってからは。

「それなら、あの値段はどういうことですか?」

 ヘザーはレイに、ギルドにある素材の一部を使っていいと言いました。その分だけ値段が抑えられますので、一粒あたり三〇〇キールを少し超える程度の値段にまで下げられたのです。一方でレイは、作業の手間を考えて一粒あたり五〇〇キールあればと言いました。欲しいとは言っていません。それなのに、レイの言葉を聞いたヘザーは、一粒一〇〇〇キールに決めました。
 当初の予定どおりといえばそうなのですが、どうしてわざわざ上げたのか、そこがダーシーにはわからなかったのです。

「レイ殿と話をして、それで人柄を知ってだね」

 机に片肘をついていたヘザーは、座り直すと手を組んで、そこに顎を乗せました。

「あの男はね、いくら優しそうに見えても、一本のぶっとい芯が通ってるんだよ。それはもう、簡単に折れたり曲がったりしないレベルの芯がね」
「しっかりしていますよね」
「いや、そういうことじゃないよ。アンタはもう少し人生と男の機微ってものを学びな。だから相手が見つからないんだよ。そんないい腰してるのに」
「余計なお世話です!」

 愛想がよくても少々脇が甘いと思っているダーシーに、ヘザーは自分が感じたことを詳しく説明することにしました。

「ああいう相手はね、じっくりと腹を割って話し合えば、こちらが想像している以上の仕事をしてくれるはずさ。ところが、もし裏切るようなことを考えたら、あっという間に捨てられるよ。この町がね」

 レイたち『行雲流水こううんりゅうすい』の活動についてはダーシーの耳にも入っています。週に金貨百数十枚はグレーターパンダで稼いでいると。そうでなくても、冒険者ギルドから届くグレーターパンダの内臓が急増すれば、何かがあったと気づくでしょう。だから、興味を持ちつつも警戒しているのです。

「グレーターパンダは国王からの依頼だよ。レイ殿たちの収入もとんでもないけど、領主の懐にもずいぶんと金貨が入ってくるのさ。当然彼らのことをありがたいと思うだろう」

 グレーターパンダの毛皮は、国王が領主であるダンカン男爵に依頼して集めさせています。それをギルドが冒険者に依頼するという形になっているのです。国王が発注者とすれば、男爵が元請け、冒険者が下請けという関係になります。
 レイたちはグレーターパンダ一頭に対して金貨一枚を受け取っています。それを解体するのはギルドの職員ですが、王都まできちんと運搬しなければなりません。そのためには経費が必要です。つまり、国王からダンカン男爵に対しての依頼は、毛皮一枚あたり金貨一枚どころではないのです。

「その程度はレイ殿もわかってるだろう。あんな厄介な魔物をサクサクと狩れるんじゃ、文句も言わないだろうけどね」
「それならお金は必要ないんじゃないですか?」
「だからこそだよ。今回の薬代だって、彼からすれば端金はしたがねだろうね。それなのに興味を持ってやってくれようとしたんだ。彼なりのこだわりってものがあるんだろうさ。金ではない何かがね」

 各ギルドから領主へは報告が届きます。冒険者ギルドからは、レイたちがグレーターパンダを狩っていることが伝わっています。なかなか手に入らなかった、傷のないグレーターパンダの毛皮が大量に手に入るようになって、男爵が喜んでいるとヘザーは聞いています。
 グレーターパンダの毛皮は多くの貴族に待ち望まれています。今後はもっとたくさん届けられるようになるでしょう。ですが、レイが機嫌を損ねてクラストンから出てしまったときのことを考えると、触らぬ神に祟りなしです。そこまで大げさでなくても、五〇〇キール上乗せするだけで気持ちよく仕事をしてくれれば、それが一番だとヘザーは考えたのです。領主のためにも。

「そこまで考えていたんですね」

「ほほー」と感心したように、ダーシーはうなずきました。

「アンタは三〇にもなって考えなさすぎなんだよ。栄養が頭じゃなくて腰にばっかり行ったんだろうね」
「だから腰の話はやめてくださいって!」
「アタシが男なら喜んでその腰を選ぶんだけどね」
出っ尻でっちりダーシーって馬鹿にされてきたんです! 全然いい思いなんてしてませんよ!」

 その腰に光が当たることがあればいいですね。あ、外で脱ぐという話ではありませんよ。

 ◆◆◆

「で、牛耳れた?」

 白鷺亭の酒場に入ったレイにサラが声をかけました。

「まだ言うか。ビビ、エールを頼む」
「わかりましたっ」

 レイはエールを注文すると苦笑しながら椅子に座ります。

「ギルド長からあの薬を薬剤師ギルドに卸してほしいと言われてな。で、作る場所がないと答えたら作業部屋を貸してもらえることになった。それで一度その部屋で作るのを見せて、それが終わって今だ」
「こんなに早くですか?」
「みんなが手伝ってくれたからな。一二人でやると早い早い」

 座ってすぐにエールが運ばれてきました。

「ただ、一〇〇倍にすると高すぎるから、結局二〇倍のほうにして、それで一粒が一〇〇〇キールってことになった」

 レイは契約書を出して三人に見せます」

「一〇〇〇キールですか。ポーション五本分と考えると安いですが、原価から考えると高めですね」
「作る側と買う側で考え方が違うよね。もしラケルがまったく関係ない冒険者だとして、この薬の話を聞いたら買う?」

 聞かれたラケルは腕組みをして考えました。

「眠くならないならいいのですが、外で使うのはためらいます」
「それもあるよね。だから薬剤師ギルドの夜勤にはいいのかもね」
「切れた途端に眠気に襲われるけどな」

 薬剤師ギルドは内勤がほとんどなので、眠くなっても寝ればいいでしょう。

「カフェインが入れられば問題ないかもしれませんね」

 栄養剤プラス眠気覚まし。そのような栄養ドリンクが日本にもありました。ただ、飲みすぎるとカフェインの過剰摂取で吐き気や頭痛がして、場合によっては命に関わります。

「カフェインというのはなんなのです?」
「眠気覚ましの成分だな。お茶にも入ってるぞ」

 レイは紅茶を指しながら言いました。

「飲みすぎると寝られないのはそれなんです?」
「そうそう。トイレも近くなるしね」

 体の中に入った水分のほとんどは腎臓で吸収され、また体内に戻ります。それを阻害して尿として体外に出してしまうのがカフェインです。だからトイレが近くなるんです。

「カフェインだけ集めるのは難しいから作れないけど、いずれいろんな薬が作れるようになるかもしれないな」

 レイは椅子に座り直すと、頭の後ろで手を組みました。

「レイはどこを目指しているんですか?」
「はっきりした目的があるわけじゃないからなあ」

 向いているかどうかはともかく、レイは商人の息子なので商売についてはわかります。日本人時代は商社にいたので理屈も理解できます。もちろん移動が大変な世界なので、同じようにはいかないでしょう。それでもレイにとって、商売はイメージがしやすいのです。
 冒険者になっておいて本業を商売にするものおかしな話ですが、ずっと冒険者はできません。引退後をイメージして、副業を考えておくのは大切なことなんです。商人になるというのも一つの手段です。

「今さらの話ですが、薬を濃縮して問題ないのなら希釈もできるわけですよね?」
「ああ。希釈はしたことないけど、濃すぎた場合はきれいな水で薄めて調整するから問題ないはずだ」
「それなら濃縮したものだけ用意すればどうですか?」

 シーヴが提案したのは、ポーションドリンクのように普段は濃縮したものを用意しておいて、必要に応じて希釈して販売するというものです。

「錠剤は難しいでしょうが、ポーションなら濃縮タイプを中心に考えれば問題ないと思いますよ」

 シーヴのアドバイスにより、ギルドに卸す二〇倍の濃縮タイプを原液として作り置きしておきます。それを薄めて通常のポーションにすることになりました。
 本来ポーションには甘みは加えませんが、元になる濃縮タイプに入っているのでどうしようもありません。ほんのりとした甘みなので、嫌がられることはないでしょう。
 錠剤のほうは二〇倍の濃縮タイプを基本にして、一〇〇倍の超濃縮タイプも少量だけ作ります。可能ならもっと濃いものを作れば面白いものができるかもしれないとレイは考えました。面白いだけで、実用性があるかどうかは別ですが。

「そういうわけで、時間はちょっとわからないけど、週に一度くらいは薬剤師ギルドで薬を作ることになったから。その日の過ごし方は三人に任せる」
「もちろんOK」
「私も問題ありませんです」
「私も大丈夫ですよ。むしろレイがこんを詰めすぎないか心配ですね」
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