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第1章:目覚めと始まりの日々
第8話:サラ様と呼ばないで
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「サラがそこにいるのも新鮮でいいな、アグネス」
「ええ、初々しいですね」
モーガンとアグネスはレイの隣にいるサラを見ながら、素直な感想を口にしました。サラは庶民の娘がちょっといい場所に出かけるような服装をして席に着いています。
「レイはどうだ?」
「嬉しいですね。それに、一緒に食べるとその後が動きやすくなりますから助かります」
そう言われたサラは、いつもと同じような愛想のない表情で座っています。もちろん内心では嬉しいのですが、うっかり二人だけのときの口調で話してしまわないかと、内心ではずっとヒヤヒヤしています。そのように緊張しているときに限って仲間はイジってくるものです。
「サラ様、本日のスープでございます」
ブレンダが笑いながら皿を置くと、サラのこめかみに一瞬だけ血管が浮き出ました。サラは目の前にあるブレンダの喉に手刀を叩き込みそうになりましたが、鋼の意志で我慢しました。その後も同期の三人が代わる代わる冗談で「サラ様、どうぞ」「サラ様、お味はいかがですか?」「サラ様、お下げいたします」などと言うので、サラからすると、この上なくやりにくい昼食でした。
◆◆◆
「あ~……疲れた……」
「最初だけだろ」
「そうであってほしい」
食後に部屋に戻ったサラは「サラ様」攻撃に疲れ果てていました。もちろん愛情あってのものだとサラにもわかってはいるのですが、それでも疲れるものは疲れるのです。
「とりあえず着替えるか」
「今日はギルドの登録と買い物くらい?」
「一応それくらいにしておくつもりだ」
さすがに貴族服で冒険者ギルドに行くのは目立ちすぎます。昨日のうちに頼んでおいた庶民向けの普段着に着替えました。
「それでもお坊っちゃまだね」
「そうか?」
「品のよさがにじみ出てるよ」
生まれというのはどうしても顔に出るものです。レイがどれだけだらしない格好をしていても、どんな服を着ていても、生まれが庶民でないことは見た目でわかります。そればかりはどうしようもないことです。
「とりあえず父上の部屋に寄ってからだな」
「何を渡されるんだろうね?」
「独立費用だと思う。ゼロってことはないだろう」
着替えを済ませたレイは、サラと一緒にモーガンの部屋に向かいました。
「失礼します」
「入りなさい」
二人の目にはいつものように堂々と座っているモーガンが目に入りました。机の上には特に何も置かれていません。
「さて、なぜ二人が冒険者になろうとしたのかは聞かぬが、それなりの理由があるのだろう」
「はい」
「それならいい。何かをするための理由が見つかるというのは素晴らしいことだ」
「どういうことですか?」
何かをするために理由があるのは当然ではないかとレイは思いました。
「人というのはな、すべての行動に理由を付けたがるものだ。たとえば金儲けをしたいから商人になりたい、堅実な人生を送りたいから役人になりたい。そういうことだ」
「それならわかります」
レイもサラもうなずきます。
「それはそうなのだが、何かをしたくない理由を見つけるほうが圧倒的に簡単だ。冒険者になりたい理由よりもなりたくない理由のほうが挙げやすいだろう」
「それはたしかに。すべて自己責任ですからね」
「そうだ。貴族の家に生まれて冒険者になりたい者よりも、なりたくない者のほうが圧倒的に多いのはそういうことだ。最後にどこまでたどり着けるかは分からないが、最初のころは衣食住のすべての面で平民と同程度、場合によってはそれ以下になることもある。だからこそ生活レベルをそこまで落とさなくてもいい役人が人気だ。別にライナスのことではないぞ。あれに冒険者などできるはずがない。役人に向いているとも言い難いがな」
モーガンは苦笑いをしながら言いました。
「そうですか? ライナス兄さんがいれば、ギスギスした職場でも場が明るくなると思いますが」
ライナスはお調子者ではありませんが、気さくで周りを明るくします。程度の差はあるでしょうが、役人にはこつこつと仕事を進める人間が向いています。ライナスがそのような職場を和ませるのに一役買うことは間違いないでしょう。それがレイの考えです。
「まあライナスのことはいい。つまり将来のことについて、何かをしたくないと口にするほうが簡単で、これをしたいと表明するのは意外に難しいということだ」
モーガンはそこまで言うと、棚から一本の剣を取り出しました。そこにはギルモア男爵家の紋章が入っているのがレイにはわかりました。
「お前が望むのであれば、ここで騎士に叙任しようと思うが、どうだ?」
「騎士ですか……」
この国では騎士は準貴族で、貴族によって叙任され、領主の代官として領都以外の町や村を治めます。領軍の指揮官たちも騎士で、貴族よりも下で平民よりも上の地位を保障してくれるものです。
ただし、領主が叙任する騎士はあくまで部下としての騎士なので、他の領地に行けば意味がありません。どこででも通用する王国騎士とは立場が違います。
王国騎士は国王が叙任します。そして王国軍の指揮官として兵を率います。王国騎士が国家公務員なら、各領主が雇う騎士は地方公務員になるでしょう。
「その顔を見ると必要なさそうだな」
「はい。どこかに仕官するつもりはありませんので」
「うむ。その身一つでやっていこうというのであれば、むしろこれの方が役に立つか」
そう言うとモーガンは剣を片付け、その代わりに革のカバンを取り出しました。
「朝に言ったのはこれだ。お前に譲ろう」
「革のカバンですか?」
レイは受け取ったカバンをしげしげと見ました。サイズは縦一五センチ、横二〇センチ、厚みが七センチほどで、ベルトを通せるようになっています。
「マジックバッグだ。私が若いころに使っていたものだ」
マジックバッグとは時空間魔法を使って魔道具になったカバンで、内部の時間が止まったままになります。高価ですが、貴族や裕福な商人なら持っていてもおかしくはないものです。冷蔵・冷凍技術があまり発達していないので、生ものの持ち運びに重宝されます。
「マジックバッグなら家でも使うのでは?」
「仕事用のものは別である。これは個人で使っていたものだ。もう使うこともないだろう」
レイは渡されたマジックバッグにベルトを通します。形としてはヒップバッグに近くなりました。無理してズボンのベルトに通さなくても、適当なベルト状のものを通して肩からかけてもよさそうです。
「金も少し入れてある。冒険者になるなら武器や防具は必要だろう。それに使ったらいい。いずれ領地も家もトリスタンが継ぐ。お前に渡せるものは少ないから、その代わりだと思ってくれ」
「ありがとうございます」
試しに中に手を入れてみると、レイの頭にバッグの中身が浮かびました。モーガンは「少し入れてある」と言いました。たしかに貴族としては少しかもしれませんが、金貨が一枚あれば平民の家族が一年間慎ましく生活できるとレイは聞いています。その金貨だけで四〇枚あるということは、贅沢しなければ当分の間は困ることはないだろうということはわかりました。
「そしてサラにはこれを」
モーガンは真新しいカバンを取り出しました。
「これは……マジックバッグではないですか!」
受け取ったサラは中に手を入れて驚きの声を上げました。そこには大金が入っていたからです。
「そうだ。小さいがマジックバッグになっている。それはルーサー司教からの成人祝いだ。私からの退職金が入れてある」
「退職金など、よろしいのですか?」
「レイの話し相手が務まる者はここにはいないからな。お前には本当に感謝しているぞ」
サラは無言のまま頭を下げました。彼女は流行病で亡くなった両親の顔を覚えていません。教会に預けられて以降はルーサー司教に育ててもらい、八歳でこの屋敷に来て、それからは使用人として暮らしていました。モーガンは雇い主ではありますが、父親のようにも感じていたのです。
「マジックバッグは使用者を限定できる。今は制限を外してあるから誰でも使える。二人とも、口の部分に触れて認証しなさい」
レイは言われたとおりに口のところに触れて意識をしました。するとバッグが自分を所有者だと認めたのがわかりました。これ以降、所有者が認めた人にしか中に入れたり取り出したりはできません。
「あとはだな……二人には身分証明書を渡そう。レイには必要ないかもしれないが、サラにはあったほうがいいだろう」
身分証明書は金で作られた板で、表にはギルモア男爵家の紋章、裏には名前が彫ってあります。レイの場合はステータスカードに「ギルモア男爵モーガン・ファレルの三男」と出ますが、サラのほうにはありません。もし貴族との繋がりが必要なら役に立つでしょう。
「落とさないようにマジックバッグに入れる習慣を付けなさい。ただ、マジックバッグそのものを奪われたらどうしようもない。それだけは気をつけるようにな」
「「はい」」
レイとサラはモーガンに今後の予定について簡単に話すと、冒険者ギルドに登録するために、雪よけのマントを羽織って屋敷を出ました。
「ええ、初々しいですね」
モーガンとアグネスはレイの隣にいるサラを見ながら、素直な感想を口にしました。サラは庶民の娘がちょっといい場所に出かけるような服装をして席に着いています。
「レイはどうだ?」
「嬉しいですね。それに、一緒に食べるとその後が動きやすくなりますから助かります」
そう言われたサラは、いつもと同じような愛想のない表情で座っています。もちろん内心では嬉しいのですが、うっかり二人だけのときの口調で話してしまわないかと、内心ではずっとヒヤヒヤしています。そのように緊張しているときに限って仲間はイジってくるものです。
「サラ様、本日のスープでございます」
ブレンダが笑いながら皿を置くと、サラのこめかみに一瞬だけ血管が浮き出ました。サラは目の前にあるブレンダの喉に手刀を叩き込みそうになりましたが、鋼の意志で我慢しました。その後も同期の三人が代わる代わる冗談で「サラ様、どうぞ」「サラ様、お味はいかがですか?」「サラ様、お下げいたします」などと言うので、サラからすると、この上なくやりにくい昼食でした。
◆◆◆
「あ~……疲れた……」
「最初だけだろ」
「そうであってほしい」
食後に部屋に戻ったサラは「サラ様」攻撃に疲れ果てていました。もちろん愛情あってのものだとサラにもわかってはいるのですが、それでも疲れるものは疲れるのです。
「とりあえず着替えるか」
「今日はギルドの登録と買い物くらい?」
「一応それくらいにしておくつもりだ」
さすがに貴族服で冒険者ギルドに行くのは目立ちすぎます。昨日のうちに頼んでおいた庶民向けの普段着に着替えました。
「それでもお坊っちゃまだね」
「そうか?」
「品のよさがにじみ出てるよ」
生まれというのはどうしても顔に出るものです。レイがどれだけだらしない格好をしていても、どんな服を着ていても、生まれが庶民でないことは見た目でわかります。そればかりはどうしようもないことです。
「とりあえず父上の部屋に寄ってからだな」
「何を渡されるんだろうね?」
「独立費用だと思う。ゼロってことはないだろう」
着替えを済ませたレイは、サラと一緒にモーガンの部屋に向かいました。
「失礼します」
「入りなさい」
二人の目にはいつものように堂々と座っているモーガンが目に入りました。机の上には特に何も置かれていません。
「さて、なぜ二人が冒険者になろうとしたのかは聞かぬが、それなりの理由があるのだろう」
「はい」
「それならいい。何かをするための理由が見つかるというのは素晴らしいことだ」
「どういうことですか?」
何かをするために理由があるのは当然ではないかとレイは思いました。
「人というのはな、すべての行動に理由を付けたがるものだ。たとえば金儲けをしたいから商人になりたい、堅実な人生を送りたいから役人になりたい。そういうことだ」
「それならわかります」
レイもサラもうなずきます。
「それはそうなのだが、何かをしたくない理由を見つけるほうが圧倒的に簡単だ。冒険者になりたい理由よりもなりたくない理由のほうが挙げやすいだろう」
「それはたしかに。すべて自己責任ですからね」
「そうだ。貴族の家に生まれて冒険者になりたい者よりも、なりたくない者のほうが圧倒的に多いのはそういうことだ。最後にどこまでたどり着けるかは分からないが、最初のころは衣食住のすべての面で平民と同程度、場合によってはそれ以下になることもある。だからこそ生活レベルをそこまで落とさなくてもいい役人が人気だ。別にライナスのことではないぞ。あれに冒険者などできるはずがない。役人に向いているとも言い難いがな」
モーガンは苦笑いをしながら言いました。
「そうですか? ライナス兄さんがいれば、ギスギスした職場でも場が明るくなると思いますが」
ライナスはお調子者ではありませんが、気さくで周りを明るくします。程度の差はあるでしょうが、役人にはこつこつと仕事を進める人間が向いています。ライナスがそのような職場を和ませるのに一役買うことは間違いないでしょう。それがレイの考えです。
「まあライナスのことはいい。つまり将来のことについて、何かをしたくないと口にするほうが簡単で、これをしたいと表明するのは意外に難しいということだ」
モーガンはそこまで言うと、棚から一本の剣を取り出しました。そこにはギルモア男爵家の紋章が入っているのがレイにはわかりました。
「お前が望むのであれば、ここで騎士に叙任しようと思うが、どうだ?」
「騎士ですか……」
この国では騎士は準貴族で、貴族によって叙任され、領主の代官として領都以外の町や村を治めます。領軍の指揮官たちも騎士で、貴族よりも下で平民よりも上の地位を保障してくれるものです。
ただし、領主が叙任する騎士はあくまで部下としての騎士なので、他の領地に行けば意味がありません。どこででも通用する王国騎士とは立場が違います。
王国騎士は国王が叙任します。そして王国軍の指揮官として兵を率います。王国騎士が国家公務員なら、各領主が雇う騎士は地方公務員になるでしょう。
「その顔を見ると必要なさそうだな」
「はい。どこかに仕官するつもりはありませんので」
「うむ。その身一つでやっていこうというのであれば、むしろこれの方が役に立つか」
そう言うとモーガンは剣を片付け、その代わりに革のカバンを取り出しました。
「朝に言ったのはこれだ。お前に譲ろう」
「革のカバンですか?」
レイは受け取ったカバンをしげしげと見ました。サイズは縦一五センチ、横二〇センチ、厚みが七センチほどで、ベルトを通せるようになっています。
「マジックバッグだ。私が若いころに使っていたものだ」
マジックバッグとは時空間魔法を使って魔道具になったカバンで、内部の時間が止まったままになります。高価ですが、貴族や裕福な商人なら持っていてもおかしくはないものです。冷蔵・冷凍技術があまり発達していないので、生ものの持ち運びに重宝されます。
「マジックバッグなら家でも使うのでは?」
「仕事用のものは別である。これは個人で使っていたものだ。もう使うこともないだろう」
レイは渡されたマジックバッグにベルトを通します。形としてはヒップバッグに近くなりました。無理してズボンのベルトに通さなくても、適当なベルト状のものを通して肩からかけてもよさそうです。
「金も少し入れてある。冒険者になるなら武器や防具は必要だろう。それに使ったらいい。いずれ領地も家もトリスタンが継ぐ。お前に渡せるものは少ないから、その代わりだと思ってくれ」
「ありがとうございます」
試しに中に手を入れてみると、レイの頭にバッグの中身が浮かびました。モーガンは「少し入れてある」と言いました。たしかに貴族としては少しかもしれませんが、金貨が一枚あれば平民の家族が一年間慎ましく生活できるとレイは聞いています。その金貨だけで四〇枚あるということは、贅沢しなければ当分の間は困ることはないだろうということはわかりました。
「そしてサラにはこれを」
モーガンは真新しいカバンを取り出しました。
「これは……マジックバッグではないですか!」
受け取ったサラは中に手を入れて驚きの声を上げました。そこには大金が入っていたからです。
「そうだ。小さいがマジックバッグになっている。それはルーサー司教からの成人祝いだ。私からの退職金が入れてある」
「退職金など、よろしいのですか?」
「レイの話し相手が務まる者はここにはいないからな。お前には本当に感謝しているぞ」
サラは無言のまま頭を下げました。彼女は流行病で亡くなった両親の顔を覚えていません。教会に預けられて以降はルーサー司教に育ててもらい、八歳でこの屋敷に来て、それからは使用人として暮らしていました。モーガンは雇い主ではありますが、父親のようにも感じていたのです。
「マジックバッグは使用者を限定できる。今は制限を外してあるから誰でも使える。二人とも、口の部分に触れて認証しなさい」
レイは言われたとおりに口のところに触れて意識をしました。するとバッグが自分を所有者だと認めたのがわかりました。これ以降、所有者が認めた人にしか中に入れたり取り出したりはできません。
「あとはだな……二人には身分証明書を渡そう。レイには必要ないかもしれないが、サラにはあったほうがいいだろう」
身分証明書は金で作られた板で、表にはギルモア男爵家の紋章、裏には名前が彫ってあります。レイの場合はステータスカードに「ギルモア男爵モーガン・ファレルの三男」と出ますが、サラのほうにはありません。もし貴族との繋がりが必要なら役に立つでしょう。
「落とさないようにマジックバッグに入れる習慣を付けなさい。ただ、マジックバッグそのものを奪われたらどうしようもない。それだけは気をつけるようにな」
「「はい」」
レイとサラはモーガンに今後の予定について簡単に話すと、冒険者ギルドに登録するために、雪よけのマントを羽織って屋敷を出ました。
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