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第8章:春、急カーブと思っていたらまさかのクランク
第13話:結婚についてのあれやこれや
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「それで、ダンジョンはどうなったんだ? 上に何かあるのが見えたけど」
一か月ぶりにレイが見たダンジョンは、さらに成長していました。ドームは大きくなり、さらに上に伸びていたのです。
「ダンジョンって下に伸びるだけじゃなくて塔のタイプもあるから、これはハイブリッド型だね」
「今は上も下も三階分だけですわ」
「まだ魔物はいない」
パーティーメンバーが交代で潜って中の調査をしたところ、上にも下にも移動できるようになっていました。ダンジョンが生物だと思われているのはそういうところです。最初のうちは日々成長します。しばらくすると落ち着きますが、それでもたまに様子が変わることがあります。
成長段階ではどこがどうなるかわからないので、今のところは立ち入り禁止にして、毎日記録をとっています。新しいダンジョンができるのは数十年に一度程度と言われていますが、クラストンのダンジョンができてからは一〇〇年以上が経っています。
もちろん、この惑星全体で考えれば常にどこかでダンジョンが生まれているはずです。たまたまデューラント王国でしばらくできていなかっただけです。この世界を俯瞰的に見ることができる元日本人組はそのように考えていました。
ダンジョンの地上階には魔物は出ません。これはクラストンでもそうで、地下一階から現れます。ダンジョンが塔になっている場合も地上階には現れず、一つ上の階から遭遇することになります。
「それなら出入り口のある場所は地上階か〇階、上は地上一階、地上二階とヨーロッパ風にするか」
「地下はそのまま地下一階、地下二階でいいよね?」
「内部が変わるから意味はないかもしれないけど、しばらくマッピングを頼む。何かがわかるかもしれない」
「了解了解」
まだまだ成長しそうなので、調査は継続します。そして、立ち入り禁止も継続です。町に子供がいれば、こっそり入って遊ぶことも考えられますが、まだまだ作りかけの町なので、労働者しかいません。札だけ立てておけば大丈夫です。
「町に悪影響は出てないよな?」
「今のところはね。ダンジョンが成長する際に少しだけ揺れるけど、深くなったら大丈夫だろうって」
「そうか、まだ地下三階だから……六〇メートルくらいか?」
「床や壁の厚みとかも謎なんだよね。階段は三〇メートルくらいあるから、床からその下の階の床まで三〇メートルくらいで考えてもいいのかも」
ダンジョンには床が抜ける罠が設置されている場合もあります。しかし、天井から上の階の床まで一〇メートル近くあるはずが、なぜかその空間を無視するかのように下に落ちることがあるんです。
「上も大きくなったけど、どっちへ広がってるんだ? 今さらだけど町の中心には向かってないよな?」
「それは大丈夫。地面から上の部分は入り口が開いた方には広がらないんだって」
このダンジョンは町の北西部にできました。そのため、市街地は予定よりも南に、城壁はさらに北に広げなければならなくなりました。ドーム部分が毎日北に移動していたからです。それが先日ようやく動かなくなりました。
ダンジョンのトンネル部分はドームの南側にあります。まだ上も下も三階分しかなく、安全地帯や転移部屋はありません。単に階段がある建物にすぎません。
ドームの移動が終わったので、これからどんどんと上へ下へと広がっていくのではないか、そう予想されています。予想なのは、誰もダンジョンの成長を見守ったことがないからです。
「あれからニコルはダンジョンと意思疎通はできたか?」
ペカペカ
「そうか。いや、しょげなくていいから。努力でどうこうなるものじゃないだろ」
誰にでもわかるのは今後どうなるかわからないということだけです。
◆◆◆
食事が終わり、テーブルには食後の緑茶が出されました。そのタイミングで、レイは決定的な言葉を口にしました。
「そろそろ結婚と子供のことで話がしたい」
会話が途切れた瞬間にレイがそう口にすると、恋人たちも妻たちも、顔がぐるんとレイのほうを向きました。まるでコントのように。
「何かあったの?」
「俺は跡取りじゃなかったから知らなかったんだけど、貴族になったらできるだけ早く結婚して子供を作る必要があるらしい」
ドンッ!
ラケルが立ち上がった勢いで床が揺れました。ティーカップの中の緑茶も揺れました。レイはラケルの勢いに、思わず仰け反っています。
「できるだけってどれくらいです?」
「罰則があるわけじゃないけど、一人目は一年目にというのが目安らしい。なかなか子供ができないと、他の貴族が娘や孫を押し込んでくるから注意するようにって宰相に言われた。兄さんと義姉さんにも」
その言葉に男爵令嬢のケイトはすぐに反応しました。
「それはそうですわ。娘の嫁ぎ先候補が一つ増えるわけですから。ダンジョンができたのならこれから領地が成長する未来しか見えませんもの。そうなると妻同士の争いもありますが」
第一夫人になれればそれが一番ですが、そうでなくても貴族の当主に嫁げるというのは大きいのです。貴族と平民の間に分厚い壁があることを考えれば、なにがなんでも娘を押し込みたいと考える貴族がいるのは想像に難くないでしょう。
「宰相には妻になる女性が九人いるという話はした。それだけいれば、今の時点で押し込もうと考える貴族はいないだろうと。でも、なかなか子供ができないと押し込もうとするらしい。だから領地が落ち着けば結婚式をしてなるべく早めに子供をってことになりそうだ」
女性陣がお互いの顔を見ます。ここにいるのはサラ、シーヴ、ラケル、ケイト、シャロン、マルタ、マイ、エリ、シェリル。九人がいるのを確認してホッとする顔もあれば、それは当然とうなずく顔もあります。
「それで……誰を正室、つまり第一夫人にするかということだけど、名目上の第一夫人はシーヴにしたい。たとえ娘しか生まれなくても、それで正室を入れ替えることはしたくない。誰を正室にするかという話と後継者問題は別で考えたい。獣人もエルフもわりとそういう考え方らしいし」
「てことは序列はナシ?」
「サラは第二夫人とか呼ばれたいか?」
「ううん、全然」
レイがどうしても妻たちに順番を付けなければならないとすれば、元日本人組、貴族組、それ以外と分けるでしょう。でも、彼はそういうことはしたくないと考えています。
シーヴを名目上の正室とするのは、前世で彼女と結婚できなかったからです。だからといって、サラを大切に思っていないわけではありません。だから、あくまで名目上の正室なのです。
「細かな点は話し合っておく必要があると思うけど、年内のどこかで結婚式をすることになると思う」
「子作りはそれまでに解禁ですかぁ?」
「そこをどうするかなんだけどなあ」
結婚式以前に、まだ教会が完成していません。司教もいません。そもそも町が全然できていません。そんな状況で結婚式はできないでしょう。
結婚式前に妊娠が発覚しても問題はありあません。純白のウェディングドレスを着るわけではないからです。神の前で夫婦になることを誓って終わりです。ただし、それをするのは妻だけで、愛人とは式は行いません。
「レイさん、ここにいるのは九人ですが、まだ増えると思いますか? どこぞのギルド職員とかギルド職員とかギルド職員とか、候補はそこそこいると思います。愛人になるのかもしれませんが」
それを聞いたのはシェリルですが、他の妻候補たちも多少は気になっていました。気にしていないのはラケルとマルタの二人くらいでしょう。
妻は正室(第一夫人)と側室(第二夫人以下)に分かれ、子供には爵位の継承権があります。愛人は妾や愛妾とも呼ばれ、愛人との間にできた子供には継承権はありません。継承権を持たせようと思えば、愛人から妻に変更する必要があります。
このような違いはありますが、それ以外の扱いは基本的に同じにしなければなりません。妻でも愛人でも、平等に扱うのが前提だからです。
「増やすのはいいですが、部下の妻を奪えば領地が傾きます。気をつけてくださいね」
「ちょっと待て。誰の話だ?」
「マーシャです」
「なんで奪うとか、そういう話になるんだ?」
「マーシャはわりとレイさんに抱き付いたりとか、身体的接触が多かったと聞いています」
「身体的接触?」
レイは首をひねります。まったく心当たりがなかったからです。マーシャと話す機会が多かったのは事実ですが、手を触れた記憶もありません。ましてや、抱きつかれたことなど、あるはずがありません。
「あれじゃない? パンダがオススメだってカウンターから飛び出したことがあったでしょ?」
「ああ、パンダ狩りを頼まれた時か。かなり最初のころじゃないか?」
レイたちが一度ダンジョンに潜り、次に冒険者ギルドに入った瞬間でした。マーシャがカウンターの向こう側から飛ぶようにしてレイの前に立ったのは。
「でも、俺の腕をつかんだくらいで、抱きついたりしてないぞ?」
「え? そうなんですか? マーシャはレイさんと深い仲だとクラストンのギルド職員が言っていましたが」
「そんなこと言ったのは誰だ? とりあえず俺とマーシャさんの間には何もない。彼女には夫がいるんだし」
むしろ、薬剤師ギルドのダーシーのほうが気安いだろうとレイは思いました。彼女はわりと自分を売り込んでいましたね。
「それで、うちの両親はあまり参考にならないんだけど、ローランドさんはどうなんだ?」
「貴族としてはごく普通かと」
ローランドには妻はアイリーン一人しかいません。娘が三人と息子が一人いて、長女と次女はすでに嫁いでいます。娘の中でシェリルだけが残っていましたが、レイに嫁ぐことが決まりました。
息子のアーランドが成人するにはまだ数年あります。アーランドの下に弟はいないので、万が一に備えてローランドはもう少し頑張るか、それとも愛人の誰がを妻に変えるか、必要があればそのようなことも必要になるはずです。
ローランドには五人の愛人がいて、愛人との間にできた子供のうち、年長の息子は養子に入ったり独立して商売を始めたりしています。娘の一部は領地の内外の有力者たちに嫁いでいます。王都に近づけば近づくほど競争が激しくなり、嫁ぎ先を見つけるのも大変になります。レイの母親のアグネスは代官の娘ですが、それが領主の正室になれるとは、このあたりでは考えられないことです。
「さすがに自分たちだけで結婚式をするだけってわけにもいかないよな?」
「レイの場合は実家に連絡するほうがいいでしょ? 貴族同士の付き合いになるんだし」
「授爵に関しては兄さんが鳥を飛ばしてくれた。結婚が決まればもう一度送るけど。それとケイトのところにも。ローランドさんには直接説明に行くとして……ルーサー司教は難しいか?」
「さすがに無理じゃない? 休みってあってないようなもんだし。一応報告だけはしようと思うけど」
教会は年がら年中仕事があります。マリオンの教会はそこまで忙しくはありませんが、司教が長期で不在では、場合によっては困ることもあるでしょう。
「レイ、式は誰が挙げてくれるんですか?」
「近いうちに王都から司教が来てくれるらしい」
たとえ小さな町でも、ここは男爵領の領都になるので、司祭ではなく司教が赴任することになります。それは宰相から聞いています。
「シーヴとラケルの実家には連絡はつくか?」
「私のほうは大丈夫ですね。ラケルは?」
「大丈夫です。別の問題が起きるかもしれませんですが」
「問題?」
「はい。父が強い相手と戦いたいと言い始めるかもしれませんです」
「……だれかその要員を呼んでおくか」
レイとしては、自分が出てもかまわないのですが、その時間があるかどうかが問題です。
「武闘派でしたら、わたくしの父がちょうどいいでしょう」
「武闘派なのです?」
「はい。父は細身ながら拳で岩を砕いたり貫手で鉄板に穴をあけたりできますの。拳王というジョブですわ」
「全然そうは見えないけどな」
レイがアンガスに会ったのは二回だけですが、とても武闘派には見えませんでした。よほど親しくなければ、そうだとは思わないでしょう。どう見ても役人が似合うからです。
「マルタとマイとエリのところは近いとして、シャロンは連絡できるのか?」
「無理でしょう。どれだけかかるかわかりませんし、どこにいるかすらもわかりません」
ハーフリングは旅をする種族です。子供が大きくなるまでは定住することもありますが、子供が家を出れば家を片付け、また旅を再開することが多いのです。
シャロンが生まれたのはドノリーという、この大陸の西方にある国です。家を出てから一度も帰ったことがないのは、まだ家があるかどうかわからないからです。おそらくないだろうというのがシャロンの考えです。
「レイ様、そもそも貴族の結婚式は庶民の結婚式とは違いますわ。案内を出しておいて、来た人だけ接待することになります。特に妻の実家が平民の場合は大銀貨や金貨を入れた案内状を送ならいと、よほど近くない限りは誰も来ないと思いますの」
「そうか。金の問題もあるのか」
「はい。わたくしやシェリルの場合は実家が貴族ですので、親の見栄で、それこそ山のように結納金を積んだ馬車を連れてくることになるでしょう」
「なるほど」
レイが知っている結婚は二人の兄の結婚式か、それとも日本の結婚式くらいのものです。貴族の結婚事情についてはそれほど詳しくありません。
貴族の男性が貴族の娘を娶るとき、その娘の実家が結納金を出します。貴族が平民の娘を娶るときは、逆に結婚式に参加する費用を新郎側が出します。それはルールではなくマナーになります。
平民の立場からすると、貴族に嫁ぐ娘の晴れ姿を見たいのは当然ですが、そう簡単に遠方まで出かけることはできません。畑をそのままにしたり店を閉めたりすれば、それだけ稼ぎが少なくなってしまいます。それを補填するのが新郎側の配慮です。
とはいえ、これほど離れた場所の貴族に嫁ぐということは多くはありません。レイの場合、いろいろと例外的なことが多いのです。
「来客に対して豪勢な食事を用意するのは、やはり貴族の見栄ですわ。結婚式は清貧を旨とする教会が取り仕切りますので、本来は質素に行うはずなのです。ですが、多額の結納金を用意した義理の父親に対して貧相な食事を用意するのはあまりにも失礼。というわけで、レイ様もある程度の出費が必要になりますの」
「よく分かった。ケイト、ありがとう」
「いえ、自分のためですもの」
ケイトはレイと結婚する夢を見てきました。レイの側にいられるなら身分などは気にしません。それでも、貴族と平民のどちらがいいかと聞かれれば貴族だと答えるでしょう。だから、レイと自分が結婚することをイメージし、シミュレートし、準備についてはシェリルと二人で率先して行うつもりです。
………………
…………
……
「それじゃまとめるね。レイはシーヴを第一夫人、つまり正室にすることだけが条件で、それ以外には一切条件は出さない。私たちとしては、誰が最初に子供を産んでも文句を一切言わない。最初に生まれた男の子が基本的に爵位を継ぐことになる。絶対に相手を牽制したり蹴落としたりしない。家庭円満が第一。子育てはみんなで協力する。そんな感じ?」
「村がそうだったので慣れてます。問題ありません」
「私もそれで異論はありませんわ」
サラの言葉にラケルとケイトが返事をし、他のみんなもうなずきます。
「私もそれで異論はありません。ここにいられるだけで十分ですから」
第一夫人と言われたシーヴも賛成します。これでレイの恋人たちの中で話がまとまりました。これで町の建設と並行して、結婚式の準備も進められることになりました。
一か月ぶりにレイが見たダンジョンは、さらに成長していました。ドームは大きくなり、さらに上に伸びていたのです。
「ダンジョンって下に伸びるだけじゃなくて塔のタイプもあるから、これはハイブリッド型だね」
「今は上も下も三階分だけですわ」
「まだ魔物はいない」
パーティーメンバーが交代で潜って中の調査をしたところ、上にも下にも移動できるようになっていました。ダンジョンが生物だと思われているのはそういうところです。最初のうちは日々成長します。しばらくすると落ち着きますが、それでもたまに様子が変わることがあります。
成長段階ではどこがどうなるかわからないので、今のところは立ち入り禁止にして、毎日記録をとっています。新しいダンジョンができるのは数十年に一度程度と言われていますが、クラストンのダンジョンができてからは一〇〇年以上が経っています。
もちろん、この惑星全体で考えれば常にどこかでダンジョンが生まれているはずです。たまたまデューラント王国でしばらくできていなかっただけです。この世界を俯瞰的に見ることができる元日本人組はそのように考えていました。
ダンジョンの地上階には魔物は出ません。これはクラストンでもそうで、地下一階から現れます。ダンジョンが塔になっている場合も地上階には現れず、一つ上の階から遭遇することになります。
「それなら出入り口のある場所は地上階か〇階、上は地上一階、地上二階とヨーロッパ風にするか」
「地下はそのまま地下一階、地下二階でいいよね?」
「内部が変わるから意味はないかもしれないけど、しばらくマッピングを頼む。何かがわかるかもしれない」
「了解了解」
まだまだ成長しそうなので、調査は継続します。そして、立ち入り禁止も継続です。町に子供がいれば、こっそり入って遊ぶことも考えられますが、まだまだ作りかけの町なので、労働者しかいません。札だけ立てておけば大丈夫です。
「町に悪影響は出てないよな?」
「今のところはね。ダンジョンが成長する際に少しだけ揺れるけど、深くなったら大丈夫だろうって」
「そうか、まだ地下三階だから……六〇メートルくらいか?」
「床や壁の厚みとかも謎なんだよね。階段は三〇メートルくらいあるから、床からその下の階の床まで三〇メートルくらいで考えてもいいのかも」
ダンジョンには床が抜ける罠が設置されている場合もあります。しかし、天井から上の階の床まで一〇メートル近くあるはずが、なぜかその空間を無視するかのように下に落ちることがあるんです。
「上も大きくなったけど、どっちへ広がってるんだ? 今さらだけど町の中心には向かってないよな?」
「それは大丈夫。地面から上の部分は入り口が開いた方には広がらないんだって」
このダンジョンは町の北西部にできました。そのため、市街地は予定よりも南に、城壁はさらに北に広げなければならなくなりました。ドーム部分が毎日北に移動していたからです。それが先日ようやく動かなくなりました。
ダンジョンのトンネル部分はドームの南側にあります。まだ上も下も三階分しかなく、安全地帯や転移部屋はありません。単に階段がある建物にすぎません。
ドームの移動が終わったので、これからどんどんと上へ下へと広がっていくのではないか、そう予想されています。予想なのは、誰もダンジョンの成長を見守ったことがないからです。
「あれからニコルはダンジョンと意思疎通はできたか?」
ペカペカ
「そうか。いや、しょげなくていいから。努力でどうこうなるものじゃないだろ」
誰にでもわかるのは今後どうなるかわからないということだけです。
◆◆◆
食事が終わり、テーブルには食後の緑茶が出されました。そのタイミングで、レイは決定的な言葉を口にしました。
「そろそろ結婚と子供のことで話がしたい」
会話が途切れた瞬間にレイがそう口にすると、恋人たちも妻たちも、顔がぐるんとレイのほうを向きました。まるでコントのように。
「何かあったの?」
「俺は跡取りじゃなかったから知らなかったんだけど、貴族になったらできるだけ早く結婚して子供を作る必要があるらしい」
ドンッ!
ラケルが立ち上がった勢いで床が揺れました。ティーカップの中の緑茶も揺れました。レイはラケルの勢いに、思わず仰け反っています。
「できるだけってどれくらいです?」
「罰則があるわけじゃないけど、一人目は一年目にというのが目安らしい。なかなか子供ができないと、他の貴族が娘や孫を押し込んでくるから注意するようにって宰相に言われた。兄さんと義姉さんにも」
その言葉に男爵令嬢のケイトはすぐに反応しました。
「それはそうですわ。娘の嫁ぎ先候補が一つ増えるわけですから。ダンジョンができたのならこれから領地が成長する未来しか見えませんもの。そうなると妻同士の争いもありますが」
第一夫人になれればそれが一番ですが、そうでなくても貴族の当主に嫁げるというのは大きいのです。貴族と平民の間に分厚い壁があることを考えれば、なにがなんでも娘を押し込みたいと考える貴族がいるのは想像に難くないでしょう。
「宰相には妻になる女性が九人いるという話はした。それだけいれば、今の時点で押し込もうと考える貴族はいないだろうと。でも、なかなか子供ができないと押し込もうとするらしい。だから領地が落ち着けば結婚式をしてなるべく早めに子供をってことになりそうだ」
女性陣がお互いの顔を見ます。ここにいるのはサラ、シーヴ、ラケル、ケイト、シャロン、マルタ、マイ、エリ、シェリル。九人がいるのを確認してホッとする顔もあれば、それは当然とうなずく顔もあります。
「それで……誰を正室、つまり第一夫人にするかということだけど、名目上の第一夫人はシーヴにしたい。たとえ娘しか生まれなくても、それで正室を入れ替えることはしたくない。誰を正室にするかという話と後継者問題は別で考えたい。獣人もエルフもわりとそういう考え方らしいし」
「てことは序列はナシ?」
「サラは第二夫人とか呼ばれたいか?」
「ううん、全然」
レイがどうしても妻たちに順番を付けなければならないとすれば、元日本人組、貴族組、それ以外と分けるでしょう。でも、彼はそういうことはしたくないと考えています。
シーヴを名目上の正室とするのは、前世で彼女と結婚できなかったからです。だからといって、サラを大切に思っていないわけではありません。だから、あくまで名目上の正室なのです。
「細かな点は話し合っておく必要があると思うけど、年内のどこかで結婚式をすることになると思う」
「子作りはそれまでに解禁ですかぁ?」
「そこをどうするかなんだけどなあ」
結婚式以前に、まだ教会が完成していません。司教もいません。そもそも町が全然できていません。そんな状況で結婚式はできないでしょう。
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「レイさん、ここにいるのは九人ですが、まだ増えると思いますか? どこぞのギルド職員とかギルド職員とかギルド職員とか、候補はそこそこいると思います。愛人になるのかもしれませんが」
それを聞いたのはシェリルですが、他の妻候補たちも多少は気になっていました。気にしていないのはラケルとマルタの二人くらいでしょう。
妻は正室(第一夫人)と側室(第二夫人以下)に分かれ、子供には爵位の継承権があります。愛人は妾や愛妾とも呼ばれ、愛人との間にできた子供には継承権はありません。継承権を持たせようと思えば、愛人から妻に変更する必要があります。
このような違いはありますが、それ以外の扱いは基本的に同じにしなければなりません。妻でも愛人でも、平等に扱うのが前提だからです。
「増やすのはいいですが、部下の妻を奪えば領地が傾きます。気をつけてくださいね」
「ちょっと待て。誰の話だ?」
「マーシャです」
「なんで奪うとか、そういう話になるんだ?」
「マーシャはわりとレイさんに抱き付いたりとか、身体的接触が多かったと聞いています」
「身体的接触?」
レイは首をひねります。まったく心当たりがなかったからです。マーシャと話す機会が多かったのは事実ですが、手を触れた記憶もありません。ましてや、抱きつかれたことなど、あるはずがありません。
「あれじゃない? パンダがオススメだってカウンターから飛び出したことがあったでしょ?」
「ああ、パンダ狩りを頼まれた時か。かなり最初のころじゃないか?」
レイたちが一度ダンジョンに潜り、次に冒険者ギルドに入った瞬間でした。マーシャがカウンターの向こう側から飛ぶようにしてレイの前に立ったのは。
「でも、俺の腕をつかんだくらいで、抱きついたりしてないぞ?」
「え? そうなんですか? マーシャはレイさんと深い仲だとクラストンのギルド職員が言っていましたが」
「そんなこと言ったのは誰だ? とりあえず俺とマーシャさんの間には何もない。彼女には夫がいるんだし」
むしろ、薬剤師ギルドのダーシーのほうが気安いだろうとレイは思いました。彼女はわりと自分を売り込んでいましたね。
「それで、うちの両親はあまり参考にならないんだけど、ローランドさんはどうなんだ?」
「貴族としてはごく普通かと」
ローランドには妻はアイリーン一人しかいません。娘が三人と息子が一人いて、長女と次女はすでに嫁いでいます。娘の中でシェリルだけが残っていましたが、レイに嫁ぐことが決まりました。
息子のアーランドが成人するにはまだ数年あります。アーランドの下に弟はいないので、万が一に備えてローランドはもう少し頑張るか、それとも愛人の誰がを妻に変えるか、必要があればそのようなことも必要になるはずです。
ローランドには五人の愛人がいて、愛人との間にできた子供のうち、年長の息子は養子に入ったり独立して商売を始めたりしています。娘の一部は領地の内外の有力者たちに嫁いでいます。王都に近づけば近づくほど競争が激しくなり、嫁ぎ先を見つけるのも大変になります。レイの母親のアグネスは代官の娘ですが、それが領主の正室になれるとは、このあたりでは考えられないことです。
「さすがに自分たちだけで結婚式をするだけってわけにもいかないよな?」
「レイの場合は実家に連絡するほうがいいでしょ? 貴族同士の付き合いになるんだし」
「授爵に関しては兄さんが鳥を飛ばしてくれた。結婚が決まればもう一度送るけど。それとケイトのところにも。ローランドさんには直接説明に行くとして……ルーサー司教は難しいか?」
「さすがに無理じゃない? 休みってあってないようなもんだし。一応報告だけはしようと思うけど」
教会は年がら年中仕事があります。マリオンの教会はそこまで忙しくはありませんが、司教が長期で不在では、場合によっては困ることもあるでしょう。
「レイ、式は誰が挙げてくれるんですか?」
「近いうちに王都から司教が来てくれるらしい」
たとえ小さな町でも、ここは男爵領の領都になるので、司祭ではなく司教が赴任することになります。それは宰相から聞いています。
「シーヴとラケルの実家には連絡はつくか?」
「私のほうは大丈夫ですね。ラケルは?」
「大丈夫です。別の問題が起きるかもしれませんですが」
「問題?」
「はい。父が強い相手と戦いたいと言い始めるかもしれませんです」
「……だれかその要員を呼んでおくか」
レイとしては、自分が出てもかまわないのですが、その時間があるかどうかが問題です。
「武闘派でしたら、わたくしの父がちょうどいいでしょう」
「武闘派なのです?」
「はい。父は細身ながら拳で岩を砕いたり貫手で鉄板に穴をあけたりできますの。拳王というジョブですわ」
「全然そうは見えないけどな」
レイがアンガスに会ったのは二回だけですが、とても武闘派には見えませんでした。よほど親しくなければ、そうだとは思わないでしょう。どう見ても役人が似合うからです。
「マルタとマイとエリのところは近いとして、シャロンは連絡できるのか?」
「無理でしょう。どれだけかかるかわかりませんし、どこにいるかすらもわかりません」
ハーフリングは旅をする種族です。子供が大きくなるまでは定住することもありますが、子供が家を出れば家を片付け、また旅を再開することが多いのです。
シャロンが生まれたのはドノリーという、この大陸の西方にある国です。家を出てから一度も帰ったことがないのは、まだ家があるかどうかわからないからです。おそらくないだろうというのがシャロンの考えです。
「レイ様、そもそも貴族の結婚式は庶民の結婚式とは違いますわ。案内を出しておいて、来た人だけ接待することになります。特に妻の実家が平民の場合は大銀貨や金貨を入れた案内状を送ならいと、よほど近くない限りは誰も来ないと思いますの」
「そうか。金の問題もあるのか」
「はい。わたくしやシェリルの場合は実家が貴族ですので、親の見栄で、それこそ山のように結納金を積んだ馬車を連れてくることになるでしょう」
「なるほど」
レイが知っている結婚は二人の兄の結婚式か、それとも日本の結婚式くらいのものです。貴族の結婚事情についてはそれほど詳しくありません。
貴族の男性が貴族の娘を娶るとき、その娘の実家が結納金を出します。貴族が平民の娘を娶るときは、逆に結婚式に参加する費用を新郎側が出します。それはルールではなくマナーになります。
平民の立場からすると、貴族に嫁ぐ娘の晴れ姿を見たいのは当然ですが、そう簡単に遠方まで出かけることはできません。畑をそのままにしたり店を閉めたりすれば、それだけ稼ぎが少なくなってしまいます。それを補填するのが新郎側の配慮です。
とはいえ、これほど離れた場所の貴族に嫁ぐということは多くはありません。レイの場合、いろいろと例外的なことが多いのです。
「来客に対して豪勢な食事を用意するのは、やはり貴族の見栄ですわ。結婚式は清貧を旨とする教会が取り仕切りますので、本来は質素に行うはずなのです。ですが、多額の結納金を用意した義理の父親に対して貧相な食事を用意するのはあまりにも失礼。というわけで、レイ様もある程度の出費が必要になりますの」
「よく分かった。ケイト、ありがとう」
「いえ、自分のためですもの」
ケイトはレイと結婚する夢を見てきました。レイの側にいられるなら身分などは気にしません。それでも、貴族と平民のどちらがいいかと聞かれれば貴族だと答えるでしょう。だから、レイと自分が結婚することをイメージし、シミュレートし、準備についてはシェリルと二人で率先して行うつもりです。
………………
…………
……
「それじゃまとめるね。レイはシーヴを第一夫人、つまり正室にすることだけが条件で、それ以外には一切条件は出さない。私たちとしては、誰が最初に子供を産んでも文句を一切言わない。最初に生まれた男の子が基本的に爵位を継ぐことになる。絶対に相手を牽制したり蹴落としたりしない。家庭円満が第一。子育てはみんなで協力する。そんな感じ?」
「村がそうだったので慣れてます。問題ありません」
「私もそれで異論はありませんわ」
サラの言葉にラケルとケイトが返事をし、他のみんなもうなずきます。
「私もそれで異論はありません。ここにいられるだけで十分ですから」
第一夫人と言われたシーヴも賛成します。これでレイの恋人たちの中で話がまとまりました。これで町の建設と並行して、結婚式の準備も進められることになりました。
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エドゥアルには大嫌いな役目、神与スキル『勇者の育成者』があった。力だけあって知能が低い下級神が、勇者にふさわしくない者に『勇者』スキルを与えてしまったせいで、上級神から与えられてしまったのだ。前世の知識と、それを利用して鍛えた絶大な魔力のあるエドゥアルだったが、神与スキル『勇者の育成者』には逆らえず、嫌々勇者を教育していた。だが、勇者ガブリエルは上級神の想像を絶する愚者だった。事もあろうに、エドゥアルを含む300人もの人間を生贄にして、ダンジョンの階層主を斃そうとした。流石にこのような下劣な行いをしては『勇者』スキルは消滅してしまう。対象となった勇者がいなくなれば『勇者の育成者』スキルも消滅する。自由を手に入れたエドゥアルは好き勝手に生きることにしたのだった。

スキルガチャで異世界を冒険しよう
つちねこ
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異世界に召喚されて手に入れたスキルは「ガチャ」だった。
それはガチャガチャを回すことで様々な魔道具やスキルが入手できる優れものスキル。
しかしながら、お城で披露した際にただのポーション精製スキルと勘違いされてしまう。
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そんな世知辛い異世界でのスタートからもめげることなく頑張る主人公ニール(銭形にぎる)。
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