72 / 156
第4章:春、ダンジョン都市にて
第9話:ミードの仕込みと村の謎
しおりを挟む
三日続けてグレーターパンダ狩りをした翌日、レイたちは狩りをせずにミードの仕込みをすることにしました。
「どれだけ作るかだよな」
「あまりたくさんだとマジックバッグを圧迫するよね」
現在のレイたちは宿屋暮らしです。二人部屋を二つ借りていますので、それぞれの部屋に五樽ほど置くことができるでしょう。あまり重いと床が心配です。
「発酵にはシーヴのマジックバッグも使おうか」
「そうですね。今はあまり入っていませんし」
シーヴには【秘匿】という収納スキルがあります。生モノなどはそちらに入れてあります。
「そうすると、空の樽が必要か。とりあえず二、三〇くらい買っておくか」
「空の樽も減ったからね」
「減ったというか使ったからな」
レイはエールやミードを樽ごと買っていますので、その樽が出るはずですが、それらも素材だのなんだのを入れるのに使ってしまいました。二つ三つはありますが、それでは全然足りない上に、蓋を外してしまいました。容器として使うだけですからね。
四人は街中にある樽屋に出かけることにしましたが、歩き始めてすぐ、シーヴは何かを思いついたようにレイのほうを向きました。
「レイ、別行動で調べ物をしてもいいですか?」
「調べ物?」
「はい。ディオナが言っていた村のことです」
あの森の向こう側、クラストンと真反対の場所に、かつて集落があったとディオナは言っていました。
かつてその村の住人たちはモリハナバチのためにミード作りをしてくれました。ところが、その村はある時期を境になくなったということです。シーヴはその村について調べると言います。ミード作りや樽の購入に四人もいてもどうしようもないからです。
「わかった。それなら買い出しをしてから戻ってるから」
「お菓子の材料も買っとくね」
「気をつけてくださいです」
「はい。午後の遅くならない時間には戻ろうと思います」
シーヴは各種ギルドの資料室を借りるつもりです。ギルドによっては過去の資料を公開している場合があるからです。基本は無料ですが、資料を探して持ってきてもらう場合は有料ということもありますね。
シーヴがマジックバッグをレイに渡して冒険者ギルドに向かうと、残った三人は樽を扱っている店に足を向けました。
「すみません。中古でいいので樽が欲しいんですが」
「どれだい?」
「ええっと、このサイズでいいよな?」
レイは見慣れたサイズを指しました。樽風呂用ではなく、エールやミードが入っている樽と同じくらいのサイズです。
「重さ的にもそれくらいだよね。三〇くらい欲しいんだけど」
「三〇⁉ 中古だけならあるかどうか。ちょっと待ってくれ」
店員は店の奥へ消えました。
「さすがに三〇個も買う人はいないかな?」
「醸造業者くらいかもな」
お酒を樽で買うのは店がほとんどですが、個人で買う人もいます。レイもその一人です。
エールもワインも、発酵には一〇〇〇リットルを超える大型の樽を使い、熟成の段階で別の樽に移し替えて寝かせます。この熟成に使われるのが、レイたちが買おうとしている二〇〇から二五〇リットルほどの小型の樽です。小型でも、樽だけで重さが五〇キロほどありますので、中身を入れれば三〇〇キロ近い重さになります。
ただ、個人なら二〇〇リットルも必要ないという人がほとんどでしょう。だから三〇から五〇リットルほどの超小型の樽に移し替えられて販売されることもあります。
「中古なら一四あった。あとは新品だ。どうしても中古がいいなら、残りは他の店をあたってくれ。紹介するから」
元はエール用、ミード用、蒸留酒用などバラバラですが、何が入っていたかは樽の外を見たらわかるようになっていると店員は言います。
「いえ、それならその中古を一四と、新品で一六お願いします」
「運搬は?」
「マジックバッグがあります」
「それなら運んでくるから待っててくれ」
店員がまた店内に戻ると、しばらくして複数の店員が次々と樽を転がしてきました。それをレイはマジックバッグに入れていきます。
「それなら次は……卵か」
「あるかな?」
「なくても少しは残ってるからな」
これまで借家を借りて料理をしたこともありましたが、卵を使った料理の作り置きはありません。手軽に食べられる昼食用の料理がほとんどだったからです。
卵を使った料理にはオムレツ、キッシュ、フリッタータ、トルティージャなどがあります。全部似たような料理ですね。それ以外となるとシュニッツェルの衣に使われたりしますが、普通は家で作ることは少ないでしょう。油も卵もとなると、家で作るにはハードルが高すぎるからです。
「たまごたまごたまご……」
サラが首を伸ばしながら卵を探しています。
「あった!」
サラの目に入ったのは、女性が座っている敷物の上に置かれているカゴでした。
「お嬢ちゃん、卵が欲しいのかい?」
「そう。なかなかないからね」
「うちのは昨日から今朝にかけて採れたのばかりだよ」
カゴには卵が盛られています。右のカゴと左のカゴで卵のサイズが違っていますね。
「こっちのは鶏じゃないよね?」
「これはガチョウの卵だよ」
「ガチョウかあ。ねえ、ガチョウのも買ってもいい?」
サラはレイに確認しました。卵、特にガチョウの卵は数が少ないので高いこともありますが、気になることがあったからです。
「ガチョウの卵はクリーミーだって聞いたことがあって、料理もお菓子も風味が違ってくるかなって」
「違いなあ。黄身は味が濃いな。そのまま加熱すると、白身がゼラチンみたいな感じになって固まりにくかったはず」
レイはアヒル、ガチョウ、エミュー、ダチョウの卵を食べたことがあります。ダチョウは風味が乏しく、他の三つは美味しかった記憶があります。
マリオンの屋敷でもアヒルやガチョウの卵が使われることがありました。ただし、それは領主の家族用で、サラたち使用人が口にできたのは鶏の卵だけでした。それもごくたまにです。
「それならかき混ぜたら大丈夫だよね?」
「お菓子に使うなら問題ないと思うぞ」
朝市で売られている卵には、鶏のものだけでなく、ガチョウやアヒル、さらにはその他の鳥や蛇のものまであります。ごくまれに鳥系、蛇系の魔物の卵や、さらにはハーピーやラミアなど、卵生の亜人の卵を見かけることもありますよ。今日のところはありませんが。
「卵ゲット。小麦粉はあるから、あとは重曹かな」
「重曹ならそっちの店にあるよ」
「ありがと」
この世界では、ほとんどすべてが自然から得られます。重曹はこのあたりにあるいくつかの泉で見つかります。パンを膨らませたり、掃除の際の汚れ落としとして使われます。野菜のアク抜きにも使えますよ。
「そうか、そのあたりも減ってたな」
「そんなに一度には使わないし、レイの【浄化】があれば済む話だし」
なぜか【浄化】でアク抜きも可能なんです。
「ご主人さま、野菜も買います?」
「そうだな。おっ、チーズがあるな」
野菜ではありませんが、チーズや牛乳なども売られています。
チーズはエメンタール、グリュイエール、ラクレット、パルミジャーノ・レッジャーノなど、朝市で売られるものはハードチーズがほとんどです。マスカルポーネやモッツァレラなどのフレッシュチーズは、牛乳や生クリームから自分で作るしかありません。
「あとは……果物を買ってから戻るか」
「ご主人さま、リンゴとナシが欲しいです」
「わかった。多めに買っておこう」
ラケルはミカンよりも歯ごたえのあるリンゴやナシのほうが好きです。この二種類は収穫量が多くて手に入れやすいので、レイたちはよく買っています。
ちなみに、シーヴはミカンが一番好きなようですね。だからもちろん買いますよ。
◆◆◆
「よし、試しに少しやってみようか」
「お手伝いします」
「頼むよ」
レイはマジックバッグから樽を取り出しました。
「まずは樽をきれいにしてと。ꇠꈜꆽꀂꀑꌒꆽ」
レイは樽に【浄化】をかけました。これで悪臭も雑菌もすべて消えます。ただし、時間が経ちすぎた臭いや汚れはきれいには消えてくれません。
熟成させるお酒によっては、古樽のほうが向いていることもありますが、レイはそこまで詳しくありません。それに、そこにこだわるとしても、まずは一度やってみないといけませんね。
「蜂蜜に【浄化】は?」
「たぶん酵母が入ってるから、かけないほうがいいと思う」
蜂蜜には酵母が入っていますので、水で割って暖かいところに置いておくだけで発酵するのです。
「ぬるま湯三に対して蜂蜜が一か。これは二二〇リットルほど入るから、七〇キロ前後にするか」
「これ、全部一〇センチ角だね」
「てことは五〇個くらいだな」
蜂蜜の比重は一・四です。五〇リットルで七〇キロになります。
「蜂蜜を砕いて入れて、そこにぬるま湯を加えて寝かせばいいと」
レイは蜂蜜のブロックを砕き始めます。
「しかしこの蜂蜜は硬いな」
「溶けると普通の蜂蜜と同じなのです?」
「たぶんな」
レイは小さな欠片を口に入れます。するとスッと溶けてなくなりました。
「なるほど。ラケル、あ~ん」
「あ~ん」
同じように小さな欠片を一つ、ラケルの口に放り込みました。
「んっ……んんっ? 溶けましたです」
「ぬるま湯で溶けるのなら、口の中でも溶けるってことだな」
ただ、手で持っても溶けません。それなりの水分が必要なのだろうとレイは考えました。
小さく砕いた蜂蜜にぬるま湯を加えて溶かすと樽に詰めていきます。
「樽は【浄化】できれいにしたし、蜂蜜とぬるま湯は一対三にしたから大丈夫なはず。これを朝晩の二回くらい軽く混ぜ、一週間ほど待つ」
失敗する可能性もありますので、レイは二つの部屋に五樽ずつ置くことにしました。残りはマジックバッグの中です。
「レイの魔法ってどんどん便利になってるよね」
手のひらからお湯を出して手を洗うレイを見ながら、サラがつぶやきます。
「便利だけど、本来の使い方じゃないからな。それにしても、いつになったら前に飛ぶんだろうな」
「もう諦めたら?」
サラが残酷なことを口にしますが、レイ自身もすでにほとんど諦めています。【水球】だけでなく【水矢】も使えるようになりましたが、ほとんど違いがありません。手のひらから水が出るだけです。あえて違いを挙げるなら、【水球】は水が太くて勢いが弱く、【水矢】は水がやや細くて勢いが強いくらいでしょう。【火矢】もありますが、これは【火球】よりも細くて温度の高い火が手のひらから噴き出るだけです。レイとしては普通に攻撃にも使いたいので訓練していますが、まったく前に向かって飛ぶ気配がありません。
それに加え、【水球】と【火球】を合わせてお湯が出せるようになりました。温度を下げれば凍る寸前の冷水が出て、上げればグツグツ煮立つ熱湯まで出せるようになっています。こうなると自分には攻撃魔法の才能はないとレイは思い始め、いかに便利に使うかを考え始めました。サラは心の中でそれらをまとめて「蛇口魔法」と呼んでいます。
◆◆◆
「ただいま戻りました」
調べ物をしていたシーヴが部屋に戻ってきました。
「調べてわかったことはあまりありませんね。以前あの森の向こう側には、たしかに人が住んでいたそうです。村と呼べるほどではなかったそうですけど」
ベイカー伯爵領とアシュトン子爵領のちょうど中間地点にダンジョンが現れるまで、このあたりには町や村と認められる集落はありませんでした。それならディオナが言っていた村とは何のことだったのでしょうか。
クラストンができるよりもずっと以前、人が集まって集落を作っていたのは事実のようです。盗賊たちが街道を通る商人たちを襲うための拠点だったのかもしれません。そのような情報が見つかりました。
「ずいぶんふんわりとした記録だなあ」
「記録というよりも噂を集めたようなものでした。クラストンができる前の話ですからね」
どっちにしても、普通に町では暮らせないような人たちが集まり、ひっそりと森の近くで暮らしていたようです。魔物がいるのである程度は強くないといけません。そこをどうしていたのかはわかっていません。
いずれにせよ、そこで暮らしていた人たちは、何かしらの方法でモリハナバチと交渉し、蜂蜜を分けてもらう代わりに一部をミードにして返すという取り引きをしていました。
ところが、ダンジョンが現れてクラストンができて以降は、その集落は無人になったようです。町に移り住んだのか、それとも人が近づいたので逃げ出したのか、そこまではわかりません。
「生存に関わるんだったら、もっと必死になったんだろうな」
「ですね。でもあの喜び方を見ると、嬉しかったのはよくわかりますね」
モリハナバチにとって、ミードは生きるために絶対に必要なものではありませんが、人にはさまざまな儀式があるように、モリハナバチにはミードを飲むことが儀式の一つになっているのです。
かつては自分たちで用意していたミードですが、自然の中でうまく発酵させるには条件がそろわないとなかなか難しいものです。というわけで、久しぶりにミードを口にして酔っ払ってしまいました。ちなみに毎回酔っ払うわけではありませんよ。
「どれだけ作るかだよな」
「あまりたくさんだとマジックバッグを圧迫するよね」
現在のレイたちは宿屋暮らしです。二人部屋を二つ借りていますので、それぞれの部屋に五樽ほど置くことができるでしょう。あまり重いと床が心配です。
「発酵にはシーヴのマジックバッグも使おうか」
「そうですね。今はあまり入っていませんし」
シーヴには【秘匿】という収納スキルがあります。生モノなどはそちらに入れてあります。
「そうすると、空の樽が必要か。とりあえず二、三〇くらい買っておくか」
「空の樽も減ったからね」
「減ったというか使ったからな」
レイはエールやミードを樽ごと買っていますので、その樽が出るはずですが、それらも素材だのなんだのを入れるのに使ってしまいました。二つ三つはありますが、それでは全然足りない上に、蓋を外してしまいました。容器として使うだけですからね。
四人は街中にある樽屋に出かけることにしましたが、歩き始めてすぐ、シーヴは何かを思いついたようにレイのほうを向きました。
「レイ、別行動で調べ物をしてもいいですか?」
「調べ物?」
「はい。ディオナが言っていた村のことです」
あの森の向こう側、クラストンと真反対の場所に、かつて集落があったとディオナは言っていました。
かつてその村の住人たちはモリハナバチのためにミード作りをしてくれました。ところが、その村はある時期を境になくなったということです。シーヴはその村について調べると言います。ミード作りや樽の購入に四人もいてもどうしようもないからです。
「わかった。それなら買い出しをしてから戻ってるから」
「お菓子の材料も買っとくね」
「気をつけてくださいです」
「はい。午後の遅くならない時間には戻ろうと思います」
シーヴは各種ギルドの資料室を借りるつもりです。ギルドによっては過去の資料を公開している場合があるからです。基本は無料ですが、資料を探して持ってきてもらう場合は有料ということもありますね。
シーヴがマジックバッグをレイに渡して冒険者ギルドに向かうと、残った三人は樽を扱っている店に足を向けました。
「すみません。中古でいいので樽が欲しいんですが」
「どれだい?」
「ええっと、このサイズでいいよな?」
レイは見慣れたサイズを指しました。樽風呂用ではなく、エールやミードが入っている樽と同じくらいのサイズです。
「重さ的にもそれくらいだよね。三〇くらい欲しいんだけど」
「三〇⁉ 中古だけならあるかどうか。ちょっと待ってくれ」
店員は店の奥へ消えました。
「さすがに三〇個も買う人はいないかな?」
「醸造業者くらいかもな」
お酒を樽で買うのは店がほとんどですが、個人で買う人もいます。レイもその一人です。
エールもワインも、発酵には一〇〇〇リットルを超える大型の樽を使い、熟成の段階で別の樽に移し替えて寝かせます。この熟成に使われるのが、レイたちが買おうとしている二〇〇から二五〇リットルほどの小型の樽です。小型でも、樽だけで重さが五〇キロほどありますので、中身を入れれば三〇〇キロ近い重さになります。
ただ、個人なら二〇〇リットルも必要ないという人がほとんどでしょう。だから三〇から五〇リットルほどの超小型の樽に移し替えられて販売されることもあります。
「中古なら一四あった。あとは新品だ。どうしても中古がいいなら、残りは他の店をあたってくれ。紹介するから」
元はエール用、ミード用、蒸留酒用などバラバラですが、何が入っていたかは樽の外を見たらわかるようになっていると店員は言います。
「いえ、それならその中古を一四と、新品で一六お願いします」
「運搬は?」
「マジックバッグがあります」
「それなら運んでくるから待っててくれ」
店員がまた店内に戻ると、しばらくして複数の店員が次々と樽を転がしてきました。それをレイはマジックバッグに入れていきます。
「それなら次は……卵か」
「あるかな?」
「なくても少しは残ってるからな」
これまで借家を借りて料理をしたこともありましたが、卵を使った料理の作り置きはありません。手軽に食べられる昼食用の料理がほとんどだったからです。
卵を使った料理にはオムレツ、キッシュ、フリッタータ、トルティージャなどがあります。全部似たような料理ですね。それ以外となるとシュニッツェルの衣に使われたりしますが、普通は家で作ることは少ないでしょう。油も卵もとなると、家で作るにはハードルが高すぎるからです。
「たまごたまごたまご……」
サラが首を伸ばしながら卵を探しています。
「あった!」
サラの目に入ったのは、女性が座っている敷物の上に置かれているカゴでした。
「お嬢ちゃん、卵が欲しいのかい?」
「そう。なかなかないからね」
「うちのは昨日から今朝にかけて採れたのばかりだよ」
カゴには卵が盛られています。右のカゴと左のカゴで卵のサイズが違っていますね。
「こっちのは鶏じゃないよね?」
「これはガチョウの卵だよ」
「ガチョウかあ。ねえ、ガチョウのも買ってもいい?」
サラはレイに確認しました。卵、特にガチョウの卵は数が少ないので高いこともありますが、気になることがあったからです。
「ガチョウの卵はクリーミーだって聞いたことがあって、料理もお菓子も風味が違ってくるかなって」
「違いなあ。黄身は味が濃いな。そのまま加熱すると、白身がゼラチンみたいな感じになって固まりにくかったはず」
レイはアヒル、ガチョウ、エミュー、ダチョウの卵を食べたことがあります。ダチョウは風味が乏しく、他の三つは美味しかった記憶があります。
マリオンの屋敷でもアヒルやガチョウの卵が使われることがありました。ただし、それは領主の家族用で、サラたち使用人が口にできたのは鶏の卵だけでした。それもごくたまにです。
「それならかき混ぜたら大丈夫だよね?」
「お菓子に使うなら問題ないと思うぞ」
朝市で売られている卵には、鶏のものだけでなく、ガチョウやアヒル、さらにはその他の鳥や蛇のものまであります。ごくまれに鳥系、蛇系の魔物の卵や、さらにはハーピーやラミアなど、卵生の亜人の卵を見かけることもありますよ。今日のところはありませんが。
「卵ゲット。小麦粉はあるから、あとは重曹かな」
「重曹ならそっちの店にあるよ」
「ありがと」
この世界では、ほとんどすべてが自然から得られます。重曹はこのあたりにあるいくつかの泉で見つかります。パンを膨らませたり、掃除の際の汚れ落としとして使われます。野菜のアク抜きにも使えますよ。
「そうか、そのあたりも減ってたな」
「そんなに一度には使わないし、レイの【浄化】があれば済む話だし」
なぜか【浄化】でアク抜きも可能なんです。
「ご主人さま、野菜も買います?」
「そうだな。おっ、チーズがあるな」
野菜ではありませんが、チーズや牛乳なども売られています。
チーズはエメンタール、グリュイエール、ラクレット、パルミジャーノ・レッジャーノなど、朝市で売られるものはハードチーズがほとんどです。マスカルポーネやモッツァレラなどのフレッシュチーズは、牛乳や生クリームから自分で作るしかありません。
「あとは……果物を買ってから戻るか」
「ご主人さま、リンゴとナシが欲しいです」
「わかった。多めに買っておこう」
ラケルはミカンよりも歯ごたえのあるリンゴやナシのほうが好きです。この二種類は収穫量が多くて手に入れやすいので、レイたちはよく買っています。
ちなみに、シーヴはミカンが一番好きなようですね。だからもちろん買いますよ。
◆◆◆
「よし、試しに少しやってみようか」
「お手伝いします」
「頼むよ」
レイはマジックバッグから樽を取り出しました。
「まずは樽をきれいにしてと。ꇠꈜꆽꀂꀑꌒꆽ」
レイは樽に【浄化】をかけました。これで悪臭も雑菌もすべて消えます。ただし、時間が経ちすぎた臭いや汚れはきれいには消えてくれません。
熟成させるお酒によっては、古樽のほうが向いていることもありますが、レイはそこまで詳しくありません。それに、そこにこだわるとしても、まずは一度やってみないといけませんね。
「蜂蜜に【浄化】は?」
「たぶん酵母が入ってるから、かけないほうがいいと思う」
蜂蜜には酵母が入っていますので、水で割って暖かいところに置いておくだけで発酵するのです。
「ぬるま湯三に対して蜂蜜が一か。これは二二〇リットルほど入るから、七〇キロ前後にするか」
「これ、全部一〇センチ角だね」
「てことは五〇個くらいだな」
蜂蜜の比重は一・四です。五〇リットルで七〇キロになります。
「蜂蜜を砕いて入れて、そこにぬるま湯を加えて寝かせばいいと」
レイは蜂蜜のブロックを砕き始めます。
「しかしこの蜂蜜は硬いな」
「溶けると普通の蜂蜜と同じなのです?」
「たぶんな」
レイは小さな欠片を口に入れます。するとスッと溶けてなくなりました。
「なるほど。ラケル、あ~ん」
「あ~ん」
同じように小さな欠片を一つ、ラケルの口に放り込みました。
「んっ……んんっ? 溶けましたです」
「ぬるま湯で溶けるのなら、口の中でも溶けるってことだな」
ただ、手で持っても溶けません。それなりの水分が必要なのだろうとレイは考えました。
小さく砕いた蜂蜜にぬるま湯を加えて溶かすと樽に詰めていきます。
「樽は【浄化】できれいにしたし、蜂蜜とぬるま湯は一対三にしたから大丈夫なはず。これを朝晩の二回くらい軽く混ぜ、一週間ほど待つ」
失敗する可能性もありますので、レイは二つの部屋に五樽ずつ置くことにしました。残りはマジックバッグの中です。
「レイの魔法ってどんどん便利になってるよね」
手のひらからお湯を出して手を洗うレイを見ながら、サラがつぶやきます。
「便利だけど、本来の使い方じゃないからな。それにしても、いつになったら前に飛ぶんだろうな」
「もう諦めたら?」
サラが残酷なことを口にしますが、レイ自身もすでにほとんど諦めています。【水球】だけでなく【水矢】も使えるようになりましたが、ほとんど違いがありません。手のひらから水が出るだけです。あえて違いを挙げるなら、【水球】は水が太くて勢いが弱く、【水矢】は水がやや細くて勢いが強いくらいでしょう。【火矢】もありますが、これは【火球】よりも細くて温度の高い火が手のひらから噴き出るだけです。レイとしては普通に攻撃にも使いたいので訓練していますが、まったく前に向かって飛ぶ気配がありません。
それに加え、【水球】と【火球】を合わせてお湯が出せるようになりました。温度を下げれば凍る寸前の冷水が出て、上げればグツグツ煮立つ熱湯まで出せるようになっています。こうなると自分には攻撃魔法の才能はないとレイは思い始め、いかに便利に使うかを考え始めました。サラは心の中でそれらをまとめて「蛇口魔法」と呼んでいます。
◆◆◆
「ただいま戻りました」
調べ物をしていたシーヴが部屋に戻ってきました。
「調べてわかったことはあまりありませんね。以前あの森の向こう側には、たしかに人が住んでいたそうです。村と呼べるほどではなかったそうですけど」
ベイカー伯爵領とアシュトン子爵領のちょうど中間地点にダンジョンが現れるまで、このあたりには町や村と認められる集落はありませんでした。それならディオナが言っていた村とは何のことだったのでしょうか。
クラストンができるよりもずっと以前、人が集まって集落を作っていたのは事実のようです。盗賊たちが街道を通る商人たちを襲うための拠点だったのかもしれません。そのような情報が見つかりました。
「ずいぶんふんわりとした記録だなあ」
「記録というよりも噂を集めたようなものでした。クラストンができる前の話ですからね」
どっちにしても、普通に町では暮らせないような人たちが集まり、ひっそりと森の近くで暮らしていたようです。魔物がいるのである程度は強くないといけません。そこをどうしていたのかはわかっていません。
いずれにせよ、そこで暮らしていた人たちは、何かしらの方法でモリハナバチと交渉し、蜂蜜を分けてもらう代わりに一部をミードにして返すという取り引きをしていました。
ところが、ダンジョンが現れてクラストンができて以降は、その集落は無人になったようです。町に移り住んだのか、それとも人が近づいたので逃げ出したのか、そこまではわかりません。
「生存に関わるんだったら、もっと必死になったんだろうな」
「ですね。でもあの喜び方を見ると、嬉しかったのはよくわかりますね」
モリハナバチにとって、ミードは生きるために絶対に必要なものではありませんが、人にはさまざまな儀式があるように、モリハナバチにはミードを飲むことが儀式の一つになっているのです。
かつては自分たちで用意していたミードですが、自然の中でうまく発酵させるには条件がそろわないとなかなか難しいものです。というわけで、久しぶりにミードを口にして酔っ払ってしまいました。ちなみに毎回酔っ払うわけではありませんよ。
応援ありがとうございます!
10
お気に入りに追加
359
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる