異世界は流されるままに

椎井瑛弥

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第8章:春、急カーブと思っていたらまさかのクランク

第7話:訪問客たち

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「授爵を控えたレイモンド・ファレルの部屋には不必要に近寄るべからず」

 このような文書が王宮内で回覧されました。そこには国王ランドルフ八世と宰相ハンクス侯爵のサインが入っていました。現時点でもっとも効力のある命令といえるでしょう。
 レイは男爵家の三男でした。今はダンカン子爵の下で働く代官の一人、つまり準貴族である騎士にすぎません。彼のところに次々と貴族が押し寄せて無理難題を吹っ掛ければ、おそらく迷惑がるしょう。そのため、彼の部屋に近づいていいのは、王宮内で働いている一部の人に限られました。その一部を見てみましょう。

 ◆◆◆

「貴様がレイか?」
「そうですが、どちら様ですか?」
「吾輩はタルナスという」

 レイの部屋を訪ねてきたのは、この王宮で働いているエルフのタルナス。主に魔道具の維持管理を担当しています。優秀なのは間違いないものの、気難しい性格で、扱いづらいと言われています。

「褒めてつかわす!」
「いえ、こちらこそ」

 タルナスはレイの手を握りながらそう言いました。エルフの言葉遣いに慣れているレイは、タルナスの言葉に驚きも不快感も表しません。エルフの「褒めてつかわす」が「ありがとう」という意味だとわかっているからです。

「昨日、これをライナスから預かった。彼奴きゃつは吾輩の言葉がおかしいと言いよった。まさかとは思ったが、あらためて短命の者たちと話をすると、言葉が違うことがわかった」

 昨日の夜、ライナスはレイの部屋を去ると、その足でタルナスの部屋を訪れた。そして、レイから預かった教本を一冊渡した。

「すぐには無理かもしれない。しかし、吾輩の言葉がおかしいという者が存在するのなら、直すのはやぶさかではない」

 持って回った言い回しですが、彼は「すぐには無理だが直すつもりだ」と言っています。レイも知っていますが、エルフは頑固ではありません。間違っているとわかれば、すぐに正すことができるのです。ただ、タルナスはそれほど若くはありません。レイはそこだけ気になりました。

「タルナスさんはおいくつですか?」
「詳しくは覚えていないが、三〇〇は超えているはずだ」
「それだけの期間、今の言葉を使っていたというのでしたら、時間がかかるでしょう」
「そうだな。身に付いた習慣のようなものだ。簡単には変えられん。ただし、努力はする。それはエルフとしての矜持きょうじだ」

 幼いころに染み付いた習慣というのは、簡単には変えられないものです。しかも、人間の寿命をはるかに超える三〇〇年。ただし、ジンマではすでに言葉遣いが直りかけていることもあるので、いずれタルナスの言葉も問題なくなるだろうとレイは思いました。
 タルナスについてはライナスから教本が手渡されました。ただ、王都にエルフがどれだけいるのかはレイにもわかりません。おそらくエルフのコミュニティーがあるのでしょうが、レイはたまたま訪れただけです。というわけで、タルナスに教本をまとめて渡し、彼の知り合いに配ってもらうことにしました。

「事もない。吾輩の身命をかけて、実行すると約束しよう」

 タルナスは鷹揚にうなずくとレイから教本を受け取り、部屋を出ていきました。

 ◆◆◆

「レイモンド様は美食家だと伺っております」
「美食家ではありませんよ。どうせ食べるなら美味しいほうがいいと思っているくらいです」

 次にレイの部屋を訪れたのは、王宮の厨房で働いている料理人たちでした。その中には料理長のエックハルトもいます。レイが見たことのない料理を作ると、ライナスから聞いていたからです。

「まことに勝手ながら、ライナス様から伺った料理はすでにパーティーでお出ししております。評判がよく、他に教えていただけないかと思いまして」
「それはかまいませんが」

 レイは料理人たちから、ライナスに聞いたという料理を教えてもらいました。マリオンの屋敷で料理長のトバイアスにレシピを渡したとき、自由に広めてもらってもかまわないとレイは言いました。だから、ライナスとハリエットは家でも作れそうなものを教えてもらってから王都に来たのです。
 当時レイは和食を作りたかったのですが、味噌も醤油も味醂も清酒もありませんでした。だから、洋食と西洋料理をごちゃまぜにしたものを作ったのです。

「アーカーベリーの実をあのように使うとは、想像すらできませんでした」
「あれはたまたまなんですけどね。甘味にも使えますよ」
「甘味ですか。ぜひご教授ください」
「あとでレシピを渡しますので」

 もっとも評判がよかったのがトンカツだとレイは聞きました。トンカツのあの厚みと、ザクザクのパン粉が口にあったようです。あとは甘みのあるトンカツソースですね。
 この国にはドイツ風のシュニッツェルがありますが、肉を叩いて薄くした上に細かなパン粉をまぶし、揚げ焼きにします。たっぷりの油で揚げるという調理法は珍しいのです。そして、揚げるためにはたっぷりの油が必要です。脂ではなく油です。
 魔物が多いこの世界では、料理をするのに使われるのは獣脂、つまり動物性油脂を使います。豚ならラードですね。焼くくらいなら問題ありませんが、獣脂を使って揚げ物をすると、少しくどい上に、冷めると固まってしまいます。それなら植物油を使えばいいと思うかもしれませんが、植物油は高いのです。集めて搾らないといけませんからね。
 もう一つ、ナポリタンは子供たちにフォークの使い方を教えるのに役立っていると料理人たちは言います。

「フォークで巻きやすいのが理由の一つです」
「たしかに。普通のスパゲティーはピンとしていますからね」

 スパゲティーには生麺と乾麺がありますが、乾麺はしっかりとしていて、巻くときにやや巻きにくいのです。生麺のほうが食べやすいのですが、保存のことを考えると、一度に大量に作って出すのは現実的ではありません。
 王宮や貴族の屋敷なら、マジックバッグくらいあります。ところが、わざわざスパゲティーのためにスペースを用意しておくことはありません。スパゲティーから作ると手間がかかるので、ほとんどの場合は乾麺を使います。
 なお、デューラント王国では、生麺と乾麺、どちらにもパスタ小麦という、デュラムセモリナに似た小麦粉が使われています。乾燥させるかさせないかの違いだけです。

「あとは、フォークを口へ持っていく動作など、何度も叱られると嫌がるものですが、ナポリタンの味付けなら喜びます。毎日練習したいというお子様も多いそうです」

 ナポリタンは柔らかいので、フォークで巻きやすいのです。また、トマトケチャップを使いますので、食べ方が悪いと口の周りが汚れます。上手に食べるためにはフォークの使い方を指導しなければなりません。
 普通なら子供は繰り返し指導されることを嫌がりますが、ナポリタンの味付けなら喜んで食べると、貴族の子供の教育係にも人気だとエックハルトは説明します。

「それでしたら、一度厨房を見せてもらってもいいですか?」
「レイモンド様にお時間があればぜひ」

 レイとしても、王宮の厨房がどうなっているのか気になります。料理人ではありませんが、料理にはこだわりがありますからね。

 ◆◆◆

 厨房に案内されたレイの目に入ったのは、きちんと整った厨房でした。さすがにステンレスではありませんが、木のテーブルに大理石のような石を乗せた作業台が並んでいました。

「こちらがナポリタンとトンカツをお作りになったレイモンド様だ。今日はいくつかの料理を教えていただけることになった」

 エックハルトがそう言うと、そこにいた料理人たちの目の色が変わりました。料理という分野でこの国のトップにいる人たちです。気にならないはずがありません。彼らを見てレイは、サラなら煽って盛り上げて面白いほうに話を持っていったんだろうな、などと考えていました。文化祭の出し物をきめるときなど、サラが率先して暴走していたのを知っているからです。

「これまで冒険者をしてきましたので、あまり上品な料理はありません。そこはみなさんで、王宮で出してもおかしくないように、食材や盛り付けに手を加えていただいてもかまいません」

 そのように言ってからレイは包丁を握りました。

 ………………
 …………
 ……

「なるほど。低温でじっくりですか」
「はい。強火では熱が通りすぎてしまいます。弱火で時間をかけて火を通すことで、素材の水分が逃げず、柔らかい食感を維持できます。それに、脂の中に入れっぱなしにすることで、長く保存できます」

 レイが作っているのはスパイラルディアーのコンフィです。これはスパイラルディアーの肉を、スパイラルディアーから取り出した脂を使って作っています。

「肉と脂は同じ魔物のものを使ったほうが、風味に統一感が出ると思います」
「そこまで考えていらっしゃるとは……」

 料理人たちが感動しながらレイの説明をメモしています。レイとしては前世の記憶を掘り起こして話しているだけなので、少々むず痒いところもあるのですが、今は料理の指導です。

「こちらは軽食、もしくは甘味として使えます。この形をした口金を使って絞るのがポイントです」

 レイが作っているのはチュロスです。単数形はチュロですね。

「星形ですか。この形に意味はあるのですか?」
「丸のままでは中まで火が通りにくくなります。この形にすることで、早く中まで均一に火が通って、破裂しにくくなります」

 絶対に星形でなければならないわけではありません。十字手裏剣のような形でもかまいません。三角形でもいいんです。ただ、均等に熱が通るように、切れ込みをそれなりに深くすると爆発しにくくなります。
 説明をしながら揚げていると、あっという間に時間が経ちます。揚がったところで、みんなで試食です。まずは定番のシナモンシュガーです。

「シナモンをここで使いますか」
「ワクワクする香りになりませんか?」

 レイが振りかけたシナモンの香りが広がります。レイはあまり注文しませんでしたが、サラはポップコーンやチュロスを毎回買っていました。キャラメルとシナモンの香りは、レイの中では映画館の香りなのです。

「このもっちり感がたまりませんね」
「これがあってのチュロスです。もっちりしていなければ、ただの揚げパンになります」
「それはそれで美味しそうですが」

 料理は食感だと、記憶が戻ってからのレイは感じています。餅も含めて、日本人はもちもちしたものが好きなようです。餅がサクッと噛み切れるなら、お雑煮は正月を代表する料理にはならなかったのではないかとレイは思っています。

「今回は甘味的な味付けですが、塩コショウやチーズなどを振りかけると、エールやワインにも合うと思います。ワインなら、カットしたほうがいいかもしれません」
「甘味にも酒の肴にもですか。なかなかそのような料理はありませんね」
「どうでしょうね。これをカナッペの変種だと思えば、今までもあったわけですよ」
「なるほど」

 カナッペはクラッカーや薄切りのパンに具材を乗せる料理です。チーズを乗せたカナッペは存在するので、粉チーズを振りかけたチュロスは、その変種と考えることもできます。これまでに王宮で出してきた料理も、見方を少し変えるだけで別の料理になることもある。レイはそのように説明してから部屋に戻りました。

 ◆◆◆

 レイの実家があるギルモア男爵領、そこでは一部の料理に「レイモンド風」という枕詞が付くようになります。レイが料理長のトバイアスにレシピを渡し、そこから広まったものです。
 レシピの数を考えれば、サラが八に対してレイが二くらいで、レイは「サラ風」だと思っています。ただ、領主の息子が考案した料理という部分がポイントで、そこから北部の貴族を中心に、さらには簡易化された料理が庶民にも広がっていきます。
 一方で、王都でも「レイモンド風」が広まります。こちらは王宮の料理長エックハルトから、貴族たちを中心として広まった料理に付く枕詞です。レイとしては貴族向けと思って教えたわけではありませんが、使う食材を考えれば、なかなか庶民には作りにくいのです。
 この二つの「レイモンド風」ですが、数年後には王都とギルモア男爵領のほぼ中間点、ダンカン子爵領で顔を合わせることになります。
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